どう伝手を頼んだかはわからないが、ジャックは宣言したとおり月が昇るころにはすべての材料をそろえ、それをシフェルの元へと届けていた。
「これは驚いた…」
「お伝えした通り、急ぎますゆえ」
目を細めるジャックの様子に圧を感じ、シフェルは空いた腹を無視し封印の媒体となる結晶作りに取り掛かった。
宛がわれた個室には簡素な台所があり、研究室ほどではないがある程度であれば完成を期待できる代物が作れそうではある。
湯を沸かし、集められた材料を確認しながらシフェルは呟いた。
「媒体を作り、それに封印するには魔力の高い人間が必要だが…」
「それならば自分めがやりましょう、よろしいですか?」
期待を裏切らないジャックの返答にシフェルは表情を変えず、ただ不審そうに彼を見つめる。
「…君が?」
「ええ、己ならば信頼できますから」
シフェルは視線を手元に移し、悩む素振りを見せつつ小さく「ふむ」と声を漏らす。
「じゃあ、君にお願いすることにしよう」
「はい、お任せを」
自信あり気な笑みを浮かべたジャックに対し、シフェルも笑みを浮かべる。
(掛かったな…)
魔王の思惑は嗅ぎつけられることなく、シフェルの手によりそれは完成へと至った。
衛星都市に朝日が差し込むまで数刻となったころ、グラスの中に抽出された魔を含んだ結晶は水晶のごとき姿で誕生した。
それは光を秘めてちらちらと輝きを放ち、水色の溢れる光は鼓動を感じるような温かさがあった。
シフェルはその一握り分の形を整え、特に純度の高いものを削り出してゆく。
「まるで…光の魔法を閉じ込めたような美しさですね…」
あまりの美しさにジャックは感嘆のため息をもらす。
人を惹きつけるのは当然であり、それはもはや誘蛾灯のようなものだった。
虚ろな瞳は魅入られた証。
「さあ、準備は整った」
シフェルは特別なミニグラスを掛けなおし、出来上がった媒体となる結晶体をジャックへと手渡す。
ジャックの手の中に納まった結晶体は、ちょうど差し込んできた朝日をうけ、部屋全体に無数の七色をした反射光を描き出す。
まるで虹の中の世界にいるような幻想的な光景は、さらにジャックの心を掴む。
「…行きましょう、ゲフェニアへ」
うっとりした瞳のジャックはまるで何かに誘われるようにシフェルを連れ、目的であるドッペルゲンガーが住まうゲフェニアへと足を向けた。
ゲフェニアへの直通の移動ポータルを見つけることができず、二人は仕方なくゲフェニアに程近い場所までカプラ職員による転送サービスを受け、そこからは徒歩へ向かうことにした。
転送先に降り立ったシフェルはゲフェニアがある方角を見て、その顔を強張らせる。
魔法の力に溢れ、首都とはちがう光をまとっていた魔法都市は暗い影を落とし、暗雲が立ち込めていた。
土地柄、どうしても魔力の吹き溜まりとなりやすいゲフェニアは、とうとうその流れを滞らせ、まるで沼の底にでも成り果てたように見えた。
人の気配がしなくなった薄暗い街は、噂に聞く死者の都の如き静けさを漂わせ、ただそこに在った。
「これは…なんと…」
シフェルは息を詰まらせ、その瞳を揺らす。
「あなたの作った悪魔がそうしたのですよ、魔王」
ジャックの声は、もう魔王の耳には届いていなかった。
「素晴らしい!なんて素晴らしいんだ!」
「…なんと…」
願いがかなった魔王の表情は恍惚とし、蕩けるような甘さを浮かべていた。
その異常な様子にさすがのジャックも言葉を失い、かつて共に学んだ旧友を見守る。
「これを待っていたんだ!」
あれほど己の欲ばかり優先していた人間たちは血と炎の香りを残し、その姿を消してしまった。
ゲフェニアの中央にはエルフたちが作った大地から吸い上げた魔力を分け与える結晶体だけが静かに輝き続けている。
その魔力はすべての生き物たちに等しく分け与えるためのものだった。
それを好き勝手に使い始め、いつしか我が物であると声を上げ、作り手より奪い取った人間の姿は、もっとも醜いものとして目に写っていたことをシフェルは思い出す。
「この光景のために生体工学を使ったのは、間違いじゃなかった!」
奪われた側、そこには忘れもしない、魔王が唯一心を寄せた紺碧色の髪と瞳をもったエルフの女性がおり、もはやゲフェニアの秘宝は彼女が残した遺物とも言えた。
「アリス!君の聖遺物は永遠に!」
「あ、待ちなさい!」
ゲフェニアのさらなる状況を目に焼き付けるべく、シフェルは我慢できずに走り出してしまった。
静止させようとしたものの、魔王の異常な様子に肩を落とし、さすがに一人にする訳にはいかずジャックも後を追うように走り出した。
街の中央に近づけば近づくほど、死臭と生き物が焼けただれる匂いがしてくる。
今も所々では火が燻っており、赤い火がちらちらと顔を出し、あちらこちらより煙が上がっている。
崩れた建物や壁だったであろう石が大きく崩れた跡に、生き物の気配はどこにもなかった。
(これは想定よりずっとはやく成長したな…!)
