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 4. 口付け






 朝食はアージュと一緒に食べた。

 アージュは優しい。
 テーブルがリューには高いとすぐ気づいてくれて、別の椅子を用意してくれた。
 沢山の料理に戸惑っているのにも気づいてくれた。
 いままで毎食取れていたわけではないので、まだお腹が空いていないと伝えると、使用人に少な目に盛るよう指示してくれた。

 アージュに優しくされるたび嬉しくなって、胸がうずく。
 考えてみれば、まだ出会って丸一日も経っていない。
 それなのに、彼の存在がリューの心をいっぱいにしている。

 ベルニルの実だけはしっかり丸一個。それを食べるのがとても幸せで、にこにこと果肉を噛みしめていると、アージュもひとつ摘まんで、そしてすごく苦い顔をした。
(そんなにまずいかな)
「リューの笑顔には騙される」
 そう言ったアージュの笑顔こそ、リューの思考を奪う。
 見蕩れながらぼんやり実を口に運んでいると、
「そんな蕩けるような顔をするほどの味か」
 と少し呆れられた。


 朝は用事があると、アージュは言った。皆で集まって会議をするそうだ。
「リューは時間までヴィーと遊んでいていいぞ」
「ヴィー?」
 青いタテガミの愛馬はヴィーというそうだ。
 喜んで厩舎に向かおうとしたが、下半身の違和感のために、階段をふらふらとしか降りられない。
 アージュに止められ、寝室に逆戻りした。
「二時間後に館を出て、城に向かう。その前に支度のため使用人が来ると思うが、できるだけ長く休めるよう言っておく。では、あとでな」
「いってらっしゃいませ」
 扉を閉めるアージュに手を振って見送った。





 駐在館を出て、城に向かう。
 一人で騎乗できるか聞かれ、できないと答えると、馬車に載せられた。
 ……またアージュと共にヴィーに乗ると思っていた。リューは残念に感じた。
 昨日より兵が多い気がする。彼が遠い。

 リューは心細く感じながら、馬車の上で膝を抱える。
 幌の間からアージュを見つめていると、鰭耳の男が声を掛けてきた。昨日アージュの隣にいたフィルドだ。
「体は大丈夫ですか?」
「……はい」
「一人はお暇そうですね」
 アージュの側にいられない不満が顔に出ていたのか、フィルドは説明してくれた。
「ガグルエとしては、セブの対応によっては仕切り直しに応じるつもりです。だから一応の礼儀として、二人乗りでセブ城門をくぐるのは止めていただきました。まあ、帰りはどうなるか分かりませんが」
(仕切り直し?)
 胸がぎゅっと締めつけられた。
「そもそも駐在館に置いておけばいいのですがねえ」
 フィルドは馬車から離れていく。
(僕は今、どういう立場なんだろう)
 もし今日の”仕切り直し”で、王女とやり直すことになったら……。
 胸の中に、なんだかドロドロと重いものが溜まっていくようだ。

 王女の婚約者……。
 何度も何度も夢に見た。
 少年と王女の空想が合わさった王子様。

 それは、そう……、少年の夢物語を形作るための、おとぎ話。
 目が覚めないよう、キラキラの布にキラキラの布を重ねて、少年を包んでくれる繭。
 そのはずだったのに。
 幸せになっていく王女を……、幸せという形を、遠くから覗くだけのつもりだったのに。

(アージュ様……)
 ここからでは、彼の背中しか見えない。
 間に幾重にも並ぶ彼の臣下。
 心細さが増していく。
(僕とアージュ様は、しっかり結ばれているんだよね……)
 目に見えてくれればいいのに。蜘蛛の糸ほどの細さでもいいから……。





 広間の雰囲気が昨日と違う。
 王女の結婚を彩っていた昨日に比べ、厳かで重厚な雰囲気。
 何より居並ぶセブの王侯貴族の緊迫した表情。

「私の後ろをついてきてくださいね」
 小さな声でフィルドにそう言われた。
「もう少し左です。そう、その位置で」
 意味が分からず首を傾げたが、指示されるままに静かについていく。
 まだ不自然な歩き方になってしまう。ふらふらと格好悪い。ただでさえ体格の良い種族に囲まれているのに。
(あ……)
 広間の奥、セブ王の隣にいる王女がじっとリューを見つめている。王女の位置からだと、ちょうどリューの全身が見える。
 リューがちくっとした下半身の痛みに一瞬目を瞑ると、王女は今にも泣きそうに顔を歪めた。リューの前にいるフィルドが、こっそり笑ったような気がした。

