30.船倉の客
「うっわ、キャプテンそのタトゥーどうしたんスか。格好いい!」
ほぼひと月ぶりに顔を合わせたシャチは、船長を見るなり飛び上がって騒いだ。
洞窟の中の隠し入江に、大声が反響する。
「……サヤが針が怖いって泣くから一緒に入れた」
「失礼な! 私泣いてないよ!」
サヤにとっては重大なポイントだったが、シャチはあんまり聞いてなかった。
「マジで!? じゃあサヤ、キャプテンとおそろいのタトゥーを入れたの!?」
「おそろいではないよ。私はおばあちゃんにキョクアジサシとみんなの魂を彫ってもらったの」
独特な表現に首を傾げつつ、とりあえずタトゥーは入れたらしいと判断してシャチは頼んだ。
「あとで見せて?」
「いいよ」
あっさり頷いたサヤに船長は憮然とした。
「サヤ、ほいほい見せるな。伝説の彫師のタトゥーが泣くぞ」
「えー、じゃあお金とったらいい?」
「簡単に見せるなって話をしてんだ」
「そりゃズルイですよ、キャプテン。自分は見たからって」
横からニヤニヤとペンギンに言われ、余計なことを、とローは顔をしかめた。
案の定、シャチが「キャプテンは見たのにズルイ!」と同調し始める。
ハートの海賊団は出航のため、最後の積み込み作業を行っていた。予想外に滞在が延び、海へ出るのはほぼ一ヶ月ぶりだった。
「先輩方、忘れ物はないですか」
せっせと真面目に働いていた見知らぬ男に、シャチとペンギンはそろって「誰!?」と飛び退いた。なんで見知らぬ男がハートの海賊団のツナギを着ているのかわからない。
「へぇ、どうもゴンザと申します。このたびこの船にご厄介になりやす」
膝をついてゴンザは丁寧にあいさつした。
元の仕事が大工だそうで、親方に厳しく礼儀は教え込まれたらしい。
「キャプテンなんか知らない男が寝言言ってるんですけど」
「起きてるのに寝言はねぇだろ」
「マジで船に乗せるんですか!」
「ああ」
「俺らに一言の相談もなく!? 入団試験もなく!?」
「このひと月、一度も船に戻ってこなかったやつらに何を相談しろって? 入団試験ならした。合格だ」
主に根性と仕事を嫌がらない真面目さを評価してローは言った。
「不満なら別に無理して船に乗らなくてもいいぞ。ゴンザがお前らの倍働く」
「二人分はちょっと」
本当にやりかねないとゴンザは青い顔で小さく抗議したが、人使いの荒い船長はしれっとしたものだった。
「うーん、残ってミネルヴァちゃんと愛の巣を築くのも悪くはないかも――」
「シャチー! 忘れ物よ!」
「ミネルヴァちゃん!!」
噂をすればなんとやらで見送りに来た若い娼婦に、シャチは飛び上がって歓喜した。
「はいこれ、マダムから。二人にって」
「え、俺も? なになに?」
ニヤケ顔でペンギンも甲板から下り――渡された請求書に二人は石化した。
後ろから覗き込んで船長が「まあ一ヶ月も居続けすればこんなもんだろ」と冷静に言った。
「ええとね、お金が足りないといけないと思って、力になってくれそうな人を連れてきたの」
「おうおう兄ちゃん、えらく遊び倒したらしいな? まー若い頃はそんなこともあるだろ! 心配すんな、金は俺らが貸してやるからよ!」
アタッシューケースに入った金を見せびらかして、どう見てもヤ○ザな強面のおじさんたちはにこやかに言った。
「踏み倒せると思うなよ。俺らの支店はグランドライン中にあるからな」
「大丈夫大丈夫、いざとなれば体をちょっと切って内蔵売りゃあそれですむ」
「キャ、キャプテーン!!」
悲鳴はベポのものだった。コック帽をかぶった男に出刃包丁を持って追いかけ回されている。
「助けて俺スペアリブにされちゃうよー!!」
「ベポ!?」
食用肉にされちゃうなんてなにごとかと心配するサヤに、ベポは「サヤ久しぶり!」と抱きついた。その感触にサヤは飛び上がる。
「誰!?」
「ひどい! 俺、ベポだよ! 忘れちゃったの!?」
「だって、ベポはもっと、もっと……」
