ファルは幼少をファロス燈台島で過ごした。
砂漠の都市モロク、そして幻想の島コモドの中継地点となるファロス燈台島は商人や冒険者の行き来が盛んである。
また、そのような冒険者を商売相手とするため、いつからか集落のような小さな町が出来、ファルはその町の住人であった。
両親は家を不在にすることが多かったが、日々を暮らしていくのに不自由はなかった。
「はい、これが次に母さんが戻ってくるまでのお金よ」
母は見た目こそ派手でないものの、子供が持つには有り余るほどのお金を持って帰ってくる。
数日ほど一緒に生活をしたかと思うと、何日も家を空け、長い時にはひと月ほど姿を現さないこともあった。
「ありがとう、母さん」
「変わりはない?なにか困ったことは?」
兄妹の向日葵のような黄色い髪は母親譲りで、ファルはその事を嬉しく思っていた。
「大丈夫、ネスも熱を出さなくなってきたから、ぼく一人でも面倒見れるよ」
やっと大人とおなじ食事がとれるようになってきた幼すぎる妹の面倒は、母の代わりにファルがしていた。
世話の仕方などは近所のお節介な大人たちが教えてくれたし、妹のネスも手が掛からない大人しい性格で、それこそ困ることはない。
ネスが生まれる前に一人きりで寂しく日々を過ごしていた頃を思い出せば、妹が同じ思いをしないように面倒を見るのもファルにとって苦ではなかった。
「父さんがいれば、すこしは違ったんだろうけどね」
母の口から出た言葉に、ファルは子供ながら苦笑する。
父親は妹のネスが生まれた数週間後、なんの前触れもなく帰らぬ人となった。
ファルが十歳の頃であった。
「お前には随分と迷惑を掛けるわね、ごめんねファル…」
「気にしないで、母さんこそ仕事で無茶してない?」
ファルが気に掛ける母の仕事、それはアサシンの仕事であった。
母の仕事の腕前は一流で、特に毒の扱いに長けていた。
毒使いとはアサシンギルドも重宝する人材ゆえ殺しの仕事を回されることが多く、帰ってくる母の荒む目付きはファルを居た堪れない気持ちにさせる。
また、すでに亡くなった父もアサシンであり、父はその手先の器用さから盗みを専門として活躍していたのだと母から聞いた。
「母さんは平気よ、慣れているから」
灰色掛かった空色の瞳を細め、ファルの母はアサシン装束に身を包むとファルとネスを優しく抱きしめた。
「次の仕事は長くなりそうでね…しばらく帰れなさそうだけど、我慢してね」
「うん、ちゃんとうまくやるよ」
夜の帳と共に家を出た母を見送り、ファルは妹を寝かしつけるため、共にベッドに潜り込んだ。
ファルにとってこれが母と過ごした最後の記憶。
この仕事でファルの母は幼い子供たちを残して姿を消してしまった。
季節は秋から冬へと移ろう時期であった。
ファロス燈台島に乾いた風が吹き荒れ、冒険者も商人も人が寄り付かない日、幼い二人はアサシンギルドに攫われる形で身を寄せる事になった。
砂漠の都市モロクから南東にすすみ、砂嵐の向こう側に隠された要塞。
ただの冒険者では越えられぬ壁の先。
そここそ、世のアサシンたちを束ねるアサシンギルドの所在地であった。
連れられてきた二人を迎えたのはギルドを治めるアサシンマスターであり、老齢の彼は煙草を燻らせながらファルを試すようにその顔付きを眺めていた。
「あの…ぼくたちに何か御用なのですか?」
声こそ子供らしいそれであるが言葉使いは行き届いたものを感じ、またその空色の瞳は彼の母親を感じさせる魅力があった。
「母親が残した金を渡そうと思ってな」
そして隣に控える背の高いアサシンの男に「おい」と声を掛け、母が自分たちのために残してくれた多額の報酬金を荷台に乗せて持ってこさせた。
それは万が一に備えた母が、有事の際に子供たちが苦労することが無いように蓄えていたもの。
