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 16. 愛するひとと






 ガグルエの赤土の大地。ヴィーは砂埃を巻き起こし、大河の上では水飛沫を上げて駆け抜けた。
「見えてきたな」
「あれがアージュ様のお城ですか」
「ああ」
 ぐんぐんと近づいてくる大都市。土と同じ赤みを帯びた建物が多い。その中心にある一際大きな建物。緑地の少ない街の中で、緑地や水辺が目立っている。

 街に近づくほど、辺りに人家が多くなり、ヴィーがスピードを緩めた。
「ヴィー、あっちだ」
 アージュに誘導されて、大きな商館の前に止まった。
「ここで待っていろ。リューは一緒に中へ」
 リューはアージュに抱えられてヴィーから降りた。



「わあ」
 商館の中に入ると、高い天井までうず高く商品が展示されていた。キラキラの装飾品に、艶やかなドレス。
「郊外のお店なのに豪華ですね。ガグルエの都では、高級品を買えるお客さんが町はずれにまで住んでいるのですか」
「都にいくつも店を持っている商会だ。各地から集めた商品を一旦ここに置き、商業区の店に送っている」
 リューの疑問にアージュが答えてくれた。
「こちらで何か買うのですか」
「リューの服をな。初めての入城で衆目を浴びることになる。疲れているだろうから挨拶は気にしなくていいが、綺麗な服を着ていたいだろう」
 リューは自分の服を見る。今着ている旅装は、無理な旅のせいか、大分くたびれている。
「ありがとうございます」
 そうだ。これからアージュの住む場所に足を踏み入れるのだ。改めて意識すると緊張してきた。
「式の衣装はこれから作らせるが、とりあえず今日は店にあるもので見繕ってもらおう」
(式?)

 店主によって店の奥に案内された。
 並べられた服から、アージュがいくつか選んでくれて、一つずつ試着していく。
 白くて柔らかい布地の服を着て、アージュの前でくるりと回る。
「ふわっとします!」
「そうだな。可愛いぞ」
「えへへ」
 アージュに褒められるのが嬉しくて、次の服に飛びつくように着替えた。同じように白い布地が揺れる。
「これもふわっとします!」
「ああ、こっちは綺麗な感じだな」
「……! ……こ、これがいいです」
 綺麗……。大人っぽく見えているのかな。
 飛び跳ねたい気持ちを抑えて、しとやかに手を前で重ねた。

 服に合わせて、店員が小物や髪を整えてくれた。
「こちらの赤い痕は……?」
 店員がリューの脚を見て訊ねる。赤い魔力が張りついたままだ。
「あ、血を止めていたのです。アージュ様」
「もう止まっただろうから取るか」
 魔力の塊が四散し、アージュが屈んで傷口を見た。問題ないようだ。

「着ていらしたお召し物は処分いたしましょうか」
 店主がボロボロの旅装を手に訊いた。
「いや、大事な服だから包んで城に送ってくれ」
「かしこまりました」
 店主は一礼し、旅装をそっと机の上に置いた。
「大事なものなんですか。ごめんなさい。僕、ボロボロにしてしまいました」
「違う。……リューが……愛してると言ってくれた時に着ていたから……」
 アージュは何か言いかけて、手で顔を覆った。
「な、なんでもない」
「?」
 アージュの顔を覗きこもうとすると、手で押し返されて近寄らせてくれなかった。



「ありがとうございました」
 店を出ると、暇をしていたヴィーが突撃してきた。
(き、綺麗な服が! 髪留めもずれちゃう)
 逃げるリューを、口で掴もうとするヴィー。アージュの背中に隠れると、魔力でヴィーを雁字搦めにして救ってくれた。

