「あー、もういやだ…」
退魔の仕事の報告を終えたファルは泥のような呪詛を吐き出しながら、ようやく大聖堂を後にした。
外はすっかり夕暮れもいいところで、空には月が昇ってきている。
(5日連続で退魔の仕事とか、どうかしてる!)
眼の下にクマが出来そうなほどの疲れを浮かべ、ファルは大きくため息を吐き出した。
本来であれば退魔の仕事を行った翌日は身を清めるため休暇となるのだが、逸り病のせいでどうしても人員にしわ寄せが起きている現状。
ゲフェニアの一件からさらに名の知れることとなったファルにその波がくるのは、もはや避けて通れない道ともいえる。
ただ、彼にとって退魔の仕事は大した問題ではなく、疲れの原因、それは彼の弟子が関係することだった。
(ナルに5日も会えていないだなんて!)
歯を食いしばり、宿屋ネンカラスへと足を向ける。
もはやワープポータルを使う気力などなく、滅入った精神は過度なイラつきへと変貌してゆくのを感じる。
(まだあと3日も仕事の予定が入ってる…くそぅ!)
帰路がてらブルージェムストーンを補充しつつ、ナルがアコライト時代は一緒に居るのが当たり前の生活を懐かしく思う。
それと同時に、あの頃に自分の気持ちが気付けなかった未熟な己が憎く、考えるほどに恨みは募る。
(ずっと想ってたのに、チャンスだっていっぱいあったのに…!)
愛をささやき、彼女が自分の手を取るように育て上げることだって出来たのに、あの頃の自分は師であるべき姿ばかり追っていた気がする。
そのおかげで確かにナルは立派なプリーストへ道を進めることができたし、師である自分への厚い信頼はゆるがないものとなった。
それでも、あの紺碧の瞳が自分を映すとき、甘い色を帯びていたらどんなに幸せだろうかと、走り出した心はそう思わずにはいられない。
(…気付くのが遅すぎたけど、ぼくは…ナルのことを…)
思い焦がれれば心臓はときめき、切なく苦しく自信を苦しめる。
疲れと恋煩いでふらふらと宿屋へ辿り着けば、ファルは自分の眼を疑う光景に喉を鳴らした。
「あ、お師匠様!おかえりなさい!」
「ナル、どうして…!?」
宿屋の受付、そこには彼が愛してやまない愛弟子の姿。
夢かと疑いつつ、彼女の手に準備された手荷物をめざとく理解し、ファルはすぐさま受付に最上の部屋を申請し鍵を受け取る。
「わざわざ来てくれたのかい?」
「お師匠様、すごく忙しいってマルシス神父様にお伺いしたので差し入れに…迷惑でした?」
「迷惑だなんてまさか!寄っていきなよ、ネンカラスに来るの久し振りでしょう?」
「じゃあ…お言葉に甘えて…!」
手を差し出すとふにゃりと笑みを浮かべ、ナルは迷うことなくファルの手を取る。
(ああ!神様、感謝します!!)
声に出しそうな感謝の祈りを耐え、ファルは綻びそうな顔を穏やかに保つため、つとめて丁寧に振る舞う。
そうして慣れた足取りで見慣れた部屋へと入れば、まるで指導していたあの頃が蘇ったように世界は色めき立ちはじめた。
先ほどまでの疲れなど、もうどこへやら。
「あの…お師匠様これ、ゲフェンのパン屋さんで買ってきたのだけど…」
どこか自信なさげにいくつかパンを出すあたり、自分を思って選んでくれたのだろう。
ゲフェンのパン屋といえば数件思い当たる店があるものの、パンを見て自分とともに行ったことのある思い入れのある店のものだとすぐに分かった。
「ナルが選んでくれたの?全部美味しそうだね、ありがとう」
厚意を受け取りつつ、こんな好機を逃がしてはならないとすぐさま部屋備え付けのキッチンへと向かう。
「紅茶を入れるよ、折角だからナルも一緒に食べていかない?」
「でも、師匠…疲れてるんじゃ…?」
「ぼく?平気だよ、ナルの顔を見たら元気が出てきたからさ」
「まあ!師匠ったら!」
穏やかな空気と弟子との時間を確保するに至れたことに安堵しつつ、他愛のない会話をしながらする食事はあっという間に時間を消費する。
退魔の仕事が大変なこと、ステアたちとミョルニール山脈にある廃坑探検をしたこと…互いに近況を話し、すれ違った時間を埋めてゆく。
まるでパズルのピースが埋まっていくようにして絆はゆるやかに結ばれゆくのだから、なんとも不思議なものだとファルは改めて思う。
すっかり暗くなった外に気付きつつ、ファルはティーカップを片付けながら賭けにでることにした。
「…ねえナル…もう遅いし、このまま泊っていくかい?」
その言葉に窓の外を見たナルは、すこし考えている様子を見せる。
どうにか押せば泊ってくれそうな手応えはあるが、それはあくまで安全な師が傍にいるからなのを理解しているため、ファルは慎重にナルの出方を伺う。
「でもステア様には泊るとまで伝えてなくて…どうしよう…」
(すっごく悩んでる…!)
