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外伝 潜むもの

 「休暇ですか?」
 「そう、久しぶりにまとまって取れたんだ」
師からの知らせはすぐに旅行の話へまとまり準備を済ませた師弟といえば、あっという間にジュノーで乗り換えた飛行定期船より田園都市を見下ろしていた。
多忙を極めるファルを気の毒に思ったマルシス神父のはからいにより、五日ほど自由な時間を得た退魔師は妻となった弟子を伴い、シュバルツバルド共和国にある田園都市フィゲルへ足を延ばしたのだ。
それは彼女を魂の主から遠ざけたいのもあったが、なにより二人で過ごす機会を逃し続けていることに対する不安と、師弟としての絆の再確認、さらにそれを繋ぎ続けるための旅行にする予定であった。
 「お師匠様、あの向こう側に見えるのがオーディン神殿ですか?」
弟子からの声掛けに飛行線から窓の外をうかがえば、離島に連なる人の気配のない神殿の姿がそこにはあった。
 「そうだね、人払いをされたまま放棄されてると聞いたけど…」
なんでも戦女神の亡霊が住み着いていると曰く付きの閉ざされた神の庭で、古い時代にはオーディン信仰の象徴とされ、進行する民も島に渡れたらしいことをファルは説明した。
古き時代の話にナルが耳を傾けていると船内には着陸のアナウンスが流れ、師弟は荷物を手にフィゲルへと降り立ったのであった。


ミッドガルド大陸でも北に位置するフィゲル。
その澄んでいる空気は新鮮なもので、街の広場では旅行客をもてなす出店に彩られていた。
陸の孤島などと称され、ジュノーからの飛行定期船が確立するまで閉鎖的な街であったと伺っていたナルにとって意外過ぎる歓迎ムードは心を弾ませ、供だって歩くファルに甘えるように身を寄せた。
 「思っていたよりずっと素敵なところですね、フィゲル!」
 「ぼくも驚いているよ、マルシス神父からは静かに過ごせるとお勧めされたんだけどね」
浮かれた様子の弟子に満足そうに頷きつつ、ファルは予約してあった宿屋へと足を向ける。
街の宿屋はけっして豪華ではないものの、人の生活を感じられる温もりある部屋造りは慰安旅行には最適で、通された部屋も飾らない魅力あるもの。
ナルのアコライト時代によく利用していたプロンテラの宿ネンカラスとは比べ物にはならないが、それでも一番良い部屋を抑える辺りがファルらしかった。
旅行を楽しめるようにと事前にマルシス神父が用意したガイドマップに目を落とせば、そこにはモンスターレースの文字。
 「お師匠様!モンスターレースがある!景品もあるみたいですよ!」
 (あー!これだよ、これ!)
念願であった二人きりの世界。
誰にも邪魔されない約束された時間。
それは思い描いていた理想の未来で、すっかり満喫する気満々の弟子の姿こそファルが求めていた姿。
 「うん!レース見に行こう!他にもここの名物があるらしいから、一緒に回ろうね!」
喜びに打ち震えるファルの姿を不思議そうに眺め、ナルは再びガイドマップへと目を滑らせてゆく。
どうやらおでんなる名物があるらしく、写真を見るかぎり煮物の類のようにみえる。
いつも過ごしているゲフェンとは異なる街の雰囲気を楽しむため、二人は手を取り合い、早速街中へと繰り出すことにした。

モンスターを使ったレースは旅行者を楽しませる微笑ましいもので、見事に一着をあてたファルによりいい土産ができ、店番に誘われるまま名物を口にすれば異国の味に舌鼓を打つことができた。
なにより、互いに予定を気にしなくてもよい環境というものは、二人のかけがえのない思い出になりそうな予感でひしめいていた。
 「ふふ!師匠とこんなに一緒にいられるなんて、久しぶりでうれしい!」
ナルよりこぼれた言葉は飾り気のない気持ちそのままで、ファルは思わず息を飲む。
随分と遠回りしたが聖職者として退魔師として、師として夫として、ようやくそれらしい時間を歩めている。
