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 切り裂いた爪 1






 祖国に居場所を失った、突然の一日。
 たしか、優しい春の陽が差していた。


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「エリオン! 来なさい!」
 先程から、壁に大きな物が当たるような轟音がする。
 エリオンが自分の部屋で怯えていたら、いつも優しい母様が髪を振り乱して入ってきて、エリオンの腕を強く掴んで走り出した。
「母様、手が痛い……! どうしたのっ」
「ごめんね。でも今は……ただ速く…私についてきて!」

 廊下を駆ける。
 その奥の窓を開けて、屋敷の敷地内の茂みに降りる。茂みの枝がドレスを破ることを母様は厭わない。
 塀に埃と蜘蛛の巣が張った扉。エリオンも最近見つけて、そのうち内緒で使ってみようと思っていた隠し扉を、母様は急いで錠を解いた。

 馬車に乗った。いつものようにエスコートしてくれる者はおらず、母様とエリオンが大股で乗り込むと、馭者の鞭の音がなり、車は急発進した。あやうく車内に頭をぶつけそうになるエリオンを、母様が支えて、そのままぎゅっと抱きしめた。
 母様は震えていた。

 馬車の外。離れていく屋敷は、兵士達に囲まれていた。揺らめく旗は、父様が大将軍をしているメザ王国軍の物。
 この兵団を率いてきたのは、旗持ちの横にいる、はためく青いマントと美麗な鎧の男だろう。
「あの男……」
 メザ王国の将軍、ジャックだ。
「あの男……父様を憎んでいた……」


 城下に、父様の共をした時、擦れ違う事が何度かあった。二人共供回りの人数を連れているので、遠くからでも目立つ。父様とジャックはお互い睨み合っていた。
(怖い人……)
 幼いエリオンは、彼の強烈な視線に震えた。
 それでも、父様と一緒でなくとも、城下を歩いていればたまに擦れ違う。
(父様がいなくても大丈夫だもん!)
 エリオン一人でも、負けないように睨んだ。ジャックは、エリオンが一人の時は睨み返しはせず、戸惑ったような顔をした。


「お前達の主は反逆罪により誅した! すぐに門を開け!」
(誅する……?)
 ジャックの横にいた兵士が、暗い赤で汚れた白布を広げた。その中には……。
「父様ー!」
 エリオンが声をあげて、兵士達がこちらに気づいた。銃口が向けられる。
「逃がすな! 殺しても構わん」
 ジャックの声が響いた。彼らは、弾丸を惜しみなく使ってきた。馬車の窓が割れ、母様とエリオンは抱き合って床に伏せていた。車輪がガタガタ跳ねているのが伝わる。
「……さ…」
 母様は震えながら小さく呟いていた。
―ス様……エーリシス様……ふ、……っ」
 母様の目から涙が溢れている。いつもは「旦那様」と呼んでいた。母様が父様の名前を呼ぶところを、エリオンは初めて見た。



 逃げた先の異国の地で、事の顛末を聞いた。

 父エーリシスはジャック暗殺のための刺客団を雇った。
 刺客団がジャックを襲撃したとき、王が共にいた。そのため父は、反逆罪で処刑されたらしい。

 全てジャック側の発表で、真実かは知らない。



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 十年後。



 今日も血の匂い。
「ジャック将軍。センユタム国王ハデリを捕らえました!」
 ここはセンユタム王国の都。
 二日前ここを制圧したメザ軍は、都の西のはずれに駐留していた。そこに駆け込んできた朗報に、ジャックは振り返った。
(センユタム攻略……、ついにここまできた)
 この功績を受け、ジャックは、メザ史上最も若い大将軍となるはずだ。現在メザ国内に、これといった政敵はいない。十年前争ったエーリシスくらい骨がある者が家柄主義派の中にいれば、ジャックの昇進は遅れただろう。
(順調だ)
 密かに笑みが漏れた。

