目次へ



 金色 2






 軍団基地に一旦顔を出したカララは、すぐに王宮へ向かった。シザリが都を後にするか分からないため、早めに用を済ませておきたい。
(それに、シザリ様を追っている間、気にかかったことをお伝え……)
 いや、伝えるのはまずい。数日間彼をずっと見続けていたことがバレてしまう。
 馬を駆る凛々しい姿も、小雨にしっとりと髪を濡らした物憂気な表情も、名勝地を通る頃に晴れあがった空を眩しそうに見上げた顔も、全部見ていたことが……。
 人目を引くような美男子ながら、思考の世界で恍惚としているこの男を、道行く人は不審げに見た。はっとしたカララは早足でその場を離れた。
「!」
 ある辻でピタリとカララは止まった。このまま通りを直進しようとしていたが、右の道に見覚えのある者がちらりと視界に入ったのだ。雑踏の中を注視する。一瞬見えた男は、そこから消えた。
 カララは王宮に行くのを後回しにし、気を払いながらその道を進んだ。


 官舎が並ぶ通りの、少し東にニザ家専用のホテルがある。白く壮麗な大殿をくぐり、冷涼な今の季節でも色の溢れる庭を、渡り廊下から眺めながら行くと、本殿がある。
 本殿は主のシザリのためのものだ。いつもなら代が替わるごとに建て直していたが、当然ながら節約中のシザリはしない。兄が使っていた頃そのままだ。いくつかの調度品を売りに出したが。
「主、明日いつ頃お出になりますか」
 ラトレイが広間に入ってきた。シザリはそこに飾ってある家族の肖像画を見ていた。兄とシザリは仲良さそうに隣り合って描かれている。その様子を見て、ラトレイはシザリが感傷に浸っているのかと思い、静かに玄関の外で待つことにした。室内に残ったシザリはぽつりと、
「出来のいい絵ではあるが、家庭肖像は他人にそれほど高値で売れないか」
 と呟いた。

 カタッ。
「……?」
 シザリは耳を澄ました。今のごく小さな物音が気になった。ラトレイや使用人は出ていって、彼らの立てた音ではない。
(足音……)
 誰だ。相手は足音を潜めている。招かれざる客である証拠だ。絨毯に吸収されて常人の耳には届かない足音だが、弓を得意とするシザリの耳と勘は確実に捕らえた。
(書庫から、こちらへ来る。不味いな。今は剣が手元にない)
 色々と売り払ってしまったため、室内はガランとしていて武器になりそうなものはなかった。
(あの絵がもっと小さければ鈍器として使えたのに……!)
 シザリは広間にある階段の陰に身を潜めた。靴紐をシュッとはずす。
 書庫から広間の様子を窺っている者がいる。人がいないのを確かめると、シザリが隠れている方に向かってきた。そして階段を上ろうとする。
 その瞬間、シザリが階段の裏から躍り出て、侵入者の左腕を掴んだ。
「……!」
 素早くもう一方の右腕も取って固めようとしたが、侵入者は右手に短剣を持っており、それを振り上げてきた。シザリは一度掴んだ腕を突き飛ばし、その攻撃を避けた。
 侵入者はシザリが剣を持っていないことに気づいたみたいだ。また短剣で突いてきた。シザリはそれに紐をからめて横に引っ張った。侵入者は焦って階段を踏み外しバランスを崩す。そこをシザリが後ろに回りつつ後ろ手に侵入者の腕を固めた。短剣に絡んだ紐をヒュッと引き抜いて、それで腕を縛る。短剣がカランと床に落ちた。
 シザリはホッとし、従者にこの男を任せるため、外に向かって声をかけた。
「おーい、ラトレ……」
 ヒュッという音と共に身を翻す。
 剣が鼻の先で振り下ろされた。シザリはどうにか避けたが、その剣は侵入者を拘束する紐を切り落とした。
「もう一人いたってのか!」
 侵入者は落とした短剣をシザリより早く拾ってしまった。武器を持つ二人の侵入者 対 素手のシザリ。圧倒的に不利だ。
「ラトレイ!」
 シザリは後退しつつ声を上げたが、侵入者達は助けが来る時間も与えず、斬りつけた。
 キンッ、と振りかかった剣は受け止められた。シザリを背に、二人の侵入者の剣を、剣と鉄甲で防いでいる男が立っていた。その腰には見覚えのある金の拵えの鞘がある。
「カララ!」
「貴様らシザリ様に何をするか!」
「主! いかがなさいました」
「主、無事かー!」
 カララに加え、ラトレイ、マリアも広間に入ってきた。四人掛かりで彼らを捕らえた。

