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第31話 The Land of Promise

ナルがドッペルゲンガーと共にゲフェニアに降りたころ、時を同じくしてようやく大聖堂にてマルシス神父と今後について辻褄合わせの話し合いが終わったファルと寿が帰還し、ステアよりナルの身に起きた事情を聞かされていた。
卵まで還元されたゲフェニアの悪魔の管理を秘密裏にトゥエラーシュ家に願い出ようとまとめた話はすべて水の泡で、その成果あってこそファルのみの生還も許されるであろう期待も絶望に変わってしまった。
 「…な、なんで…孵化させちゃったの…」
絶望してるのは寿も同じで、また都合よく話を合わせる必要が出てきたのは非常に厄介だ。
そしてなによりもっとも厄介なのが、ナルがドッペルゲンガーと行動を共にしているという事実に対するファルの対応であり、寿は顔色をうかがいながらファルに声を掛けてみる。
 「あの、…弟子ちゃんが飼い主的存在になっちゃったみたいだけど…どうしようか?」
澄んだ空色の瞳は怒りを宿し、言葉なく寿をきつく睨んだ。
 「ひっ!」
思わず悲鳴を上げ後ずさりしたが、寿の背中はむなしく壁に衝突するだけで逃げることなどできなかった。
 「孵化できるなら戻せるでしょ、ナルのこと迎えに行ってくるよ」
それはアサシン時代にもどったような抑揚のない死の気配を漂わせる声で、ファルの怒りが心の底から湧き出ているのが肌でわかるほど。
ステアもひきつった顔で言葉を発しないし、ユグと影丞に至ってはバツが悪そうに口を噤んでいるだけだ。
 (オ、オレが止めないといけない…)
空気を読んだ寿がひとまずファルを止めるため、椅子に座るよう懇願することにした。
 「待って、落ち着こう!弟子ちゃんにだって考えがあるんだからさ!」
 「考えって?ぼくと退魔師を目指す考えだってあるでしょう?」
 「待って、お願い、待ってください、まずは冷静になって、弟子ちゃんの勇気ある行動を思いやりませんか?」
 「師として思いやってるからこそ迎えにいこうとしてるんだ、ぼくは冷静だよ」
もはや取り付く島もないファルの言葉に挫けそうな心を奮い立たせ、寿は禁断の言葉を言い放つ。
 「そうやって無理に行動を強要するのって、嫌われると思うんだぜ…?」
室内の温度が下がった気がしたのは寿だけではなかったが、ぶつけられたキーワードは考えもしたことのない言葉であったため、ファルも混乱しているようだった。
やがて言葉を飲み下し、ふたたび呼吸することを思い出すと、一気に手のひらに汗が浮かぶ。
 「…ナルがぼくを嫌うだって…?」
 「弟子ちゃんなりに状況を良くしようとしてるんでしょうよ、たぶん」
寿の言葉により、ようやく耳を傾けることができそうな気配を察し、ユグも今ならばと寿に加勢を誓う。
 「ナルは嘆きの力が残っている今だからこそ、やるべきことをやろうとしてるんだと思います」
ユグの言葉はもっともであり、魔王の嘆き自体が失われた今、いつナルに残っている悪魔を統べる力が失われるかは分からない。
もしかしたら永遠に失われないのかもしれないし、今この瞬間にも消えてしまうのかもしれない。
それだけの覚悟を以て、ファルの弟子であるナルはゲフェニアの悪魔と向き合うことを選んだのだ。
 「…でも、やはりプリーストが悪魔を従えるなんて認められないよ…」
ナルの気持ちを尊重したいのは山々だが、ファルもナルも聖職者であり、常に悪魔とは一線をおく存在同士。
どのような形であれ、ファルには祓うという選択以外の考えがまとまらなかった。
 「じゃあ弟子ちゃんがお前が心配するような事になったら、破門でもするのかよ?」
 「まさか!ぼくは守ってあげるさ!」
