バスタブから溢れる泡に埋もれつつ、ナルは師からの問いをなんども思い返していた。
ファルのようなプリーストになりたい。
それはあの日のプロンテラで、立ち向かうことも、助けることもできなかった、ちっぽけで無力な自分から出た願い。
「どんなプリーストになりたいの…か…」
仮に退魔の道へと進んだとて、今日のファルのような強大な力をもつ不死属や悪魔属を浄化する自分など想像できはせず、むしろ怯えて立ち竦むほうが現実味を帯びているだろう。
ふたたび己の腰を抜かす姿を思い出せば退魔のイメージどころではなく、むしろプリーストになれるのかさえ不安を覚える。
「はぁ…」
特大のため息はバスタブにあふれる泡を揺らし、そろそろのぼせてきた頭を冷やすためシャワーの栓をひねると勢いよく降り注いだ湯は心地よく、体についた泡はなめらかに流れ落ちてゆく。
(そういえば、私、パーティって組んだこともないや…)
ファルと共に行動するのは勉強になるのはもちろん、すべての面において満たされていた。
そもそも他者とパーティを組む理由がなかったことに気が付けば、同程度に成長しているアコライト達が他職とパーティを組み、切磋琢磨に支援経験を積んでいることも、また自分はギルドと呼ばれる同じ目的を持った集団にも所属していないことにも気付いてしまった。
アコライトである自分を構成するうえで圧倒的に足りないもの、それは他者への支援経験。
(どんなプリーストになりたいか決める前に、私は私を知らなくちゃいけない!)
ギルドについては師であるファルが集団に身を置くのが苦手らしく、そもそも彼自身が所属していないため具体的なイメージこそないが、もしきっかけが訪れるのであれば自分だけでもどこかしらに所属するのは悪くないかもしれない。
それよりも優先すべき、今の自分でも挑戦できること。
それは他者への支援活動であり、同じ程度に経験を積んでいる相手とパーティを組み、改めて自分の本質は未来の自分に向き合うことができるのか確かめることであると、ナルはそう確信した。
幸いにも宿が用意する夕食までには、時間の猶予はまだたっぷりある。
(決めた!まずはプロンテラ大聖堂へ!)
ピラミッドにてすっかり傷んでしまった制服を再支給してもらうついでに、支援が必要だという冒険者へアコライトとして正式に大聖堂から派遣してもらえるよう頼んでおけば、ファルの手を煩わせる必要なく自分の力試しが出来るというもの。
直情的な行動を好むのはファルの影響なのか、ナルは決意のままシャワールームを飛び出したのであった。
「ええ?今から行くのかい?」
石鹸の香りをまとわせ身支度を整える弟子の様子に声を掛けたファルは、今から大聖堂へ向かうというナルの言葉に表情をくもらせた。
「なんだってまた湯浴みを終えた夕飯前に…?」
「今日、ピラミッドでアコライトの制服が破損してしまったので、再支給をお願いして来ようと思って…」
嘘偽りない言葉に眉をひそめるファルは、愛弟子の様子を注意深く観察する。
「もうすぐ陽が落ちるし、明日にしたらどう?それかぼくが一緒にいってあげようか?」
「ん、と…、まだ時間があるし、大聖堂なら一人で行けます!」
言い淀みつつ視線をすこし外して答えるのははじめて見る仕草で、あえて一人を強調する辺りに引っ掛かりを感じずにはいられない。
(ふぅん…ぼくが一緒にいるとよろしくない、と…)
自分の心に生まれつつある独占欲は師事する者としての責任感だと己に言い聞かせ、ファルは目を細める。
「そう…分かった、ぼくも湯浴みがまだだしね、一人で帰ってこれる?」
「はい!夕飯の時間までには!」
そう答えたナルは上機嫌で部屋の扉をくぐってしまい、部屋に残されたファルといえば無駄な動きなど一切せず、シャワールームへ当然の如く駆け込み湯を浴び始めた。
お節介な師匠は弟子がひた隠すものを確かめるため、その支度を始めたのだ。
(大聖堂前のワープポータルを使えば、湯浴みあとでちょうどいい具合だろうからね!)
