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 血と剣






 首を噛まれたときには、命が無いと思った……。
 ロンはベッドから起き上がり、窓から差し込む朝日を身に受け、この命を感謝した。


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 我らが主、イアン様は、少々問題のある方だ。
 いや、戦争にお強く、生活態度も過度の贅沢を望まず、領主として立派に責務を果たしている。だが傍でお仕えしていると、暗い面を見る事もある。

 戦場を撫でる様に剣を振り、敵兵の血を狩る姿。敵も味方も、魔力に吸い寄せられるかのごとく逃れられない。鮮血の舞い散る中で、常に妖しい微笑みを浮かべる姿には、背筋が凍る。凱旋のときの穏やかな笑顔だけみている領民には想像もつかないだろう。
 まぁ、それには古株はすでに慣れてしまって、イアン様の武勇を自慢げに話題にする奴さえいる。

 問題は他にある。イアン様の領地タリサが属する、キシトラーム王国で密かに流れる噂。
「タリサ公、イアンは吸血鬼である」
 我々も噂の真偽は知らない。「そんなことはないだろう。だが一つ二つ心当たりは……」という人間が多い。





 暮れ時の風が、そよそよと涼しい。小麦の穂がさわさわと擦れ合う音が、タリサ城に夏の終わりを告げている。しばらく平和がつづき戦無く、兵と城は日々の任務をこなしながらも、休息の中にあった。
 だが領主イアンの顔は、ここのところ苛烈な日差しによって、青白くなっていた。この前、彼が涼むために、廊下の石造りの冷たい壁にぐったりと寄りかかっていた。妙におどろおどろしくて、兵士が怖がってしまい、その廊下は丸一日誰も通ろうとしなかった。

 ……戦場でも日常でも、妙な目立ち方をする方だ。人目を気にしない方ではない。領主としてできるだけ貴公子を装おうとする。比較的すっきりした好青年の顔立ちなので、領民などには憧れの存在なのだが、城の中では少しだらけてしまう。笑顔を作ってないととたんに陰の気が沸きあがる。
 本当は暗い人なのかもしれない。若い領主に領民が不安を感じないように努力しているなら、我々は応援するべきだろう。

 暑さが苦手であるので、昼はできるだけ動かない。夜になっていそいそ行動を開始する所が怪しい、という説がある。
「涼しくなれば昼も元気になるでしょう」
 そう思いながら、ロンは領地の視察を終えた帰り、イアンに挨拶に城にきた。日はもうやわらかくなったのだが、イアンは部屋に一人、だらんと脚を広げて座っていた。


「ロン……、おなかがすきました」
(おお、食欲があるのはいいことだ)
「イアン様、あれ、もう食事が用意されているではありませんか」
 テーブルにお膳立てされているのに気づいた。ゼリーを軽くつついたみたいだが、そこで箸を止めてしまっている。
「食べたくありません」
「今、おなかがすいたと言ったではありませんか。うーん、もっと軽く喉を通るものを用意させましょうか」
 ロンは補給隊長で、元気は食事からというモットーを持っている人間である。武人として申し分ないとはいえ、細身で青い顔をしているイアンが気になり、いつもは早々に去るもの、世話を焼きたくなった。ゼリーより食べやすいものってなんだろうと思いながら、テーブルを覗き込み考える。

 ふと、首筋に生温かいものが触れた。
「いっでぇッ」
 首に強烈な痛みを感じた。
「イ、イアン様―? い、痛い、痛いですっ」
 首に温かい口唇と息と、そして、固い物を感じる。
 イアンが、顔をロンの肩に乗せ、首を噛んでいるのだ。
 必死でイアンから離れた。噛まれた箇所がじんじん痛む。直接見る事ができない位置。この痛み、肉がえぐれているのではないか、と不安になる。
 怯えた目でイアンを見やると、ロンの血で汚れた口元を、恍惚とした表情で、ペロペロと舐めていた。
(おなかがすいたって、人肉に飢えている、ってことか)
 い、いやいや。いくら“あの”イアン様だってそれはない。ブンブンと首を振る。
「!?」
 前を見たとたん、さっと近づいてきたイアンに、床に叩きつけられるように押し倒される。服をはだけさせられ、露になった肩に噛み付かれる。
「ぃ―ッ……!」
 二の腕まで、幾つもきつい歯形を付けられる。

