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第7話 過ぎた好奇心

ファルの妹のネスは、座学の得意な賢い少女であった。
兄の負担にならぬよう独り立ちをしたいと学び始めた当初はアルケミストを志望していたのだが、適性検査でなかなかの魔力を保有していることが分かり、そこからマジシャンの勉強をはじめた途端、才能を見せ始めたのだった。
四元素と呼ばれる火、水、土、風、そのすべての属性への理解と扱う能力は優秀であり、とにかく座学での成績がよく、指導する教員魔術師からも「セージに向いている」と幾度もアドバイスを受けていたほど、彼女の才能は目を見張るものがあった。
今日もファルに見送られゲフェンのマジシャン学校へ向かったネス。
彼女は自習室へと向かう途中、シュバルツバルド共和国より派遣されているという指導員から声を掛けられた。
 「ネスおはようございます、ちょっとお話があるのだけど…いいかしら?」
 「はい、なんでしょうか?」
肩に届かぬ程度に切りそろえられた母譲りの向日葵色の髪を揺らし、ネスはそのまま廊下で指導員の話に耳を傾ける。
 「実は今日、セージキャッスルにお邪魔する予定があってね、…大きな声では言えないけど…」
指導員は周囲を警戒し、辺りに他の生徒がいないのを確認するとネスの耳元に口を寄せた。
 「…実はあなたもお呼ばれしてるの、良かったら一緒にどう?」
 「是非!ご同伴してよいのであれば!」
ネスに拒否する理由などなかった。
マジシャンの座学も覚えられる範囲はとっくに越えており、今ではセージが扱う魔術について調べるほど時間を持て余しているのだ。
ネスの反応をあらかじめ分かっていたように、指導員は嬉しそうに微笑み頷く。
 「じゃあ今日の授業はキャンセルしておくわね、準備が出来たら自習室に声を掛けに行くわ」
指導員と別れたネスは喜び勇んで自習室へと飛び込み、鞄の中からシュバルツバルド共和国について書かれている書物を取り出した。
そこに書かれているセージキャッスルの項目は魅力的で、なんど読み返しても期待に胸が膨らむ。
 (念願のセージキャッスルを訪れることができるだなんて…!)
ネスの心は舞う蝶のように浮かれていた。
セージキャッスルがあるのはシュバルツバルド共和国の首都ジュノーである。
シュバルツバルド共和国はルーンミッドガッツ王国と非常に良好な関係を築いており、また親密な同盟を結んでいるため飛行船による行き来も可能だ。
その首都であるジュノーは賢者の都市とも呼ばれ、ジュノーは三つの浮遊する島からなる不思議な都市でもあった。
共和国を治める中央機関の議事堂、そしてセージキャッスルのある島「ソロモン」。
モンスター博物館や共和国図書館、そしてシュバイチェル魔法アカデミー、公国すべての知識を集約した島「ハデス」。
住宅街を主とした島「ミネタ」。
この三つを以て、ジュノーは共和国の首都として機能している。
 (出来れば図書館にも行きたいし、魔法アカデミーの見学もしたい…!)
