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第32話 おわりのおわり

ゲフェニアでの一件はそれぞれの生活を大きく変えることとなった。

まずナルはストレイキャットに活動拠点を置き、師であるファルとは別の生活を送ることになった。
それは彼女がゲフェニアの悪魔と関りがあることも関係することで、退魔師の傍らにその存在があるのはよろしくないとマルシス神父からの助言もあってのことであり、師弟解消とはならずとも会える機会は格段に減ってしまった。
それでもストレイキャットでの暮らしは満足のいくものであり、ステアたちとの冒険の日々はかけがえのないものとなっている。

ファルは調査隊の唯一の生還者としてしばらく大聖堂経由にてレッケンベル社とやりとりをすることも増えたにも関わらず、それが武勇伝ともなり退魔の仕事が増え、休みもそこそこに忙しく飛び回っている。
ナルに関してのことはマルシス神父が上層部へうまく執り成してくれたおかげで、今はゲフェニアの悪魔とつながりがあることは知れ渡っていないのが彼にとって救いであった。
合間を縫ってゲフェンまで足を延ばし、弟子の様子を見にくるのは相変わらず過保護な一面を覗かせている。

トゥエラーシュ家に戻ったミカは、その後、改めて決着がついたナルとドッペルゲンガーの関係にいい顔こそしていないが、一番の良き理解者であるため家を継ぐための勉強がてら、何日かに一度はストレイキャットへ顔を出している。
彼女の家が代々守ってきた魔王の嘆きが失われたことは現当主であるミカの母にとっても朗報であり、ようやくゲフェニアの呪いから解放されたことを心から喜んでくれた。
しかし、ここに来るまでに大きくなってしまった家柄上、どうあがいても他にも課せられている物事があるため、やはり次期当主はミカに譲られるものであり、ミカも観念したのかその未来を受け入れている様子である。

寿はこの件の最大の陰の功労者であり、ナルが今の生活を送れているのは寿の情報改ざんの成果であった。
マルシス神父と綿密に虚偽の現実を作り上げ、それはファルを唯一の生還者としてナルの隠れ蓑としたのも寿のおかげで、レッケンベル社は最期の魔王の嘆きとなった者も知らず、ただ貴重なアイテムを失ったという最悪の結果に終わらせたのだ。
ゲフェニアの件は依頼された仕事ではなかったため彼の手柄で間違いないものの今後の仕事に影響はなく、やはり情報にまつわる仕事をゆるく受けてこなす日々に満足しているようだ。

影丞に関してはもともと放浪癖があるらしく、ストレイキャットに戻ってはくるものの各地を巡礼する毎日を送っている。
彼の特性は大聖堂の教えを広めるにはうってつけであり、トーマス司教からよく頼まれがてら、世界を股にかけて伝道の仕事をこなしているらしい。
ステアの話では「厄介払いだ」というが、誰でも出来るような仕事ではないことを大聖堂に所属するナルとファルはよく知っているため、彼の人なりのすごさを改めて感じている。

ユグはあの件にてかなり身体に負担をかけたらしく、ストレイキャットの邸宅内では本来のスモーキーの姿で活動することが多くなってしまった。
それはナルに心配されることとなったが、本人曰く省エネモードらしくこちらのほうが活動しやすいのだという。
外出や家事を行うときのみ人型となるが、それ以外は愛くるしい姿で過ごすことでステアからも愛でられているようだ。

ステアはこのタイミングで商いの家系に生まれ小さいころより学んでいた才能が開花し、各地に顔見知りがいる伝手をつかって物流に関する仕事をはじめた。
それはギルドにとって潤いのある財を約束したが、次第に増えてゆく資産の運用については、今まで反発してきた親元に相談をする形でようやっと繋がりが持てたようで、それを唯一知るユグは良いきっかけとなったと見守っているようである。
また弓の腕前もおとろえぬようにナルとユグを引き連れてダンジョンを巡るのも、彼女の趣味のひとつに加えられた。

そして、例のゲフェニアの悪魔は…。



人々が寝静まり、人の気配のないゲフェンダンジョンを紺碧の髪のプリーストが進む。
不思議なことに彼女に危害を加えようとするモンスターは皆無であり、彼女はじつに落ち着き払った様子で下層を目指す。
やがて辿り着いたのは地下三階であり、慣れた様子で朽ちたモニュメント前へときたプリーストは古の魔法都市への道を開く。
景観は薄暗いダンジョンから一転し、光の綿毛が飛び交う美しい遺跡へと変わる。
 「こちらへ来る手順も大分慣れてきたようだな…」
彼女の前には一人の青年の剣士。
 「毎晩…ではないけれど、これだけ通えばね?」
穏やかにほほ笑んだプリーストは、手提げ籠の中から様々なものを取り出す。
 「今日はこの本を持ってきたの、お師匠様がお勧めだっていってたわ」
数冊の本のなかに聖書の姿を確認し、剣士はなんとも怪訝そうな表情を浮かべる。
なるべくそれには触れないよう、彼女が取り出した軽食に視線を送った。
 「あ、お腹空いてた…?」
 「いや、そうではないが…本の気分ではないのでな」
 「そう?じゃあ、どうしようかしら…」
悩まし気に本をしまったプリーストの頬を剣士の手が撫でる。
それは信頼しているからこその動作で、プリーストもまた構わない様子で笑顔を浮かべた。
 「じゃあ今日、ステア様たちと一緒にいったスフィンクスダンジョンの話でもする?」
その言葉に興が乗ったのか、剣士は穏やかな表情となり頷く。
 「そうだな、ナルの話のほうが数倍楽しそうだ」
 「ふふ!じゃあまず、どうしてスフィンクスダンジョンに向かったのか話すね!」
二人は腰を下ろし、幸せな日々の記憶を共有し始めた。
ゲフェニアの王はナルの意志により、嘆きの制限なく自由に地上に出れることができるようになったが、あまり人目につくのはよろしくないとこうしてゲフェニア遺跡にて日々を過ごしていた。
それは定期的にナルがこのようにして訪問してくれるから辛抱できることであり、彼女から誘いがあれば共にゲフェンの街の外へ出ることもある。
遠くで、そして近くで見る人間の生活はドッペルゲンガーにとって非常に物珍しい光景であり、見聞にもなった。
この生活はナルにとって「人間を知り、共に存在していけるための準備」という生きる理由を与えるためのものであるらしいが、果たしてそれが共通認識であるかは多くの謎になっている。
 「それでね、ステア様ったらね!」
花のように笑う紺碧のプリースト、その声に耳を傾けながらゲフェニアの悪魔は思う。
 (ああ…そなたこそが、生きる理由だ…)
もうしばらくこの時間を楽しみたいと願いを込め、話を聞き終えたドッペルゲンガーは左手の小指を差し出す。
それに見覚えのあるナルは右手の小指を出し、すこし首をかしげて問う。
 「どうしたの?」
甘いゲフェニアの空気は、まるで春の日差しの心地よさにも似ている。
 「また明日、会いに来てくれるだろうか?」
ゆらめく紫電の瞳はナルだけを映し、舞い上がる光の粒子は花びらのよう。
 「うん、いいよ、約束ね」
 「ああ、約束だ」
交わした約束は穏やかな時間を祝福とし、ゲフェニアの王とその嘆きは微睡むように幸せにひたるのであった。