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 首狩りの書






 二月、アゼリエイト王国パル地方のメスカの町が何者かに破壊される。死者、一万。
 四月、パル地方にてクー街道の橋が破壊される。またほぼ同時刻、その付近の騎士団駐屯地が壊滅する。犯人は青い毛に覆われた四肢に、赤い爪を持っていたとの目撃情報あり。
 五月、パル地方の北辺の谷にて青い毛の異民族が数か月前から住み着いているとの情報が入る。非友好異民族を退去させるために派遣された騎士団が撃退される。
 そのとき得た目撃情報から、敵は魔族であることが判明。



 討伐軍編成の会議が王の御前で行われている。歴々の貴族や将、騎士団長が議論を交わしても、会議の行方は雲を掴むがごとくだ。
 なにしろ、この国では魔族と関わることなど百年に一度あるかないかのことだ。当然彼らとの戦い方を知らない。ただ彼らの力の恐ろしさだけが、漠然と伝承されている。誰も討伐軍の大将を引き受けたがらない。
 そこへ末席の男が立ち上がった。
「私めにその役目を務めさせていただきたい」
 よく通る凛々しい声が議会場に響き渡った。
「メルシャファか。まだ彼は若いが……どうだね」
 王はすぐそこに座る総帥に話しかけた。アゼリエイト王国の軍事の全権を持つ者で、立候補した男―メルシャファの上司でもある。
「……申し分ない能力の持ち主です」
 総帥は目を瞑り静かに答えた。
「決定だな」
 会議は解散された。すぐに任命書が作成され、メルシャファに渡された。それを受け取った後総帥とさらなる打ち合わせに向かった。
 王宮の廊下を歩きながら、ギュッと手に汗を握る。メルシャファは軍を率いた経験はあるが、全貴族や将が参加するような国家の重大任務を与えられたのは初めてだった。
「緊張しているのか」
 振り向くと総帥がいた。彼も行き先が同じため共に歩いた。
「いえ、武者震いしています」
「敵の強さも分からない危険な役目を、君に与えたくはないのだがな。何故ああ発言した」
「末席ゆえ遠慮はしていたのですが、誰も名乗り上げなかったので私が。一刻も早く事態を収拾しなくてはならないでしょう。魔族はいつ動くか分からないのですから」
 総帥は重々しく頷く。
「対策を練るために、魔族の研究者を呼び出しています。もう作戦室に着いている頃でしょう」
 二人は廊下を曲がった先にある扉の前で止まり、中に入った。中で一人の兵士が所在なさげに立っていた。
「どうした。ジッツ殿を呼びに行ったのだろう」
 メルシャファの質問に、兵士はビクッと怯えた。
「それが……」


 メルシャファは木漏れ日の下を歩いていた。きびきびとした歩調で先にいく上官の後ろを、部下の兵たちが数人ついていく。ジッツを迎えに行く途中だ。
 その魔族研究の権威とやらは、あろうことか、討伐軍総司令であるメルシャファの依頼を伝える使者を追い返したのだ。無礼者を斬ろう、という部下達を抑えつつ、自身も彼の対応に疑問を持ったメルシャファは直接彼の元へ向かった。
 都のはずれ、王宮の北西の森の中にそびえる塔。
 ロティーナ騎士団の屯所で、魔族研究の権威、かつ騎士団長であるジッツのいる場所だ。別名、首狩りの塔と呼ばれる。騎士団の名に冠した聖女ロティーナにまつわる伝説の聖地の名らしいが、その不気味さゆえ都の住人は嫌っている。
 昼の明るさの下で見れば、ただ蔦の巻きついた廃れた塔に見えた。
「ジッツ団長! いらっしゃるか!」
 扉を叩き、呼んだ。何の気配もない。だが前触れもなく、扉が開いた。
「討伐軍総司令に任じられた将軍ですか」
 若い男だった。
「君は?」
「どうぞ。団長はこちらです。お供の方はそこの席でお待ちください」
 男はクルッと塔の中に戻った。騎士章を襟元に付けている。ロティーナの騎士だろう。服の黒い色のせいか、戦士にしては体つきが細く見える。
 扉の中をメルシャファは見渡した。塔の一階は騎士達のロビーか何かか。机と椅子、単純な木造りの物から高貴な朱色のビロードが張られた椅子まで、無造作に置いてある。
 男はその隅にある下へ降りる階段に入っていった。部下達にここで待つように言い、メルシャファもそこに向かった。
 