確実な手ごたえを感じつつ、瓦礫の山を合間を縫うように抜け出たその先、エルフの秘宝と呼ばれる魔力増幅のための結晶体がようやく姿を現した。
細く頼りなさげな木に守られる大きな水晶は、周囲に光の粒子を絶え間なく振りまき続けており、それはまるで光る雪のようにも見える。
崩壊した街並みにはそぐわない幻想的な光景は夢のように儚げで、水晶の無事を確認したシフェルは安堵した。
「魔王!待ちなさい!」
ようやく追いついたジャックはエルフの秘宝の前に立ち尽くすシフェルの後ろ姿を捉え、彼の背中越しに見える光景に目を見開く。
「…こんなに魔力を吸い上げているだなんて!」
冷静さを取り戻した頭は周囲の空気が甘く重いことを気付かせ、ジャックは慌てて袖で口元を覆う。
過度な魔力は人間の体では毒になりうる。
シフェルが心を寄せていたエルフ、彼女の名はアリスといった。
彼女が仲間たちと作り上げた水晶体は開きっぱなしとなった蛇口のごとく、ゲフェニアの土地の魔力を吸い上げ放出し続けている。
その魔力を使う人間たちがドッペルゲンガーの手によりいなくなってしまった為、可視化した魔力は光の粒となり、とめどなく辺りに降り注いでいるのだ。
甘い毒はジャックの手に魔導書を握らせるのに十分な理由があった。
「魔王、下がりなさい!まずはこの制御できぬ狂った秘宝を壊さねばなりません!」
ジャックはありったけの魔力を周囲からかき集め、秘宝を守る木ごと燃やしつくさんとファイアーボルトを唱えた。
「ジャック!やめろ!!」
魔導書から強力な炎の槍が無数に飛び出し、秘宝めがけて降り注いだ、かのように見えた。
(スペルブレイカー?!)
それらはすべて消失し、秘宝の向こう側、シフェル達とは真逆の方向より一人の男が姿を現した。
男が使った魔法が相手の詠唱を強制遮断し、不発へと追い込むスペルブレイカーに違いないと判断したジャックは、相手の身なりをよく確認する。
それは自分と同じセージの男で、長い茶色の髪を後ろで高く結い上げ、紫電の瞳で二人を見下ろしていた。
「あなたが悪魔ですね…こんな魔力濃度が尋常じゃない場所で、無事な人間などいる訳がありません!」
「待て!いきり立つな、ジャック!」
シフェルの声に体を震わせたのはジャックだけではなく、相手の男も同じであった。
「…シフェル?」
首をかしげながらシフェルを視線から捉えて離さない男は、間違いなく姿を盗んだドッペルゲンガーであり、自分を認識していることを確認したシフェルは落ち着いた動作で頷いて答える。
「ああ、そうだよ、ドッペルゲンガー」
シフェルの言葉に呼応するように、セージの姿を間借りしていたドッペルゲンガーはシフェルとそっくりの姿へ霧を散らすように変化してみせる。
「ずっと待っていたよ、もう人間は食い飽きてしまってな…」
言葉は不穏であるが会話は成立する様子に、シフェルはジャックへと封印の準備をするよう目配せする。
もちろんそれを待っていたジャックは、ドッペルゲンガーに気取られることなく術式を紐解いてゆく。
複雑な魔法であるゆえ、どうしても時間が必要なその発動に、シフェルはしばらくぶりの悪魔との対話を愉しむことにした。
「ぼくの想定よりずっと成長してるから驚いたよ」
「ふふ、優秀ですまない」
「それより人間を食い飽きた、というのは…?」
「腹は膨れぬかわりに頭ばかり重くなってたまらん」
「…満たされないのか?」
「シフェルが満たされないように作ったというのに、まったく面白いことを言う」
「必要な分だけ吸い取れるようにしたはずだよ、ドッペルゲンガー…?」
「それはちがう、全部が必要であり、すべて得る必要がある」
ドッペルゲンガーの紫電の瞳が揺らめき、明らかな狂気を覗かせる。
(なるほど、確かに狂っている…)
人間を得すぎてしまった彼は、ただの集合体になってしまっていたのだ。
「君がしなくちゃいけないこと、思い出せるかい?」
