人間はじつにくだらない事をする。
今日はかつての眷属が教会の教えを習いにファルとプロンテラ大聖堂へ赴いていることに、アスターはすこしばかり機嫌を損ねていた。
なんでも実習にて魔除けを作るのだと、ナルはそう言っていた。
魔除けなど大抵が気休めで効果などなく、それこそ低俗な闇祓いが金欲しさにつくるものばかりなのを、彼は悪魔ゆえよく知っていたからだ。
プリーストらしい仕事であるとうれしそうなナル傍ら、彼女の師であるファルといえば「前世のぼくは職権から免除してもらってたんだよね」とヘラヘラ笑っている始末で、その様子は腹にたまるものがある。
しかし、さすがに悪魔が大聖堂内においそれと入れる訳もなく、アスターはこうして単身ゲフェニアで時間をつぶしているのだが。
「…まったくくだらん…」
盛大なため息とともに吐露された言葉に、尖った耳をぴんと反応させたのはサキュバスであった。
「主様、どうなさいました?奥方様のことですか?」
(相変わらず、めざといな…)
ナルの事ととなると自分にも劣らぬ執着心をみせるのは生まれ先が自分ゆえ、これについては仕方ないとさらにため息をついてみせる。
「まあ…否定はしない…」
「やっぱり!今生でも契約してしまわれると安心ですよ!お急ぎください!」
「契約?今生の奥方様ですか?」
肯定すればインキュバスまで参戦してきてしまい、さらに頭痛のタネが増えてしまった。
「いや、今生では眷属にするつもりはない」
「まあ!どうしてですか!?」
「魔に傾いているのですよね?それならば、なおさら都合がよろしいかと!」
一体なんの都合だと言い返したくなるが、このやりとりの行きつく先がろくでもない事になるのは目に見えている。
アスターはこれ以上ややこしくされては敵わないと、手で二人を制すると待ち合わせの時間にはすこし早いが地上へと足を向けることに決めた。
「主様、はやく奥方様をここへお連れくださいね?」
「我らは今だお会いしておりませんよ!」
「まあ…そうだな…その内、あいつが心を決めたらな…」
やいのやいの騒ぎ立てる夢魔たちから逃げるように、アスターは上層へと向かう。
すっかり心の安らげないゲフェニアになってしまったものだと思いつつ、ゲフェニアの王は自身の影から一頭のナイトメアを呼び出す。
それは彼の特別お気に入りで、かつてはナルの世話を任せていたほど信頼を寄せている一頭であった。
夢魔たちとはちがい物静かで言葉をしゃべらぬ供回りに、どこかほっとしたアスターは頭を撫でてやりながらナルを思う。
それはじつに当たり前であるのに、どうしてかはかない陽炎のような心でもあり、今日、自分が見知らぬ場所で見知らぬ事を学んでいることに嫉妬の炎はゆらめく。
サキュバスの言葉がふたたび頭をかすめるが、それを振り払うようにしてアスターは地上への階段を見つめる。
「…時間だ、いこう」
ナイトメアを影へと戻し、アスターは待ち合わせ場所であるゲフェンの喫茶店へと向かった。
「おまたせ、アスター!」
予定の時間より遅れてきた師弟は、それは満足そうに姿を現した。
「遅かったな、逢引でもしてるのかと思ったぞ?」
わざと皮肉をいうとナルはしょうがないといった笑みを浮かべ、アスターの手を取る。
柔らかな温もりと金属の気配にアスターは握らされたものを見れば、そこにはロザリーがひとつ。
「あのね、今日はこれを作る実習だったの」
「大切な家族や、近しい人にプレゼントするってことでね、ナルが作ってくれたんだよ」
よく見ればファルはちゃっかり首からプレゼントされたらしきロザリーを掛けており、先に貰った優越感を隠さずに出しているのが伺える。
「アスターにも作ってきたの、もらってくれる?」
自分の為にも魔除けをこしらえてきてくれただなんて、思いもよらぬ心遣いにアスターは自分の頬が熱くなるのを感じた。
魔除けなど低俗な闇祓いのものだと認識していたが、悪い心を撤回するのは早い方がいい。
アスターはロザリーを受け取り、ナルの心遣いを無駄にしてはならぬとその手を握り返す。
「ああ、もちろん…ありがとうナル」
「ふふ!よかった!悪魔に魔除けはいらないって言われるかなって、ちょっと心配だったんだよ?」
うれしそうな表情を浮かべるナルに心をほだされていたが、これがいけなかった。
事件はその夜、みんなが寝静まった際に起こった。
ゆらゆらと揺れるような感覚。
実感のない手足の感覚に、これは夢であるとアスターは認識した。
そう、彼は己の夢をまちがいなく認識した。
「なんだ、この違和感は…」
悪夢の王であるドッペルゲンガー、彼が夢の中で感じる違和感。
それはつまり異常であるといっていい出来事。