これが渡されると言うこと。
それはつまり、母が亡くなったという知らせ。
ファルは帰らなくなった母の死をようやく実感し、目の前が真っ白に霞んでゆくのをぼんやりと眺めた。
積み上げられた金の山は母の死を告げる悪夢であり、ファルは浅く呼吸を繰り返して返答した。
「こんなに…、ぼくではまだ管理できないかもしれません…」
弱腰になったファルにアサシンマスターは煙草の火を消すと、一枚の紙きれを寄越す。
それはアサシン転職の申請書であり、まだノービスにもなっていないファルは顔をしかめた。
「これは、一体なんですか?」
「お前さんがアサシンになるというなら今からアサシンギルドの倉庫が使える、どうする?」
それは常軌を逸した提案であった。
なにもかもすっ飛ばしてアサシンになり、一人では運ぶこともできない山のような金をギルド倉庫にて管理してやると、そう告げたのだ。
「ぼくはまだ、ノービスにもなっていませんよ?」
「そんなものは後からいくらでも付いてくる、そんな心配より今この金をどうする?」
大人の汚いやり方に口を噤んでいると、腕に抱いているネスが目を覚ましそうにふにゃふにゃ言い出した。
冷静に考えると金を運びだせたとしてもファルが大人になるまで安全に管理する方法などさっぱり分からないし、なにより自分たち兄妹には守ってくれる身寄りがない。
数すくない選択肢のなか、妹のネスを守りながら生き延びるため、今の自分にできる最善を選ばなくてはならなかった。
「いきなりアサシンとなると、その稽古や安全に住める場所…決め事などどうなるのですか?」
(賢い子供だ…ただでは転ばない辺りが、流石あいつの息子というだけはある…)
交渉カードをちらつかせるファルに満足気に微笑むと、アサシンマスターは質問の答えを一つずつ説明し始める。
ファルの母亡きあと、世襲という形でファルをその後釜に使いたいのだとマスターは告げた。
毒を扱うアサシンは身体の毒適性が必須条件。
種類によっては自身に毒を少量ずつ摂取し、自身の身体を用いて精製するものもある。
その道を極めるには未成熟な身体ほど良く、成人までに取り込める毒の種類も増えるため、ファルの年齢を考慮すれば準備期間に入るには程よい頃合いなのだという。
「お前の母親も相当な身体に仕上げていたが、今からとなれば母を越えるのも遠くはないぞ」
アサシンマスターの話に、母がファルとは異なる食材を口にし、決して同じものを口にすることはなかったのを思い出す。
(なるほど、素材を触らせてもくれなかったのは、そのせいだったんだ…)
母を亡くした子どもの心境など察する様子のないアサシンマスターは、ファルには毒の耐性強化および暗殺特化の訓練を特急で行い、半年足らずで仕事をさせるつもりであることも明かした。
また居住に関しては幻想の島コモドに宛てがあるらしく、そこの物件を自由に使えるように約束もしてくれ、妹のネスの世話も預かる人員を割いてくれるという。
ようやく大人に甘えられる環境を得たことに、ファルは甘い罠だと知りながらも心強いと思ってしまった。
「金は当分こちらで必要な分を日ごとに渡す、心配するな」
もはや逃げ道を絶たれた形でアサシンの道を歩き出したファルはまだ幼い妹のネスを抱え、幻想の島よりすべてを始めるのだった。
アサシンになる為の半年は地獄だった。
身体能力の強化のほか、様々な拷問に耐える訓練は命の危機をなんども乗り越えさせ、それは精神面の強化にもなった。
数多の毒の配合を覚えるのはもともと賢いファルにとってさほど苦ではなかったが、己の身体に毒を馴染ませるのは何よりもつらく、この世のあらゆる毒の元となる九種類の毒草を強制給餌で飲まされた時は、これでもまだ死ねないのかと自分を怨むほどに苦しみ、五日ほど生死のふちを彷徨った。