「我の使命は人間を屠ること、それだけだ」
ジャックがゲフェニアから出せないようにしたいといっていた理由も、もう言葉にする必要のないほどの殺意。
この悪魔をゲフェニアの外に出してはならない、シフェルもそう思った。
「違うよ、ドッペルゲンガー」
「…なに?」
怪訝そうに眉を顰める自分の姿見をした悪魔に、魔王は言い放つ。
「大切なものを守ることだよ」
シフェルの言葉と同時、ジャックは封印の術式を惜しげもなく広げ、放たれた魔法は濃霧となってドッペルゲンガーを包み込んだ。
「おのれ!人間め、なにをした!!」
恨みのこもった声は地から這い出す恐怖のような声色でジャックへと向けられる。
身震いをしたジャックは顔を引きつらせながら、ゲフェニアの悪魔を封じる手応えを確信していた。
「さあ口を閉ざす時がきましたよ、ゲフェニアの悪魔!」
向けられたのはシフェルが昨夜作った結晶体で、悪魔を飲み込んだ霧はそれに吸い込まれるように姿を消した。
「ふふ!やりましたよ、魔王!」
手を叩きながら喜ぶジャックの姿は子供のようであったが、彼が懐より取り出した一振りのナイフは真の目的を孕んで、鈍く光を反射していた。
廃墟となったゲフェニアに残されたのは、シフェルとジャックのみ。
「…どういうことだ、ジャック」
ナイフを向けられたシフェルは一歩、後ずさる。
「まさか…悪魔を封じて終わりだと?」
シフェルが丸腰であることを知っているジャックは、恐れるものが何もないように迫る。
「生体工学は我々が引き継ぎます、あなたは用済みです」
「まだ人間を強化するなど、くだらない思想に捕らわれているのか…!」
後退を続けていたシフェルの背に、とうとうエルフの秘宝が道を塞ぐようにたちはだかる。
その感触を手でも確認したシフェルは、諦めることのない瞳でジャックを睨み付けた。
「この技術は様々な分野での活躍が見込まれていますからね、もちろん国家級の財産にもなり得ます」
「なるほど…枝分かれしないよう、ドッペルゲンガーを封じたのか…」
「ええ、そして今からあなたも永遠に失われます」
まるで死の際を選ばせんとするジャックの顔つきにシフェルは覚悟を決める。
(チャンスは一度きり…!)
後ろ手にエルフの秘宝の感触を確かめ、迫るジャックからのナイフを受け入れるかのようにシフェルは自らを差し出した。
鮮血が舞い、それはゲフェニアの守り神でもあった秘宝へと飛び散る。
人の血で穢された秘宝は嘆くように強い光を放ち、ジャックの手に握られた封印の結晶体もそれに呼応するかのように輝き応えた。
「なに!?なんだ!?」
瞬く間にドッペルゲンガーを封じた結晶体はジャックの身体に吸い込まれ、とうとう影も形もなくなってしまった。
「魔王!なにをしたのです!?」
致命傷を負ったシフェルは地面に伏し、息も絶え絶えに声を発する。
「媒体が…必要だと、いったはずだ…」
やがて不快感を示し始めたジャックの身体は目眩を引き起こし、回る視界に足元はおぼつかず、立っているのがやっとだった。
「死にゆくぼくと、穢された秘宝…そのふたつの呪いだよ…」
「くっ、どういう事ですか、魔王…っ!?」
揺らめく視界。
己の中に自分とは違う意識の存在を確かに感じ、遠のく耳は死の際のシフェルの言葉を鮮明にした。
「…お前は存在こそが呪い、魔王の嘆きになるんだ…」
幻聴のように微睡んだ声の先、感覚の鈍くなった身体が悲鳴を上げる前にと、ジャックは手持ちから蝶の羽を取り出しひきちぎる。
すっかり魂を手放した様子のシフェルには目もくれず、ジャックはゲフェニアより姿を消した。
(呪いだと!私が嘆きになるだと!?)
転送先にそびえるはプロンテラ城の城壁であり、この事態を一刻も早く知らせねばならないジャックは、蜃気楼のように揺らぐ視界と共に城門をくぐった。
人の気配をすっかり無くしたゲフェニアは、壊れた秘宝が魔王の亡骸を見守るように、静かに光を放ち続けていた。