「団長、お連れしました」
「ようこそ。メルシャファ将軍」
 不思議な反響をする声だった。雑然とした部屋の中央に机があり、団長と呼ばれた男はそこに座っていた。案内してきた男は床に落ちている紙や本を拾い、小奇麗にするとメルシャファを奥まで招いた。
「いやあ、わざわざご足労頂いてすみませんね」
「挨拶はいいです。私の使命は少しでも早く魔族をこの国から追い出すこと。すぐに討伐作戦に加わって頂きたい」
「追い出す? 駄目ですよー。あの種族はね、気性が荒い。仕留めるなら一息にやらないといけません」
「……助言を頼みます。これから城に来てもらいたい」
 フードを深く被った下で、ジッツは鼻で笑った。顔はよく見えない。
 彼は名がジッツというだけで前歴も知られていない。王との古くからの知り合いらしいが、将軍のメルシャファでも彼の前歴は聞かされたことがなかった。
 ただ、魔族や魔力の研究に関しては人間の世界で三本の指に入るらしい。他の騎士団は戦争や警備を仕事としているが、ロティーナ騎士団は団長の性格に依って、魔族研究を主に行っている。
 この国には十の騎士団があり、それぞれ競い合っている。ために、違う騎士団の人間と険悪な関係であることも少なくない。特にロティーナ騎士団は、騎士団でありながら戦いではなく研究に没頭していることから、あからさまに蔑まれている。だが騎士団ではなく近衛兵団出身のメルシャファは気にしなかった。
「将軍は魔族に関しては全く知識の無い素人だとか」
「はい」
 玄人であるはずもない。人間が忌み嫌う魔族を研究する者の方が変人なのだ。だがジッツはそんな世間の風潮など知ったことじゃないという様に、馬鹿にした口調で喋る。
「そんな人に私は構う時間はないのですがね。ですがこの国が魔族に滅ぼされちゃしょうがない。私の研究費を出してくれるところがなくなりますからね」
「はあ」
 メルシャファはジッツの口の悪さは気にせず聞き流していた。
(魔族研究をやる者が変人であるという噂が正しかっただけだ。この戦さえ乗り越えれば彼らと関わることはもうあるまい)
 もう一度言う。魔族がこの国に侵入してくることなど百年に一度きりなのだ。
「どうぞ」
 驚いた。気付かないうちに横に案内してくれた男が立っていた。紅茶を入れたカップを差し出している。
「結構」
(静かな、男だな)
 男はジッツの方に寄り、カップを渡した。ジッツはカップを受け取りつつ、男の顔を見て閃いたような表情をした。男の肩を掴み、メルシャファの方へ突き飛ばした。
「……っ」
 メルシャファは咄嗟に彼を抱きとめる。紅茶が床の書類の上に飛び散った。
「この子をお貸ししましょう。私の部下で一番優秀な研究者でね。貴方が知りたい程度のことは答えられるでしょう。名は、ハルベール」
「大丈夫か」
 メルシャファはジッツを睨みつつ、腕の中の彼、ハルベールに声をかける。上司の無体にさすがにびっくりしたようだ。無表情が崩れて、驚いている。
(あれ、意外に可愛い顔だ)
「申し訳ありません」
 支えられた腕から抜けると、すでに無表情に戻っていた。ジッツは言葉を続ける。
「魔族への対応について将軍の補佐をして差し上げろ。従順に仕えるんだぞ」
「かしこまりました」
 メルシャファの意見を聞きもせず決定してしまったようだ。
(まあいい。ジッツ殿より彼の方が手間が掛からなそうだ)
「よろしく、ハルベール。悪いが早速きてもらうぞ」
 ハルベールは騎士団式の敬礼で返した。そこへジッツが声をかける。
「待った。その前にこの床片していってくれ」
 部屋を出ようとしたメルシャファが振り返る。
「ジッツ団長。ハルベールは今、私の指揮下にあります。申し訳ないが片付けはご自分でしてください」
 そう言ってハルベールの肩に手を添えて部屋を後にした。閉まった扉に向かって、中から物が投げつけられた音がした。
 階段を二人分の足音が上る。一つはやけに静かな音だ。
「? 手、どうした」
 ハルベールが手の甲を気にしていた。
「先ほど紅茶がかかったようです」
「なにっ。熱かっただろう」
 メルシャファはその手を取り、舐めた。紅茶の甘くも爽やかな香りがする。
「水で冷やした方が効率的だと思いますが」
「あ、そうだな。早く冷やしてくるといい」
(……妙な人だ)
(つい舐めてしまったが、嫌がらないのか。変な奴だ)