一方、徒歩で大聖堂へ向かったナルはプロンテラの露店に明かりが灯る様子を眺めつつ、久しぶりの単独行動を満喫していた。
ファルによる庇護はもう保護者といっても過言ではないほど手広く自分を包み込んでくれるもので、特に女性の世話に慣れている彼の細やかな心配りは際限なく依存してしまいそうで怖くなる時があるほど。
(お師匠様ったら、すごい心配性だし…)
先ほどのやりとりもどこか父性を感じずにはいられなかったが、あれもまた彼のプリーストとしての慈愛という名の魅力のひとつなのかもしれない、そうぼんやりと思う。
ふわふわと考えのまとまらない頭で眺める露店の明かりは優しくナルを照らし、シャンパンゴールドと比喩される街明かりは安らぎをはこんでくれる暖かさで、ナルはこの落ち着く色味が好きだった。
(ちょっとだけ師匠の髪色にも似てるかも…)
つい思い浮かべるのはファルのことで、ナルは悩ましそうに唸りながら歩みを進める。
もし自分が他の冒険者とパーティを組んでみたいなどと願ったらどんな反応をするだろうかと考えてみると、真っ先に浮かんだのは「ぼくも一緒にいくよ!」と笑顔で付いて回り、自分よりも先に支援だと称して手を出す姿であり、やはり成長するには自らの足を使わねばならないと結論に達した。
あれこれ考えつつ歩いていると、そこはすっかり大聖堂前でありナルはその扉をゆっくりと開いたのであった。
(一人で来ると、ちょっとだけ緊張しちゃうな…!)
静まり返る大聖堂は夕日に照らされたステンドグラスにより、その荘厳さを更に増してナルを迎えてくれた。
まずはアコライトの制服の再支給を申請しなくてはならないため、担当であるマルシス神父の部屋を目指す。
転職の日からファルに連れられ幾度となくノックした扉、それをいつも通り何ひとつ変わらぬ手順でノックすれば聞き慣れた返事があり、マルシス神父は穏やかにナルを迎え入れた。
「おや…?ナル一人とは珍しいですね、今日はファルと一緒ではないのですか?」
「はい、今日は一人で制服の再支給願いに参りました」
ナルの言葉に驚いた様子の神父は、とてもおかしそうにクスクスと笑い声をあげた。
「それはそれは、よくファルが許したものですね?」
再支給の書類と新しい制服を準備する神父にどう答えるべきか言葉を選びつつ、ナルは照れくさそうに微笑んだ。
「明日にしなさい、それか一緒にいってあげるって言っていました」
「それはそうでしょうとも、ファルは過保護ですからね?」
期待を裏切らなかったファルの言動に二人で笑い声をあげつつ、ナルは新しい制服を受け取ることができた。
孤児院育ちのナルはいつ独り立ちしても問題ないよう一通りの作法は学んできているため、ファルが思うほど過保護に手を出さなくとも大丈夫なのだが、師から受ける親切なそれを断るのは不躾であることもよく分かっていた。
「でも私のお師匠様は、優しい人なので…!」
ナルの言葉に神父は微笑み、穏やかに頷く。
「おやなんとまあ賢い弟子でしょうか、これにはファルもきっと鼻が高いことでしょうね?」
師弟の関係を察しつつ、まだ退室する様子のないナルに神父は首を傾げた。
「…制服の再支給以外、なにかまだあるのですね?」
察しの良いマルシス神父の言葉に、ナルは素直に頷くと決意を秘めた眼差しで心からの願いを口にする。
「冒険者の支援がしたいのです、私が進むべき道のために…!」
耳を傾けてくれる神父に心のありったけを話すと彼は穏やかに微笑み、すぐさまに支援依頼の書類を一枚見せてくれた。
「奇遇ですね、ちょうど良いお相手がいますよ、明日からで急となってしまいますが…剣士の男性ですね」
それは自身のアコライトとしての成長具合にぴったりの冒険者であり、挑む場所もフェイヨンダンジョンと記されていることに、もはや運命を感じずにはいられなかった。
「神父様!ぜひお願いします!」
「わかりました、では明日の朝こちらへお立ち寄りなさい、今夜までに返事をしておきますからね」
ナルは何度も感謝の言葉を伝え、それはそれは嬉しそうに部屋を後にする。
(私だって支援経験を積めば師匠ほどじゃないけど、立派なプリーストになれるかも!)