触り覚えのないたぷんたぷんとしたお腹に、サヤはハッと気づいた。
「着ぐるみ替えたの? ぶ、豚さん?」
「言い過ぎだ、サヤ」
呆れてローは言った。冷たく続ける。
「豚はもっとスマートだろ」
「キャプテンそんなー!!」
一ヶ月で20キロも増量したベポは船長に泣きつこうとしたが、「触んな豚が!!」と船長に冷たく拒絶されて大泣きした。
肉を収めきれずにみちみちだったツナギのボタンがはじけ飛んで転がっていく。
「キャプテン、ベポが……ベポが、豚さんになっちゃった」
ショックで放心するサヤをローはなぐさめた。
「あいつのことはもう忘れろ、サヤ。ベポはシロクマより豚として生きていくことを選んだんだ」
「選んでないよ、俺まだシロクマ!」
「うるせぇ、そんなに肥えたシロクマがいるか!」
「痩せるから! 痩せるから見捨てないでキャプテンー!」
「ならまずその贅肉売って、自分のエサ代を払ってこい!」
贅肉や内臓はそう簡単には売れないので、哀れな二人と一匹は金貸し業のおじさんたちから仕方なく借金して精算した。
「早く出航しましょうキャプテン」
請求書を渡してさっさと帰った愛しのミネルヴァちゃんに呆然として、失恋を忘れようとするかのようにシャチは旅立ちを急かした。
ペンギンとベポも同調する。
「こんな恐ろしい島にあと1秒でもいたら尻の毛までむしり取られちまう」
「お肉にされちゃうよー!」
「ならさっさと船に乗れ、バカどもが」
サヤも、とローが促そうとした時、「サヤー!」と呼ぶ声がした。走ってきたのはマルガリータだった。
「間に合ってよかった。急に出航するって聞いたから」
「キャプテンがこれ以上居ると、サギィに貞操を奪われるからって」
「違う! この島の用が全部済んだからだ!!」
マルガリータはローの主張にはまったく興味を示さず、「はいこれ」とサヤの頭に白い布をかぶせた。
それはもこもこの、ベポの顔と耳がついた帽子だった。
「おそろいを欲しがってたでしょう?」
「すごい! マルガリータ、作ってくれたの!?」
「また会いましょう。絶対よ。約束ね」
「うん」
マルガリータはサヤの顔にキスしまくって、別れを惜しんだ。
(好きな男はいないってそういうことか……)
マルガリータのキスがサヤの唇にも及びそうだったので、ローはさりげなく阻止して「ほらサヤ、もう行くぞ」と抱き上げて甲板のペンギンに渡した。
マルガリータには睨まれるが、痛くも痒くもない。
「マダムから伝言よ。困ったらいつでもサヤを引き受けるって」
「そりゃどうも。世話になったと伝えてくれ」
情事を交わした色っぽい雰囲気は微塵もなく、両者は火花を散らした。
しかしケンカをする気まではなく、ローはさっさと船に乗り込んだ。
「行くぞ、ベポ……じゃなくて、豚」
「キャプテン、わざわざ言い直さないでよー!」
「体重戻るまではお前は一番下っ端だ。ゴンザにも敬語使え」
「えー!!」
そして船は出航した。次の島を目指して。
◇◆◇
「ベポ、お腹たぷたぷ〜。何が入ってるの?」
「うーん、お肉?」
「非常食? ベポはペンギンよりおいしそうね。シロクマ味ってどんな味かな」
ベポの腹を撫でるのが気に入ったみたいで、サヤはずっと撫で続けている。サヤならいざとなったら本当に食べそうだ。「ベポごめんね。私ベポの分まで生きるよ」と泣きながらノコギリで解体する姿が浮かび、ローはじゃれ合う二人を微笑ましく見ることができなかった。そんなサヤは一生見たくない。
航海は順調だった。一度人食いサメの集団に追われたが、ベポをエサにして船長が切り刻んだ。
殺人を好まない医者であるものの、トラファルガー・ローは動物にあまり優しくない。今はベポもふくめて。
「おかしいな……キャプテン、昼の残りのおにぎり食べました?」
首をひねりつつ、昼食の片付けをしていたペンギンがブリッジにやってきた。