 目の前に引かれてきたのは、まだ二十歳になっているかも覚束ない若い男だった。少し細身で、整った顔をしている。王は敵軍の一斉の視線にひるむこともなく、ジャックを睨んでいる。
「あれが悪名高きハデリ王か」
 兵士達が小声で噂をしている。ハデリ王はメザにも聞き及ぶ、暴虐な王だ。酒池肉林に溺れ、諌める家臣を処断し、宮殿の外の荒廃には何の手だても打たなかった。政権に対する激しい反発は、メザにつけいる隙を与えた。
「ハデリ王、分かっているだろうが、貴殿の今後の処遇はいいものではない。決定するまで監視下にいてもらう」
 ジャックは冷たい声で言い渡した。王は何故か目を見開いた。驚いたような顔だ。
「……私に気づかないのか」
「ハデリ王?」
 王は形相が変わり、火のような目でジャックを見る。
「お前のような下郎が、王族たる私の処遇は決められないだろうからな。メザ王との連絡が往復するまで待て、ということか」
 蔑んだ口調に、ジャックは不快感を表した。
「……王を滞在してもらう部屋へ案内しろ。豪華でなくていいから監視しやすい部屋だ」

 ハデリ王は、宮廷の西回廊の部屋に入れられた。
 ベッドなど整えられているが、窓に鉄格子が付けられている。ハデリ王が目障りな臣下をここに幽閉していたらしい。
「自分で使う事になるとは思わなかっただろう」
 メザ兵が侮蔑の言葉をかけながら、鍵を閉めた。
 張っていた気が抜けたハデリ王は、ベッドに沈んだ。いつも使っているよりずっと上質のシーツとスプリングが、眠りを誘った。

『私に気づかないのか』

 つい口をついた言葉。だがジャックは一瞬疑問を持った顔をしただけだ。
(父を……! 父を殺して、私にも銃弾を浴びせておきながら……!)
 ハデリ王、いや、エリオンの顔が憎悪に歪んだ。


 国を追われた後、エリオンは母と共に、センユタムに来た。
 メザ国有数の貴族の宗主、かつ、王の重臣であったエーリシス。彼の死の話はセンユタムにも届いており、幼いエリオンと母は疑われもせずセンユタムに住む事を許された。
 ハデリ王が統治するようになり、センユタムの世情は荒れ、身寄りなき母子が生活するには、苦しい世になった。多くの知り合いが国を去っていったが、メザに未だ指名手配されたままのエリオンと母は、そう簡単に他の国に行けなかった。

 ついにメザ軍が都に攻め入るにあたって、逃げ出そうとした。
 その時、ハデリ王からの使いが家の扉を開けた。使いの一人がエリオンの手を掴み、他の一人が母を捕らえた。
「何をするんだ!」
「メザに狙われているエーリシスの妻子よ。これまでこの国に隠してやった恩を忘れたか」
 確かに住まわせてはくれたが、それ以外何をされた覚えもない。
「エリオンといったか。王と同じ年頃、王と同じ瞳と髪の色。そして幼き頃貴族として過ごした振る舞い。メザ軍へのいい目隠しになる」
「まさか……、私を王に似せて囮にする気か。いまさら王は逃げる気か」
「やめてください! その子は残された、たった一人の……!」
 母が悲痛に叫んだ。
「エリオン、ほら、たった一人の母親を、王は一緒に逃がしてくれるとおっしゃっている。王が安全な場所に行くまで、君の優しいお母さんは王の側だ。……どういうことか分かるな?」
(母を人質に……)
「母さん……」
 従わざるをえない。


 相手は祖国のメザだ。知り合いがいる可能性もある。すぐにばれるだろうと思っていた。

 だが、
(父の敵……憎きジャック……! お前がハデリ王を捕まえたいと思っているなら……、騙してやる。偽物に踊らされ、無為に時を失えばいい!)
 エリオンは歯ぎしりした。