顔付も心も荒み切った頃合いを見計らったように、アサシンギルドと契約を交わしているコモドの闇医者はファルの血液検査でようやく太鼓判を押すまでに至る。
「もう大抵の毒はキミには効かないだろうね、耐性面は完成といってもいい」
闇医者が完成と告げたファルの身体はすっかり内側より作り替えられ、仕事をするだけのものと成り果てていた。
巷で流行り始めた新毒とよばれる類いのものは、前日に材料となる特定の毒草を食せば翌日には自分の血がそれと同列の毒性を生み出せる身体となっていたし、くまなく毒に侵されたファルの身体では将来子どもを残せる可能性はゼロだと闇医者は宣告した。
(子どもを残すなんて、そんなつもりないけど…)
アサシン装束に身を包んだファルは玄関の扉がノックされたのを確認し、その扉をゆっくり開けばそこにはアサシンギルドより派遣されてきた今夜のネスの世話を担う老齢の女性が頭を下げていた。
「お待たせしました」
「いえ、どうか妹を頼みます」
言葉少なめにファルと老婆は入れ違いになるように互いの任務に就く。
ファルにとっての初陣は、港町アルベルタでの暗殺。
コモドより直通の船でアルベルタへ潜入したファルは、指示されたターゲットの男を確認すると彼が一人になる機会を伺った。
時刻は月が昇り始めるまで、わずかばかり。
波音響く、美しい夕暮れ時。
相手は金回りが悪くなり、違法な相手から金を借りた男。
もちろん返す当てのない男はひたすら逃げ回り、数年経過するまで各地を転々としていたが、とうとうその痕跡をアルベルタでみつけたと金貸しから垂れ込みがあったのだ。
返済する気のない男は名を変え、顔を変え、人を騙して小銭を得るチンピラに成り下がっており、入ってはならない縄張りへと入り、あろうことか場を荒らしてしまい、とうとう男の首には闇社会からの懸賞金がかけられ、それこそが金を返すことが出来る唯一の方法にされ、アサシンギルドに暗殺依頼をされた理由だった。
(バカな男だな、真っ当に生きたらいいのに…)
酒に酔ってふらふらと歩く男は、近道をしようと人通りのない狭い路地へ向かう様子に、忍ばせたカタールに自分の身体から作り出した毒を仕込んだファルがやることはたった一つ。
後ろから音なく近付き、男の顔を扇ぐように腕を動かし、首筋に髪の毛ほどの切り傷を負わせば、男が最後に見た光景は子供っぽさを残すアサシンの後ろ姿。
強い毒は男の神経全てから感覚を奪い、その場に倒れると激しく痙攣したのち数分も掛からず息を引き取った。
(…人間って、簡単に死ぬんだな…)
地獄の半年はファルの倫理感覚を鈍らせており、死は恐れる対象ではなく、ファルにより使われた毒は傷口を瞬時に塞ぐ効力もあり、もはや突然の不幸に見舞われたとしか思えない遺体はアサシンとして鮮やかな仕事であった。
この初陣に喜んだのはアサシンマスターで、彼はすっかりファルを気に入り、報酬に上乗せする形で金を弾んだ。
次に控えるファルの仕事も暗殺であり、またその次も暗殺の仕事が渡され続け、報告がてら立ち寄ったアサシンギルドにてアサシンマスターと顔を合わせたファルは、自分に暗殺以外の仕事はないのかと問うとあしらう様に笑われてしまった。
「お前は素質がある、確かにアサシンにも色んな仕事があるが…お前は暗殺だけ請けろ」
アサシンとは暗殺だけを行う職業ではない。
所属もアサシンギルドと深い繋がりのない冒険者のアサシンが多く、むしろそのほとんどを冒険者たちが占めているといえる。
彼らがアサシンとなる理由は、他職種では見られない特殊なスキルを扱える魅力であり、まるで服を選ぶかのようにアサシンを選択する、これが街中でもアサシンを程よく見掛ける理由である。