即答したファルに寿は遠慮などせず、ただまっすぐに言葉を貫く。
 「だったら信じて待ってやろうぜ」
ナルを信じてやれない己の弱さに、さすがのファルも弟子を探しに行くのをあきらめ俯くと、大きなため息を吐き出す。
確かにナルにはノービスからアコライトに、そしてプリーストになるまで手塩にかけて育ててきたのもあり、どうしても口うるさくなってしまう自分が否めないファルは、自分の考えで向き合うことを選んだナルの意志をあらためて考えてみる。
自分の身体が乗っ取られている間にも、おそらくなにかやりとりもしたのだろう。
 (ナルは約束を守る子だから…)
ようやく着地点を見つけたファルは、顔を上げる。
 「そうだね…ナルが帰ってきてから、どうするか聞いてあげよう…」
いちばんの壁であったファルを崩したことで、ステアも肩の荷が下りたのかようやく穏やかな笑顔を浮かべた。
 「ファルさんって、ほんとナルのこと好きなんですね」
 「ふふ、ぼくのかわいいたった一人の弟子だからね」
その言葉に引っかかりを感じたのは影丞で、彼はまたおおきな爆弾を落とす。
 「んん?あんなにべったりしてるのに、付き合ってはないんです?」
 (地雷だ、おわった)
ふるえる寿がファルを見れば、驚きの果てに目を見開き、顔は熱湯でもあびたかのように赤くしている旧友がそこにはいた。
 (やばい、自覚症状出ちゃったなこれ…)
固執するタイプなのをよく知っている寿は影丞にこれ以上しゃべらぬようアイコンタクトを送るが、まったく気づいていない様子。
 「いやいや、ぼくとナルは師弟関係だからね、それ以上でもそれ以下でもないよ」
いつも通りに喋ってるつもりだろうが上擦った声は異常を示していたし、どう見ても今やっと弟子にそれ以上の感情を持っていることを知ってしまったファルの表情は固く、動きもぎこちないものであった。
ステアも余計な一言を吐き出してしまった手前、もうそれ以上は踏み込む勇気もなくめずらしく口を閉ざし、影丞は複雑な人間関係だとは知らずに話してしまったが場の空気は読めるので、それ以上は語らぬよう口を噤む。
ユグと寿は顔を見合わせ、同じことを考えていた。
 (はやく帰ってきてくれ…!)
ストレイキャットの夜は長くなりそうであった。



よもやストレイキャットにてそのような事態が起こっているとは知らず、ナルは残してきたステア達を案じながらゲフェニアを歩いていた。
相変わらず光の綿毛がゆっくりと舞い上がる廃墟は幻想的で、魔力を豊富にふくむ空気は肺を充たすたびに甘い。
螺旋状に深くなる地下洞窟をぼんやりと眺めながら、ナルはドッペルゲンガーに問う。
 「この下にエルフの秘宝があるの?」
 「そうだ」
ナイトメアを影に戻したドッペルゲンガーは、遠い過去を覗くようにナルとともに地下へと視線を投げる。
 「そなたは行けぬが、確かに存在はしている」
 「私が秘宝まで行けないのはどうして?」
純粋な好奇心にゲフェニアの王は笑みを浮かべると、舞い上がる光の粒子のひとつを捕まえる。
強く握られたそれは、まるで極薄のガラスのように砕け散り、七色の粉となってやがて消えてしまった。
 「この舞う光すべてが魔力の結晶だ、秘宝に近づくほど甘い毒となり、そなたを内から傷つけるぞ」
彼が守る秘宝は長い年月をかけ人間の手には余るほどの宝となり、今もそれを守り続ける悪魔の孤独はナルにとって計り知れない。
ただ人間を寄せ付けないほどの宝であれば、もう彼の守護は必要ないのかもしれない、そう思った。
 「こんなに綺麗なのにね」
ナルも彼とおなじく光の粒子をひとつ捕まえ、その手の中に転がしてみる。
それ自体に重さはなく、七色の光を閉じ込めたような綿毛は淡く光り、まるで雪のように手のひらに溶けるように消えてしまう。