「こんな不味いもの食えん」
 ジャックが部屋に入ってくるタイミングで、エリオンは食事の載った机をひっくり返した。
「……!」
 ジャックの脚と靴にかかる。
「……ハデリ王。食べないなら勝手にするがいい。メザ王都と書簡が往復するまで大した日数ではないから、飢え死にはない。我々はそれでいい。無駄に腹が減って辛いのは貴殿だけだ」
 睨みつけてくるジャックに、心の底では震えながら、エリオンは鼻で笑った。
 ジャックはこの部屋に入ってきた用件を言った。
「メザの旗はどこにある」
 何のことだ、とエリオンは疑問に思ったが、ハデリ王なら分かることなのかもしれないので、疑問を顔に出すのはまずい。表情を読まれないよう、冷たい目をジャックに寄こした。
「二十年前センユタムがメザから奪った旗だ」
 ジャックは言葉を重ねた。
(二十年前、旗を奪われた……? そういえば、歴史や用兵の授業で、二十年前メザがセンユタムと戦争して撤退したと聞いた。その時旗も奪われたのか)
 メザにいた時の家庭教師達の話を思い出していた。
「答えろ」
 ジャックにいくら聞かれようと、知らないのだ。
 だが、いい機会だ。
「見たいと言ってくる奴らに貸して回ったからな。今はマウロミスの屋敷だ」
 からかう様な口調で、思い出すジェスチャーをしてみた。マウロミスというセンユタム貴族の屋敷は広いことで有名だ。良くない方法でハデリ王に取り入っていたらしい。
(探しまわれ)
 ジャックはハデリ王の態度から、嘘の場所を言っている可能性は考えた。だが……、
「疑っているなら、拷問で訊いてみるか? はは、王族に暴力はふるえないだろう。忠義の将軍様。牢で大人しくしている相手に、暴力をふるったとあったら外聞が悪いもんなあ」
 王族に対し、人は貴さを感じているものだ。貴い者に暴力を振るえば、謙虚さのない者として疎まれる。これからメザが統治していかなければいけないセンユタム国民の神経を逆撫でする可能性は避けたい。なによりメザ王に、「ジャックは王族に手を出せる危険な臣下」と思われてはまずい。
 ハデリ王のことは、同じ格を持つ、メザ王に任せるのが妥当なのだ。
 ジャックは何も言わず部屋を後にした。そしてマウロミス邸の捜索を命じる。


 部屋に残されたエリオンは、床に散らばった料理をどうしようかと考えていた。ジャックの不機嫌な顔が見られたので、やったことは後悔していないが。
 本当はお腹が空いている。一口も食べずに「不味い」といってぶちまけた料理は、ここ数年食べてない、しっかりしたものに見えた。母と二人での暮らしは、少ないパンを分け合う慎ましいものだった。
(母さん……、ちゃんと食べられている?)
 そう思ったとたん、不安に胸が痛んだ。あのハデリ王が、母の無事という約束を守る保証はない。
(生きてさえいれば……、一日に一切れのパンでも出してくれていれば……)
 優しい母は、自分の身の不遇は忘れ、ただ一心にエリオンの身を案じていることだろう。
 エリオンは痛む胸を押さえながら、テーブルクロスで床を拭いて、落ちた料理をまとめておいた。パンや果物は埃を払えば食べられそうだが、手は出さなかった。ジャックへの、意地だ。


 鉄格子の間から窓にかかる木戸を半分開け、エリオンはベッドに横になった。風がさやさやと葉を揺らす音に、眠りを誘われる。
「!?」
 エリオンは飛び起きた。
「なんだ……、水?」
 ベッドの上の窓を見上げた。誰かが覗いている。
「誰だ、こんなことを……」
「お前なんか死んでしまえ! ふんっ。薪さえあれば熱湯を注いでやった!」
 幼い声。
(子供か……)
 半地下のこの部屋は、窓の高さが外の地面の高さになっている。
「ハデリ王! お前のせいで、母ちゃんが散々働いて……、それでも食えなくて死んだんだ! 父ちゃんは戦場に行って……、もう何年も連絡がないんだ。軍兵に聞いても何も聞けず追い返されるけど、どうせ父ちゃんも死んだんだろうっ……!」
 叫ぶ少年の甲高い声。周りにいるはずのメザ兵は、ハデリ王を恨む小さな侵入者に気付かないのか。
 ……いや、見て見ぬふりか。メザの司令官に対する傲慢な態度を見ても、自分達は処刑の時を待つしかない。だが自分達の知らぬ所でセンユタム民が鬱憤を晴らすのは、ああ、仕方ない。
 エリオンも母を攫ったハデリ王は嫌いだ。彼だと思われるのは嫌でたまらないが、
(この子、お母さんを亡くしたと言った……)
 エリオンを責めれば、この子の心は少しは楽になるのだろうか。
 エリオンはじっと少年の顔を見つめる。エリオンの顔を睨み続けていた少年は、ふと、気が緩んで、言葉を漏らした。
「何とか言えよ……。お前のせいで、このままじゃ妹と弟も死んじまう……。もうずっと……、食べていないんだ。あいつらまでいなくなったら、俺……」
 エリオンは驚いた。
「他にも家族を抱えているのか……」
 こんな小さな子が戦中に。エリオンと母の二人でも生活が困難だったのに。
 エリオンは走って窓から離れた。そして床に落ちていた食べ物を拾って戻ってくる。
「これ、埃を払えば食べられるから」
 鉄格子の間から、そっと外に置いた。パンと果物を見て、少年は唾を飲んだ。
「お前の施しなんか……!」
「君は男だろう!」
 エリオンが叱った声に、少年はビクッとした。
「恥を忍んででも、守らなければいけないものがあるんじゃないか」
「……」
「私に施しを受けることと、君の妹や弟を失くすこと。どちらが辛い」
「……っ」
 少年は唇を噛むと、目に力を取り戻し、エリオンが置いた食物を掻き集めて、背を向けた。
「明日もこの窓は開けておく。水をかけたければ、かければいいから、来るんだよ」
 少年は一度振り返ったが、何も言わず走り去った。


