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 血と剣 番外編






 左にせせらぎを、右に紅葉をはじめた森を見ながら、街道を進む群団があった。
 列の中程に怨恨の気を放っている貴人がいる。タリサ公イアンである。
 イアンは今、自領へ馬を進めていた。その後ろには従軍後だというのに無傷の兵が続いている。領主の不機嫌の理由が分からず兵士達は困惑しているが、上官達は勘付いていた。

 キシトラーム王国の西に接する小国の首都が包囲されたという知らせが入った。包囲された国は王国の扶養国で、包囲した相手は王国と敵対している異民族である。すぐに救援の軍を編成した。イアン軍含め王国の兵が続々と集まり、その数五万になった。それを知るやいなや、異民族は小国の包囲を解き、素早く退却した。王国軍が到着した時はすでに敵の姿は無く、小国の歓待を受けて、銘々自領に戻るよう告げられた。
 戦いたがりのイアンにはそれはもう不満だった。このまま異民族の縄張りに報復の師を起こそうと提案したが賛同者が少なく、軍はそのまま解散された。

 イアンはぶつぶつと異民族攻めの反対者の名を呟いている。呪いがかけられればいいのに、と考えつつ。
「イアン様、兵が不安がります」
 近臣が声をかけてきたが答えなかった。
 城までの長い道のりを、兵達は気まずい空気のまま辛抱した。





 夕暮れの光をうけて、城下の中心の通りを凱旋した。
 領民の前でイアンは硬い表情ながらどうにか笑顔をふりまいた。早く城に入ってぐっすり眠りたい。
 城の門が開かれ、やっと肩の力を抜いた。
「お帰りなさいませ」
 ロンが出迎えた。ロンは補給を任されて領内と軍の間を往復していたが、予想以上に戦が早く終わり軍と合流する回数は少なかった。
 彼は唯一イアンが吸血鬼であることを教えた人間だ。健気にもイアンの食料になることを約束してくれている。
 彼の首元を見ると、スカーフが巻かれている。イアンのつけた傷がまだ消えていないのだろう。
 戦の終結で抑圧されてしまった食欲が、一気に沸きおこった。
「ロン……」
 イアンがロンの手を取る。貴公子の表情と所作に戻っている。周りは主の急変に驚いてロンを見た。優しく微笑むイアンの前で、ロンの頬が火照っていく。彼を染めていく血の色に、イアンは舌舐めずりをして言った。
「今度の戦の落胆を慰めてほしい。―今夜、貴方で私を潤してくれますか」
 その言葉に、周りの空気が凍った。



「あの、入ります」
 扉の外から、ロンが緊張した声で呼びかけてきた。
「どうぞ」
 誘うように柔らかな声で答える。だが扉は開かない。
「どうしたんです」
 イアンが内側から扉を開くと、ロンは扉の取っ手を持ったまま、赤くなって震えていた。風呂に入ってからきたのだろう。上気した姿に食欲がそそる。
 イアンは彼の背に手をまわして部屋に引きいれ、扉を閉めた。

 とたんロンを抱きしめて首筋に歯を立てた。
「っ! ……イアン様!」
「すみません。我慢が効きません」
 耳に飛んだ血を舐めながら言った。
 ロンの着ているローブの前をくつろげ、肩から落とした。腕と腰の帯でローブは引っかかっているが、首から肩にかけての線は目の前に晒された。ロンの背中に直接触って抱き寄せ、鎖骨に滴り落ちた血を舐める。
「……んッ」
 噛まれている時は痛みに耐えているだけだが、舐められている時は恥ずかしさに身をよじっている。ちゅっと首筋を吸うと、微かな叫び声をあげてガクッと力を抜き、イアンの腕に体重を預けてきた。
「……ベッドまで、歩けますか」
 ロンは呼吸を整えながら頷いた。

 ベッドにロンを仰向けに寝かし、上に覆いかぶさった。姿だけは恋人同士のようだ。ロンは複雑な表情で涙目を彷徨わせている。
 イアンは笑った。可笑しい男だ。吸血鬼に触られるのがそれほど嬉しいのか。血を吸うためだけの相手だが、それ以上に構ってやりたくなる。
 イアンはロンの首を指で撫でながら、思いついた。
「ロン、目を瞑ってください」
「? ……はい」
 ロンは目をギュッとつむり、歯を食いしばった。
「そうではありません。口を開けて」
 ロンの顎を掴んで囁くと、薄く唇が開かれた。
 イアンは血で濡らした指を、ロンの口に入れた。
「私だけが楽しむのは可哀想ですから。美味しいでしょう」
 人間には鉄の味しかしないはずだが。
―!」
 口に入っているのがイアンの指だと気づいて、ロンの吐く息が熱くなった。指を動かして舌を弄んでいると、吸いついてくる。
 股にロンの膨らみが当たった。この感触に以前は嫌悪感を抱いたが、今は放っておこうと思った。
 イアンは指を与えたまま、ロンの首に口づけまた吸いだした。
 ようやくロンは自分の股間がイアンに当たっていることに気づく。前回イアンに欲情して酷い目にあったことを思い出し青くなった。見破られないように位置をずらしている。イアンは内心可笑しかった。さりげなく脚で擦ってみると、眉を悩ましげに寄せている。