ページを夢中でめくっているとあっという間に時間は過ぎ、指導員がネスを呼びに来るまでにかかった時間は、ネスにとって一瞬の出来事であった。



マジシャン学校の指導員と共に訪れたセージキャッスル。
どうやら学校同士の定期的な学習交流があるらしく用事とはまさにそれの事であり、同伴したネスは指導員の用事が終わるまでと案内されるままセージキャッスルの内部を見て回っていた。
キャッスルと呼ばれるだけある外観はもちろん、その内部も城のような建築で、さらに驚いたのはその広さだ。
至る所では勤勉な様子のセージたちが座学はもちろん、新たな元素理論をもとに属性石とよばれる魔力の備わった天然石の研究をしていたり、そのすべてがネスの理想的な環境で眩暈がしそうだった。
 「こちらの奥には共和国にあるすべての書物が寄贈され、保管されています」
次に通されたのは下から上まで本で埋め尽くされた部屋で、その圧倒的な量にネスは言葉を失った。
 「古代言語のまま翻訳されていないものもありますが、ご興味はおありですか?」
 「あります!専攻したい分野です!」
ネスの食いつく様子に案内係のセージの女性は微笑むと、壁のような本棚から一冊の本を取り出した。
そして呪文を唱えた次の瞬間、本はひとりで浮き上がるとページを開き、空中に古代言語で書かれた文字列を浮かび上がらせた。
 「古代言語を取得したセージともなれば、このように…ほら…」
指さされるまま浮かび上がった文字列を見ると、それはネスが日常で使っている現代語へと変換され読み進めることができ、圧倒的な知識量を誇るセージの魅力をまた知ってしまった。
 「すごい…!すごいですね!」
 「セージとは探求心溢れる職、思い立った時が学ぶ時ですからね」
ネスの興奮する姿に気を良くしたのだろう、セージの女性は腰に下げていた鞄からなにかを取り出す。
それは古い魔導書と、慧眼と呼ばれる一部モンスターの目を加工したものであった。
 「ネスさんがご希望なさるのであれば、魔法アカデミーの学長にお会いしてみませんか?」
彼女の言葉にセージキャッスルに到着したとき、彼女よりあった自己紹介を思い出す。
彼女こそ魔法アカデミー学長ケイロン=グリックの愛弟子であり、今日のセージキャッスルの訪問にてネスを呼んでみてはと提案したその人であった。
 「ネスさんの話は学校関係者を通じて来ておりますから、もし…お気持ちがあるなら…」
そう言うと、魔導書と慧眼をネスの手に渡し、セージの女性は真剣な眼差しでネスを見つめた。
 「このままセージへ転職してはみませんか?」
 「…というわけで、私はセージに転職したのです!」
ネスの話を聞きながら食べる夕飯はすっかり冷めてしまって、ファルは目を細めると大きなため息を吐き出した。
あまり喜んでいない様子の兄の姿に不思議そうに首をかしげ、ネスは暖かい紅茶を口にする。
 「…兄さま、大丈夫?」
 「ああ、うん…破天荒だなって思ってただけだよ…」
こちらの都合などお構いなしにどんどん我が道を征く妹の逞しさに、独り立ちの日も近いのだろうと考えると心に去来するのは寂しさで、ファルは自分の役目が失われてゆくことをはじめて怖いと思った。
 「それでね、明日マジシャン学校の荷物をまとめて、セージキャッスルへ送るんだけど一人暮らししてもいい?」
 「展開すごい早くて、お兄ちゃんとても混乱してるんだけど?」
朝はまだ可愛らしいマジシャンのお嬢さんであったのに、もうすっかりセージの姿が板についている妹はさらなる学業の精進を目指し一人暮らしの提案をしてくるのだから、全くもって侮れない。
 「飛び級だから色んな手続きしなくちゃいけなくて…、研究の手伝いもあるみたい」
冷めてしまったスープにパンを浸して食べ、ファルはネスが持ち帰った入学手続きの書類に目を通してゆく。
学費などについて心配する必要はないが、果たしてネスが一人で生活できるのか、それが不安であった。
シュバルツバルド共和国の首都にアサシンギルドの息が掛かった物件など聞いたことがないし、とても一緒に引っ越して暮らせるような条件ではない内容も眉をしかめるのに十分な理由だった。
 (確かにこのスケジュールだとジュノー暮らしするしかないけど、とんでもないな…これ…)
セージを街中であまり見掛けない理由に、履修していくには難解すぎる理論の確立と扱う魔法の複雑さのせいであるとばかり思っていた。
しかし、実際は研究に研究を重ねているその生活スタイルであり、学ぶことで魔法を紐解いてゆく職業ゆえ、その活動のほぼ全てをジュノーにて行っていることをファルは初めて知った。