 「ふふ…そうだね、ぼくも同じ気持ちだよ」
いつもより落ち着いた声色に師の顔を瞳に映せば、そこが小さな教会の前であると気付くのに時間はかからなかった。
 (あ…私…)
運命の出会いであったプロンテラ大聖堂。
比べてしまえば見劣りする小さな教会だが、ナルが弟子になろうと決めたあの日を胸に浮かべるのには十分すぎる場所で、駆け抜ける風の冷たさが心を揺らす。
 「あのね、お師匠様…私…」
 「うん、どうしたの?」
視線を外し、言葉を詰まらせる仕草。
 (ん、これは…)
甘えたな弟子が自分を頼るときの様子に気付いたファルは、それを受け入れるべく両手を差し出す。
すると迷うことなく手を伸ばしてきた弟子は人の気配もまばらであることを確認したうえで、ファルの腕の中へとすっぽり収まってしまった。
素直すぎる行動に驚きこそしたが、アコライト時代も不安がる弟子を抱き締めていたものだと懐かしさに笑みがこぼれた。
 「おや、珍しいね…どうしたの?」
優しい問い掛けはゆるやかにナルの言葉を引き出すため、心に染みる。
なんと心地よいのだろうかと、ゆっくり目を閉じれば師の腕の中はまるで夢のようだった。
 「私、お師匠様みたいなプリーストに近付いていますか?」
魔に傾きながらも背中を追い続けてくれる弟子は愛しく、そういえばすっかり師事する機会が減っていたことにファルは気付いた。
 「不安にさせていたんだね…大丈夫だよ、しっかりやれてるさ」
 「本当に?」
 「ふふ、随分と疑い深いね?」
身体を離したナルはゆっくりと紺碧の瞳を開き、その不安の色を揺らす。
 「…私、主様のものになってしまったから…」
選んだ道であるからこそ、振り返りたくなるのだろう。
魔に傾いた己が師事されない理由を探すかのような言葉にファルは苦笑し、ふたたび弟子を抱きしめる。
 「ぼくが祓ってあげると言ったじゃないか、心配しないでいいのに…」
そして頭に浮かぶのはこの休暇の後に控えている退魔師の仕事の数々で、ナルが付いてこれそうなものを思い浮かべてみる。
現場に共に立ってしまえば求められるのは支援者としての能力で、自らの右腕として弟子を連れまわすのも悪くない。
なにより経験を積ませることも重要だと言い聞かせれば、かける言葉はおのずと決まった。
 「じゃあ次のお仕事は一緒にきてもらおうかな、ぼくの助手としてね?」
久し振りとなる師弟で臨める仕事の話に、ナルは目を輝かせる。
 「本当に?私も一緒にいっていいの?」
 「ああ、もちろんだとも!」
溢れた笑顔に期待するのは当然で、ファルは弟子の額に祝福の口づけを落とす。
甘んじて受け入れるのは信頼の証。
二人で笑いあえば空気は甘く流れ、繋いだ手は絆により暖かくなった気がする。
いつもよりずっと近い、お互いの距離感。
 (うん、これはもしかしたら、もしかするかもしれないぞ…!)
聖職者らしからぬ期待感に心を充たした、その時であった。
 「…ん?」
なにやら街の中心部となる広場が、やたら騒がしい事に気付いてしまったのはファルの先鋭すぎる感覚のせいで。
しかしナルもその異常な空気は感じたようで、師弟は互いに頷きあうと広場へと足を向けたのであった。


広場では母親と思しき女性が、町の治安を担う保安官へ落ち着きない様子で捲し立てていた。
 「もう昼もとっくに過ぎたのに帰ってこないのよ!」
 「落ち着いて、お子さんがまだ街の外にいった確証はないでしょう?」
なんとか落ち着かせようと老齢の男性保安官が宥めようとするが、どうにも逆効果らしく女性はつよく首を横に振っている。
どうやら女性の息子が単身で街の外に出てしまったらしく、帰る時刻をとっくに過ぎていながら姿を現さないことに母親が捜索してほしいと願い出ているらしい事が師弟にも伝わった。
それはあまりの騒ぎに旅行客も含めた騒動に発展していたからであったが、それには理由があったのだ。
 「お師匠様、フィゲルの外って…もしかして…」
ナルに言われるまでもなく、ファルは頷くと眉をひそめる。