上機嫌のナルの気配が大聖堂から離れてゆくと、マルシス神父の部屋、そのクローゼットの物陰から姿を現したのはファルであった。
「ふふ!浮かれちゃってカワイイですね、ぼくの弟子は!」
冒険者の話はファルの根回しによるもので、弟子が不遇な目に合わないよう可能な限り好条件を選んだ結果であり、すべては過保護すぎるファルが呼び寄せた幸運。
「否定はしませんが、すこしやりすぎではないですか…?」
「実は今日、すこしばかり試練を与えてしまったもので、つい心配で…」
マルシス神父の言葉にほんの少しばかり反省の色をにおわせつつ、信頼の採算を合わせようとする若い退魔師の態度にため息が漏れる。
「まさか…ついていくのですか?」
「いやいや、そこまでは流石に…先手はうちますが…」
そう答えたファルはナルよりはやく宿に戻らねばならないと告げ、颯爽とワープポータルで姿を消してしまった。
あくまで師という立場を崩すつもりはないのは確認できたが、神父は椅子に腰を下ろし怪訝そうな表情を浮かべる。
(退魔の力は間違いないのですが…あれではいつ自分の足元に気付くか、当分は分かりませんねぇ…)
かくして仕組まれた冒険者の支援という新たな試練は何も知らないナルからファルへ届けられる形となり、師弟は平和に満ち溢れた夕飯を楽しんだのであった。
明日に備え、いつもより早めにベッドに潜り込んだナルはあっという間に睡魔を受け入れ、昼間の疲れも相まってか起きる気配は微塵もなく、その様子をしっかり確認したファルは静かにワープポータルを行使し、単身、その魔法陣に身を委ねる。
暗転した景色の先は国境都市アルデバランで、満天の星空のもとにそびえる大きな時計塔ダンジョンはゆっくりと時を刻んでいた。
夜ともなれば冒険者はもちろん、街の住人も静かなもので、辺りに聞こえるのは街中に張り巡らされた水路の音だけ。
水音に紛れるように足音を忍ばせ、街の片隅にある小さな教会をファルは訪れたのであった。
(さて、と…)
扉を三回、二回、三回とそれぞれ間隔をあけてノックする。
人気のない教会の扉は固く閉ざされており、それを見届けたファルはゆっくりと教会の裏手へと回り込む。
そこは月明りの陰となる一画、闇夜の黒を閉じ込めたような暗がり。
そこよりダマスカスと呼ばれる短剣がファルめがけて振り下ろされ、月光を反射する刃は白銀に煌めいた。
しかしファルは太刀筋を避けることなく不動で、まるでそれが分かっていたようにダマスカスもファルを切り裂くことはなかった。
「ひさしぶりだね、寿」
暗がりの短剣の持ち主に向かって微笑んだファルの視線の先、闇から現れたのは銀髪のアサシンの男だった。
「ひさしぶりっつーか、半年ぶり!」
「あれ、もうそんなに経ってた?」
旧知の仲といった様子の二人は近くの木箱に腰を下ろす。
「いきなり呼び出すの、まじでやめてほしいんですけど…」
寿と呼ばれたアサシンはなにやらファルが急遽呼び出したことに不満があるようで、髪を乱暴に掻き上げながら短剣をしまう。
「もしかして任務中だった?」
「いえ、暇すぎて金欠まっしぐらってやつですよ」
「じゃあちょうど良かった」
ファルは嬉しそうにそう言うと、寿に向けたんまりと膨らんだ金貨袋を渡した。
「え、なにこれ、こわ…殺しの依頼かなにか?」
「まさか!ぼく弟子ができたんだけど、どうしても明日一日だけ守ってほしくて…護衛を頼みたいんだよ」
寿は金貨袋を受け取った体制のままファルの言葉を何度も噛みしめ、自分が置かれている状況を整理し始めた。