 (まあほとんどジュノーから出ないみたいだし、安全っていえば安全だな…)
治安の良さは共和国の首都というだけあり折り紙付きで、むしろ反対する理由はない。
 「うーん、もう仕方ないなぁ…お金はあとでぼくが払いにいくよ」
 「さすが兄さま!頼りにしてます!」
現金主義を責めるつもりはないが、なんだかんだと理由をつけて兄を頼る妹はやはり可愛い。
ふにゃふにゃと嬉しそうな表情を浮かべる姿は、つい甘やかしてしまう理由になるほど愛しくもある。
 「それで引っ越しはいつにするんだい?」
 「明日そのまま行きっぱなしにしたいから、荷物はあとから少しずつ送ってほしいな」
もう立ち止まる気のない妹に掛ける言葉は見当たらず、ファルは頷くと妹との最後の夕食を噛みしめながら飲み下したのだった。



ネスの急な転職、そして引っ越しの日から三か月ほどが経とうとしていた。
すっかりジュノーでの生活に溶け込んだネスは現地でできた友達に感化される形で髪色をブラウンに染め、髪型もお揃いの巻き毛にした。
すこしばかり口うるさい兄から解放された一人暮らしは楽しいもので、いつも兄の心配にならぬようにと自分を無意識に縛っていたことに気付くきっかけともなった。
ネスはシュバイチェル魔法アカデミーに籍を置きながらその勤勉で熱心な姿を評価され、イグドラシル研究所で新たな生命体への研究にいそしんでいた。
研究所では世界の大本となるイグドラシルに関する研究は基より、さらにその効力を応用した新たな薬学の試みも日夜問わず行われ、またイグドラシル研究所はジュノーより西の果てにある企業都市リヒタルゼンのレッケンベル社からも事業として支援を受けており、特にアルケミストが扱う薬品部門に関しての非常につよい後ろ盾を得ていた。
すべてが順風満帆。
なにものにも阻害されず、満たされた日常。
そんなネスの運命を狂わせる日が訪れたのは、雨の降る寒い日だった。
ある夜、一人暮らしをしてる部屋に帰宅したネスは、研究所に立ち寄った際にアカデミーのレポートを忘れて置いてきたことに気付いた。
 「明日が提出なのに…もう研究所の出入り口閉まっちゃってるよ、どうしよう…」
散々悩んだが職員専用の夜間出入口であれば中へ入れてもらえるかもしれないと考えたネスは、しとしと降り始めた雨の中、ふたたびイグドラシル研究所へ向かった。
ジュノーは北に位置する都市であり、また浮遊島でもあるため気温は通年低い。
雨の夜ともなればその寒さは初冬に劣らぬ体感温度であり、傘をさす手は氷のように冷えてくる。
 (さむい…)
小走りで向かったおかげで研究所へはすぐ辿り着き、ネスははじめて職員専用の夜間出入口へと足を向けた。
分かりにくい裏手の奥まった通路の先、顔を出せる程度の小窓をノックすると守衛がその顔を覗かせた。
 「…なにか御用で?」
 「準社員のネス・スカイです、忘れ物を取りにまいりました」
自分の身分を明かす一枚のカードを取り出して見せると、守衛は記載された番号や名前を記録名簿に書き控え、出入り口の扉を開けてくれた。
 「お帰りの際もこちらの出入り口からでお願いしますね」
 「はい、お手数お掛けします」
ネスは守衛を待たせてはなるまいと、急ぎ足で配属先の研究室へと向かった。
明かりの落とされた研究所はいつもの賑やかな姿とは一変し、今にもおばけの類いが顔を覗かせそうで、ネスは心臓の辺りを押さえて廊下を進む。
他の研究室からほんのり漏れる緑色の常夜灯は研究用のものだと分かっていても、やはり不気味だ。
ようやく目的の一室に辿り着き、いつもより焦った様子で解錠すると部屋の明かりをつけた。
誰もいない研究室は静まり返っており、自分の呼吸の音ですら反響するので恐怖はさらに煽られる。
自分のロッカーを開くと、ようやく目的のレポートが入った鞄が目に入り、ネスはそれを抱きしめる様に取り出すと手早く部屋の電気を消し、雨に濡れて冷たく震える手で施錠した。
 (はやく帰ろう、すっごくこわい…!)
すこしでも早く帰宅したいネスは、先ほど通った廊下とは違うルートで夜間出入口を目指すことにした。
先ほどのルートは他の研究室から漏れる常夜灯があまりに不気味で、同じ光景は二度と見たくない。
今ネスが進んでいるのは正規社員のみで構成されているチームが主に使っている部屋がある廊下であり、見慣れぬ掲示物や嗅ぎ慣れない薬品の香りがする通路は、想像を絶する恐ろしさだった。
 (うぅ…!さっきのルートのほうがマシだったよぅ…!)