 「うん…アビスレイク、ドラゴンの巣があるね…」
田園都市フィゲルは近くの離島にオーディン神殿があるだけでなく、近くの谷にドラゴンたちが巣食う洞窟があることも有名である。
国内線である飛行船が行き来するようになるまでは地続きながら陸の孤島と化していたほど、アビスレイクと呼ばれるドラゴンの巣の影響は計り知れなかったのだ。
また、その洞穴に落ちてしまえば助かる可能性は低く、まして子供であれば生存は絶望的ともいえる。
 「おねがい!あの子を探して!!」
 「もうすこし様子を見よう、落ち着いて」
母親の悲痛な叫びに野次馬たちもざわめき始め、捜索すべきだと声が上がった。
ひとたび上がった声は大きくなり、腕に自信のあるものは周辺であればと我先に捜索に向かい、またある者は母親をなだめようと声を掛ける。
 「…どうしましょうか?」
 「ぼくがどうするかって、そんなのナルなら分かってるんじゃない?」
プリーストの法衣、その裾に刃を忍ばせていることを指し示すとファルはウインクして見せる。
 「ふふ!聞くまでもありませんでしたね!」
先ほどの甘い雰囲気などどこへやら、師弟はアビスレイクに向け走り出した。


フィゲルからアビスレイクは程遠いものではなく、大人の脚であればすぐにその姿を現してくれた。
入り口を守るようにぐるりと取り囲む水場は堀のように深く、ドラゴンたちが這い出たとしても容易には抜け出すことができないよう手を加えられたものであることは明らかな立地に、ファルは周囲に入り口となるであろうモニュメントを探した。
 「あれかな」
ファルが見つけたのは水場のほとりにある一本の石柱。
不自然なそれは鍵となる抑止力であり、元アサシンのファルが入り口だと見抜くのは容易い秘密だった。
 「これが入り口?」
不思議そうに柱を見るナルをよそに、ファルは丁寧に探りを入れてゆく。
ざらついたタイルに、鋭いなにかを差し入れるためのくぼみ。
 (うん、間違いないな…)
何者かが仕掛けをいじった跡があるのを感じ取り、それがつい数刻前である事も目星がついた。
大人よりも小さな手の跡に件の子供が関わっている可能性を考える必要すらないほど、それは確信的だった。
事態は一刻を争うのだから、悠長に鍵を探したりなどはしていられない。
 「ナル、ぼくの傍にきて掴まっていてくれるかい?」
 「はい、お師匠様っ」
柱を流れる魔力の気配を感じつつ、手癖の悪いプリーストは見事に入り口となる鍵開けをし、ドラゴンの巣へと続くその扉を開いたのだ。
その足元に転送魔法が発動されたことにより二人は水場を飛び越え、アビスレイクの入り口である洞窟の前へと転送された。
 「…ねえナル、今やったことだけど…みんなには内緒にしておいてくれるかい?」
それはきっとストレイキャットの仲間たちへの土産話になるであろう鍵開けのことで、察したナルはくすくす笑うと「内緒にします!」と答えてくれた。
 (うーん、悪いお師匠様だと思われちゃったかな、まいったな…)
苦笑するファルが先行する形で洞窟内へと侵入を開始すると、まず二人を襲ったのは異臭であった。
獣よりもずっと湿り気を帯びた生臭い香りは、腐った魚を煮詰めたような香りだった。
 「うぐ…っ」
 「こ、これは…っ」
洞窟内は広いものの湿度は異常はほど高く、不快感が二人が知り得るダンジョンのなかでも群を抜いて最悪であり、進む足を狼狽えさせる。
 (しかし、この足跡…)
ぬかるむ地面に真新しい人間の足跡、それも子供らしき大きさ。
 「し、師匠、これやっぱり…!」
 「うん、入ってしまったんだね」
さらに確信となった理由により、二人は愛用のアークワンドを握りしめると一歩を踏み出す。
その顔付きは恐怖に後れを取るような怯えたものではなく、プリーストとして勇敢なもので、たとえ相手がドラゴンであろうと恐れぬ出で立ちは師弟の誇りの高さを伺わせた。
しばらく歩くと洞窟内に浸水して出来上がった水場が見え、よく観察すると水底にはきらきらと黄金に輝くなにかが沈んでいる。