 作戦室には歴戦の軍人が集まっていた。ロティーナの一介の騎士であるハルベールは浮いていた。特に騎士団の人間は睨みつける視線を隠そうともしない。もう一人、パル地方の地勢に詳しいということで参加させられた者もあまり高い身分ではなかったが、ハルベールに向けられる冷たい視線は当たってない。
 メルシャファは最初そのことが気になったが、ハルベール自身は気にした様子がないことと、彼はこちらが質問でもしないかぎり、微動だにせず静かにしているので、周りも彼の存在を気にしなくなった。メルシャファさえ、いたのか、と思うほど、とにかく存在感がないのだ。
「よし、後は私に任せてくれるか」
 出発は五日後だ。
 メルシャファ以外の将は部屋を後にした。ハルベールのみもう少し魔族の情報が欲しいからと残される。
 最初は頻繁に質問していたが、しばらくすると黙って考え込んだり、作戦室の中央に置かれた紙に書き込みをするばかりになった。ハルベールは手持ち無沙汰で、メルシャファの様子をぼんやりと見ていた。真剣な表情だ。
 …………。
「この種族に火は効くのか」
 メルシャファは顔を上げてハルベールの方に向いた。
「大した効果は見込めませんが、動きは鈍る筈です。魔族にしては火に弱い種族です」
 ハルベールはどこに持っていたのか本を読んでいた。それに立っていたはずが椅子に腰かけている。
(動いた気配がしなかったな)
「将軍、そこに茶を入れておきましたので、よろしければ飲んでください」
「は?」
 メルシャファが机に手をついた手の横に、いつのまにかカップが置いてあった。
「……。あ、うまい。いつもの茶葉か」
「置いてあったものを使ったので多分そうだと思います」
「どうやって注いだんだ」
 カップの中の茶をクルクル揺らす。
「? ポットに茶葉を入れ、熱湯で抽出し、カップに注ぎました」
「そういうことじゃ……」
 会話するのは諦めて、添えてあった砂糖の瓶からスプーン二杯分取ってかき混ぜた。そして手元の資料に目を落とした。

 次の日もハルベールは来たが、特にすることがない。
「パルの魔族のことは大体わかったが、我が王国は魔族に関する知識が少なすぎる。ジッツ殿が君を貸してくれたこの機会にさらに聞きたい。昨日諸将の前で説明してくれたがもっと詳しく話してくれるか」
 メルシャファは目の前に、本の山を積み上げて言った。王宮の書庫から魔族に関する書物を片っ端から持ってきたらしい。
「熱心な……」
「? 何か言ったか」
「いいえ」
 ハルベールはその中からいくつか抜き取る。読んだことのあるものなので、分かりやすい図や表があるページをすぐに開き、メルシャファに見せて説明した。
 午前のうちにメルシャファは大体を理解し、ハルベールの仕事はなくなった。それでもいつ必要になるか分からないので一応いるような形になった。
(本でも読んでようか)
 王宮書庫にふらふら出かけて行って、またこの部屋に戻ってくる。メルシャファはさっきと同じように机に向っていた。ハルベールが部屋を一度出て行ったことに気づいていないみたいだ。ハルベールは邪魔にならないように多少静かにしているだけつもりだが、他人は気配を全く感じなくなるらしい。ジッツが好んでハルベールを助手にしているのもそのためだ。
(喉乾いた)
 お茶を入れるのも慣れたものだ。メルシャファの分も入れ、彼の好み通り、スプーン二杯分の砂糖を入れる。それをそっと机に置いた。床にペンが落ちていたのでそれも拾って机の上に戻し、部屋の隅の椅子に座ってゆったりとお茶を啜った。
「ハルベール」
 メルシャファに声をかけられると、すぐに彼の傍に行き質問に答える。
 こんな淡々とした時間を出発予定日まで過ごした。