 ハデリ王の様子の報告を受けたジャックは驚いた。
「食事をしたのか」
「はい。パンと果物が減っておりました」
 テーブルにあったものは全て床に散らばったはずだ。あのふてぶてしいハデリ王が、空腹に耐えられず床に落ちたパンを拾う……その姿を想像し、ジャックは含み笑いをした。

「それと、旗のことはどうだった」
 マウロミスの屋敷を捜索したが見つからなかった。彼は今度の戦中に死亡したため、もう一度ハデリ王に聞こうとした。
「いえ、ハデリ王は……」
「またか……」
 ジャックは大きくため息をついた。
「どういうことなんだ。私が相手でないと反応もしないとは。昨日私が行った時は散々生意気な口をきいた」
 ジャックは、王という肩書きだけに守られた、十以上歳下の生意気な男となど話したくない。
「申し訳ありません。ですが我々がいくら話しかけても、座って目を閉じたまま何の反応も見せないのです。とりつく島がなく、尋問にも交渉にもできません。ですが将軍に対してだけは感情的になりますので、情報を手に入れる隙もできるかと」
「……分かった。もう一度私がハデリ王に会ってみよう」
「はっ。ありがとうございます」
「かわりにセンユタム国民への生活援助の務めに加わってくれ。隣国とは思えないほど、ここの貧困化は凄まじい。とにかく餓死者の存在がなくなるよう、いますぐ手立てが必要なところだ」
 部下は承知すると、足早に担当部隊の元へ向かった。

「私も行くか」
 自分もハデリ王の口を割らなければいかない。
 センユタムを制圧した勝利に沸く今となっては、昔失った旗を取り返すことが、メザ兵や国民にそれほど大きな効果があるとは思わない。ただ、実は昔センユタムに負けたメザ総大将とは現メザ王なのだ。彼にアピールできる。
「軍務は私に任せておけばよいのだ」
 と。
(地位が欲しい。どんなことをしてでも)

『お前のような下郎が、王族たる私の処遇は決められないだろうからな』

 下郎、などとは久々に言われた。数えられないほどの蔑みを経験しつつ、どんな無茶でもして、この地位まで登りあがってきたが、まだ言われるのか。
「あんな男が生まれつき崇められる立場にいて、……何故我が一族は……」
 ジャックは唇を噛んで、言いかけた言葉を止めた。


「ハデリ王」
 あの男の声だ。
 座って何の反応もなかったエリオンが、部屋の入口に向きなおる。何も映そうとしなかった瞳にジャックの姿を入れると、激情の炎を宿す。
 できるだけ長い時間ハデリ王の振りをする役目―口を開かないのが一番ばれない。
 運のいいことに、そうすることでジャックを、総大将でありエリオンの前に出てこない男を、引き出せた。復讐の機会が巡ってくる……。
 大したことはできない。だが少しでもこの男に対する、積もり積もった恨み、悪意をぶつけたい。その時だけ口を開いた。

「また旗のことか。さて、どこにあったかな」
 エリオンは嫌味な微笑みを浮かべて、流し目でジャックを見る。絡んだジャックの視線に、怒りが充満していることに満足する。
「私は貴殿の遊びに付き合っている暇はない。荒れたセンユタム国内の統治も進めなくてはいけないのだから。答えろ」
 ジャックは語気を強めた。戦場に立つ男の気迫に、エリオンの心中は怯えを持った。だが、幼い頃と同じように、負けないよう睨み返した。この心は、父の仇への復讐心が震い立たせてくれるのだから。