 (なんだろう、魚…じゃない…)
ナルは警戒を怠らないようにその黄金色を観察してみた。
揺れる水面の底、そこに沈むは数えきれないほどの金貨であり、黄金郷のような光景に思わず息が止まる。
ドラゴンは輝くものを集める習性があるという。
アビスレイク周辺には外敵となるものも、ましてや盗みに来るものもいない。
集め放題だったであろうそれらは、長い年月をかけ洞窟内を黄金色に染め上げてしまったのだ。
 「これはまたすごいな、よくこれだけ集めたね…」
ファルの呟きに反応するように、二人の耳を貫くようないななきが響く。
肌でも分かるほどの声は間違いなくドラゴンの威嚇の声。
 「キリエエレイソン!」
咄嗟のファルの判断は正解で、岩陰より飛び出してきた一頭の赤色のドラゴンの牙は聖なる壁に阻まれる。
 「まあ!なんて大きさ!」
ナルが思わず悲鳴のような声を上げ、その驚きを言葉に表す。
彼女がよく知るドラゴンとはゲフェン西方、グラストヘイムへ続く道に生息するプティットであり、目の前でファルに牙を立てるドラゴンなど比較にならないほど小さい種だったのだ。
ドラゴン種は住まう土地の湿度や温度により成長や体格を変化させるという。
しかし経験のあるノーグロード火山に住まう種はプティットの亜種でありながら大きさはさほど変化していないのを視認していたため、今目の前にいる荒ぶるその巨体に冷や汗が浮かんだ。
 「レッドペロスだ!下がって!」
ファルは聖書を開き、迷いなく赤いドラゴンにホーリーライトを叩きこむ。
聖なる白い光は不浄な魂でなくとも神の刃となり、その鱗を焼く。
 (なんてことだ!硬すぎて魔法の通りが悪いぞぅ!)
はじかれる事はなかったが致命的なダメージとは程遠く、ドラゴンの頑丈さを改めて思い知ったがファルは諦めることなく、今度はその喉笛に狙いを定め魔法を放つ。
迫る大きく開けられた口に、鋭利な牙がむき出しとなり、まさにファルの腕に食らいつこうとした瞬間。
 「ホーリーライト!」
それは弟子であるナルの執行した魔法。
見事に命中したそれは光の花となり、聖なる魔法ははらはらと舞うようにレッドペロスを打ち倒したのであった。
 「お師匠様、大丈夫ですか?!」
 「ああ、ありがとう、助かったよ」
聖書を閉じ、なるたけ感情を抑えていつも通りに振る舞う。
 (まさか…ナル…)
不自然なほどの魔力の出力に違和感を覚え、ファルはアークワンドを握る不安そうな弟子の様子を伺う。
明らかな高威力に本人は気付いていない様子であるが、それは間違いなく彼女が魔に傾いた性質による未知なる力。
 (ナルが持ってる以上の魔力だった、まさか…これが…)
ゲフェニアの悪魔に魂を渡した副産物を感じ取りつつ、しばらく弟子の手を取っていなかった自分の多忙さを後悔した。
そしてなにより、今の自分がナルにとって足手まといになりつつある可能性を感じ、苦笑するようにアークワンドを納める。
 「…あれ、お師匠様?」
不安がる弟子の手前、カタールを引き抜きその手に握る。
プリーストの出で立ちに似つかわしくない刃物はとても背徳的で、ナルは息を飲む。
 「ぼくはこっちにするから、支援はナルに任せちゃうけど…いいかい?」
思いもよらぬ言葉。
それはナルの心を焚きつけるには十分な魅力を含み、師より受け継いだアークワンドを強く握りなおす。
任せられた仕事は、敬愛する師を補助する大事な役目。
光栄すぎる頼みを断る理由などなく、ナルは紺碧の瞳を輝かせ大きく頷いた。
 「はい!任せてください、お師匠様!」
 「ふふ!頼もしいね!」
いつもよりも法衣の胸元を開き、呼吸を整えたファルは弟子を守る刃となるべく踏み出す。
岩陰を存分に使い、壁に沿ってぬかるむ道を進む。
湿度の高まりが肌に張り付く不快感に見舞われながら慎重に足跡を追えば、それは巨岩の大きなくぼみへと続いていた。