 五日後、ハルベールは従軍しなかった。総司令が、ロティーナ騎士団員を参謀に加えることで、他の騎士団の感情を悪くするのを嫌ったのである。メルシャファは十分な知識を得ているためもう必要もなかった。ハルベールはそう説明されるとすぐに理解し、いつものように冷めた目で頷いた。
「それでは私はロティーナに戻っても構いませんでしょうか」
「ああ。いままで助かった。礼を言う」
 なんだかんだあったが、いや、問題があったのは彼の上司の方で、ハルベールとは全く記憶に残ることは何もなかったが、魔族の知識を補完してくれたり、気付かないうちに身の回りの世話をしてくれたことには感謝している。
「そうでした。報酬をいただかなくてはいけません」
「……なんだ」
 一瞬感慨を感じたのにハルベールの冷淡な言葉に邪魔をされた。つい溜息混じりの声で答えてしまう。
「魔族の死骸が手に入ったならばいただきたいのです。全身が無理だったならば爪でも髪一本でも構いません。貴重な研究材料になりますので、団長からそう言いつかっております」
 気味が悪い、とメルシャファは薄ら思ったが、面には出さなかった。
(まあ、何かしら礼はせねばな。あの団長にタダで助力されたとなると、後で大きな借りになるかもしれない)
「了承した」
「ではお願いいたします」
「……君は欲しいものがあるか」
「魔族の体だけで十分です」
「そうじゃなくて、君にも別に礼をするよ。ずっと私を助けてくれていただろう」
「将軍が依頼なさったのは団長で、私が命令されたのは団長です。ですから将軍が報酬を払うべきは団長で、私が報酬を受けるべき相手は団長ですから、貴方からの報酬は必要ありませんが」
 ハルベールは不思議そうな顔をした。メルシャファはその答えに苛ついた。
「分かった。―私はこれから明日の準備がある。君はもう結構だ」
 我ながら冷たい言いぶりになってしまい、少しヒヤッとした。だがハルベールは気にした様子もなく、敬礼の後、部屋を出て行った。


 騎士団の屯所には、戦いでの無事を祈るため、簡単な祭壇がある。ロティーナの塔では半地下の小部屋にある。ジッツが地下の自分の執務室から上がってくるとき、そこから光が漏れていた。覗いてみると、蝋燭が点けられ、神像が飾られた祭壇の前でハルベールが立っていた。ちょうど祈りが終わったのか、部屋から出ようとしてジッツと鉢合わせした。
「何か祈っていたのか」
「パルに向かった討伐軍の無事を」
「ふん。お前にもそういう殊勝な所があったんだな」
 ジッツはそっぽを向いた。横目でハルベールを見ながら笑う。
「あの男をやけに気に入っているじゃないか。あいつがここに来た時、俺が床を片づけてけと命令したのを無視して、あっちについていった。俺よりあの男の下につきたいのか」
「あの時は将軍の言が正論でした。確かにその前に団長は私に将軍に仕えろとおっしゃったのですから」
「可愛くないな、お前は。そうだ。言っておくが、奴に仕えろ、という命令の期限は昨日までだぞ。今日からはまたロティーナで働いてもらう」
「心配なさらずとも、多分、私は将軍に嫌われていますから、いつまでも彼の傍にいることはできませんでしたよ」
「あ?」
「どうも私の発言は彼を怒らせるようです」
 ハルベールはため息をつくように、
「やはり私には、ロティーナが居心地良い。私と同じ、嫌われ者の団長の傍が」
 ジッツの顔を見て笑った。ジッツは口の端を引きつらせる。
「お前、俺と二人だといらないことも言うようになるな」

 部屋を出て階段を上る。
「っ!」
 手にヒヤッとしたものが当たった。雨漏りの滴が垂れてきたようだ。ハルベールは手を見る。
 そういえばこの階段を、メルシャファと上った。ハルベールの手に熱い茶がかかったのを心配してくれた彼を思い出す。どうしてか、胸が締め付けられる感覚がある。
(あんな優しい人にまで嫌われるなんてな)
 久しぶりに自分の交友の苦手っぷりに落ち込んだ。ロティーナ騎士団にいるときは、周りも相当なので気にならないのだが。
(いいんだ。どうせ魔族の研究者が必要とされることなんて百年に一回あるかないかなんだから、この先、外の人間と付き合うことなんてない。人と喋れなくても……)
 心の中で自分を慰めた。それにも関わらず、この場所が寒いせいだろうか、とても心寂しい。



