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 月夜 春の陽






 城の奥。主の居住する場所。
 この頃の陽は高くまで昇り、暖かい。梅の木は花色の影を、軒先に落とす。

「殿……」
「だめだ。名前で呼びなさい」
「…………崇信様」
「可愛いな、彦十郎」
 彦十郎の花色の差した頬に、唇を寄せる。

 腕の中に彦十郎を抱いて、崇信は幸福だった。
 お互い言葉の多い性格ではないが、彦十郎がいるだけで空気が明るくなる。同じ間にいてくれるだけで、居心地がいい。


 月夜の一晩。あれだけで気になってたまらなくなり、一月も見当違いな所を探していた。再び出会えた時は逃さず手に入れた。そして今、腕の中にいる。


「お前を手に入れて、本当に良かった」
 腰を引き寄せると、彦十郎は照れくさくて顔を背けようとのけ反る。その拍子に、崇信の目に入った鎖骨。誘われるまま、唇を落とす。


 最初の出会いでは、彼の初めての体を手に入れた。
 命令に従っているだけかと思えば、いくつかの言の葉の内に、崇信への熱い思いを感じた。一刻ほどの短い逢瀬。そこで交わした短い言葉。だがそれの一つ一つ聞くたびに、崇信の胸も熱くなっていった。
 彼を暴きたくて仕方なくなった。奥の奥まで崇信が入り込んで晒してしまいたい。彼の一生涯さえ自分のものにしたい。
 崇信は個人への執着心を妹以外にはもてなかった。そのため恋愛感情は皆無で、自分には一生縁のないものだと思っていたが、彦十郎が引き出してしまった。

 妹に対する束縛は、婿が彼女を攫ってでも緩和させたが。彦十郎にそういう者はいない。叔父の康一郎は恋愛については自己管理に任す方針で、彦十郎自身は崇信に対し絶対忠誠。戸部は小言くらいするが、色事絡みでは、気骨を見せてまで彦十郎を守ろうとはしないだろう。
 彦十郎を守るものは誰もいない。崇信に貪られるだけだ。そして崇信自身も、彦十郎を守る気はあるが、逃がす気は一切、ない。


 崇信の唇は、執拗で、彦十郎は身じろぐ。崇信がしっかりと腰を押さえている為、逃れることあたわず、その動きは着物を乱しただけだ。着物は乱れ、彦十郎の胸板が晒される。平たい胸の、唯一吸いつきやすい場所に、崇信の唇が、
「あ、あ、あの……っ、まだ明るいです……」
「昼だろうと夜だろうと、彦十郎は可愛い」
 そう開いた崇信の口が、彦十郎の乳首を挟んで閉じられる。
「ああっ……」
 このくらいで……と笑った崇信の息が、かすかにそこに噴きかかる。
「ん…っん」
 彦十郎の喘ぎ声に聞き入る崇信。崇信が愛撫を止めると、喘ぎも収まろうとする。その瞬間、崇信は彦十郎の乳首を吸い上げた。彦十郎は鋭くも甘い悲鳴を上げ、胸元にある崇信の頭にしがみついた。


 こんなに可愛いと思える相手に出会えたことは奇跡だと思っている。だがその奇跡の代償か、はたまた崇信が浮かれ転んだのか、名前という彼の存在を縛り付けるものを聞くことを忘れてしまい、一月も会えないという散々な目に会った。


「崇信様……」
「彦十郎」
 名を呼ばれて、呼び返して、優しく口を合わせる。

〈終〉