 ヴィーの背中に乗せてもらい、再び城を目指す。
 ローブの裾が長いため脚を広げられず、リューは横向きに座らされて、アージュが支えてくれた。腕の中の着飾ったリューを見て、アージュは相好を崩している。
「リュー、可愛いな」
「綺麗ではないのですか」
「可愛いし、綺麗だ」
 こんな密着した状態で言われて、リューは真っ赤になった。
「……アージュ様も格好良いです」
「私に合うサイズの服は置いていなかったから、そのままだが」
 すぐ側にある耳に囁く。
「いつだって、僕の王子様です」
「……っ」
 アージュの毛がぞわぞわと震えた。アージュの表情が見たいが、抱き寄せられて頭を動かせない。
「ヴィー……、少しゆっくり歩いてくれ。……今は人前に出られない」
 顔を見せてくれないのは残念だが、抱きしめてくれているので嬉しい。
「リュー、私はこういうことは初めてで……。外では、困る……」
「ご迷惑ですか」
「そうではない。二人きりの時なら嬉しい。今だって……困りはするが、嬉しいことは嬉しいんだ」
「じゃあ、お部屋に着いたらいっぱい言います!」
「私からもいっぱい言うからな」
「……! い、いっぱいは困ります……。あの、ちょっとずつ」
「駄目だ。私の可愛いリュー」
 うなじに彼の吐息がかかり、優しく啄まれる。
「ひゃ……。まだお部屋じゃないです……」
 口の端が笑っていて、とても機嫌が良さそう。

(アージュ様、本当にいままで冷たくしていたんだ)
 素直なアージュは甘くて優しくて、リューは蕩けてしまいそうだ。
 お互いだけを意識していたら、歩いていたはずのヴィーが早足になっていた。慌ててアージュが手綱を引くと、ヴィーは従順にゆっくりと歩く。
「油断も隙もない……。連日全速力で走ったはずなのに、まだ走りたりないのか」
「アージュ様の前でも、やんちゃする時があるんですね」
「ああ。ガグルエでは滅多にないが、雨が三日も続いた時は、厩舎を壊してでも抜け出そうとする」
「駄目だよ。家出なんて迷惑……」
 言いかけて、リューは口を噤む。自分こそ家出して連れ戻されたところだ。
 アージュは笑った。
「それでも、私の愛馬はこいつしかいないと思っている。迷惑とは思わないが……」
 アージュの手がリューの顎に添えられた。
「必ず無事に私の元へ帰ってきてほしいと思っている」
「……はい」
 触れるだけの口付けをくれた。

「リュー、手を出してくれ」
 赤くなっているリューに、アージュは言った。
「はい」
 おずおずと手のひらを上に両手を差しだしたのを、アージュは左手だけ取って、手の甲を上にさせた。
「止血のためとはいえ、私の魔力がずっと脚についていて……落ち着かない気分にはならなかったか?」
「いえ。魔力は特に感じませんでした。付いていることを思い出すたびに嬉しくはなっちゃいました」
「……そうか。では」
 リューの手にアージュの手が重ねられる。
「これを受けとってくれ」
 手と手の間。アージュの指の隙間から赤い光が漏れ、静まった。
 アージュの手が離れると、リューの指に赤い指輪がはめられていた。
「わあ……」
 透き通った真紅。アージュの目の色に似ている。
「これがあれば、どこにいてもリューの居場所を辿れる」
「すごい! 迷子になっても見つけてもらえますね」
 アージュがリューの安全を考えてくれているのを感じて、胸が温かくなる。
「それと、念じれば周囲にいる者を圧殺できる。少しでも危ないと思ったらすぐ使え。私に言えば何度でも魔力を補充できるから」
「は、はい。危ない目に遭わないよう気をつけます……」
(そんなすごい護身具……。ガグルエ本国って、治安が悪いのかなあ)
 リューはアージュの側を離れないことを胸に誓った。



 建物を曲がるたび王城が近づいてきて、周囲がにぎやかになっていく。
 すれ違う人々はアージュに注目している。巨大な馬にひと際大きい魔獣族。大半の人は王だと気づいたようだ。道を譲り礼を取りながら、アージュの腕の中にいるリューに疑問と好奇の目を向ける。

