ややこしい事態になったことを寿は後悔していた。
ある昼下がり、遠方での潜入依頼が飛び込みで入ったまではよかった。
その内容が相方さえ確保してしまえば安定する件であった為、ついファルを求めゲフェンのストレイキャットへと足を向けたのが間違いであった。
「いやぁ…急にそんな事言われたって、ぼくだって都合があるんだよ?」
白羽の矢をたてたファルといえば、よりによって同日に退魔の仕事が入っているらしく手が空いていないというではないか。
「そこをなんとか出来ないのかよぉ、お前の代理でお弟子ちゃんに行かせるとかさぁ…」
「ばかな事言わないでくれ、ナルが一人で悪魔祓いするなんてまだ早いよ!」
つい弟子であるナルを引き合いに出してしまったが、ファルの過保護な面が悪い形で出てしまったのを見て後悔はさらに深くなる。
「むしろぼくがナルを一人で退魔の現場に出すなんてこと、ありえると思うのかい?!」
(地雷踏んじった…もうお弟子ちゃん命モードだ、これ…)
退魔師として弟子はまだ未熟であり、命の危機に晒される危険性を説くファルの話は長くなるのは確実で。
自分が持ってきてしまった難儀な仕事と、目の前の荒ぶるファルをどうしたものかと目をきつく閉じて考えていると、思わぬ声の主がストレイキャット邸宅の二階より降りてきたのだった。
「お師匠様、もしかして呼びましたか…?」
自分の名前が出たことで呼ばれたのだと勘違いしたファルの最愛の弟子であるナルが、首をかしげながら新旧アサシンコンビの前へと姿を現したのだ。
「ああ…ごめんね、呼んだつもりはなかったんだけど…うるさかったかい?」
「いえ、てっきり呼ばれたのかなって…」
ファルが手招きするままナルは傍へと寄り、その紺碧の髪をされるがままに撫でられる。
師弟の人目をはばからぬ交流になんとも言えない己の感情を手に余しながら、寿は盛大にため息をつくと頭をかいた。
それに気付いたナルは寿の様子になにやらただ事ではない空気を察し、頭を撫でる師の手を制すと問い掛ける。
「どうしたの、寿?なにかあったの?」
「んー、めんどい仕事受けちって、ファルに手伝ってもらおうかなって思ったんだけど予定丸被りで…」
「あ、もしかしてお師匠様が昨日受けてた退魔のお仕事のせいで…?」
「はーい、そのとーりでーす」
なかば投げやりに返事をした寿にナルは納得した面持ちで頷き、寿が持ってきたという仕事の内容を聞き出す。
それはジュノーに住まうキルハイル氏の別荘にてなにやらきな臭い情報が漏れ出ているため、その真偽を確かめるための潜入調査らしい。
ちょうど問題別荘では使用人の募集が掛けられており、寿はファルと共に使用人として潜入するつもりだったのだと語った。
「執事!うん、たしかにお師匠様って執事っぽいところあるから分かる!」
「そうそう、そういう事よ、ボロが出ないの確実だからお願いしたかったんだけどなー…」
未練がましくファルに視線を向けるが、思わぬところで弟子から持たれていた印象にまんざらでもなさそうに微笑む姿に寿は疲れたように目を閉じる。
(知ってた、今はお弟子ちゃん命モードだから更にそうですよねぇ…)
すっかり諦めの境地にはいった寿の耳に、それを疑うような言葉が飛び込んできたのはすぐだった。
「ねえ、私でよければ手伝うよ?」
「「えっ!?」」
同時に声をあげたせいで図らずともハーモニーを奏でてしまい寿とファルは互いに不満そうな表情になったものの、寿にとってそれは天啓のような言葉であった。
「まじで?いいの?」
「うん、お師匠様がお仕事でいないあいだ、私も手が空いてるし…」
「めっちゃ助かるぜ!ありがてぇ!そういうことでお弟子ちゃん借りていいです?」
満面の笑みでファルのご機嫌を伺おうと視線を向けた瞬間、まるでストームガストが発動したかのような空気に寿は喉を鳴らした。
「…アサシンの仕事をさせるだなんて、そんな事ぼくが許すと思うの?」
まるで地底から響くような怒りは寿を射抜く視線にて体現され、無駄のない言葉は拒絶の色に染まっていた。
「でも私のやることって、寿がお仕事してるあいだ大人しくメイドをしてればいいんだよね?」
ナルからあがった聞き捨てならない単語にファルの動きが止まる。
(ここしかないな、突破口!)
