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外伝 空色の瞳

すっかり退魔の仕事も馴染み、もはや弟子だけでも稼げるほどになってきた。
素直に自分の老いを感じるファルは、嫌な予感を感じつつ次の仕事の打ち合わせに大聖堂へと足を運んでいた。
 「…この堕天使、とは…?」
ターゲットの分類にけっして無視できない単語を見つけ、ファルは慎重に司教へと問う。
 「どうやら魔剣士タナトスの残影が変質したもののようだが、祝福を受けた存在であるとも聞いている」
 「祝福ですか、退魔魔法は効きませんね…」
わざとらしく言葉にしてみるが、相手はあっさり頷き返してきた。
 「そうだな、しかし君たちなら出来るだろう?」
ファルの隣ですこし居心地悪そうにしているのは、魔に傾き不老となった悪魔の花嫁でもあり、ファルの最愛の弟子で妻でもあるナルであった。
司教は忌むような視線でナルを見ており、つまりこの依頼は彼ら師弟を傷つけるのが目的ともいえる依頼だった。
タナトスの残影が出没しているという、ノーグロード火山近くの峡谷。
人里からも離れているのにも関わらず、さらには祝福を受けている退魔魔法の効かない相手。
それが退魔師であるファル宛へと討伐依頼として来ること自体、そもそも異質すぎた。
 (これは相当な圧が掛かっているな、もう仕方ない…)
もはや自分は全盛とは言えないが愛する弟子を生涯守るため、高い壁とて困難のひとつとして越えなくてはならない。
 「ええ、そうですね、承りました」
 「ああ、それではお願いしよう、すぐにでも」
含みのある言葉に舌打ちのひとつも出そうになったが、ファルは穏やかに笑顔を浮かべて契約のサインをするとナルと共に大聖堂を後にした。
 「どうして受けたんですか、お師匠様っ!」
すぐに飛び出したナルの言葉に眉を下げ、ファルは怒りを顕わにする全盛のままの弟子の頭を優しく撫でる。
 「断っちゃったら立場っていうものがないでしょう?いいんだよ、これで」
 「だからって、退魔の魔法が効かない相手だなんて!」
あまりに理不尽な条件に納得がいかないのだろう。
ナルの優しさに微笑みつつ、ファルは人差し指を自分の口に添え囁く。
 「…ぼくの本気、知ってるでしょう?」
その言葉に前職の武器をはたりと思い浮かべ、ナルは渋々といった顔つきで怒りを抑えると手に握ったアークワンドを抱きしめるようにして頷く。
 「…うう、もう…私も一緒に行きますからねっ」
ナルの言葉に心配の色香を感じ、ファルは素直に頷く。
彼女もまた、ファルが退魔師として前線から退かねばならない老いを感じているのが伝わっていた。
身体を巡る魔力は変わらぬものの、ふとした動作の遅れ。
そして、笑顔を浮かべれば目元には細かな皺が増え、大好きだった手にも張りがなくなってきているのを、ナルは日頃より感じていた。
悪魔の花嫁となり、刻を止めた自分。
それとは相反するように、時間とともに命を刻む師。
 (私が支えなくちゃいけない…!)
自分を守るため、無理難題の仕事をこなしては傷を増やす師の背中は、いつまでも大きな壁だった。


プロンテラをすぐに発った師弟は、ワープポータルと転移魔法の恩恵にてノーグロード火山の近くへと降り立っていた。
吹きすさぶ風はどこか焦げ付いた香りを乗せ師弟を髪を揺らす。
 「さてと、ぼくらの死はどこかな」
 「もう、やめてください!お師匠様ったら!」
おどけたように振る舞っているが、ファルの嫌な予感がよく当たるのはナルも知っている。
わざと不穏な言葉を使うのは、予感のある証。
 (お師匠様は私が支えるんだから!…しっかりしろ、私!)
