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第27話 優しさに従う者

プロンテラ王宮に仕官するセージであるジャックの帰還は、英雄の帰還として迎え入れられることとなった。
それは魔王を断罪し、ゲフェニアの悪魔を封じたという側面だけによるもので、なにも知らされることのない民はそれを大層ありがたがった。
しかしその栄光も長くは続かず、ジャックが病に伏したことは瞬く間に広まり、またゲフェニアの地に染み込んだ魔王の血は決して人を寄せ付けない災いとして扱われ手付かずのまま放棄をされているのも手伝い、ゲフェニアの悪魔の呪いだという噂が広まるのもはやかった。
事実、ジャックはひと月を待たずして痩せ衰え、今はもう自分では起き上がることすらできなかった。
同胞や医者、はたまた呪いに詳しいとされる他部族のシャーマンまで呼び寄せたにも関わらず、誰一人として原因を掴むことはおろか、その衰弱を止めることすらできなかった。
そんな風の噂がプロンテラより南東にある、港町アルベルタへ届くのはそれから数週間後のことであった。
 「エノク様、書状が届いております」
多忙な主に代わり、家の事でよく働いてくれるメイドから手渡された書状を受け取ったのは港町アルベルタに居を構えるのはエノク・トゥエラーシュ。
彼女は王宮に仕官してるジャック・バリズと遠い親戚にあたる間柄であり、またウィザードであるエノクは術の扱いに非常に長けており、その腕前から戦に幾度となく加勢し手柄をおさめ、その富で住まう港町に貢献する若き魔術師でもあった。
 「む、王宮から…?」
心当たりがあるのはジャックのことであるが、彼など幼い日に親を通して何度か姿を見た程度の間柄。
しかし王宮からの書状となれば無視する訳にもいかず、エノクはそれを丁寧に紐解いてゆく。
内容は予想通りジャックの病に関してであり、彼の病を取り除くための手伝いとして呼び出しを強制することが書かれていた。
 「はあ…」
 「エノク様、お疲れのご様子ですか?紅茶のご用意でもしましょうか?」
思わず盛大なため息をついてしまったため、メイドに心配をかけてしまったことにエノクは苦笑した。
 「急ぎの用事で王宮に向かわなくてはいけない、正装の準備をお願いできる?」
 「お任せください、…また戦でしょうか?」
主を案じてくれる心優しきメイドに顔を綻ばせ、エノクはゆっくりと椅子から立ち上がった。
 「いや、遠い親戚の顔を見に行くだけよ」
窓から入り込む海風は心地よく頬を撫で、萌黄色の短く揃えられた髪を揺らす。
女王に謁見するため、エノクは高速船で衛星都市イズルードへ向かい、日が傾く前にはプロンテラ王宮へと足を踏み入れていた。
幾度となく戦の要請で通った城内は見慣れたもので、謁見の手続きももはや苦ではなくなった。
 「エノク様、お待ちしておりました、どうぞこちらへ…」
意外にも彼女を出迎えたのは兵士ではなく、執事長の老齢の男性であった。
いつもとは違う雰囲気になにかある予感がするが、ここはすでに蛇の腹のなかといっても過言ではない。
九尾狐の毛であつらえたマントは歩くたびに揺れ、彼女の腕が一流であることを示すかのような気品を秘めている。
いつも通されるはずの謁見室を通り過ぎ、エノクは不穏な予感を確信へと変えた。
 「…女王陛下はどちらに?」
 「陛下は準備をなさっておいでです、エノク様が参られたらお連れせよと承っております」
 「そう…」
深追いしても答えは得られそうもなく、ただ黙って執事長のあとへと付いてゆく。
やがて階段を下り、地下へと案内されたエノクはようやく女王陛下とジャックと対面することができた。
しかしそれは彼女を罠にかけたも同義であり、その異様な光景にエノクは足を止めた。
 「女王陛下…これは…」
驚くエノクの姿に、憔悴した表情の女王の瞳に光が宿る。
 「ああ、エノク…!」
それは神に縋るような追い詰められた人間の表情であり、ただならぬ事態が今起こっているのだと確信するには充分すぎるものだった。
 「あなたなら来てくれると信じていました、さあこちらへ…」
女王の指し示す先、彼女が見た光景は骨と見間違うほどに痩せこけたジャックであり、一族の誇りであった萌黄色の髪は色褪せくすんだ藍色となり、その体にはいくつもの治療のための管が通され、周囲には幾重にも魔法陣が所せましと描かれ、焚かれた香はひどく燻っていた。
 「我々も手を尽くしたのですが、どうしても彼を呪いから救う手立てが見つからないのです…」
女王は心配そうにジャックを見つめるが、そこにはすでに諦めに染まり、もはや慈愛の色など宿ってなどいなかった。
 (救うだなんて…もう遺体といっても過言じゃないわよ…!)