身体に魔力として取り込まれた結晶は口を通さずともやはり甘く、身体を充たしてゆくのだ。
 「ねえ、お腹空かない?」
ユグに持たされたバスケットの中からリンゴを取り出すが、ドッペルゲンガーには興味のないものらしく首を横に振られてしまった。
 「…人間の食べ物など、口に入れたことはない…」
彼の生まれを思い出し、ナルはそれならばと中につめられていたバケットサンドを取り出す。
ローストされた薄切り肉と野菜もほどよく彩りとして申し分なく、あまり乗り気でないのを承知でそれを手渡した。
 「一緒に食べよう」
同じものを口に含み、美味しそうに食べるナルの姿はどこか幸せそうで、彼もまたそれに倣って同じようにかぶりつく。
今までしてきた食事とは掛け離れた食感は思ったよりも悪くなく、口馴染みもはるかに良いそれは簡単に飲み込むことができた。
 「どう?美味しい?」
ナルの問いに首を傾げつつ、恐らくこれが人間が感じる美味しいなのだろうと頷く。
 「ああ、多分な」
 「ふふ!これからもっと色んな物を食べたり、色んなことを知っていこう」
ドッペルゲンガーの反応ひとつに、ナルは自分に対してファルが世話を焼きたがる気持ちがすこしだけ分かったような気がした。
放っておけない、ただそれだけだった気持ちは、彼を導きたいという願いに変わり、これからの未来に希望を持つのは自然な流れだった。
こうして二人ははじめての食事を楽しみ、またしばらくゲフェニアの散歩を楽しむことにした。
廃墟は見たことのない造りをしており、それは眺めるだけでも退屈ではない。
ただあまり地下へ進むことはできないので、ナルはどうしたものかとゆらゆらと思考を持て余していた。
 (…ちょっと眠くなってきちゃったかも…)
ゲフェニアの魔力を含んだ甘い空気は身体が安らぐ分、どうしても睡眠を欲してしまうようでナルは意識をゆらゆらとさせ一歩を踏み出した、その時であった。
視界は暗転し、なにかにつまずいたナルは派手に転んでしまったのだ。
 「いてて…!」
 「大丈夫か?」
予測できなった事態にさすがにドッペルゲンガーも焦りを隠せず、ナルを抱えようと手を伸ばす。
彼女の膝からふわりと鉄が混じったような香りがし、擦りむいた傷からは血がじんわりと滲んでいた。
 「大丈夫、ありがとう」
ナルは落ち着いた様子で自らの傷に指を添わせ、ヒールを唱えるとあっという間に完治させてしまう。
穏やかな笑顔、丸みを帯びた瞳、安らかな声。
そのすべてが自分を作り出したシフェルとは違うのになぜかそう感じさせ、ドッペルゲンガーの心臓は針をさされたようにちくりと痛む。
 「ナル…、そなたは我に生きる理由をと言っていたな」
抱きかかえられるのを途中でやめた悪魔は、その手をナルの頬に宛がうと紫電の瞳をゆっくり細める。
 「そなたが…次の魔王になってくれないか?」
 「えっ、私そんな…魔王だなんて…」
慌てふためく様子に間違って思いが伝わってしまったのがわかり、ドッペルゲンガーは苦笑すると今いちど言葉を紡ぐ。
 「形どり、そうあるべきと我を創る、唯一の人間になってくれ」
それは悪魔として主を見定めたと同義で、ナルは高鳴る鼓動を悟られぬよう口を結ぶ。
これより自分が答えた言葉により、きっと大きな運命が動き出す予感がした。
それでももうこの悪魔を孤独のままゲフェニアに置き去りにはできないところまで来てしまった。
 「…それはたとえ、私から嘆きの力が失われたとしても…?」
 「構わない、誓いを立ててくれればいい」
まっすぐな紫電の瞳は悪意などまったくない、純粋にそれを求める色に輝いている。
それならばとナルが選ぶ言葉はひとつであった。
 「いいよ、今まで寂しかったぶん、私が一緒にいてあげる」