チャンスを見逃すことなく、寿はナルへと問い掛ける。
「いやまあ、そうなるんだけど…出来る?メイドやったことある?」
「やったことはないけど…きっと大丈夫、お仕事の前にお師匠様がいろいろ教えてくれるはずだから!」
それはナルからの甘美なお願い事であり、それを断る理由などないファルは先ほどの怒りはどこへやら。
「んんん…もう仕方ないな、ナルは…お仕事の日は三日後、ぼくがそれまでに仕上げてあげよう!」
すっかりデレデレのファルはきっかり日数分の仕事を熟し、弟子をどこへ出しても恥ずかしくないメイドへと仕立て上げたのであった。
そして訪れた当日、寿があらかじめナルと待ち合わせをしていたのは国境都市アルデバラン。
その巨大な時計塔の裏手でナルを待っていた寿は、思いもよらぬ助っ人の姿に目を丸くするしかなかった。
「ちょ、なんでファルがいんの?!」
プリーストの法衣を脱ぎさり、街人たる質素なワンピース姿のナルは満面の笑みで寿に告げる。
「えへへ!そっくりでしょ?」
「いやいや、そっくりって…まさか…!」
向日葵色の柔らかな髪、空色の瞳、穏やかな口元の笑み、いつもの法衣でないものの整った身なりの姿。
そのどれもが間違いなくファルであるものの、ナルの言葉に疑いようもない化けの皮を確信する。
「まさか…シオンくんです?」
「そうだよ、随分とびっくりしてる様子だけど大丈夫かい?」
「ひえ!声もしゃべりもおんなじ!」
腰が抜けるとは、まさにこのこと。
声帯までそっくりそのままファルであり、どこからどう見てもシオンと名乗るゲフェニアの悪魔には見えなかった。
(これが…ドッペルゲンガー…)
いつかのゲフェニアでの戦いを思い出せば、トゥエラーシュ家がなぜあれほどまでに封印を努めて続けていたのかよく理解できる。
これほどまでに精巧な偽者がかく乱するとなれば自分たち程度の冒険者が決壊するのは瞬く間であっただろう。
喉を鳴らしつつ、寿は念の為にと尋ねてみる。
「…それってすべての性能がファルそのままってことでいいんですかね?」
シオンは目を細め、その空色の瞳を紫電に染めた。
「もちろんだとも、中身だけ取り換えることもできるぞ?」
普段の聞きなれた声色をわざと発し、瞳を紫電に輝かせる姿は異質な魔の象徴のようであった。
「なるほどね、それなら話が早くて助かるわな…っとそろそろ向かうか!」
どこからどうみても使用人として働きに向かう身なりの三人は、アルデバラン北西にあるキルハイル別荘へと向けて出発した。
道中、師弟がなにやら騒がしくしているのに気付いたシオンが声を掛けたところ、寿の事情を耳に挟んだのが今日のことのきっかけなのだとシオンは語った。
どうやらファルはこの事に乗り気ではなかったものの、ナルの護衛だと告げれば苦虫を噛むつぶしたような表情ながら許可してくれたとナルは笑う。
「お師匠様ったらふてくされてたけど、ちゃんと許してくれたよ!」
(いやいや、それって変な仕事もってきたオレがあとで怒られるやつじゃね…?)