紺碧の瞳をつよく輝かせ、ナルは辺りに神経を尖らせる。
人払いをする必要もない僻地に向かわせる依頼には、かならず自分たちを陥れる罠があるはず、そう思った。
目的の場所まであとわずか、その時であった。
 「ナル、下がって」
ファルの判断は的確で、防壁魔法など使わずとも足さばきだけで危険を回避することができた。
それは太陽に焦がされたような数枚の鋭い羽。
 「ハーピーですね!」
 「うん、正解だ!」
上空から数体のハーピーの群れが、師弟を遅めのランチにすべく滑空を開始してくる瞬間であった。
 (ハーピーなら悪魔属、お師匠様の退魔魔法で倒せる!)
ナルの判断の通りファルはマグヌスエクソシズムを瞬く間に詠唱し、その地に魔法陣を浮かばせていた。
油断していたハーピーの群れは聖なる光に焼かれ戦意を喪失したのだろう、ぎゃあぎゃあけたたましく鳴き喚めき散らすと逃げ帰っていったのだった。
 「もしかして、あれがターゲットですか?」
 「いや、遭遇は地形的な問題のせいだろうね、彼らの巣の近くだったとか?」
ファルの魔力巡りを活性化させるため、ナルはマグニフィカートを詠唱する。
天使の加護は間違いなく師弟を祝福し、二人は先へと足を進める。
 「…ナルも判断が的確になってきたね、すっかり一人前だ」
ファルの言葉に顔をあげれば、師は振り返らず先を見据えて足を進めている。
 「そうですか?自分ではあんまり…お師匠様が居てくれないと、まだ不安です…」
 「ふふ、甘えん坊でかわいいね」
互いの薬指には偽装ながらも夫婦の証。
たまに師から掛けられる甘い言葉はたまらない褒美のようで、ナルはふにゃりと顔をほころばせる。
 「…ずっと一緒だと迷惑、ですか?」
 「おや、もしかしてそう感じさせてるかい?」
 「いえ、ただお師匠様…なんだか、離れていってしまいそうでこわくて…」
 「そうか…なるほどね」
足を止めて振り返ったファルは目元に皺を浮かばせ、優しさの中に寂しさをつめこんで微笑んだ。
 「ぼくはナルを守れなくなることが、一番こわいよ」
 「そんな…」
 「いつまでも君の王子様でありたいんだけどね、この通り…すっかり歳に負け始めてしまっているからさ…」
 「お師匠様、そんなこと…」
 「君はいつまでも可憐なままなのにね…ぼくこそ飽きられてしまうんじゃないかって、いつも不安に思っているよ」
 「……」
いつになく饒舌なファルに言葉が見つからず、ナルは唇を固く結ぶ。
自分はいつかゲフェニアの悪魔だけの花嫁になってしまうのに、これほど愛してくれた家族にはなにも返せないのだと、自分の非力さが情けなかった。
 「私の…大事なものは、お師匠様だけです…」
消え入りそうな声は風にかき消され、ファルの弱り始めた視力は弟子の唇を読むことはできなかった。
 「…ごめん、ぼくらしくなかったね…先を急ごう」
向けられた師の背中はあまりに遠く大きくて、ナルは縋るようにそれを追った。
足元もおぼつかず、心は離れてしまったままの師弟。
二人の心の溝を狙わない理由など、堕天したものが持ち合わせているはずなどなかった。
風よりも早く、それはナルの頬を掠めた。
飛び散る鮮血。
 「タナトスの堕天使!」
ファルの声を向かった先、そこには背丈を超す大きなハープを操る堕天使がいた。
赤く染まった瞳は弱っている獲物を逃す気はないようで、ふたたび弦を指ではじくと音よりも早くそれはナルの元へと届く。
 「くぅ!」
次は左肩だった。
旋律は距離など感じさせぬほどの鋭利な刃となり、ナルを襲う。
ファルはすぐさまカタールを握り、堕天使へと切りかかる。
 「な!?」
確実に捉えたと思った。
しかしカタールは空を切り、堕天使はまるで躍るようにして刃の軌跡から逃れたのだ。
間合いが取れない、先手を取りにくい。
それはファルが最も苦手とする動きの相手だった。
 (なるほど、これは相性最悪だな!)
