青マリン

2019/02/23
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35.白い都市







「暑い……干物になっちゃうよ」

 ダラダラと汗をかきながら進むベポは、まるで生者の血を求めてさまようゾンビのようだった。

「サヤちゃん、猛獣いない?」

 びくびくとマリオンはサヤに抱きついて、いつ獰猛が出てくるかわからない森を不安そうに見回す。

「暑いって言ってるシロクマが一匹」
「干物になりそうなシロクマは怖くないから平気」
「どさくさにまぎれて何サヤの腰抱いてんだよてめぇ」

 後ろからシャチは不届きな密航者を蹴り飛ばした。雪のように積もった火山灰の上にマリオンは転がり、全身真っ白になる。

「サヤ、ちゃんとベポと手をつなげ。あちこち根が出てて危ない」
「……ベポの手、しっとりしてるんだもの。キャプテンつないで」

 振られたベポが目に涙を貯めるが、見えてないサヤは気づかない。サヤの手を握ったローは一言「痩せろ」と冷たく言い放った。

 獣道と変わらない荒れた道を一行は進む。
 灰で真っ白に染まった森がどこまでも続いていた。不気味なほど静かで、生き物の気配がない。

「サヤ、何か聞こえるか?」
「何も。鳥の声さえしない……」

 不安そうにするサヤの手を握る力を強めて、ローは先に進んだ。

「……ねぇ、キャプテン。ログポースって島によってログが溜まる時間がまちまちだよね?」

 だらだらと汗をかきながらベポが話しかける。

「ああ」
「じゃあ、もしかしたらログが溜まるのに何年も時間がかかる島もあるってこと?」
「……そうだな」

 もしこの島がそんな特異な島だったら? それはローも考えないではなかったが、あまり悲観してはいなかった。
 最悪そんな事態になっても、セイロウ島へのエターナルポースがある。一度戻って、どこか違う島のエターナルポースを手に入れれば航海を続けることは可能だ。

「たぶんだけど、この島のログがたまるのにそんなに時間はかからないよ」

 言い出したのは火山灰で全身真っ白になったマリオンだった。

「どうして?」

 首を傾げるベポにマリオンは「針の動き」とベポの手首のログポースを指す。

「ちょっとずつ動いてるだろ。ログが溜まっていってる証拠だ。もしログが溜まりきるのに何年もかかるような島なら、針はほとんど動かない。この針の動きなら……せいぜい1日半ってところだと思う」
「すごい、マリオン。詳しいんだね」

 感心するサヤに、えへ、とマリオンはニヤケ顔をする。

「……子供の頃からずっと、家は兄貴が継ぐと決まっていたから俺は居場所がなかった。ずっと海に出たかったんだ。漁師のおっちゃんに乗せてもらって、船の動かし方や方位の見方をよく教えてもらったよ。おっちゃん今頃、どうしてるかな。元気にしてるといいけど……」

 寂しさと心配が混じり合った声に、サヤはそっと彼の腕に触れた。

「国に帰りたい?」
「それはもちろん、帰りたいよ。でも俺に兄貴の代わりはできない……」

 まるで殺されてしまうだけなら帰りたいというような口調だった。

(ああ、そうか……神官のマリオンが国外にいるなら、いつか戻って国を正してくれると思えるけど、儀式が失敗してマリオンが殺されちゃったら何も希望がなくなっちゃうんだね。国の人たちを絶望させないためにマリオンは帰れないんだ)

 でもそれだって、いずれ「どうして戻ってこないんだ」という怨嗟の声に変わってしまう。恨まれるのは仕方ないとマリオンは思っているんだろうか?
 自分の無力が悔しい悔しいって声にならない声が聞こえてくるようで、何かしてあげられたらいいのにとサヤは強く思った。

(私……役に立たないなぁ。ソナーは覚えたけど、いつか世界一のソナーになったって、それじゃマリオンは助けてあげられない……)

 マリオンを助けるには船長のような強さが必要だった。彼が国に戻っても殺させずに守ってあげられる強さ。

(海賊がしたいことをするには……強さが要るんだね)

 奴隷のときはそんなこと、考えたことがなかった。反抗したって締め付けが強くなるだけ。逃げ出してもサヤには行く宛がないから、海賊船の中でどううまく立ち回るか、奴隷仲間を庇えるかが大事で。

(キャプテンはすごいなぁ……)

 全部わかってて彼は強くなるための努力を惜しまなかったんだろう。だから今の彼があり、自分の命とクルーの命まで抱えて、この「海賊の墓場」と呼ばれる海を行こうとしている。

(そっか、人を尊敬するのってこんな感じなんだ……)

 セイロウ島で安易にケンカしすぎた自分をサヤは反省した。しかもケンカの理由がどれも子供っぽすぎた気がする。
 船長はきちんと話を聞いてくれる。機嫌で暴力を振るったりもしない。だから安心して、嬉しくて、幸せで、子供みたいにはしゃいでしまったのだ。
 今後はちゃんと、尊敬する人にはそれにふさわしい態度を取ろうとサヤは決めた。

(それに強くならなきゃ……助けてあげたい人を助けられずに、悔しい思いをしなくて済むように)