 ゆっくり歩くアージュを待ちきれないかのように、セブ王は壇上から降りてきた。
「ガグルエ王、ご足労感謝いたします」
 セブ王はアージュの顔色を窺っている。
 フィルドが前に出た。アージュが話すわけではないようだ。
「それで、話しはまとまりましたか」
「……オ、オーラリオ国を倒すことは、ガグルエ国にとっても利があることのはず! 貴国の軍に通行許可を出しましょう。冬の進軍は亜人が得意とするところ。今攻めるべきです。貴国の軍にはそちらの副官殿の他、亜人が沢山いるでしょう」
 フィルドもアージュも黙っている。
「なんでしたら、オーラリオを倒した後、オーラリオが侵略したセブの地をいくらかお渡ししましょう。ああ、サンドラももちろん付けましょう。貴国では見られない美姫で……」
「どうやら新しい提案は無いようですね」
「なに……」
「絞れば何か出ないかと期待していましたが、残念です。くだらない間違いだらけだ」
「間違いと……」
「一つ、人族以外が冬の進軍を得意としているイメージは、人族に命じられてきたためです。何の対策もなく、使い捨てにされて」
 フィルドは指を立てて、ゆっくりと前に出る。
「一つ、我が王は美姫に興味があったわけではございません。隣国を倒し、貴国と国境を接することになったタイミングで、先代が大昔に用意した婚約者の存在を思い出しただけです。たまには穏便な”協力”も考慮してみようかと」
 セブ貴族たちは歯ぎしりしている。
「ああ、オーラリオを制圧することがガグルエに利があるというのは正解です。ただ一つ、別に貴国に許可を取る必要など感じておりません」
 フィルドはくるりと身を返し、アージュの背に隠れた。
「セブという国は不要。こんな国……ガグルエの軍馬で平らに踏み慣らして差し上げましょう」

「ぶ、無礼な! たとえお前ら亜人がどれだけ多かろうと、ここは我が国の中心だぞ! 捕えろ!!」
 セブ王に命じられ、セブ兵が武器を構えて向かってくる。

 だが、その動きは止まった。
 暗い霧が広間に充満する。それが兵たちに絡み、動きを封じている。
(この霧……)
 ガグルエ一団にいるリューには見えた。アージュが体から発しているオーラが次々に霧を生み出しているのを。
「迎え討て!」
 アージュの号令。
 それと同時に、窓辺の囲いが音を立てて倒された。広間に武装した異種族たちが入ってくる。後方からの足音に振り向けば、広間の入口からも次々と。中にいた軽装のガグルエ兵に武器を渡している。武器を必要とせず、己の爪や拳を振るう者もいる。
「ひい―ッ!」
 動けないセブ兵たち……武器を持たない王侯貴族も、次々と首を刎ねられていく。抵抗できないと分かっていて、ガグルエの兵は緩慢な動きで武器を振り回す。


 血煙の中、リューは呆然としていた。
「もっと陛下の側にいなさい。その方が安全ですよ」
 フィルドは戦闘に加わらないようだ。リューの手を引き、アージュの側に移動している。
 壇上ではセブ王が両足を刺され、叫びながらその場に崩れ落ちる。
「!」
 ガグルエ兵はセブ王に止めは刺さず、向きを変えて壇上に上がる。そこには王女がいた。
「待って!」
 リューは飛び出した。
「リュー! 待て!」
 アージュが伸ばしてきた手。焦るリューは反射的に振り払った。
「……―」
 リューの細腕に振り払われたアージュの手は、追ってこない。

 ガグルエ兵の剣を持つ腕にしがみつく。刃が当たってしまい、リューの腕に痛みが走る。それでもリューは兵の腕から振り払われないよう必死でしがみつく。
(王女様……! 王女様!!)
 ご飯をくれる人。話をしてくれる人。……幸せを手に入れるべき人―。
「どうして……、私を……」
 王女は尻もちをついている。
「王女様逃げて! ―ッ」
 床に叩きつけられて、リューはうめき声を上げた。ガグルエ兵ははっと手を緩め、リューの持ち主であるアージュを見る。
「リュー! 何をしている!」
 霧を放ったまま、アージュは壇上に上がってきた。
 そうだ。この場のガグルエ兵を止められるのは―。
「アージュ様、お願い!」
 近づいてきたアージュの袖を掴み、目をまっすぐと見上げて叫ぶ。
「王女様を助けてッ!」
――――!」
 リューの言葉を聞いて、アージュの瞳孔が開く。