まずつい一時間ほど前、半年ぶりにファルから急ぎの要件があると通信魔法で呼び出され、はるばる待ち合わせ場所のアルデバランまで来た。
そこまで急ぐ彼の様子になにごとかと一抹の不安を抱き、寿なりに覚悟をして話を聞いてみれば、それは退魔師の弟子の護衛だと言うではないか。
「…それって、お前の弟子ならお前がやればよくね?」
互いを見つめ合い、二人の間に長い沈黙が流れる。
水路の音は相変わらず心地よいリズムを奏で、夜のアルデバランを染めてゆく。
「うん…そうしたいの山々なんだけど…ぼく、もうクローキング出来ないしさ」
ファルの言葉を聞いた寿は押し黙ると、静かに金貨袋を受け取った。
「…金欠だから、仕方ないな…」
彼なりに落としどころをつけてくれた事に、ファルは素直に感謝をした。
寿のこういう所は信頼をおけるものであり、彼の実直さを感じられる一面でもある。
「ありがとう、寿!恩に着るよ!」
「金欠だから!金欠だからね!?」
すこし乱暴に金貨袋をしまいながら、寿は護衛の依頼を完遂すべく話を続けた。
「それで弟子っていうのは、どんな子なんだよ?」
「ぼくみたいなプリーストになりたいんだって、毎日頑張ってるよ!ふふ!」
「そうじゃなくて特徴とか見た目とか、そっちですね」
「ああ、そっちか…」
ファルの浮かれた様子になんとなく女の気配を感じつつ、寿は刺激しすぎないように話を聞くことにした。
まず紺碧色の短く揃えられた髪と同色の瞳をもつアコライトという事を聞き出し、目的は明日行われるフェイヨンダンジョンでの力試しを姿を見られることなく、時には力添えをするための護衛という所まで分かった。
ここまで確信的な話の流れもそうないのだが、寿は念の為にファルがいう弟子とやらについて、もうすこしだけ詳しく聞いてみることにする。
「…ちなみにですけど、もしかして弟子っていうのは女の子です?」
「あれ?よくわかったね、そうだよ!」
(ひぇ!やっぱり!)
途端にだらしない顔になったファルを視界に入れたくないのか、寿は手で目を覆ってしまった。
「…念の為に聞いておきますけど、お客様に自覚症状はございますか?」
「え、なに…自覚症状ってなんの?」
「あ、うん、なんでもないっすね!こっちの手違いみたいなもんですわ!」
(あぶねー、めっちゃ地雷になってんじゃん…!)
途中まで出かけていた言葉を飲み込みなんでもないと告げるが、不服そうなファルの次の一言で寿の心臓は跳ね上がることとなる。
「それから、顔付きはネスによく似てる」
水路の音が空しく響き、寿はファルから視線を逸らして空を見上げた。
「…そうか、わかった…」
それだけ答えゆっくりと立ち上がった寿は金貨袋を改めてファルの目の前で握り直し、月光を写して輝く瞳を細めた。
「金は確かに受け取った、依頼はまちがいなく完遂する」
強い眼差しは暗殺者らしい鋭さで、彼から出た言葉は職務を全うするアサシンとしての自信に満ち溢れ、依頼はこの瞬間、失敗することなく成功する未来を約束された。
そして取り出した一枚の蝶の羽をちぎる間際、ファルの見下ろしながら寿はこれが最後だと呟きこぼす。
「…ネスのことは仕方なかったんだ、もう引き摺るなよ」
唯一の帰るべき家路のため姿を消した寿がいた場所を見つめるファルの瞳は虚空を映しており、アルデバランの夜に身を任せる退魔師は重く息を吐く。
(ぼくのすべてだよ、罪も愛しさもすべて…)
やがて訪れるその日のため、ファルも弟子が眠るプロンテラへと帰還を果たしたのであった。