ようやっと自発呼吸をしているようだが、この様子では何度リザレクションで呼び戻されたか分からない風貌で、今どうにかして原因を取り除いたとしても助かる見込みがないことなどエノクの目からしても明らかであった。
 「彼に…一体なにが起きているのでしょうか…」
ようやっと絞り出した言葉に女王は絞り出すように言葉を紡ぐ。
 「彼は自分の命と引き換えに、その身にゲフェニアの悪魔を封じたと教えてくれました」
ひときわ心臓が跳ね上がったのを感じ、エノクは事の重大さに真っ向勝負を挑む準備をはじめる。
 「…つまり彼の身体と魂、そして魔力を食い荒らしてるのは…ゲフェニアの悪魔なのですか?」
 「エノクは聡明ですね、おっしゃる通りよ」
王宮付きのセージともなれば、その身を呈して国のために命を投げ出すこともあるだろう。
 (しかし、これでは…!)
尽き掛けの命は脆く、もはや死を待つばかりの姿にエノクは目を閉じた。
 「…分離させたとしても、彼は助からないかもしれません」
エノクが下した判断は正しいものであった。
それでも女王は頷き、口を開く。
 「しかしこのままにはしておけません、魂が穢れたままでは彼はヴァルハラへは辿り着けないでしょう」
命を終えたすべての戦士が辿り着く、ヴァルキリーによる命が巡る審判が行われるという、天の国ヴァルハラ。
せめてのも手向けとなるよう、女王は彼の魂を浄化し天に返してやりたいのだと、そう告げたのだ。
 「…私を呼んだということは、準備はできておいでなのですね?」
その言葉に女王は執事長から一握りの宝石を受け取り、それを更にエノクの手に握らせた。
それは燃えるようなルビーで、まるで炎を閉じ込めたように光を散らしている。
 「ええ…ジャックの身体からこのルビーへ悪魔を移したいのです、彼を助けるために」
ルビーは宝石類の中でも飛びぬけて呪いに関しては逸話の多い宝石であり、それはウィザードの術具を作るうえでも何かと世話になることがある不思議な縁のある宝石である。
話を聞くとエノクの予想通り、ゲフェニアの悪魔をルビーへ移す術式は完成しているものの扱うにはそれに見合う多くの魔力が必要であり、それならばと戦でも成果を上げ、身体にめぐる魔力も申し分なく、さらには親戚にあたるエノクに白羽の矢が立ったのだという。
 「陛下のお考え、確かにお受けしました」
そう答えたものの、エノクの胸になにかが引っ掛かる。
女王からの言葉には裏があるのは間違いなさそうであり、とても素直に受けられる件ではない。
隔離され人払いの済まされた地下の一室。
髪を耳にかける振りをしながら入り口を見れば、屈強な兵士が門番として立ちふさがっているのが目の端に映り、すっかり罠にかかってしまったことを改めて認識してしまった。
 (…なるほど、私の身になにか起きるのは確実ね…)
念の為にとフレグランスネックレスにポーション代わりに万能薬を入れてきたことを思い出し、エノクは手に握るルビーを見つめる。
なんのことはない、ただの宝石は特別なにかが込められている様子は感じられない。
 「準備はよろしいですか、エノク?」
女王の声掛けに、もはや覚悟を決めるしかないエノクは頷く。
 「はい、いつでも」
 「ではスクロールの準備を」
女王の言葉に執事長は一枚の紙きれを差し出し、後に引くことができなくなったエノクはその魔法を読み解いてゆくしかなかった。
まるで呪いの言葉を詰めたような祝詞を読み上げてゆけば、目の前のジャックは肩で息をするように荒い呼吸音をさせ、今にも気を失いそうなほど低いうなり声をあげはじめる。
 (苦しいだろうな、今すぐ楽にしてやる…!)