「イアン様ッ、やめてくださ……!」
「あぁ……! 久しぶりです、この血の味!」
 悲鳴をあげるロンの上で、いかにも嬉しそうに感激の声をあげるイアン。
「……血? ―!」
「ん、……おいし」
 イアンは、噛み付いた痕から流れる血を、せっせと舐めた。
 心無しか、青ざめていた肌に、血色が戻っていっている気がする……。
「最近戦場に出ていませんから。はぁ……。タリサの者には手を出したくなかったのですが、限界でした」
「暑さで……バテていたのでは……」
「血が足りなくてバテていました」
「……?」
「私の噂は知っているでしょう」
 ロンは震えることもできず硬直したまま、イアンの為すがままだった。
「吸血鬼だと」


「痛……っ」
「自分が吸血鬼と気づいたのは、父からタリサを継いで戦場に立ってすぐです。飛び散る血を身に浴びることが気持ちよくて。タリサを率いる身として、いけないとは思ったのですが」
 血の噴出が弱まったらしく、傷口を広げようとまた噛まれた。噛んだ後は、そこを吸ったり舐めたりする。
「後に死んだ父の遺書をみつけました。私達タリサ領主が吸血鬼一族だという真実が書かれていました。そして、魔の血に惑わされず、今までどおり領民を守れとも。そのため領民には手を出さないように戦にて血を補給していたのですが、このところ王国から出兵要請がなくて……」
 イアンは理性の苦悩と、喉を潤す快楽に顔を歪ませながら、タリサ領主の忌まわしき真実を語る。

 だがロンは別のことを考えていた。
 二人しかいない室内。深く差し込む夕日が重なり合う影を映す。ちゅ……、ちゅぱ、と二人の間で鳴る音が響く。
(……なんだかムズムズしてきた)

 イアンは話すだけ話すと、理性を投げ出してしまったようだ。瞳にはまさに魔物の狂気が光る。夢中になっているイアンの動きで、ロンの服がどんどんズレ落ちる。肌の上で、イアンの柔らかな髪が揺れる。
 上に覆いかぶさっているイアンは、自分の体重を自分の腕で支えるのが面倒になったのか、ぺたんとロンに全体重を乗せてきた。体が密着する。そして噛んだり舐めたりを続けてくる。
 下半身がどんどん熱くなってきた。


「いた……あ……」
 噛み付かれるのも、快感に変わってきた。息づかいにも敏感に反応してしまう。
 イアンが小さく呟いた声が聞こえた。
「もっと欲しい……」

 耳元で吐息と共に感じた言葉が、官能のドツボにはまり、思わず勃ってしまう。密着していたため、布越しにイアンの股の辺りを突き上げてしまった。
「……」
「あ! いやっ、その……」
 言い訳しようとするが、言葉にならない。……勃ってしまうなんて、なんて思われるか。
 目をぎゅっと閉じ、顔を手で隠した。
 ひと呼吸おいて、イアンの体が離れるのを感じる。立って、歩き出す気配を感じた。
(ひかれた……?)
 今のうちに逃げなくてはいけないのだが、
 身体は寂しさを感じた。



 ザクッと、音が。
 目を、見開く。何が起こったのか。

 目の前に剣。
 イアンはロンの着ていた物を、下着ごと縦に真っ二つに切っていた。ほとんど脱げていた上半身に加え、下半身が露になる。剣でサッと切ったため、内股を少し切った。ジクジク痛い。
 イアンの前で一物晒して、真っ赤になるほど恥ずかしかったが、反面、期待する心もある。
 主を見上げた。



 甘かった。

 熱く固くなったアレに、冷たい物がヒタリと当てられる。
 イアンの剣が、ロンの大事なモノの横で、鈍く光っているのだ。そして、その剣の持ち主は、凍てつくような目で見下ろしている。血で濡れた薄い口唇を、じゅるりと舐めた。