耳元でドキドキと音を立てているのではないかと錯覚するほどの心臓の音に、なるべく足音を立てぬように進むネスが、ある事に気付いたのは廊下の曲がり角に差し掛かったときであった。
 (人の気配…話し声がする…?)
イグドラシルの研究は夜間も行っている部門があり、きっと夜勤の職員がいるに違いないと思ったネスは少しばかり緊張が解けたのを自分でも感じた。
ちょうど廊下の途中、扉の足元にある換気窓が開いているのだろう。
一室の扉より緑色の常夜灯が、人影をふたつ映しているのが目に映る。
 (静かに通ろう、しずかに…!)
非正規社員の自分がこんな時間に研究所内をうろついているのは、どう転んでも良い評価を受けるものではない。
なるべく足音を消し、物音を立てぬよう、そっと扉の前を通過する。
 「ホムンクルスの技術を応用すれば、なんとかなりそうだな」
聞こえたのは男性の声だった。
通り過ぎた際に聞こえたのは、信じられないほど物騒な内容。
 「応用して拒絶反応を抑え込めば、モンスターの体内器官を人体移植できそうだが…まだ机上の理論だろう?」
 「レッケンベルならやってくれるだろうさ」
震える手足は、もう寒さのせいだけではなかった。
ホムンクルスとはアルケミストが生成できる生命体の呼称であり、生物の根元を理解し、生命の倫理を学んだアルケミストのみに許された禁断の技術の総称でもある。
まだ実用段階でもないそれは生命倫理に触れる事案でもあり、ルーンミッドガッツ王国ではいまも禁止されている技術だ。
 (ホムンクルスを用いた実験なんて、そんな…)
耳に残った言葉の恐ろしさに震えながら、なんとか物音を立てずに夜間出入口まで辿り着くことができた。
守衛は記録名簿にネスのサインをもらうと扉を開けてくれ、ネスは頭を下げるとイグドラシル研究所を後にした。
研究所を出る頃には雨はさらに強まり、帰宅を果たす頃には窓越しにでもわかるほど強さを増していた。
寒さからと先ほど聞いてしまった言葉から逃げるように、ネスはシャワールームに飛び込むと熱い湯をくまなく浴びた。
 (モンスターの器官を人間へ移植するとも言ってた…)
考えるだけで足は震え、膝は笑った。
自分がしている研究は確かにアルケミストが扱う新薬の開発事業の末端であり、どう考えてもそれがホムンクルスや人体実験に繋がる糸口は見えてこない。
 (机上の理論とも言ってた…本当にそんなことしてる訳ないよ、大丈夫…)
自分で自分を落ち着かせるように、なんども「大丈夫」と繰り返し、ようやく温まった身体が冷えぬうちにとベッドに潜り込むと意識を手放した。
一方その頃、イグドラシル研究所の夜間出入口では正規社員の男性が二人、入館記録に退館するサインをすべくペンを握りしめて怪訝そうに目を細めていた。
 「…ネス・スカイ?」
男性社員の言葉に守衛はさきほど忘れ物を取りにきたネスの事を説明し、首を傾げる。
 「そちらのチームの研究員ではないのですか?」
 「知らないな、どこの部署だ…調べられるか?」
男性の言葉に守衛は頷き、すぐさま名簿から逆引きする。
ネスの所属する薬品部門は明らかにされ、想定外の来客に男性は眉をひそめた。
 「…これは、万が一があるな…」



コモドにいるファルの元へ、アサシンギルドから暗殺依頼がひさしぶりに届いたのはこの事件の一週間後のことであった。
内容は「ジュノーにいる異端のセージの暗殺」であり、ファルは胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
 (セージの女の子か…でも茶色の髪が特徴となるとネスじゃないな…)
セージ、女の子、ジュノー。
キーワードはあまり連絡を寄越さない妹を思い起こさせ、どうせ仕事で立ち寄るのだから用事を済ませた後に顔を見に行ってもいいだろうと、ファルはいつも通りに仕事の準備に取り掛かる。
ファルにとって運命の日まで、残すはあと一日のことであった。