きっとジャックは助からない、そう本能が告げていた。
自分もおそらく無事ではいられない未来を感じつつ、とうとうスクロールに記された呪文は残すところ一行となってしまった。
 「瞬きとともに罪を解放せよ!解放者の名はエノク・トゥエラーシュ!」
最後の言葉を読み上げた瞬間、エノクが握っていたルビーは強く輝きはじけ散った。
その場にいた誰もが驚き、後ずさる。
 「エノク逃げろ!!」
それは断末魔とともにジャックから発せられた言葉で、彼はその言葉と共に光の粒子となり、やがて青白い光を放つ宝石へと姿を変えた。
部屋を淡く照らす宝石の姿に誰もが息をのむ。
 「これは…いったい…何事なのです?!」
顔色を悪くさせ、執事長と駆け付けた兵士の背後で震える女王は、ただただ恐れるように宝石を見つめている。
ひどい耳鳴りがするなか、エノクは息を飲み宝石を見つめた、その時。
 「なに!?」
それは一瞬の出来事だった。
宝石は瞬く間にエノクを包み込むほどの光の鎖を出現させ、その手には手錠のように、その首には首輪のように絡みつく。
 「エノク!」
 「陛下はお下がりください!!」
女王を案じる言葉を発し、エノクは呪いの類に間違いないことを確信し万能薬を振りまく。
しかし効果は期待していたものとは程遠く、光の鎖はエノクを捕らえ離す気はまったくなさそうで、じりじりと彼女を引き寄せる。
抵抗するなか、ジャックの身体を拭うのに使っていただろう水桶が目に入り、エノクは迷うことなく詠唱をする。
エノクの詠唱に呼応するように桶のなかから水が数多の球体となり浮かび上がると、彼女の周りへ呼び寄せられた。
 「くらえ!ウォーターボール!」
一世一代で築き上げたトゥエラーシュ家の当主による全力のウォーターボールは、的となる宝石に音速を超える速さですべて命中し、あとかたもなく破壊した…はずだった。
 「無傷!?」
ありえないことだった。
いくら不可解な力に守られる物質とはいえ、エノクの全力をこめた攻撃魔法を受け無事でいられるはずがない。
それでも宝石は光を放ちながら傷をひとつ負うこともなく、とうとうエノクの手のひらへと到達すると氷が溶けるように姿を消してゆく。
 「エノク!抗いなさい、女王命令です!!」
咄嗟のエナジーコートも意味もなく、とうとう宝石はエノクへ吸い込まれるように姿を消した。
光の途絶えた地下室は薄暗さを取り戻し、女王が膝をつく姿にそれぞれが我に返る。
 「陛下!お気を確かに!」
 「大丈夫です、ありがとう…」
兵士に支えられ、よろめきながら立ち上がった女王は、顔色を悪くさせ座り込むエノクからの視線を一身に受けて眉をひそめた。
 「…陛下…あなたは…とんでもないことを、なさっておられたのですね…」
エノクからの言葉に心当たりのある女王は目をつむり、執事長を残し兵士たちは外に出るよう告げる。
室内にエノク、女王、執事長となり、やがて女王は語り始めた。
それは他国と内密に行おうとしていた生体工学による発展を目指すものであったが、それを任せていたジャックがいつのまにか道を外れてしまったこと。
与り知らぬところで民が犠牲になっていたこと。
ジャックを救い、どうにかして自らが始めた過ちを終わらせたかったことを告げた。
すべてを自分の未熟さであると告げ、悲しみと後悔に心を溢れさせる女王の細い肩に、重すぎる責任があることをエノクはよく知っていた。
 「エノク、あなたを救いたい…できる限りをつくして…!」
女王の意志は優しく、嘘偽りないものであった。