その間にもつまびく旋律は師弟を襲うのだから、たまったものではない。
防壁魔法は音波を使った攻撃に対しては意味もなく、逃げ続けて消耗する体力は一方的に不利だった。
しかし、相手の癖を見抜くのは歴戦のファルゆえだからこそ成しえる希望の道筋。
 「ナル、次で合わせて!いくよ!」
師の声に反応する弟子、飛び交う刃の応酬。
刹那の瞬間だった。
 「お師匠様っ!!」
悲痛な弟子の声とともにファルの左目には堕天使の旋律が、そして堕天使の首にはファルのカタールが刃をむいたのだった。
首を刎ねたものの、左目を失ったファルは冷静だった。
 「お師匠様!目が!」
 (ああ…欠落部位は回復魔法では戻らない、報告書はナルに作らせて、ぼくは義眼の手配を急がなくちゃ)
 「いま、いますぐにヒールを!」
 (ぼくはフェイヨンのイズミ姐さんのところに行かなきゃいけないな、すぐに義眼の宛てを探してもらおう)
 「やだ、お師匠様!しっかりして!」
 (なんだ、随分とナルが叫んでる…なんだろう、どうしたんだ…)
 「しっかり!いますぐ私がなんとかします!お師匠様!いやだ!しっかりして!!」
痛みが冷静さを欠いた自分を呼び戻すと、己は地面に倒れこみ、失くした左目は弟子の魔法により出血を抑えられていた。
失った左目は頭の奥から炎を引きずり出されるような痛みで、情けないほど身体は痛みで震えた。
 「ナ、ル…」
 「はい、ここに!ここにいます!」
ようやく出た声は痛みをさらに響かせるように身体全体へ広がり、ファルはそれを逃がすように奥歯を強く噛む。
 「イズミ…姐さんのところへ…」
 「フェイヨンですね!今すぐお連れします!!」


それからは途切れるような記憶の断片であった。
ファルの失われた左目は義眼により補填されたものの、損傷個所としては退魔師を継続不可であると判断されるのには十分の傷であり、フェイヨンで療養している間にナルの懇願むなしく、ファルは退魔師としての格を下げるしかなくなってしまった。
前線で活躍するベテランの退魔師の降格、その原因として悪魔の花嫁であるナルは一年間の活動停止を申し渡され、師弟は逃げるようにプロンテラの自宅で日々を送っていた。
 「お師匠様、入りますね」
控えめにドアをノックし、損傷した左目を保護する包帯を新しいものへと取り換えるためナルは寝室へと足を運んだ。
ベッドでは慣れぬ隻眼の生活と、大聖堂のやりとりですっかり疲労した療養中のファルが、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 「包帯、お取替えします」
 「うん、ありがとう…」
ようやく振り返ってくれた師はなんだか儚げで、ナルは寄り添うと丁寧に古い包帯を外し始める。
 「あのね、ミカがお家を通して取り合おうとしてくれたみたいで…」
 「トゥエラーシュ家からぼくの降格の取り止めをかい?」
 「うん、でも…私のせいで難しかったみたい…ごめんなさい」
外された包帯の下、左目はファルの空色の瞳とまったく一緒なものの、どこか無機質な光はそれが義眼であることを示している。
目の回りの傷もまだ痛々しく、あの時、ナルによる回復魔法が遅れていたら、もっとひどい有様となったであろうと情報屋のイズミは言っていた。
 「ナルのせいじゃないよ、気にしないで」
 「でも…」
自分を責めようとする弟子の手を取り、ファルはその甲に口づけを落とす。
そのまま新しい包帯を握るナルの手を誘導し交換してくれとばかりに促せば、弟子はおずおずと包帯を巻き始めてくれた。
 「それより、一年間もお休みさせちゃう事のほうがぼくは心配だな…」
 「私は構いません!お休みの間、お師匠様のお手伝いいっぱいしますから!」
