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 角と秘薬 番外編






 日が長くなり、ボロウェが街で今日の診察を終えたときも、まだ夕陽が差していた。
 王宮のすぐ西の高級住宅街にアネスの屋敷はある。帰ると使用人頭の年老いた女性が迎えてくれた。
 仕事鞄を研究室に置いて居間に戻ると、女性がお茶を用意してくれた。
「ありがとう。もう帰っていいですよ。お疲れさま」
 アネスは住み込みの使用人は雇っていなかった。通ってもらっている使用人も屋敷が広すぎる上に仕事が忙しいので仕方なく頼んだが、元々身の回りのことは自分でする性格だ。ただ使用人頭のミシェアは落ち着いた女性でアネスは気に入っている。ボロウェも親しく会話はしないがいい人だと思う。
「明日は私もアネスも休暇だから貴方達も休みにしてください」
「かしこまりました。夕食は食堂に配膳してあります。それとこれを」
 女性はボロウェに鍵束と今日届いた手紙を渡した。そして他に数人いる使用人を集めると、戸締まりや火元の確認をして帰宅していった。
 一人になるとボロウェは帽子を脱いだ。数か月前に折れた角が、先が見えるくらいまで伸びている。アネスが帰って来るまでボロウェは居間で医学書を読んでいることが多い。受け取った手紙にボロウェ宛のものが一通あったため、それと本を持ってソファに座った。

 手紙はエトラの村からだった。
 冬を越し、森に食料が増える季節になった。文面からも明るさが感じられた。暮らしぶりについては最近有角の生活水準に合わせた税率に下がって息をつけたらしい。有角人の食料の確保は山間での採取を主としているため、農業生産力がトネロワスン人に比べてぐっと小さかったのだ。余裕ができて若者に学問や職能に対する意欲が戻ってきているらしく、ボロウェが残していった書物を貸してやってもいいかとも訊いてきた。
 読み終わるとちょうど扉が開いて、アネスが帰ってきた。
「おかえり」
 アネスは少し赤くなってうろたえた。ボロウェが柔らかく微笑んでくれたのだ。故郷の手紙を読んでいたままの顔がでてしまったのだろう。
「ただいま」
 ソファに近づくと、そのまま座っているボロウェに抱きついた。
「笑顔、はじめて見た」
「え、笑っていたか」
「すごく好きだ、その顔。もっと見たい」
 そう言ってアネスは優しい笑顔でボロウェを見つめる。ボロウェとしてはこの笑顔の方が断然魅力的に感じた。
 アネスは抱きしめたボロウェをソファにゆっくり押し倒すと、額に瞼に唇にいくつも口付けした。手は、服の上からボロウェの体の線をなぞり慈しむように撫でる。
 ボロウェは背中は柔らかいソファに埋まり、胸にアネスの堅くて熱い体、耳元で甘い言葉を囁かれて、至上の幸福の中にいるような気がした。
「アネス、好きだ……」
 ボロウェは両腕をアネスの首に回して引き寄せた。アネスは愛撫を止めて抱きかえし、ぴったりと体をくっつけた。この時間が長く続くよう、二人して黙ったまま互いの体温の心地良さにひたった。


 日はすっかり落ちた。ボロウェは、自分の上でアネスが眠りかけていたので、夕食にしようと声をかけた。
「疲れているようだし今日はしっかり食べて早く寝ろ。―明日は休みだったな。仕事が残っていはしないか。私もちょうど診察の予約がなく家にいるから、ミシェアさん達には休暇にしていいと言ったのだが」
「ないよ。じゃあ明日は一日中二人きりだな」
 アネスは嬉しそうにボロウェの手を取って立ち上がった。
 休みは偶然重なったわけではない。ボロウェがアネスの休暇の見通しをさりげなく訊いて合わせていた。それでも二人共緊急の用が入ることの多い仕事だ。同居しているというのに甘い時間は意外と少ない。
 居間の燭台に立ててあった蝋燭をアネスは手燭に移した。それを持って食堂に向かう廊下に出る。
 僅かな距離だがボロウェはアネスの空いている方の手を繋いだ。アネスが振り向くとボロウェは恥ずかしくて下を向いた。アネスはボロウェの手を握り返して引っ張り、その甲に唇を寄せた。ボロウェは驚いて手を引っ込めようとしたがアネスが放してくれなかった。真っ赤な顔で目を瞬かせるボロウェをアネスは笑った。いつもより子供っぽい笑顔がボロウェの心をさらに波立たせた。

 冷えていたスープを焜炉の上で温めた。他に青菜と山菜の和え物とパン、肉料理はボロウェの分はかなり量を抑えてある。嫌いではないが胃に合わないらしい。そのかわりデザートの果実は頬を緩ませながら食べていた。
 ボロウェは食事の旨い不味いを言わないが、彼の顔を見ながら食事するようになってからアネスだけには表情で読み取れるようになった。
 都の市に並ぶ果実には糖度の極めて高い上等品がある。酸っぱくて苦味がある果実しか知らないボロウェが初めて食べたときは、目を丸くして、その後黙々と食べる姿が可愛かった。そのため、たまにこの贅沢な食材を使用人に買ってくるように指示した。
「明日の食事は私が作る。アネスはゆっくりしていてくれ」
「あ、ありがとう」
 アネスは少し言葉に詰った。まだ想いが通い合って数か月の相手の手料理、嬉しくないはずがない。だがボロウェは調理の手際はいいが、味付けや食感にこだわらない。アネスは比較的質素な食生活だが、やはり都に住む帝国人でボロウェに比べ舌が肥えている。ボロウェはそうと気づかずにデザートの最後の一口を噛みしめることに集中していた。