 睨み合いを続ける剣悪な二人。その空気を切り裂いたのは、ジャックの上げた声だった。

「! 避けろ!」
 ジャックに肩を掴まれ横に倒された。同時に響く銃声。
「え―」
 エリオンは何が起こったのかと、窓の方を見た。鉄格子の外に黒い影。それを認めた視界を、ジャックの体がかばうように遮る。彼の堅い腕が、エリオンをきつく抱き寄せた。
「衛兵! 何をやっている!」
 ジャックが怒鳴る。襲撃者は次の弾込めは叶わないと思ったか、窓の側から立ち上がり姿を消した。
 エリオンはジャックの胸に抱えられたまま、襲撃のあった部屋を出て廊下へ引きずられた。外からは、走り回る兵士の武具の金属音、騒然と交わす情報と指示。
「離せ……」
 エリオンは絞り出すような声で言った。ジャックと密着するような状態……冗談じゃない。
「悪いが、貴殿の身を守ることは任務の一端であり、また、放して逃亡されても困る。しばらくこの状態でいさせてもらう。それに……」
 睨み上げようとした時、ジャックの嘲笑があった。
「それに体が震えているぞ。銃弾が怖かったのか? 私で良ければついていてさしあげるが」
「っ!」
 その言葉に、エリオンは必死で離れようともがいた。だが軍人らしい体付きのジャックの力には敵わない。エリオンは己を嘲笑う男の胸から、逃れること叶わなかった。
(なんて不覚を。この男に怯えているところを見せるなんて……)
 悔しげに顔を伏せた。

 何人か兵が集まってくると、ジャックはエリオンを離して彼らに囲ませた。

 しばらくして、他の兵が走り来てジャックに報告した。
「相手はセンユタム民か」
「はい。仕方ありませんね。ハデリ王のしてきたことを考えれば」
 兵はエリオンに蔑んだ視線を寄こしたが、エリオンは無感情な顔で気づかない態度でいた。
「馬鹿を言うな」
 ジャックは低く冷たい声で言った。
「私は王の書簡が届くまでハデリ王を生かしておくよう指示した。だが、恨みを持ったセンユタム民なら通しても構わない、などという指示は出していない。―ハデリ王を気に入らない感情は分かる……。だがそんな感情のためにお前達は警戒に穴を開けたんだ」
 ジャックの静かだが厳しい口調に、兵は緊張に身を固くした。
「センユタム民が恨んでいるのが、ハデリ王だけと思うな。今回はたまたま派手に恨まれたハデリ王がいたが。本来恨まれてしかるべきはメザ兵だ。決して思い上がるな」
 兵は青ざめながら承知した。ジャックは持ち場に戻るよう言う。
「ハデリ王。ここは貴殿にいていただくには相応しくないようだ。場所を変えてもらおう」


「……ここしかないか」
 ジャックがそう言って止まった部屋に、エリオンは入れられる。ジャックは兵に断わって、一緒に入って扉を閉める。部屋はエリオンとジャックの二人きりになった。
「先ほどは我らの不手際だった。謝罪する」
 ジャックは、嫌っているはずのハデリ王に対し、簡単に頭を下げた。彼の怯える姿を見たことで、心境に余裕があるのだろうか。
「甘い警戒はメザ軍の恥として、すぐに改める」
 顔を上げたジャックは、生真面目な表情だった。エリオンは違和感があった。
(まるで、軍を真摯に背負っている者の顔……)
 エリオンは、宮殿に向かう時の父の顔を、一瞬思い浮かべた。
「現在できる措置として……」
 ジャックの声に、エリオンが思い浮かべた像はすぐに消えた。
「私の使っている部屋の隣に移ってもらった。ここなら警備が薄くなることはないし、私が気付くこともできる」
「隣……」
 怪我の功名というところか。ここならジャックに接触する機会が増えるかもしれない。
「しかし、センユタム民は敵国の総大将より自国の王を狙っているようだ。貴殿がいると、かえって私が危うくなるかもしれない。貴殿は数多くの人間を野たれ死なせたようだからな」
 伝えるべきことを伝えると、ジャックは挑発的な口調に戻った。
「お前こそどれだけ人を殺した……」
 エリオンは押し殺すような声で、わずかに恨みを含ませた言葉を吐いた。ジャックは少し驚いて彼の顔を見た。どういうわけか、本当に人を殺す者を憎んでいるような様子だ。
「失敬した。そういった話は私の立場で言うべきではないな。貴殿の罪を決めるのは、我らがメザ王ただ一人……」
 ジャックは優雅な動作でお辞儀した。
「残りあと数日。心安らかでありますよう、警護させていただきます。陛下」
 嘲りの言葉と共に、ジャックは部屋を出ていった。エリオンは閉められた扉に物を投げつけた。


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