選択肢のひとつに自分がとっている部屋に泊まる候補があるだけで、ファルの心は浮つく。
そんな事ないと分かっているのに過度な期待してしまう自分を止めるには、疲れ切った心に余裕などなかった。
「ステアさんはぼくの所に来てるの、知ってるのかい?」
「はい、それは間違いなく!」
「それならぼくから寿経由で泊るの伝えておくよ、それなら安心でしょう?」
寿とファルはこまめに連絡を取り合っているのを知っているナルは「ふにゅう」と力の抜けた声を出し、本格的に悩みはじめてしまった。
どうやら泊っていきたいのも本心のひとつだろうが、なにかが引っかかっている様子。
「それとも、なにか心配事があるのかい?」
「うん、だって…」
言い淀んだ姿に、すこしざわめく心を感じつつ、ファルはナルからの言葉を待つ。
「…お師匠様、明日もお仕事ですよね…?」
「うっ!」
そう、ファルはまだ3日も仕事が残っているのだ。
それはつまり泊ったとて明日の朝はやくにナルを残して仕事に行かねばならないし、ひたすら慌ただしい事になるのは目に見えている。
また同じプリーストとして、退魔の仕事の前日は道具の清めや事前準備が多い事をナルは弟子ゆえよく知っていた。
「私、やっぱり今日は帰ります、お邪魔になっちゃうし…」
血の気が引く音がした。
もはや何が正解で、何が地雷なのか分からない。
ただ、それだけは否定しなくてはならないと、心は震えた。
「いや、邪魔じゃないよ!本当に!!」
思わず大きめな声が出てしまったが、ナルは呆けに取られたように目を丸くするだけ。
どこか怯えたような顔は、間違った選択をした可能性すら出てきた。
これ以上は後追いしないようにすると、そう判断した、その時。
「…あの、お師匠様…ここに来たこと、みんなには内緒にしてくれる?」
不安そうなおずおずとした態度。
重ねた手をなんども擦る様子。
(これは…)
間違いなく悩み事を抱えている仕草で、ファルは気持ちを改めて隣に腰を下ろすように伝える。
「なにかあるんだね、だから今日ここまで来たのかな?」
「…はい」
広めのソファで寄り添うようにして座るナルは、ようやくなぜネンカラスにまできてファルの帰還を待っていたのかを話し始める。
「ゲフェンから離れると、なぜか…魔力の消耗がはやい気がして…」
それを聞いて一番に浮かんだのは、ナルの内に秘めることとなった魔王の嘆きのことだった。
抑止力となったナル自身、つまり封印が必要な場所に居続けることこそが彼女の存在意義になっているのだろうと、ファルはそう思った。
「…気付いたのはいつから?」
「えと、さっき話したフェイヨンまで買い物にいったときに…」
話をよく聞けばナルがステア達に連れられ山岳都市フェイヨンへ足を延ばした際に、具合が悪くなったのが己を知るきっかけだったようだ。
その時は誰にも悟らぬよう体調不良だと誤魔化したらしいが、自覚症状はあきらかに魔王の嘆きが原因にちがいない、そう思ったのだとナルは語った。
「だから、お師匠様に相談したくて…」
言い終わる前に弟子を抱きしめ、大丈夫となんども声を掛ける。
「分かった、ぼくの今の仕事が終わり次第、すぐにゲフェンタワーに行こう」
あそこには最後のレプリカとなる媒体があるはず、そう考えたファルの決断は早かった。
このままではナルに封印の負担が掛かるのは明白で、それならば抑止力となっている今だからこそ、いっそ悪魔の封印を解いてしまえばいいのだ、と。
「でも、お師匠様いそがしいのに…」
「そんなのどうでもいいよ、頼られているのにないがしろにできると思うのかい?」
弟子の額に祝福の口付けをし、ファルはナルの両手をやさしく包み込むように握る。
「ゲフェンタワーの中にカフェが出来たっていうじゃないか、今度そこでデートしようよ」
今度はナルにもっともらしい口実を与え、師の気遣いを悟ったナルは幸せそうに頷く。
そうと決まれば一刻も早くゲフェンに戻った方がナルの身体のためであるし、自分も体調を整えておかねば控えるデートを台無しにしてしまう。
ゆっくりと立ち上がらせ不安な表情ではないのを確認し、ファルはブルージェムストーンを手に取る。
「ぼくがワープポータル出してあげるよ、なにかあったらまたおいでね」
「うん、ありがとう、お師匠様…!」
転送魔法の光に包まれつつ、安心しきった表情であるべき場所へと帰る姿を見て、ファルはまっさきに自分を頼ってくれたことに幸せを感じる。
結果として恋心は口実を与えるための理由のひとつとなり、ご褒美はおあずけだとファルは苦笑するしかなかった。
第二部へ向けてのファルさんの自覚症状の話と、ナルに降りかかっているフラグのお話でした。
意識してから積極的にうごくファルさんの事を考えると、第二部いくまでにこじらせてそうだなと思いまして…。
あと、どんな状況でも弟子の味方でいてくれるお師匠様なのも知ってもらいたく、外伝という形になりました。