 洗い物を片付け、ミシェアがほとんど用意しておいてくれた風呂を炊いて入った。
 後に入ったボロウェが風呂から上がって、屋敷の主人の寝室に向かう。
 そこには大きなベッドが一つだけあり、二人で共に眠る。アネスはボロウェのために衣服や本棚は揃えてくれたが、寝具だけは別のものをくれない。ボロウェが自分で調達しようとすると、アネスは不機嫌になる。居候の身でそれ以上はできず、毎晩アネスの傍らで就寝していた。

 寝室に入ると、いつもボロウェを待っていてくれるアネスが、ベッドに倒れていた。上掛けもせずに熟睡している。
「よほど疲れているのだな」
 ボロウェは手でアネスの短い髪を梳いた。
 新皇帝の世になってからというもの、諸処の改革がなされている。カナーは様々な法制度を見直し現場を視察して、少しでも気に入らないことがあると改めさせる。王宮中、いや帝国領中の其処此処に出没して、執務室に集まる奏文への決裁も滞らせない。その親政ぶりは影武者が十人いると噂されるほどだ。
 一将軍に過ぎないアネスでも毎日十も二十もやることがあり、それらの頂点に立つ皇帝の多忙さは計り知れない。それにも関わらず大好きな社交会や祭りの出席を欠かさないカナーを、
「化け物だ」
 とアネスがボロウェについ洩らしたことがある。ボロウェも定期診察の間も働くカナーの姿を見ているので、頷けてしまう。そのうえ体は健康そのものなのだ。
 そんな皇帝に見込まれているアネスも自然と忙しくなる。

 ボロウェはアネスを持ち上げて、下になっている上掛けを引っ張ろうとしたがうまくいかずに、アネスを起こしてしまった。
「すまない……。ちゃんと毛布を被れ」
 アネスは寝惚け眼でボロウェの体を引き寄せながら、シーツを掛けた毛布の中に入った。まだひんやりとした寝具の中で、ボロウェの体をギュッと抱きしめる。
「なッ。……灯り、消すぞ」
 アネスの腕の中から体を伸ばして、蝋燭の灯りを消した。窓から満月に近い頃の月の白い光が差し込む。
「少し、眠気覚めた」
 そう言ってアネスは、ボロウェの顎をとって口付けた。
「ん……、―早く、寝ろ」
「お前はしたくないのか」
 アネスはボロウェの尻を撫でながら真顔で言った。ボロウェは真っ赤になる。アネスはボロウェが顔を覗き込んでも何も言い返してこないので、もう一度口付けて、舌を入れた。
「ん、ん……」
 アネスはボロウェの呼吸に合わせて、甘く、舌を動かす。ボロウェは以前アネスに教えられた通りに呼吸し、辿々しくも舌で答えた。
 この屋敷に来てから三度目の官能的な口付けだ。最初の時は頭だけ沸騰するようで苦しかったが、今日は体中が熱くなっていく。
 アネスが口付けは激しいままに、ボロウェの夜着の結び目を解きはじめた。これは初めてのことだった。

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「アネス……! 待ってくれ……」
 シーツの下でボロウェとアネスの裸が絡んでいた。怖くて目をギュッと瞑るボロウェに、アネスは少し躊躇してから、
「無理だ」
 と言った。ボロウェは泣きそうになる。
 アネスは、奥手のボロウェと大事にゆっくりと関係を深めていくつもりだったが、自分が望む通りの口付けを覚えていく彼がどうしようもなく可愛い。同性とは初めて交わるが、ボロウェとならば肌が合うと確信した。そう思うと抑えが効かなくなってしまった。
(ボロウェの生涯を背負うくらいの覚悟はある)
 その決意を免罪符に、欲望が堰を切った。
 頭の生えかけの角をくわえ、股の明るい色の陰毛をいじる。男らしい筋肉も女性的な曲線もない、背に腰に尻にと撫でた。自分のものとは違う体に、興奮する。

 それでもアネスの愛撫は優しかった。だがボロウェは動けないまま震えていた。覚えたての口付けだけは必死で返す。
 アネスの体は好きだ。ボロウェは彼の着替えの時などには進んで手伝い、その逞しい裸体に密かに見蕩れていた。今、彼の汗ばんだ胸板を直に押し付けられ、節くれ立った指が肌を這うのが最高に気持ちいい。
 ただ、アネスの前に自分の体が晒されているのが恥ずかしかった。ボロウェの体を触り続けているアネスが先程から無言なのも不安を煽った。
 アネスが合わせた唇を一度退いた時、
「アネス、頼む……。―教えて……」
 かすれた声を振りしぼって言った。アネスは目を見張る。
「……ごめん。私は、アネスに……気持ちよくなってもらう方法を全く、知らないから……。教えてくれ」
 ボロウェは泣きそうな顔を手で隠した。
「……アネスに、好いてもらえる体になりたい……」
 弱々しい声で、自分の望みを伝えた。
 アネスはポンと、目をこするボロウェの頭を撫でて、
「好きだよ」
 と言った。
「どうしようもなく、好きだ。愛してる」

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 朝食は、体がだるいボロウェの代わりにアネスが作った。セリのスープと木苺のジャムと買い置きのパンの、簡単なものだ。
 ボロウェはのろのろと食堂に入ってきて、クッションを敷いた椅子をアネスが引いてやると座った。
「ごめん。私が作るといったのに」
 アネスは何も言わず笑った。ボロウェは温かいスープを飲んで息をついた。
「……おいしいな。―好きな人が作ってくれたからか、な」
 ボロウェは、はにかんで微笑んだ。恋人だけに向けられる、安心しきった笑顔だった。

〈終〉


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