「ロン。大事なことを忘れていたから、少し出てくる」
「……え」
 急に指を引き抜かれ、ロンは濡れた唇を間抜けに開いた。
「すぐ戻るから、待っていろ」
 イアンは急いで廊下に出た。扉を閉めると吹き出した。笑いが堪えられなくて部屋を出てきたのだ。
「ふふ、次はどうからかってやろうか」
 廊下には人がちらほらいたが、全員が主の方を見ないようにしていた。


 イアンが寝所の扉を開けると、ロンはこちらに気づかずベッドの上でかがみこんでいた。萎れているか、と思ったが、妙に荒く息をしている。
 自慰をしているのが分かった。
「お待たせしました」
「ひ! あ、はい……」
 イアンが声をかけると、ビクッと体を震わせた。左手を股間に添えたまま、ローブで必死にそこを隠していた。イアンは気づかないふりして近づく。ロンは正面に来られないよう膝で歩きながら向きを変えている。
「ロン、どうしたんです」
「い、いえ何も」
「では、いただきますね」
 イアンはベッドに腰掛けると、後ろからロンを抱きしめた。そして肩に唇を当てる。
 こっそり肩越しに視線を落とした。ロンは下着を半端に穿き、そこから覗いた男根を、左手でギュッとにぎっていた。
 どうやらイアンがいない間に熱を抜いておこうとして、達する直前でイアンが帰ってきてしまったらしい。出してしまってバレないよう塞き止めている。
(なんて、馬鹿な……)
 苦しそうに抑え込む姿に、加虐心が燃えた。


「ロン……、ロン」
「ん、あ……」
 ロンの背中に密着しながら、耳に熱い息を吹きかける。ゾワゾワと身をよじりながらも、左手は離さない。
「意外と落ちないな」
「……?」
「いや、なんでもない」
 イアンは己の中でゲームをしていた。ロンが快感に負けるか、耐え切るかだ。
 噛む力は甘く、吸ったり舐める時は淫らな音を立てた。ロンは涙を流してよがっていたが、パンパンになった欲はどうにか塞き止めている。
 ローブで前を隠す意識は途切れている。あと少し、攻めれば。
 血を飲むことより、ロンに絡むことが楽しくなっている。
「どこを流れている血が一番美味しいか分かるか」
 ロンはうつろに首を振った。
―ここ。心臓だ」
「あ!」
 後ろから抱き込んだ手を、左の胸に這わせた。そして乳首の上で指を止める。
「イアン様……!」
「心臓は喰いやしないよ。死なれたら困る」
「そうでは、……なくて。…ぐっ、う……」
 イアンの指は乳首を押したり転がしたりしていた。

「……は…、あっ」
 ロンが後ろのイアンに寄りかかり、左手がだらりと垂れ下がった。
 白い液体が、枕元に飛び散っていた。
 ロンは、怯えるようにイアンを振り返ってから、意識を失う。
 イアンはゲームに勝利に微笑み、腕の中のロンをベッドに放った。





 ロンがベッドの上で、モゾッと動いた。朝日の眩しさで目が覚めたらしい。
「おはよう」
 イアンはベッドに腰掛け、ロンの顔にかかった髪をさらりとすいた。
 ロンはしばらく惚けていたが、状況を把握し飛び起きた。
「申し訳ありません! また、こんな……」
「いいですよ。貴方は私の大事な人ですから」
「それは―」
「血をくれる協力者として」
「あ……、そうですよね」
 イアンの言葉にいちいち反応するのが面白い。
「首、痕が残るでしょうね」
 スカーフを取り出して首に巻いてやろうと手をのばした。
「ありがとうございます……」
 ロンは首を横に反らして、正面のイアンを見ないようにしている。

 突然、朱が差していたロンの顔が固まった。
「何か?」
「なんでも、ありません」
 何かあるな、と思いロンの視線の先を見た。
「本当に何でもありませんから!」
 ロンは俊敏に回り込んで、枕元を自分の体で隠した。
 ―あの辺りには、白いシーツの上に昨夜の白い液体がこびりついているはずだ。
 イアンはロンの目の前だというのに大笑いしてしまった。

〈終〉