ゲフェンに戻ったらなにを言われるかたまったものではない寿にとっては冷や汗ものながら、三人は時間通りにキルハイル別荘へと辿りつくことができた。
周囲に人の気のない立地は別荘の豪華な風貌に似合わず、さらに枯れた大地は寂しさを伝えてくるかのように冷ややかで。
別荘そのものが異質な存在のようで、ナルは喉を鳴らした。
「門番はいないってことなので、この使用人カードキーで入っちゃうぜ」
怖気づいた様子のナルとは反対に、落ち着いた様子の寿がカードキーを取り出して見せてくれた。
それは虹色を帯びた不思議なカードキーで、とても印象的な風貌をしていた。
ナルはカードキーを瞳に映しつつ、使用人の雇い主への単純な疑問を口にする。
「ええ?面接とかないの?」
寿は首を盛大に横に振り、全力で否定をするとほがらかに笑みを浮かべた。
「ないない、全部の審査は通してあるんで平気っす!」
「わー!寿ってば相変わらずやるね!さすが!」
「ふひひ!まあね?」
自慢げな寿がカードキーを通せば門は自動で開き、三人は邸宅敷地内へと足を踏み入れることができた。
「じゃあ先にこれ渡しておくわ、メイド服ってやつ」
別荘の使用人として相応しい色合いのゴシックなメイド服を渡され、ナルは納得したように何度も頷く。
「師匠が写真撮って持って帰ってきてねって言ってたやつだね、わかった!」
「え、いや…だめなやつじゃん、それ…」
思わず素で否定してしまったものの、首をかしげるナルには酷すぎる理由なため「それはあとでなんとかする」と誤魔化すことで寿はやり過ごしたのであった。
館の扉をくぐると大人しかったシオンがなにやら辺りを注意深く見回し、ナルの傍へと身を寄せる。
それに気付いた寿はシオンに耳打ちするように声を掛けた。
「…やっぱり異常ありますかね?」
寿の言葉に静かに頷き、ファルに扮したシオンは答える。
「そうだね、人ではない…なにかの気配は感じるかな…」
「なるほどね、十分だぜ」
なにかを確信した寿は事前に渡された書類内に記載されていた更衣室を指し示し、それぞれ使用人になりきることで仕事の開始の合図とした。
彼らの仕事とは書庫の清掃であり、その内容だけ見れば不自然かつ不相応な報酬で異質を感じるのは当然であった。
なにより、まず…。
「ねえ、雇い主のキルハイルさんには会わなくていいの…?」
ナルの疑問はもっともなるもので、寿は掃除の手を動かしながら小声で答えるしかなかった。
「病気なんだってさ、だから使用人も当日だけの雇われしかいないらしいぜ」
「それってご病気がうつるからって事?」
「いや、感染しないが見た目がどうのとか聞いたぜ…皮膚の病とかじゃね?」
「ふぅん…」
なんだか納得いかない様子のナルを横目に、まるで自宅の掃除でもするように手慣れた手つきのファルの姿をしたシオンを瞳に映した寿は、彼の仕事をはじめるための準備を始めた。
ポケットの中からカードキーと瓜二つのカードキーを取り出し、書庫の最奥に設置されていた鍵付きの戸棚を解放する。
厳重に幾重にも封じられた箱の中、冊子をひとつ取り出すと寿はそれを集中してページをめくり続けてゆく。
「それがお仕事?」
「ん、そうそう、オレの本命ね」
速読と暗記、情報をあつかう寿のもっとも強い武器であるそれらを駆使し、ものの三分で冊子のすべてを頭に叩き込むと寸分の狂いなく元通りに戻してゆく。
寿としてはこの情報を抜き出す時間の確保するため、依頼された清掃業務をファルに任せるつもりだったのだが、さすがに三人ともなれば時間に猶予も出てくるというもの。
(早めに切り上げてもいいって内容だったし、キナ臭ぇ場所に留まる理由もねぇしな)