 どこからともなく現れた兵士たちが通行人を誘導し、王の前に道を開ける。
 兵が、ヴィーの背からベルニルの木と薔薇を降ろし、先に城に運んでくれると持っていった。リューはほんの少し寂しい気持ちになりながら見送る。
 兵士たちが次々と増えていき、やがて王城の正面に伸びる中央通りに出た。
「あ、あの、アージュ様。僕降ります」
「? どうしてだ」
「だって皆集まっていて、王様のお迎えなのではないのですか。お仕事中にベタベタしていては……」
「今日はリューの迎えだから大丈夫だ」
「え……」
 リューの疑問を遮って、一人の兵士が声を上げた。
「国王陛下並びに王妃様ご入城!」
 その声を合図に、両側の兵が一斉に敬礼する。リューは息が止まった。
(王妃……、王の妃……、アージュ様の……)
 呆然とするリューの顔をアージュが覗きこむ。
「どうした。大きな声でびっくりしたか」
 そのアージュの襟を掴み、リューは詰め寄った。
「アージュ様! お妃様なんて許しません! アージュ様は僕のです!」
 アージュの首に精いっぱい腕を回し、ギュッと抱きつく。
「リュ、リュー……」
「絶対誰にも渡しません!」
 両脚も使ってアージュの体にしがみつく。綺麗な服が皺くちゃになろうと知らない。
「アージュ様と結婚するのは僕です……」
 滲む涙が、アージュの襟に吸われる。

「ああ、私が娶るのはリューだよ」
「……え……?」
「すまない。また不安にさせたか。私が愛するのは、リューだけだ。だから、妃もお前だけだ」
「…………」
「式は先になるが、今日からリューは私の妃で、兵にとっては主の配偶者になる」
 リューは恐る恐る周りを見回した。兵たちは整然と並んでいて、城に入ろうとしているのは、ヴィーに乗るリューとアージュだけだ。
(さっき呼ばれた”王妃”って……僕……?)
 兵たちが驚いた目をこちらに向けていて、リューは真っ赤になった。
 初めての顔見せで、とんでもない勘違いをしてしまった。
「あの、男でも妃になれるのですか」
「先例はなかったと思うが、私はリューに妃になってほしい」
「……はい……なりたいですけど」
 大好きなひとに見つめられると、その望みに自然と従ってしまう。けれど、先例はないのか。リューは不安げにアージュの服を掴む。

「ははは、仲がよろしいですね」
 戸惑うリューの耳に、わざとらしい笑い声が聞こえた。城の入口にフィルドがいた。
「ああ、リューは私を、絶対誰にも渡さないそうだ……」
 アージュは嬉しそうに言うが、リューは恥ずかしくてさらに縮こまる。アージュのマントを引き寄せ、その下に隠れた。
「リューくんは堂々としていていいんですよ。ガグルエ王の望みは絶対です。臣下は必ず従いますから」
 フィルドが冷静な声で説明を加えて、―そして、微笑んだ。
「陛下が自分のために我がままを言うのは初めてなんです。細かい調整は私や他の直臣がしますから、……リューくんはただ、快く聞いてあげてください」
 とても柔らかい声音だった。


