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第28話 眠り卵

 「今となっては、理由など意味がない…」
剣を下ろし、ドッペルゲンガーは苦渋の表情で俯く。
期待されたはずであったのにそれを忘れ、とうとう足掻き続けることでこんな未来まで来てしまった。
望まれた世界とは程遠く、結果としてエルフの秘宝を守ったのは人間の手によるものだった。
 「…そなたの大切な者を返そう、すまなかったな…」
ドッペルゲンガーの言葉にナルは頷き、ようやく悲願の成就に心を逸らせた。
しかしどうしても心に引っかかるものが言葉を詰まらせ、魔王の嘆きから受け継いだ記憶の片隅に隠されていた希望の欠片を無視することなどできなかった。
 「ねえ、もしあなたが望むのなら…」
それは過去にトゥエラーシュ家から魔王の嘆きに選ばれた者の、一つの道筋。
 「あなたに新しい体をあげる、私にはその方法がわかる」
ナルはそう告げると古い思い出を掘り起こすように、隠された秘密の呪文を行使してゆく。
魔力の心配などする必要はなく、その理由は魔力の満ち溢れるゲフェニアであるからこそできることでもあった。
周囲の甘く澄んだ空気はそよかぜのようにナルの唱える呪文に導かれ、やがて彼女の手の中には両手で抱えられる程度の漆黒の卵が姿を現した。
それは悪魔属によく見られる卵の形状によく似通っており、違うところといえば紫電の模様が唐草のごとく現れているところだろうか。
 「それは…?」
ナルの手に守られるような卵を指し示し、ドッペルゲンガーは眉をひそめた。
 「弱体化したあなたを使役下するために、一度、卵まで還元する魔法が用意されていたみたい」
 「使役化、だと…」
不穏な言葉に歯を食いしばるが、目の前に佇む聖職者は首を横に振ってみせる。
 「私はそんなつもりはないよ、ただ…お師匠様を返してほしいし、あなたにも消えてほしくないだけ…」
魔王の嘆きであり、いくらでも自分に強制できるはずであるのにそうしないナルに、あの短い間、閉ざされた四階層目でのやりとりを思い出せば心は不安定な足場に乗せられたようにゆれる。
 「ゲフェニアの悪魔など生き永らえさせて、そなたは一体なにを望む?」
 「なにもいらない、ただ…」
ナルは瞳を閉ざし、ゆっくり息を吸う。
 「あなたが知らない世界も、そう悪くないことを知ってほしい」
地下からふわふわと浮かび上がる光の粒子は綿毛のように辺りに舞い、ドッペルゲンガーは息を飲んだ。
仕組まれた自分に世界を見ろと、彼女はそう告げたのだ。
 「…まるでシフェルのようだ…」
自傷気味に笑みを浮かべたドッペルゲンガーに孤独の気配を色濃く感じ、彼がなにを求め、なにに迷うのか、ようやくわかった気がした。
それならばと、ナルはあまく笑い、彼の背中を一押しする言葉を告げる。
 「いいよ、私がシフェルの代わりになってあげる」
そして卵を差し出し、ゲフェニアの王の新たな選択を信じて待つ。
使役化などされるものかと、あれほど頑なであった心はすっかり溶けてしまい、もはや彼女の言葉は自分を導く光のように心を照らすものだからドッペルゲンガーは選ぶしかなかった。
 「…期待しているぞ、ナル」
その言葉と共にファルの身体からは闇が霧のように立ち上り、一気にナルの手の中に収められた卵へと向かってゆく。
意識を手放したファルはその場に倒れこみ、それを受け止めようとしたナルもまた衝撃で地面にしりもちをついてしまった。
 「わああ!師匠!大変!」
卵の様子が落ち着いたのを見計らい、そっと懐にしまうと今度は師の介抱へと意識を切り替える。
なんとか上体を抱き起せば呼吸は安定しており、目立った外傷も見受けられない。
ファルの容態に安堵しつつ、彼のふわふわの髪を撫でると空色の瞳がうっすらと開かれる。
 「あ!気が付いた!」
 「…あれ…ここは…、天国かい?」
すっかり死後の世界と勘違いしてしまったのはゲフェニアの現世離れした風景が相まっての事であったが、それは互いに助からない覚悟の戦いを経たせいであり、師のおかしな様子にナルはくすくす笑う。
 「生きてます!私たちちゃんと生きてますよ!」
元気そうな弟子の様子に身体を起こしたファルは、どうやって今があるのかを聞き目を丸くするしかなかった。
ゲフェニアの悪魔の新たな生。
嘆きとなることを克服したナル。
失われたゲフェニアの呪い。
すべてがこれから先のことを考えると胃が痛くなりそうではあったが、ファルの一番の目的であった弟子の帰還が叶った、ただそれだけで世界が救われたような気がしてならなかった。
時に恐怖で足がすくむこともあったろう弟子は、なんだかひとまわり逞しくなったように見える。
ファルは改めてナルの手を握り、彼女の紺碧の瞳めいっぱいに映ると微笑む。
 「いろいろ頑張ってくれたんだね…ありがとう、ナル」
ようやく戻ってきた穏やかな師の笑顔に、ナルは心から幸せを感じつつ満足そうに頷く。
 「はい、お師匠様…!」