 霧が、アージュへと収束し消えていく。
 この場に立つのはガグルエ兵ばかり。セブ兵も、セブの貴族たちも赤く染まった床に転がっている。生き残っている者が逃げようとしても、ガグルエ兵が素早く囲み対処してしまう。
 凄惨な光景。リューは立ちつくすしかできない。
(けど、けど……)
 ガグルエ兵たちは報告と指示を交わし、だんだんと広間を出ていく。狩られ尽くした広間に、もう用は無い様子だ。
「王女様を、見逃してくれるのですね……?」
 ―アージュの目の赤色が、眼球全体に広がった。
「……私の手を振り払っておいて、何を言う……」
 怒気の籠った声に、リューの体が竦む。
「ア……ジュ様……?」
「たかが前の主家の一人だろう……。何故かばう……」
 アージュのオーラがまた吹き出した。鋭く束ねられたオーラは、濃い赤をしならせリューに向かう。
「あッ!」
 リューの手に、首に巻きついていく。
 アージュから伸びる赤い魔力が、幾重にも張りめぐり、蜘蛛の巣のようにリューを拘束する。
 リューの腕の傷にも絡みつき、血が伝い落ちた。
「この剣戟の中に飛び出してまで、何故ッ!」
 何故……、咄嗟だったから理由は―、理由……。
「王女様を守らないと。王女様は僕の幸せ……」
 幸せの手掛かりなのだ。その言葉は、魔力が首を絞めあげる力によって声にならなかった。
「幸せ……?」
 アージュは頭を掻きむしって首を振った。
 首を絞める力が緩んで、かろうじて息ができたが、声は出せない。

 四つの真っ赤な目が、リューを射抜く。
 眉間を怒らせ、歯を喰いしばり、一心に睨む―憎悪に満ちた表情。リューはこんなにも剥き出しの感情を向けられたことがない。


(恐らせた……)
 アージュは、何があってもリューの味方だと思っていた。
 リューが困っていたら、助けにきてくれると。
 だって、……優しい、とても優しい王子様だから。

(嫌われた……?)
 夢の中では、少年と王子様は二人きりで、ずっとずっと仲良しだった。
 何も持たない奴隷の少年は、思うように大人っぽくなれなくて、けれどずっと手を引いて隣を歩いてくれた。

 その夢以上に素敵なアージュ様。
 リューをその腕で抱き上げてくれて、その胸に抱きしめてくれて。
 リューと全く違うアージュのがっしりした体。リューの声とまるで違う重低音。その逞しさで、境界が消し飛ぶくらいリューの近く、深くにきてくれた。
 胸が、体がいっぱいになって苦しいくらいの幸せをくれた。

 ―胸が、苦しい……。
(嫌われたんだ……)
 こんな苦しさ、感じたことがない。
 涙が込みあげてきて、零れ落ちた。


 正面から見下ろすアージュが、ぐっと唇を噛んだ。
 リューの視界が滲んでいるせいだろうか。その表情は怒りというより、悲しみに見えた。
「たとえリューが誰を想っていたとしても……」
 ふいに魔力の拘束が解かれ、よろけたリューはアージュに受け止められる。
「私のものだ……」
(アージュ様の……)
「見ろ」
 リューはアージュの腕に座らされ、アージュの目と同じ高さから広間を見る。
 遠くなった床。散らばる人の四肢が、とても小さく見える。
「セブは滅ぶ。今、目の前で」
 セブ王は両足から大量の血を流してピクリともしない。王女はフィルドに後ろ手にされて掴まれている。
「お前は私の”奴隷”になるしかない」
――――」
 アージュの口から出た言葉。

 ―僕は今、どういう立場なんだろう。

 きっとこれが……。

「私の肉欲の道具になるために、何年も、その体を造りかえる実を口にしてきたのだろう」
 アージュの指が、リューの唇をなぞる。
「これからだって、ずっと……」
 アージュが逆光の中、歪んだ表情で笑った。


 陽光の差し込む壇上。
 リューはアージュの口付けを受ける。
 涙が零れ落ちた。

(……そうか)
 ようやく、リューは自分の立場を理解した。
(同じことをしても、王女様とだったら結婚で、僕とだったら……)
 納得した頭の中は疲れ切って、まだグラグラしている。
(僕にはなれないんだ……)
 アージュの熱い唇に幾度も、幾度も食まれながら、目を閉じる。

 ……僕は奴隷のままなんだ。


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