自分の心臓と重なる半分だけの魂を宝物のように確かめながら、アスターは影となるナイトメアを呼び出すことにする。
「確かめねばなるまい…」
彼は夢の中にお気に入りの一頭を走らせ、なにがどう異常なのかと確かめるつもりだった。
いつものように揺らめく紫電のたてがみと青白い陶器のような肌。
そして、真紅に染まる目…がそこにはなかった。
「は?」
思わず声に出てしまった。
ナイトメアの顔はなんとも珍妙な具合に中央にすべてのパーツが寄り、生気のない丸い目はなにを考えているのか分からない。
しかも口にいたってはつねに開口する形で逆三角形で開いており、もはや馬鹿にされているようにしか見えないのだ。
「なんだ、どうした…どうしたんだ、その顔は…?」
物言わぬナイトメアは困惑したように前足を鳴らし、不満そうにしている。
これは埒が明かぬとほかの供回りとなるナイトメアたちを呼び出すが、どれもすべて同じ顔で姿を現すのだからたまったものではない。
「まてまて、どうしたことだ…これは我が夢に違いないな?」
確かめるとナイトメアたちはそれぞれ頷く仕草をするではないか。
悪夢の王が自分でコントロールすることのできない夢をみるなど、あってはならない事象。まさに異質。
一体どうしたものかと自分の額に手を当てると、なにやらいつもよりすべてが平たく感じる。
眉の感覚もないし、鼻筋も手に触れることがない。
「…まさか…!」
恐ろしい事に気付いてしまった。
そう、アスターもいつの間にかナイトメアたちに起きている異質の顔へと変貌していたのだ。
「うわああああ!!」
夢見が悪くて飛び起きるなど、悪魔の彼にとってはじめての経験だった。
身体に衣類をまとわりつけるほどの汗は不快で、高い所から足を踏み外したような感覚は尾を引く。
そんなアスターの声にファルはベッドから転げ落ち、ナルも目を覚ますと心配そうに傍へときてくれた。
「だ、大丈夫?…どうしたの、アスター?」
顔を覗き込まれる瞬間、思わず手で顔を覆ってしまった。
「だめだ、見ないでくれ…頼む…顔が…」
「アスター?大丈夫?」
けっして刺激とならぬようにナルはアスターの隣へしずかに腰を下ろすと、その顔を覆い隠す手をそっと外させる。
「大丈夫、なんともなっていないよ…顔がどうしたの?悪夢でもみた?」
心配そうに自分をうかがうナルの姿にようやくすこし冷静さを取り戻し、アスターはたまらずかつての眷属を抱きしめた。
ファルの「あー!」という叫びが聞こえた気がしたが、ナルはあやすようにアスターの背中を撫でて落ち着かせる。
「なにがあったの?教えてくれる?」
「ああ…じつは…」
ナルとファルに夢の内容をはなし、悪夢の王でありながら夢をコントロールできなかったことを打ち明ける。
するとファルの顔つきが変わり、それは退魔師としての彼へと面持ちを変えた。
「それって…今日がはじめてなのかい?」
「当たり前だ、今までこんな事は起きたことがない」
言い切るとファルはなにかを考えこむ仕草をし、ゆっくりアスターの首に掛けられたロザリーを指差す。
「…もしかして、それのせいじゃないのかい?」
ファルの言葉にナルは思い当たる節があったようで「あっ!」と声を上げる。
「でもお師匠様、今日つくったのって悪夢からまもってくれるお守りだよ?」
「だからでしょ?ナルの込めた願いが反転したってことだよ、アスターが悪魔だったからね」
憶測の域は出ないものの、ファルがいうにはナルの願いを込めた魔除けはたしかに効果を持つものになった。
しかしそれは人間相手の話であり、祓う対象である悪魔相手では効果が反転し、悪夢をもたらす呪いの品になってしまったのではないかという話であった。
なんだか納得いかない一面もあるが、魂を半分持つ身としては不思議なことが起こったとしても否定できず、アスターとしてはしぶしぶそれを受け入れるしかない。
「…まあ…ナルが作ったものが一流であったと、それだけの話だな」
「ごめんね、アスター…私そんなつもりじゃ…」
すっかりしょぼくれてしまったナルの頭を撫でてやり、就寝時だけは外させてもらうと言葉を選んで告げれば、ナルは納得したように頷いて頼りない笑顔を浮かべてくれた。
「でもお師匠様が言った通り悪夢避けでよかったかも、選ぼうとしてた闇封じだったらもっと危なかったかもね!」
ファルの助言でも十分すぎる効果だったのに、それ以上などもはや考えが追い付かず、アスターは冷や汗を隠しながら苦笑するしかなかった。
悪魔の見る悪夢のお話でした。
元ネタはSNSでのやりとりがきっかけだったのですけど、これは書かねばと…ふふ!
繋がっているからこその反転や、またその関係性の強さが分かるのが好きなので、こんな感じでまとまりました。