しかし、アサシンマスターにより適性を見抜かれ、闇の世界で暗躍できそうな者はファルのように目を掛けられ特別な仕事を行う。
また、要人を影から護衛するなど、プロンテラ騎士団が表向きでは動けない場合の要を担うこともあり、他にも依頼された人物や物などの調査を行ったり、時には盗みを行うことすらある。
プロンテラ騎士団や、大聖堂、そして王家までを影から支え続けてきたのは紛れも無く代々続くアサシンギルド。
その影としての事情があるために、アサシンは歴代のトリスタン王に正式に認められている職業なのだ。
そんな中、自分は殺しに向いていると宣言され後戻りなどできないファルは反論する気も起きず、黙って次の依頼の準備に取り掛かるのであった。
やがて月日は流れ、赤ん坊のネスが十五歳になるころにはファルもすっかりアサシンを生業としていた。
ネスといえば家を空けることが多い兄に心配かけまいと座学に精を出し、その才能をマジシャンとして開花させるとコモドの地からカプラサービスにて、魔法都市ゲフェンにあるマジシャン学校まで通っている。
妹が学業に専念できる環境作りをすると決めたファルは、一人で家事のすべてをこなす徹底ぶりで妹との生活を楽しんでいた。
今日も洞窟内にあるコモドにも朝日の登らぬ朝が訪れ、ネスは兄のファルに見送られている真っ最中。
「じゃあ、気をつけていっておいで!」
アサシンらしくない気の優しい兄にネスは「いってきます!」と告げると、今日も元気に家を出た。
カプラサービスのコモド担当嬢に代金を払い、ネスがゲフェン行きのワープポータルにて姿を消すのを見届けたファルは家の掃除に取り掛かる。
ネスが十五歳になった今年、ファルはもうすぐ二十五歳を迎えようとしていた。
最近はめっきり暗殺の仕事もなく、自分がアサシンであるのをすっかり忘れるほど、穏やかな日々が続いていた。
そもそも報酬の多い暗殺の仕事は子供二人が使い切れるような金額ではなかったし、加えて母からの蓄えなどには手を付けることなど出来るわけもなく、今では仕事の申請などせずとも生活に困らないほど蓄えこんであるため、アサシンギルドから指名されない限りは仕事をしないことでファルは安寧の日々を過ごしていた。
それゆえに思う未来は、ただひとつ。
(やっぱりその内、転職だよねぇ…)
ネスには自分の職がアサシンだと告げてあるが仕事内容までは言及しておらず、ファルの人柄も相まってネスは「なんちゃってアサシンなんでしょ?」と笑い飛ばしている始末。
自分達が誰かの死の上で生活をしているなど口が裂けても告げる事はできないし、なによりネスにだけは暗殺専門のアサシンだなんてこと、絶対に知られたくはない。
しかし転職するとなればノービスから再スタートとなるが、アサシンになるのに正規の手順を踏んでいないファルが果たしてノービスからやり直せるのかも怪しい問題で、むしろ一生アサシンのままでいる可能性も高い。
その可能性も考えつつ、ファルはネスの成長を見計らい、暗殺の仕事から外してもらうつもりでいた。
(せめてネスが転職する頃には、足を洗っていたいのだけど…)
あれやこれや考えていると、時間はあっという間に進み夕刻を迎えていた。
そろそろネスの帰宅時間であるとふわふわした頭で考えていたファルの耳に、玄関の扉が開かれる音が届く。
「おかえり、今日はちょっと遅かったね」
振り返ったその先、そこで見たのは送り出した時にはまちがいなく着ていたマジシャンの正装を捨て、セージの正装に身を包む妹の姿。
固まる兄をなんともせず、ネスは花丸満点の笑顔を浮かべて両手でブイサインを作ると声高らかに告げる。
「ただいま、兄さま!私、セージに飛び級しちゃいました!」