そしてナルが差し出したのは右手の小指で、ドッペルゲンガーもそれに倣い左手の小指を差し出す。
 「指切りしよう、約束だから」
 「やくそく…」
互いに絡み合った小指はどんな契約よりも絆を感じられる行為で、今までのどんな事より心を充たすそれは紫電の瞳をゆらす。
 「私と君の間での、二人きりの秘密にしよう?」
名残惜しそうに離された指に幸せの残り香を感じつつ、ナルの紺碧の瞳が虚ろいを漂わせていることに気付く。
 「…眠いのか?」
 「ん、ちょっとだけ…」
すぐにゲフェニアの空気に充てられたのだと悟り、ドッペルゲンガーはふたたび影よりナイトメアを一頭呼び出し、あの魔力を枯渇させる洞窟のとき同様、彼女が休まるように身を預けるよう告げた。
ナルも慣れた様子でナイトメアに抱かれ、またナイトメアも頬をナルへと寄せ甘えて見せる。
 「朝が来たら起こそう、ゆっくりおやすみ…」
悪魔のささやきは心地よく耳に響き、ナルは小さく「おやすみ」と返事をすると眠りへと落ちていった。
緩やかに身を預けるナルの姿を隣で見守りつつ、ドッペルゲンガーは先ほどの指切りを思い出し、己の小指をまじまじと見つめる。
 (二人だけの秘密…)
最後の魔王の嘆きは解放者となり、自分を導く者となった。
そして獲得したのは孤独を埋めるという約束であり、今だかつてない満足感は言葉にできぬほどの喜びに満ちている。
 「ナル、そなたは我のすべてとなった…ありがとう…」
隣で安らかに寝息を立てる紺碧の聖職者に感謝をしつつ、彼女が告げた言葉を何度も噛み締める。
 (約束…、そなたと我だけの…)
自然とほころぶ表情に気付くことなく、ゲフェニアの夜は穏やかに過ぎていった。



朝日がゲフェンをゆっくり照らし鳥たちが朝の訪れを歌うころ、リビングで一睡もせずに朝を迎えたストレイキャット一行たちの耳に扉が開かれた合図である鈴の音が届く。
それはファルにとって待ち焦がれていた音であり、彼の虚ろだった目の色に生気が戻ると同時に身体は玄関へと駆け出していた。
その後ろ姿に寿はため息を吐き出し、元気すぎる元同僚の底知れぬ愛の深さを知った。
 「ナル!朝帰りだなんて心配したよ!どこにいってたんだ…い…」
ようやく愛弟子が帰宅し、きっと縋るように自分を求めるだろうと思っていたファルの目に映ったのはゲフェニアの悪魔に抱きかかえられ、すやすやと眠る弟子の姿。
 「起こすのも手間だったものでな、そのまま連れ帰ってきてやったぞ」
ドッペルゲンガーから出た言葉は明らかにナルだけに配慮したものであり、手放す様子など毛頭ない振る舞いはファルに火を焚きつけるのには十分な理由となり退魔師の心は怒りに染まった。
 「はあ?もういいから弟子を返してよ!ぼくの弟子だよ?!」
もう我慢ならないといった様子のファルは腕に抱かれる弟子を取り上げようと手を伸ばすが、その手はむなしく空を切る。
 「ナルからお前に弟子として返すよう、聞いてはいない」
十分な睡眠もとれておらず、冷静な判断などできる余裕もないファルは今も腰に携えてあるカタールで腕を切り落としてやろうかと考えが浮かぶほど余裕はなくなっていた。
 「そう言わなくたって、ぼくのところへ帰るんだよ…!」
 「人間は相変わらず身勝手だな…」
 「それは悪魔が言える言葉じゃないだろ、ナルを返せ!」
 「ファルさん、なにして…うわぁ…!」
なかなか戻ってこないファルを案じたユグが不毛なやりとりの最中に顔を出す形となり、決着などつくはずもない状況を見かねたステアがまずはナルをベッドに運ぶべきだと怒りを顕わにし、なぜかその言葉には従順に応えたドッペルゲンガーの姿にふたたびファルの怒りに火がつくのは言うまでもなく。
ストレイキャットの長い夜は、とうとう朝日と共に消えたのであった。