 半月ほどして、討伐軍は帰ってきた。
 都に帰り着くと、兵達はほっとした顔をした。沿道には拍手をする民がいる。敵国の軍を討った時のような、いつもの凱旋の熱狂はなかったが、民もやはり安心した顔をしていた。
 魔族は恐ろしい。伝承では人間が幾万人束になっても倒せはしないと云われている。だがとりあえず、今回退治した魔族の息の根は止められたのだ。
 王宮門の前に、群臣が待っていた。その中に彼の顔があった。
「いやあ、さすが将軍。よくぞお戻りになりました」
 ジッツだ。今日は王宮に来たため、騎士団長の正装をしている。メルシャファに親しげに近づくと、
「魔族の死骸はどうなりました?」
 小声で囁いた。正直あれを持ってきていることは、魔族の不安から解放された民には知られたくない。こんな大勢のいる場所で話したくはないのだが。よほどジッツは待ちきれないのだろうか、目が輝いていた。
「二つ目の馬車の中です。ところで……」
 ハルベールは来ていないのか、と聞こうとしたが、ジッツはもう馬車の方に走っていた。
「あの!」
 呼び止めようとしたが、他の群臣が待っている中、これ以上時間は取れない。馬を進めた。
(もう一度会いたい)
 行軍中メルシャファは、やはり最後ああいった態度をとったことはまずい、と後悔していた。礼は言ったが、あれで感謝しているとは自分なら受け取らない。
 魔族の体の強靭さは常識外だった。ロティーナの知識があったから対処できたが。


 宮中を歩いている時だった。メルシャファは急に、何かを見つけたかのように走った。
「ハルベール」
 見覚えのある背中に、近寄ってなるべく柔らかい声で話しかける。彼が振り返った。手には本を抱えていて、聞いてみると、団長が王宮書庫に借りていた書物を返しに来たらしい。
「そうか。一緒に行ってもいいか」
「どうぞ……。何かお読みになるんですか」
 冷えた声に感じた。
「そうだな、うーんと……、あ、魔族についてもっと知りたいと言っただろう。それについてな」
 違う。ハルベールと話がしたいんだ。だが久々に会って、ハルベールは会話を拒絶するようなオーラがあることを思い出した。じっくりと礼を言いにくい。

(書庫までついてきてしまったが、どうするか。しかも書庫って会話する場所じゃないな)
 広い室内には他に何人かいたが、やはり皆静かにしている。魔族関連の棚の前に来てみたが、ハルベールにどう話しかけるか悩んで、本を取ろうとする手は彷徨っている。
 その手の前にもう一つ、手が伸びてきて一冊の本を取った。いつのまにかハルベールが静かに隣にいた。
「これがいいかと」
 書庫なので少し声をひそめて言った。そのためか、いつもの冷たい声が優しく聞こえた。
(言うなら今じゃないか)
「ハルベール」
 メルシャファも彼の耳に口を近づけて囁く。
「このあと、俺の部屋に寄ってほしい」
 その瞬間、何故かハルベールは赤くなり、数歩メルシャファから離れた。
(だめか)
 と思ったら、
「……分かりました……」
 と彼は頷いた。

 メルシャファは自分の執務室にハルベールを通した。ソファに座ってもらおうと思ったら、服が掛っている。王宮での正装や軍装への着替えをここでするからだ。服を取ってどこかに放っておこうと考えていたら、ハルベールがその服を受け取りちゃんとハンガーに掛けた。いつのまにこの部屋の衣装棚の位置を確認したのかそこにしまう。メルシャファは笑った。
「客なんだから座っていればいいのに。こういうの気になるのか」
「あ、申し訳ありません。なんというか」
 ハルベールは首をひねった。
「貴方のお世話をするのが癖になってしまったようです」
 その言葉でメルシャファは不覚にも、―男にときめいてしまった。

 この日は結局、メルシャファは改めて礼を言うことはできなかった。
 そのかわり、ハルベールが真っ赤になってしまうようなことを言ってしまった。初めて会ったときも思ったが、無表情な顔が崩れた時が可愛かった。

〈終〉