丁度、人ひとりが隠れられるほどのそこは、大型のドラゴンが侵入するには難しい安全地帯で、息を潜めあう師弟はほんのすこし安堵の表情を浮かべる。
 「おそらくあそこだね」
 「はい、でも…」
周囲にはさきほどのレッドペロスが数頭、その他に緑色の鱗を持つグリーンペロスがやはり数頭、近くに潜んでいるであろう人間の香りに興奮し、その姿を暴くべくうろついていた。
 「…ナル、出来そうかい?」
師からの問いに喉が鳴る。
つまりそれは、ファルがすべてを切り伏せるまで的確な支援が行えるか、また自分の身を守ることはできるのかという問いで、まさに前衛と後衛の二人きりで攻略を挑む心持ちの確認。
カタールを操る師を前衛として扱うのは、あのゲフェニア以来。
紺碧の瞳は問いかける空色の瞳に強く答え、弟子は師の期待に応える為、心を決めた。
 「いけます、支えられます!」
 「よし、なら遠慮しないからね!」
弟子の心が揺らがないうちにと、ファルはカタールを十字に構えドラゴン達の前に飛び出した。
注がれる視線は獲物を見つけた獰猛な輝き。
狙いを定めた一頭が、迷いなくファルめがけて牙をむいた。
しかし弟子による速度増加の加護は回避させるには余力ある支援で、途端に重力から解放された身体は羽根のようにドラゴンの鱗にカタールを這わせる。
 (これは思った以上だよ、ナル!)
刃が当たる瞬間、ブレッシングで筋力強化された腕はいとも簡単に強固な鱗を引き裂き、瞬く間に一頭を地に伏せさせた。
立て続けに連撃せしめんと襲い来る三頭も避けながらカタールを振れば返り血が法衣を染め、血濡れのファルを警戒していた残りのドラゴン達を強襲してしまえば、場が収まるのは一瞬の事であった。
まるで魂の主のようなファルの出で立ちに心は震え、ナルはアークワンドを下ろし師を気遣うため傍へと駆け出す。
 「お師匠様、お疲れさまでしたっ」
しかしファルの瞳はナルを捉えることなく、その背後に向かって一閃を向けた。
ナルが振り返ればそこには一頭のグリーンペロスが、今まさにナルの頭をかみ砕かんと口を開けたまま絶命した瞬間であり、ようやく師に抱き締められたことで未熟な弟子は我に返った。
 「師匠、わ、私…!」
途端に思い出した死の恐怖。
 「ふふ!今のは危なかったね、ぼくが強いからって油断したでしょう?」
甘い声色と相反するように血濡れのファルの姿。
普段からは考えられないプリーストの法衣を染めるほどの戦い方に、心臓はいまだに早鐘を打っている。
それは言葉に表すことができないほどの甘美な魅力で、もはや抗えないとナルはそう感じた。
 「お師匠様、とても…綺麗でした…」
蕩けるような瞳に潜む魔の気配。
 「綺麗?ぼくがかい?」
 「はい、まるで主様のようでした…」
細められた紺碧の瞳に、自分を通してゲフェニアの悪魔を見ている様子に眉をひそめたが、それでもファルは自分の過去ごと受け止めてくれたような気がして、どうにもならない気持ちを弟子の額に祝福の口付けとして落とす。
ふにゃりと笑顔を浮かべたナルの姿に、やはり手放してはならないのだとファルは強く思う。
 (きっとぼくが放してしまえば、ナルはこのまま傾いていってしまうんだ…)
予感させる、人からの乖離。
そうさせてはならないと、絶えず手を指し伸ばさなくてはならないのだと悟る。
カタールを仕舞い、顔を拭ったファルは今も震えているであろう、迷子の子供に向かって声を掛けた。
 「さあ、出ておいで、フィゲルに戻ろう」
顔色を青白くさせた少年が恐る恐る顔を出し、ようやく無事を確認した師弟は少年を伴いフィゲルへの帰路へと向かう。
その道中、いつか来るであろう弟子との別れを憂いつつ、ファルは彼女の魂の主をやはり憎いと思うのであった。

「師弟の二人きりの時間」と「魔に傾き始めてるナル」のお話でした。
ナルは第三部ではすっかり世捨て人になってしまった所からのスタートなので、じわじわと人の世から離れていった感じが伝わってたらいいなぁ。
ファルさんは予感しつつ、なんとか留めたいモヤモヤした気持ちですね。