紺碧の瞳を潤ませる姿はあまりに悲運を背負っており、ファルは心を痛めた。
 「…本当?なんでも?」
 「はい!なんでも!」
する必要のない背伸びをしようとするのは愛弟子の悪いクセで、自分の負傷に責任を感じているのが丸わかりだ。
怪我など今までなんどもしてきたが、今回のはたまたま大きいものだっただけ、ファルはそう思っていたのに。
 (仕方ないな…もう…)
ナルの手を握ったまま、ファルは右目で弟子を捉える。
 「ぼくがキスしてほしいって言ったら、ナルはしてくれるかい?」
瞬間、全身の毛が逆立ったように顔を真っ赤にし、口をきゅうと結ぶナルの姿は予想通りだった。
 「う、あ…えっと!…し、します!」
緊張のあまり裏返った声にふきだしてしまうと、からかわれた事に気付いたナルは今度は怒りで顔を赤く染めた。
 「もう!お師匠様ったら!」
 「あはは!ごめん、じゃあリンゴが食べたいから買ってきておくれよ、南十字路の果実屋さんのが食べたいんだ」
 「んもう!すぐ買ってきますから待っててくださいねっ」
慌ただしく部屋を後にしたナルが外出したのを察し、ファルは幸せそうに目を細める。
 「入れよ、かわいいだろう?ずっとぼくの傍にいてくれるんだってさ」
窓の外、すっかり察していた相手に向けた言葉は部屋への侵入許可で、招かれた相手はしぶしぶといった様子で姿を現す。
それはゲフェニアの悪魔で、彼は心底疲れたようにベッドに伏せる退魔師を見下ろした。
 「ああ、ナルから聞いている、治るまでせいぜい世話を焼かれてやってくれ」
 「もちろんそのつもりさ、それで君はどうしてわざわざここへ?」
ファルの問い掛けにシオンと名乗る悪魔は一本のナイフを差し出した。
怪訝そうにそれを見たファルは、今一度、シオンを見上げる。
 「…なんだよ、これ?」
 「お前が全盛の姿を取り戻したいというなら、契約してやらんでもない」
 「はあ?」
今にも退魔魔法を詠唱しそうな素振りは全盛の頃と変わらない様子で、シオンは盛大にため息をつくと口を開く。
 「ナルの頼みだ、共にいたいと言っていたからな、ナルがな」
強調する辺りが間違いなくナルたっての願いなのは間違いなく、ファルも疲れたように深いため息を吐き出す。
 「…ぼくはこのままでいいよ」
ファルの答えに分かっていたようにナイフをしまい、シオンは面倒そうに前髪をかきあげる。
 「そうだな、それが一番あいつに効くだろうからな」
そして代わりと言わんばかりに青いポーションをひとつ、ベッドサイドのテーブルへとのせた。
悪魔なりの見舞いなのだろうかとファルは苦笑し、瞳を閉じる。
 「やがてくるぼくの死こそ、あの子への愛だからね、誰にもあげないよ」
たった一人、生涯をかけて慈しみと愛を与え続け、やがて訪れる死別により心にふかく自分を刻むこと。
それがファルなりの悪魔の花嫁の愛し方だった。
誰にも成しえず、誰にも邪魔のされない、愛弟子のためだけの死。
 「…大事な物をもらうと言っていたのは、伊達ではないという事だな」
 「そりゃね、ぼくが持っていくつもりだからね」
隻眼となってもめげる様子のない退魔師の姿に、どこか嬉しそうに苦笑したシオンは窓の外に視線を投げる。
 「まあいい、治るまでナルを貸してやるからさっさと治せ」
そう告げるとかき消すようにして姿を消し、ファルもまた窓の外を見て苦笑する。
 「…そうだな、ありがたく受け取らせてもらうよ」

壮年期を迎えたファルさんが隻眼になる話。
失われた瞳の意味は一次創作の大元になってゆくので、機会がある方はそちらも読んでもらえたらうれしいです。
少しずつゆるやかに、ナルの心に軌跡を刻んでゆくファルさんなのでした。