◇◆◇


「あ、キャプテン! 街があるよ!」

 森が開けてベポが声を上げた。

「街……? でも何も聞こえないよ」

 人の声も生活音も何も聞こえず、サヤは困惑した。こんなに静かな街なんてありえない。

「街というか……街の廃墟だ」

 あまりの光景に緊張してシャチは硬い声を上げた。
 そこに広がっていたのは息を呑むような大都市だった。数千人が暮らしていただろう都市が、白い森に隠れるように広がっている。滅んで有に500年は越えるだろう、石造りの家々。道には石畳が引かれ、辻には広場、市民が集っただろう大きな浴場に、闘技場のようなものまである。
 なのに今は人一人おらず、灰をかぶって真っ白に染まっている。

「……キャプテン? どうしたの? 具合悪い?」

 手をつなぐ船長の呼吸が乱れていることに気づいてサヤは声をかけた。
 サヤに話しかけられて我に返り、ローは「いや」と反射的に否定する。

「大丈夫……ただちょっと――白い色が嫌いなんだ」

 灰をかぶって真っ白に染まった街が、滅んだ故郷と重なる。その姿はあまりにフレバンスに似すぎていた。
 ええ!と声を上げたのはシャチとベポだ。

「言ってくださいよ! ならツナギを白にしやしなかったのに!」
「俺もクロクマにするのに!」
「え、ベポそんなことできるの?」

 純粋に驚いてサヤは尋ねた。

「ペンキで塗るとか」
「それじゃ毛皮がゴワゴワになっちゃうよ」

 復讐のチャンスかと、全身灰まみれで真っ白になったマリオンが「どうだ怖いか〜」とローに襲いかかった。
 問答無用でローは彼を蹴り飛ばした。

「マリオン、キャプテンをいじめちゃダメ」
「いや、蹴られたの俺――」

 サヤは船長が嫌な気分にならないように、丁寧にマリオンの体についた灰を払った。

「サヤちゃん、俺と結婚しよう」
「キャプテンいじめる人とはしない」

 はっきりと断って、サヤはもう一度ローと手をつなぐ。彼の手はずいぶんと熱っぽく、やはり体調が悪いんじゃないかとサヤは不安になった。

「こんな大都市が……なんで滅んだんでしょうね」
「破壊された形跡はないし、侵攻があったようにも見えねぇな。たちの悪い伝染病でもはやって、都市がまるごとやられたか――」
「――うわぁ!!」

 それを裏付けるかのように、道に死体が転がっていた。最初に見つけたベポを皮切りに、次々と彼らは悲鳴をあげる。
 死体はそこら中に転がっていた。

「え、なに?」

 見えないサヤだけが状況がわからず困惑する。

「死体があるんだよぅ……っ」

 怯えてベポはサヤに抱きついた。

「死体?」

 杖で石畳の道を叩いて、サヤは首を傾げた。音の反響具合でサヤには周囲の状況が見える。道に何かがあるのはサヤにもわかった。でもそれは生き物のような柔らかいものではない。もっと硬い感触のものだと反響音はサヤに言っていた。

 死体の前にしゃがみこんで手を伸ばしたサヤを、彼らは止めようとした。だがサヤは構わず、自分の手でそれを確かめる。
 上に積もった灰をどかし、彼らが死体だというものにサヤは触れる。その感触は思った通り、生き物のそれではなかった。

「死体じゃないよ」

 え、と彼らはおそるおそるサヤの手元を覗き込む。

「もっと硬い感触。確かに人の形はしてるけど、これは――」
「人形だ」

 サヤが顔にかかった灰をどかしたことで、彼らもハッキリとそれを理解した。
 それは人の大きさと可動式の関節を持った、精巧な人形だった。肌の壊れた内部には、ぎっしりと歯車とケーブルが詰まっているのが見える。

「気持ち悪い、なんでこんな人形が転がってるんだ……」

 転がっている死体がすべて人形であることを確かめて、別の恐怖に彼らはおののいた。都市が滅んで数百年は経っている。よく考えたらその時の死体がこんな原型を保っているわけがないのだ。
 灰の積もり方からして、人形がここに置かれたはせいぜいここ数ヶ月のことだろうと思われた。それもまるで置かれたというより、何かの攻撃を受けて倒れたような――その証拠にどの人形もよく見ると体のどこかを大きく損傷していた。

「キャプテン!?」

 人形を見つけてからずっと黙りこくっていた船長の異変に、サヤは彼に駆け寄った。
 こらえきれずに、ローは道の端にえずいたところだった。

 職業柄、死体は見慣れているはずなのにどうしてもダメだった。白い街に転々と転がる死体――それはまさしく、故郷が滅んだあの夜そのものだった。
 ずっと封じ込めてきた記憶が蘇る。親しい人間が物言わぬ物体になった後の濁った目、重なり合った死体に隠れた時の気持ち悪い温度――そのすべてが鮮明に思い出されて、嘔吐が止まらない。

「大丈夫……?」

 水筒の水でハンカチを絞って、サヤが顔を拭いてくれる。最悪な気分が少しだけマシになってありがたかった。

「キャプテン船に戻ろう。横になったほうがいいよ」
「平気だ――」
「だめ。ほら、行くよ」

 聞き分けの悪い船長の手を引いて、サヤは「キャプテン船に送ってくるね」とシャチたちに声をかけた。

「うわ、どうしたのキャプテン!」
「顔が真っ青ですよ!」
「俺が怖がらせたから!?」

 マリオンの言葉を否定する元気もなく、ローはサヤに手を引かれて船への道を戻った。

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