すぐに判断をした寿はナルとシオンに告げる。
「掃除終わったら帰ろうぜ、もうこっちの用は済みましたぜ」
「うん、分かった、それじゃあ私はあっち掃除してきちゃうね」
そう告げたナルが指さした先は北の窓であった。
確かに依頼された掃除を疎かにするわけにもいかず、寿は頷くと手付かずの本棚へと目を向ける。
「じゃあ俺はこっちやるわ、終わったら教えてちょ」
はたきを起用に回して見せる寿と離れ、ナルとシオンは書庫に似合わない窓掃除をはじめることにしたのだった。
思ったよりも埃っぽい窓回りを丁寧に拭きあげていくナルは、外に人の気配を感じ広がる枯れた小さな庭園へと目を落とす。
そこには銀髪のけっして健康とは言い難い白い肌の男性がひとり、物置のような建物へと向かっていく様子が見えた。
(…あれ、あの…人…)
心がざらつく異様な感覚。
ナルがゲフェニアの悪魔の眷族になったゆえ授けられた感覚は、異質を確実に感じ取っていた。
(あ…あの人…きっと人じゃない、あれは…)
自然と喉が鳴る。
目が離せない。
男性がナルの視線に気づき、振り返る瞬間だった。
「だめだ、見ちゃいけない」
覆いかぶされた手は視界を遮断し、抱き寄せられた身体はあっという間に窓から離れていた。
「…シオン…?」
安堵の香りは師のそれとは別の安心感をもたらし、ナルはただ自然と身を任せていた。
「目が合ったかい?」
惜しむように解放された身体はまるで寝起きのように覚醒してゆく様を感じつつ、ナルは閉じていた目をゆっくり開く。
間違いなくファルの視線、言葉、声、暖かさであるのに、疑いようのない安心感はどこか懐かしいシトラスに似た香りであった。
「ううん、合ってないよ?」
「なら良かった、あれはぼくらに近い厄介な存在だからね…認識しちゃだめなやつだよ」
含まれる意味に先ほど逸らせなかった視線の意味を感じ取り、ナルはようやく恐怖を認識した。
恐ろしいモノゆえに見てしまった。
近しい存在ゆえに見たかった。
ナルの震える指先に気付いたシオンは優しくそれを握り、恐怖する身体を抱きしめる。
「たまにいるんだよ、ああいう危ないのがね…」
「シオン、気付いていたの?」
ナルの問う声は震えており、シオンは唯一無二の番を安心させようと何度も背を撫でる。
「さすがに敷地に入ってからだけどね、君のお師匠様から言われなくとも守るつもりで一緒に来たけど正解だったみたいだ」
ファルのように額に祝福の口付けを落とせば、退魔師の弟子はすっかり恐れをなくし、甘える様子で身を預ける。
互いの間にある甘い香りは絆の証。
「…ねえ、もしお師匠様だったら気付いてた?」
ナルの問いにすこし悩んだが、シオンは迷う必要などない憎い退魔師の素質に苦笑する。
「間違いなく気付いていたね、なんたってあの有名な退魔師なんだから」
「ふふ!やっぱり私のお師匠様は特別ね!」
二人で穏やかに笑いあっている様子を本棚の陰から見守る寿はひたすらに眉間に皺を寄せ、帰宅したい気持ちで目を閉じていた。
(はやく…帰りたい!)
なんだかんだと無事に依頼を遂行したものの、後日、ファルから弟子のメイド姿の写真をせびられるまであり、やはり寿の苦労は絶えないのであった。
寿絡みのナルと主様のちょっとしたやりとり。
特別な感情抱いていないものの、関わると貧乏くじ引きそうなのを察してるので関わりたくない寿とファルさんのあれこれも楽しくて、つい!
執事に関しては第三部での伏線的なつもりです。
あと、ちゃんとドッペルゲンガーしてるドッペルゲンガーも好きなのに手付かずだったので、これが初お目見えかも。