「王都への行程で、シザリ様を狙っていた輩は盗賊ではなく、訓練された戦士ばかりでした。しかも彼らの言葉は皆、ニザ領の訛りがあった。それを訝しんではいたのですが、先程街中で妙な男を見かけ、尾行してみたところもう一人の男と合流し、ニザ訛りで話していたため、確実に何かあると思いました。さらに尾行を続けると、彼らは街のはずれから地下道に入り、ここまで来たのです」
 カララはシザリを心配しながらそう言った。シザリは侵入者達の顔をじっと見ている。
「君達……、兄の護衛兵の中に見たことがあるな。私の代に替わった時、職を失ったのか」
「ああ、それで主を恨んで」
 ラトレイの言葉に侵入者は反応した。
「我々は望んで我が主についていった」
 縛られた状態で彼は毅然と言った。シザリは「ほう」と感心する。
 マリアが書庫から出てきた。
「隠し通路を確認しました。かなり強固に作ってあり、恐らくこの館を建設した時に避難路として一緒に建造したものと思われます」
「それでは先代が……」
 この刺客達が隠し通路の存在を知っていたのも、シザリ暗殺を命令したのがあの人だからか。シザリは呆れたように溜息をした。
「……あの人は、元気にやっているか?」
「元気すぎて苦労している」
 何しろニザの頭の暗殺を企てる精力があるのだから。
「そうか。君も大変だな」
 シザリは刺客に近づくと、縄を解いた。
「それでも見捨てず側にいてやってくれ」
 刺客は驚いた顔でシザリを見上げた。
「我が主は、貴方を許しませんよ。また貴方の暗殺を命じるかもしれません」
「従者も主と同じで口が減らないな。ほら、さっさと行け」
 刺客はシザリの気が変わらないうちにと、素早く館を去った。
「あの隠し通路は塞いでもよろしいですね」
 マリアはシザリに確認を取ると、書庫へと向かった。「無くす前にちょっと見てみたい」とラトレイもついていく。
 シザリとカララの二人が広間に残った。
「ありがとう。助かった」
 シザリは両手でカララの手を強く握った。嬉しくてカララは照れる。
「二回も助けられたね。君は私に幸運を招き寄せてくれるらしい」
「そんな! 滅相もない。ただ、御無事で良かった」
「この後は暇か。昼食を一緒にどうだ」
「っはい! 喜んで!」

 昼食までの時間、庭を案内した。手入れをさぼっている場所は見せないようにしつつ、カララの手を取って回る。カララは庭に川が流れていることに驚いたらしく、岸にしゃがんで見ていた。
「あの、先代のお兄さんとはどういったことが、あったのですか」
 ぎくっと、シザリは分かりやすく聞かれたくないという反応をした。
「あ、やっぱりいいです! 失礼な質問ですね。聞かなかったことにしてください」
「んー、気にしないでくれ」
 シザリはへらっと笑った。そう言っても答えをくれる気はないらしい。カララは言ってくれないことがあるのが、寂しい。
(私は、貴方にとって……、違う国の者とは……)
「…………」
 会話が止まる。カララは岸に座り、思考の世界に入っている。シザリも川を見て黙った。
 陽光が水の上で瞬いている。シザリはそこに影を落としているカララを見た。下を向いたカララの髪でも光は煌いている。触ってみたら、暖かい。眠くなりそうな暖かさで、柔らかい。
 頭を撫でられて、カララが顔を上げた。
(目を丸くしている)
 可笑しくて噴き出して、シザリは言った。
「実はな、君と離れている間ずっと同じことぐるぐる考えていた」
「か、考えていたこととは」
「君が王国で出世する前に、ニザが奪っていれば良かったな、てこと」
 シザリは冗談ぶった口調で笑った。カララは硬直する。
「一般兵の頃ならともかく、いまや将軍目前の男を引き抜いたら、さすがに王国も感情悪くするだろうし。
 はあ……、君が俺のものだったらどれだけ楽しいか」
「望むなら、喜んで俺は貴方のものになります!」
「私の、ものに?」
「はい! あ、いえ違います。その、や」
「情熱的だな」
 シザリは笑い飛ばした。カララは自分の失言に顔が熱くて沸騰しそうになる。シザリは笑いを抑えようとして、噛み潰すようにぼやいた。
「君がそんなに積極的なら、本気で奪ってみようかな」
「? 今何か仰いましたか」
 シザリは首を振った。明らかな嘘だが、舞い上がっているカララは疑問に思わなかった。


 翌日、馬を並べて都から離れていくシザリとカララの姿があった。たわいない話を楽しそうに続けている。
「そういえば、ミストワニネ湖の別荘お売りになったんですか。自分も“偶然”シザリ様の隣の別荘を手に入れたのですが、今年行ったら別の方の物になっていて」
 自然に言おうとしたが、“偶然”の部分に力がこもってしまった。実のところシザリの近所を狙っていたのだ。
(ああ、金のために売り払ったやつか)
 カララにそう教えてやろうとしたら、マリアがじっと白い目で見てくる。
「その、他の場所を買ったから必要なくなって……」
「なるほど。新しい別荘がどこか教えていただいてもいいですか」
「いやあ。まだ建設が終わってなくてね。できた頃には招待するよ」
「え、は、はい。嬉しいです!」
 シザリ様から招待を受けるなんて。カララはのぼせあがって勢いよく返事した。
 この口約束の始末をどうつけるか。シザリは悩むことになる。

〈終〉