 冷や汗と脂汗と嫌な汗をかいて固まった。一寸たりとも動けない。
 もうタリサの民に接する優しい領主様ではない。
 血と剣が、悪魔を表に引き寄せていた。
 固くなっていたモノは、熱い波がひき、ゆっくりしぼんで垂れていった。

 ガチャンと金属音が大きく響いた。
 恐怖に気を失いかけていたロンだったが、イアンが剣を落とした音で目を覚ます。冷気だけ放っていた目が、若干穏やかになったのに気がついた。
「イアンさま……」
 情けない声が出た。イアンがしゃがんできて、ロンの首筋を吸った。
「すまない……私は興奮しすぎると意識が飛んでしまうことが」
「へ?」
 あの恐ろしい人格は、無意識の上でなのか。
「股の辺りに何かが当たったとたん、意識が途絶え、その後どうしたか……」
「……! いえ何もっ、何もありません」
「しかし何故剣が落ちていて、君は服が破れているのか」
「暑かったので自分が持ってきて自分で破きました!」
 ちょうど自分が男に、いや主にとんでもない感情を抱いた瞬間を忘れてくれたなら、それでいい。もしかしたらイアン様の意識は、ひいてしまって途絶えたのかも……。
「そうか。ならばいい」
 ロンは胸を撫でおろした。ロンは気がつかなかったが、その様子をイアンは血も凍るような目で観察していた。


 そしてまた、噛んだり舐めたり、愛撫のような拷問のような、イアンのお食事の時間がつづく。
 また熱くなってしまうのを、ロンは必死に耐えた。
 ことはロンが貧血で倒れるまで続いた。

 ようやくイアンも満足し、口の周りに付いた血を最後に一舐めする。
 そして、床に倒れたままのロンを隣の寝室まで引きずっていった。ベットにロンを横たえ、服の破れた男の身体を眺める。口の端に笑いを浮かべた。
「血の味はなかなかだが」
そう言って、肩まで布団をかけてやる。
「吸血以外の理由で男の身体を抱きよせたくはない。お前の期待には沿えんな」
 雲の合間から、月が覗いた。かすかな光が照らしたイアンの表情は、まさしく吸血鬼そのものだった。





「生きている……」
 朝日を浴びながら、確かめるように言葉を発した。
「おはよう。体は大丈夫?」
「は、おはようございます。って、あ、ベッド! 俺……、いや私、朝まで寝てしまい―」
「構いません。昼間さぼる分、夜は仕事にあてているから使わないのですよ」
「それでも申し訳ありません……」
 イアンはフッと笑った。
「!」
 光がこぼれるように美しく感じた。
 イアンの秘密を知った後だというのに、イアンを敬愛する気持ちは変わらない。それよりもっと熱い気持ちが加わってしまったかもしれない。ぽー、とイアンをみつめた。

「まだ寝ぼけているところ悪いけど、仕事が押しています。貴方も私も。早く着替え、持ち場につきなさい」
 イアンは優しい容貌をキリリと引き締めた。ロンもはっとする。
「夜明け前にキシトラーム王都から使者がきました。戦が始まります。西の国境へ。二千の兵を連れて行きます」
「かしこまりました」
 すぐにでも倉庫に向かおうとする。

「それと……」
「はッ」
「すみません。後一日我慢できれば、貴方に痛い思いをさせずに済んだのですが……」
「い、いえそんな……!」
 昨夜のことは、ロンにとって痛いだけじゃなかったのだから別によい。妖しい快感も……。
「あのくらい戦場に出る男にとって、なんでもありません!」
「なら、また私が飢えて干涸びそうになっているときは、相手してくれますね」
「はい。って、え」
「ありがとうございます。では、お互い職務にはげみましょう」

 そう言い残すとイアンは颯爽と出ていった。
 固まったロンを置いて。彼の胸に去来するものは、恐怖か幸福か。

〈終〉