しかしすべてが遅すぎた。
 「…それは無理です、陛下…」
エノクは己の手を見つめながら、今起きたことがなんだったのかを理解した。
 「この呪いは魔王の嘆きです…私は、ジャックのすべての罪を受け継ぐ、新たな嘆きとなりました…」
つまりエノクの身体に移されてしまったのはゲフェニアの悪魔、魔王シフェルの呪い、そしてジャックの罪であった。
しびれるような手先の感覚は魔力の減少を示しており、風船がしぼむような感覚のそれを、どこか他人事のように感じながらエノクは瞳を閉じた。
 「この呪いは私が引き受けます、そのうえで一つお願いがあります…よろしいですか?」
 「なんでも言って、エノク!」
震える声で許可した女王に笑みを向け、エノクは吐き出すように言葉を紡ぐ。
 「ゲフェニアに鎮魂のための塔を建ててください…決して人が立ち入れぬよう、エルフの秘宝が地下深くに埋まるように…」
 「わかったわ、すぐに取り掛からせましょう!」
それはエノクから無念であったろう魔王シフェルへの手向けに似た感情による采配であった。
エルフの秘宝から溢れ出る魔力は大地に返す必要があり、濃度の高い魔力は危険ゆえ人が近付かぬようにする必要もある。
ジャックが嘆きに選ばれた間際の記憶を受け継いだエノクは、重苦しいため息を吐き出す。
 「それと…私を幽閉しないでいただきたい、このままアルベルタへと帰りたいのです…」
 「しかし、それでは…」
 「定期連絡をお約束します、あちらで監視をつけていただいても構いません」
エノクはよろめきながらも立ち上がり、女王に強いまなざしを向ける。
 「自分の死に場所は、自分で決めたいのです」
もはやそれを止めることなど、誰にもできなかった。
すべてを抱えてゆく覚悟は強く、女王はただ頷き、彼女の意志を尊重することしかできなかった。



やがてゲフェンタワーが完成し、トゥエラーシュ家が魔王の嘆きを代々引き継いでゆき、それはとうとうナルの手元へと流れついてしまった。
 「私が知れたのは魔王シフェルの思惑と、嘆きに選ばれた人たちのはじまりとおわりの間際だけ…」
それでもトゥエラーシュ家の当主たちが抱えてきた思いは本物で、魔王の嘆きからドッペルゲンガーを引きはがし地下となったゲフェニアに封じ、さらに無限の魔力が溢れるゲフェニアの蓋には魔力を大地へ還元する大空洞を作り、その力を抑え続けてきたのだとナルは語った。
 「それがどうしたのいうのだ!身勝手な人間たちの都合だろう!」
反抗的な言葉で威嚇するドッペルゲンガーを悲しそうに見つめ、ナルは首を横に振る。
 「あなたは魔王の残された唯一の宝物を守るために、ゲフェニアに降ろされたはずだったのに…」
 「…!」
ナルに言葉にとうとう剣を下ろし、ドッペルゲンガーは今となっては思い出すこともできなくなった生まれの理由を心に刻む。
 「宝を…守る…?」
 「そう、エルフの秘宝を守り続ける…それが本当のあなたの存在理由」
遠い遠い記憶の彼方、まだ外の世界に生れ落ちる前のこと。
自分が作り出されたガラスのポッドのなか、生みの親である魔王がなんども語り掛けていた言葉。

 ─ ぼくの宝物を守ってくれ、頼んだよ ─

長いことひとりぼっちにされ、擦り切れてしまった記憶はいま、色鮮やかにここに蘇った。
一瞬にして世界が彩られ、ドッペルゲンガーは目の前に佇む紺碧の聖職者をただ見つめる。
その姿を改めて目にとめると、息が詰まるような感覚がした。
紺碧の瞳は海よりも深い青い瞳で、悲しげにゲフェニアの守護者を映していた。