師弟は手を取り合いながら立ち上がり、まずは心配しているであろうストレイキャットたちの元へと戻るためワープポータルを唱えたのであった。


先にゲフェンへと帰還していたストレイキャットたちは、ギルドの邸宅で師弟の帰還を今かと待ちわびていた。
気を利かせたユグが淹れたココアはすっかり冷めてしまうし、ミカは今だ全快にならぬ魔力のせいで気怠さそうに朝日が射し込む様子を眺めており、寿は連日の疲れからかうとうとと舟をこいでいる。
 「…おそい」
ステアの声は怒りに染まっており、ユグは思わずびくりと身体を震わせる。
明らかにナルを残してゲフェニアから離脱したことに納得していないのもあり、その矛先が強制的にワープポータルの魔法陣へのせたユグに向いているのが明らかであったためだ。
 「ナルのこと、信じよう…?」
機嫌をうかがいながらの言葉は地雷であったようで、ステアは厳しい視線をユグへと向けた。
言葉数が少ないのは不機嫌な証。
ユグは尻尾を縮こませ、肩を落とししょぼくれるしかなかった。
その時、鼻先に待ちわびた気配を感じたユグはいきおいよく顔をあげる。
 「帰ってきた!」
ユグの言葉と同時にストレイキャットの扉が開かれる。
 「みんな、ただいま!」
ナルの声にステアは一目散に走り寄り、誰よりも早く彼女を抱きしめた。
 「遅すぎだ!まったく!」
 「えへへ…ただいま、ステア様」
あの夜の噴水での出来事から動き出してしまった運命に、ステアはずっと後悔していた。
境界はあそこであったと、そう自分を責めていたのだ。
それでも彼女は遠回りをして仲間たちの元へと戻ってきた、ただそれがうれしかった。
 「もう絶対に無理するなよ、ギルドの規約に追加だ!」
ステアの言葉にメンバーはそれならばと苦笑し、ストレイキャットたちは何日ぶりか分からないしあわせな朝食を取ることにした。
その中でナルから語られたゲフェニアの結末は信じ難いものであったが、件の卵を見せるとミカはなんとも言葉に困った複雑な表情を浮かべていた。
 「…とりあえず現状はわかったわ、これはもう流石に私も戻らなくちゃいけないわね…」
ミカは次期当主として、これからやるべきことが山積みとなったことにため息をこぼす。
しかし家出をした憂いがなくなったのも事実で、心配そうに自分をうかがうナルに苦笑した。
 「ナルのおかげで心配事がなくなったから、堂々と胸を張って家に帰れるわ、ありがとう」
 「本当?それなら良かった…!」
 「しばらく忙しくなるけど、またこちらにも顔を出すからよろしくね」
 「うん、またお話できるの楽しみにしてる!」
二人の微笑ましいやりとりとは別に、寿とファルの新旧アサシンコンビは何やら難しそうな顔を浮かべ食後のコーヒーを味わっていた。
 「大聖堂とレッケンベル社には、どう伝えるつもりなんです?」
 「そりゃ都合の良い嘘で塗り固めるしかないでしょ、生き残りはぼくだけなんだし」
 「ひえ…平然とやってのけちゃいますか…」
ファルのご都合主義にはアサシン時代からも助けられた場面が多かったのを思い出し、寿はコーヒーを飲みながら物思いにふける。
 (弟子ちゃんのこともあるし、こればかりはファルのやり方に賛成するしかないか…)
 「んで、教会側の上にはなんて報告あげるんです?」
 「ぼく以外みんな死んだので逃げ帰ってきましたで通すよ、レプリカは全部処分しましたでいけるでしょ」
 「ええ?まじで?」
生き証人である強みを存分に使うつもりのファルの強気な様子に肝を冷やしつつ、そういえば弟子であるナルに正式に自分が誰なのか自己紹介してなかったなどと思いながら、寿はファルと共に大聖堂のマルシス神父のもとへ行くため話をまとめはじめた。
そんな皆の疲労をねぎらい、暖かい風呂と寝床の用意が終わったステアとユグは、約束された穏やかな日常をかみしめつつ朝市で賑わう魔法都市とは逆に、それぞれ休息をとるように告げた。
ナルが最後の風呂を預かるころには、すっかり仮眠モードの仲間たちはそれぞれ用意された個室へ向かい、リビングのソファではカーテンの隙間から差し込む陽光に金の髪を照らされながら眠るファルがいた。
 「もう、師匠ったら…こんな所で寝たら風邪ひきますよ?」
手近なところのあった毛布をファルにかけてやり、ナルは向かいに腰を下ろすと大事そうにしまいこんでいたあの卵を取り出してみる。
ほのかに暖かくゆっくりと鼓動するそれは、とてもあのゲフェニアの悪魔が封じられている代物には見えない。
 (いつ生まれるのかな…)
自分で卵まで還元しておきながら、その後のことまでは気が回っていなかったことに気づく。
それでも、この広大な世界を見れば、きっと生まれてきた意味を新たに見つけられるだろう未来を想像し、ナルは静かに目を閉じる。
 (師匠もみんなもいる、きっと大丈夫…)
ファルの寝顔を見ていたら安心感と疲労から自然と瞼は重くなり、師の横に座りなおして体温のお裾分けをもらえば睡魔に抗うことなどできず、一緒の毛布にくるまれた師弟は眠りに落ちていった。