 フィルドの先導で城内に入る。
 リューはアージュの城への興味から、マントの下から目だけを出して、辺りを見回す。
「リューくんが自ら脱走していたなんて驚きました」
「……ごめんなさい」
 胸が痛いけど、いつまでも隠れていられない。マントの下から出た。
「いいんですよ。無事で良かったです。しかし、どう見ても相思相愛でしたのに、どうこじらせたら脱走に行きつくんですか」
「……どう見ても……?」
「そうですよ」
 フィルドの返答を聞いて、リューはさらなる申し訳なさと恥ずかしさを感じ、思わず赤くなった顔を手で隠してしまった。
「……陛下、リューくんが何か反応するたびに、ニヤつくのを止めていただけますか」
「無理だ」
「……まったく、せめて公式の場では抑えてくださいね。……そう、もうリューくん呼びではいけませんね。王妃殿下……、王妃様がいいでしょうか」
 訊かれて、少し考える。
「名前を呼ばれる方が好きです。アージュ様が付けてくれた自慢の名前ですから」
 そう言うと、リューを抱きしめるアージュに頭を撫でられた。
「ではリュー様とお呼びしますね」
「はいっ。呼び捨てでも構いませんよ」
「そういえば、フィルド。いつのまにか私を陛下と呼ぶようになったが、呼び捨てでいいぞ」
「いつのまにかって……、何年前の話ですか。まあ、気が向いたらな」


 建物の外に出て、石造りの渡り廊下を進む。
「ここが王が居住する宮殿です」
 そこでフィルドは案内を終えて下がった。ヴィーも馬丁に預けられる。
 リューとアージュ、二人で宮殿の奥へと入っていった。

「広い……」
 中庭の人工池を囲む回廊。いままでガグルエを通ってきた中では、草叢らしい草叢は見当たらなかったのに、この庭は柔らかい草が敷きつめられて、全体が緑の絨毯になっている。
「あっ、ベルニルの木と薔薇が届けられています」
 池の側に置いてあった二本の木に駆け寄る。
(良かった。元気だ)
 その葉を優しく撫でながら、にっこりと笑ってアージュに振り向く。
「早速植えたいです。どこなら植えていいですか」
「私も即位してからまだ数日しかここで寝起きしていないから、よく分からないな。居住区のことは全部リューが決めていいぞ」
「やったあ。一番日当たりの良い場所にします」
「ガグルエの日差しを舐めない方がいいぞ」
「はっ、そうですね。誰かに教えてもらいます」

 近くに控えている侍従に声を掛けると、庭師を呼びにいってくれた。
「アージュ様、今のうちに、見晴らしの良い場所に連れていってくれますか。宮殿の周りを眺めてみたいです」
「ああ」

 大きな扉の前。リューの目線よりも高い位置にある取っ手をアージュが引いた。
「ここが私たちの部屋だ。奥のテラスから外を眺めよう」
 部屋の奥の窓に向かうアージュ。
 机もソファも、アージュが室内にいることがしっくりする大きさだ。セブのガグルエ駐在館も大きな家具があったけど、ここにあるものに比べると少し小さい。
(アージュ様のお部屋)
 何もかも大きくて、子供に戻った気分だ。
「リューは一人で扉を開けられないかもな」
 嬉しそうにアージュが言い、テラスへの扉を開けた。
 高い欄干に視線を遮られているリューを、アージュが抱えてくれた。
「ふふ、高いです」
 テラスからの眺めは、広い城の敷地と、かなたに城壁の先の荒野が見える。
「効果があるか分からないが、少し緑化に力を入れてみるか。植物が好きなリューには、あまり楽しい眺めではないだろう」
「そんなことありません」
 赤い大地。夢見ていたのは、草原を仲良くお散歩し、薔薇のアーチの下で休憩するような物語。この景色は程遠いけど―。
「隣にアージュ様という王子様がいるので、今とっても楽しいです。景色は僕の頑張り次第でどうにかなります」
「頑張り?」
「あの二本の木の他に、いっぱい木を植えていいですか」
「もちろん。どうする気だ」
「この景色、緑でいっぱいにします!」
「……大変だぞ」
「ハーフノームの力に任せてください。アージュ様の見る景色は、僕の植えた緑で埋め尽くすのです! それとアージュ様の食べ物も、僕が作った食材だけにして、あと……」
 やりたいことを懸命に話すリューを、アージュは愛おしげに見つめる。
「楽しみだ」
 その笑顔に見蕩れて、リューの口が止まると、優しく口付けしてくれた。

〈終〉