「ああ? 食にいじきたねぇどこかのシロクマと一緒にするな。どうせベポが食ったんだろ」
「俺じゃないよー!」
ダイエットをすると言いつつ、おにぎり五個を完食したベポは確かに満腹だろう。
サヤはもともと食が細いし、
「食べたやつは素直に手ぇ上げろ」
「食べてねぇって」
「俺でもないですよ」
という確認をシャチとゴンザにして、ペンギンはまた首を傾げた。
「船倉のお客さんじゃない?」
サヤの一言にローはぎょっとした。正直その話はしたくない。
「ええっ、幽霊でも乗ってるの!?」
ベポが怯えた声をあげる。ううん、とサヤは首を振った。
「幽霊じゃないと思うよ。足音がしてたもん」
たっぷり10秒かけてその意味を考え、ローは鬼哭を引っ掴んで船倉に走った。船倉の扉を蹴り開けると、そこでは乗船を許した覚えのない人間がおにぎりを食べていた。
「マルガリータ!?」
「あら、もう見つかっちゃった」
サロン・キティの娼婦は気まずそうに視線をそらす。
「何やってんだ一体!?」
「私も海に出てみたくて。いいでしょ?」
「よくねぇ!! 密航だぞこれ!」
批難もどこ吹く風でマルガリータはつーんとしている。
(冗談じゃねぇ、あのマダムに誘拐と思われたらどんな面倒事になるか……っ)
そもそも娼婦を船に乗せるなんて風紀の乱れる危ないことができるわけがなかった。戻るしかないかとローが考えていると、サヤとベポが下りてきた。
「キャプテン、お客さんいた?」
「あ、足ちゃんとある……?」
うしろでベポはサヤにしがみついてびくびくしている。
「サヤ! 会いたかったわ!!」
マルガリータはサヤに抱きついた。対するサヤはきょとんとする。
「え? 誰……?」
あまりのショックにマルガリータは黙り込んだ。さすがにローも同情した。
「お前クマの帽子もらっただろ」
「……? マルガリータは女の人だよ」
困惑顔でサヤは主張する。
マルガリータが女なのは、ローもよくわかっているが――。
「ちょっと待て!!」
困惑の意味に気づいて、ローはカーディガンにスカート姿のマルガリータの服をむいた。
「助けて! 乱暴される!!」
「うるせぇ、誰だお前!?」
密航者の胸はまっ平らだった。ご丁寧に身につけられたブラジャーに厚手のパッドが入っており、入念に偽装されているが、間違いなく男だ。
「いやだ、処女を奪った相手じゃないと気づきもしないなんて無粋な男だわ」
ピキ、と血管を浮かび上がらせ、ローは偽マルガリータの服を掴んで甲板まで引きずりあげた。
掃除に励んでいた男3人が仰天する。
「ええ!? 誰ですかキャプテンそれ!?」
「密航者だ。樽に詰めて海に放り込め」
「ウソだろ、殺す気か!?」
マルガリータにそっくりな密航者は本気の船長にビビって大人しくなった。土下座してローを拝む。
「すいませんでした。何でもするのでこの船に置いてください」
「却下だ。素性の知れねぇ人間を船に置くような危ない真似ができるか」
「名前はマリオン。歳は18。マルガリータの弟です。好きなものはスシ、嫌いなものは樽。どうぞよろしく」
「誰がよろしくするか」
まだ人食いサメがうろうろしているだろう海に向けて、ローはさっさと飛び込めとばかりに背中を蹴る。
「やめろって! 俺サメも嫌いなんだよ!」
「知るか」
「俺の処女を奪っておいて、この冷血漢!!」
「ええええええ!?」
女装少年のまさかの告白に男3人が叫んだ。
「てめぇと寝た事実なんかこの世のどこにもねぇよ!!」
「間違えた。俺の姉の処女を奪っておいて!!」
「ちょっとキャプテン、何スかその話!?」
「黙ってろ、シャチ!!」
「キャプテーン」
一番その話を聞かれたくないサヤが、電伝虫を持ってとことこ甲板にやってきた。ベポは贅肉のせいで息が切れている。船の中で運動させるのは難しいので、いっそ食事を抜くべきかも知れない。
「マダムからだよ」
忌々しい気分で、ローは受話器を取った。