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第18話 アスター

アコライトへの転職試験を終え、ようやくプロンテラの自宅へと戻ったナルは不機嫌そうに夜の街並みを眺めていた。
湯浴みを終えたファルがその後ろ姿を見て、不機嫌となった原因であろう思い当たる節を口にする。
 「…宝玉無しで合格にしたのが、そんなに悔しいかい?」
その言葉に肩を震わせる素直な反応に、ファルは思わず苦笑する。
正と邪についてすこしばかり厳しく育てたせいか、不正に転職したのが悔しくてたまらない心の内を察したファルは夜風を受け遠くを眺めるナルの後ろ姿にどこか愛らしさを感じていた。
 (素直に気持ちを読み取らせるのは、前世から変わらないんだね…)
性格こそしっかり者の気質が強まったが、どこか甘えたな性質は残したままで、ファルはそんなナルがたまらなく好きだった。
決して視線をこちらに寄越さないのは拗ねている証で、最小限の言葉を選ぶと声を掛ける。
 「明日、一緒に取りに行こうよ」
 「…うん…」
歯切れの悪い返事をするナルにこれ以上触れるのは逆効果だと判断し、ファルは灯りである蝋燭に息を吹きかける。
 「じゃあぼくは先に休むよ、おやすみ」
 「うん、おやすみなさい…」
首都であるプロンテラは夜も明かりが灯り、静かながも露店がいくつも出ているため闇に閉ざされることはない。
その所為で生地の厚いカーテンを閉めねば、夜の眠りは心地よい質にはならないのだが、まだまだ眠る気持ちになれず、ナルは窓を開け放ったまま夜風に紺碧の髪を揺らし、心のわだかまりに思いを寄せる。
転職試験の宝玉も気掛かりであるが、ゲフェンダンジョンでの最後、兄であるファルがまるで逃がすようにして先に自分を転送した時、微かに耳にした声も気になっていた。
 (あれは…いったい…)
結局誰だったのかと問い掛けても、兄は「ただの冒険者だよ」とはぐらかすばかりであり、なにか隠したい事情があるように見えた。
気になる心は落ち着くことなどありえず、ナルはそっと寝間着を脱ぐと支給されたばかりのアコライトの制服に身を包む。
棚の小瓶からブルージェムストーンを数個取り出し、兄の愛用しているアークワンドを手にする。
 (うん、どこからどう見たって立派なアコライト!)
魔物の子ゆえなのか、ナルは物心ついた時から教えられた訳でもないのに聖職者の魔法を扱うことが出来た。
それを知ったファルは冷静に判断し、アコライトに転職出来る年齢に達した時、真っ先にその道を選択するようにと助言をしたのだ。
ゆくゆく聖職者になれば扱う魔法の類であるし、それまで隠し通せばおかしいことではない、と。
今日ちゃっかり転職試験を行った魔法都市をワープポータルの記憶地としてきたナルは、迷うことなどいっさい無い様子で転送魔法を行使する。
 (大丈夫、宝玉を見つけ出してすぐに戻れば平気だもん…!)
ブルージェムストーンはパキンと音を立てて弾けるとその役目を負い、光の柱に身体を預ければ景色は一転し、景色は夜の静かな魔法都市へと姿を変えた。
 (本当に静かな街…プロンテラとは大違いだわ…)
長らく訪れることを兄から禁止されていたゲフェンの街は、月の光を浴びながら静かにナルを迎えてくれた。
魔法都市というだけあり街には魔力が心地よいほど満ちており、それは喉が潤う感覚にも似ていた。
自分が満ちる魔力に感化され魔法師の魔法まで扱えるようになっては一大事だと、ファルがあれこれ理由付けをして禁止していた訪問であり、また今は兄が共だっていないせいもあり心配ではあるが、忘れ物を取りに行くだけだと自分に再度言い聞かせる。
 (なにか不都合があればテレポートで戻ればいいんだもの、平気よ!)
慣れないアコライト用の靴で足音を鳴らしながらゲフェンタワーに向かう。
しかしその入り口に人影が見えた。
 (誰かいる…)
跳ね上がる心臓は早鐘を打ち、ナルは思わず足を止めてしまった。
人影、それは一人の剣士の男だった。
透ける様な青白い肌と、月光を浴びる色素の薄い砂金色の髪がなんとも印象的で、剣士の男は一人で満月を見上げる姿は淋しそうに見えた。
なぜか声を掛けるにも言葉が見つからず、ただ呆然と見守っていると相手もナルの視線に気付いたようで、二人の瞳は交差することになった。
 「…こんな時間にゲフェンダンジョンへ?」
先に声を掛けたのは剣士の男だった。
 「あ、あの、忘れ物があって…」
ナルの言葉に紫電の瞳を細めると、彼は優し気に微笑む。
 「こんな夜遅くにアコライト一人でだなんて危ないな、…手伝おうか?」
まさかの申し出に驚いたが断るのも不粋であるし、何より心配した彼が街の住人を呼ぶ事態になっては大事になってしまう。
 「あ…えと、ぜひお願いします、私一人では不安だったので…」
か弱いアコライトを演じれば剣士の男は微笑み、先にタワーへと姿を消してしまった。
慌てて追えばすぐに追い付くことができ、歩幅を合わせてくれる剣士と並ぶことが出来た。
 「差し支えなければ、名前を聞いてもいいだろうか?」
耳に優しく響く低い声にナルは頷く。
 「ナルといいます」
 「…すばらしい、名前も魂もそのままなのだな…」
 「えっ…?」
今まで言われたことのない賛辞と不思議な言葉に頬を染めれば、剣士にクスクスと笑われてしまった。
 「ああ、すまない…耳触りのよい名前だったもので、つい」
謝罪した剣士は足を止めると咳払いをし、前髪を手で掻き上げる。
 「オレはアスターだ、よろしく」
 「いえ、こちらこそ…」
まだ熱の残る頬に手を添え、ナルは出来るだけ冷静になろうと呼吸を整えるが、どうにもうまくいかない。
そんなナルを気遣うようにゆっくりと歩き始めたアスターは、階段を降りながら会話を続けた。
 「ナルはゲフェニアの悪魔を知っているか?」
 「ゲフェニア?」
思い当たる節のない言葉に首を傾げると、少しだけ振り向いたアスターは優し気に目を細めふたたび視線を前へと戻す。
 「ゲフェンタワーの下には古代遺跡のゲフェニアが埋まっていて、そこには寂しがりの悪魔が住んでいるらしい」
御伽噺をするかのように話し続けるアスターの声は、ナルの心にゆっくりと染み渡る。
 「たまにゲフェンの街にも出てきて人間を誘うともいうからな、ナルも気をつけた方がいい」
 「へぇ、そうなんですね…悪魔からのお誘いだなんて、どんなモノかちょっと誘われてみたい気もしますけど…」
最後の階段を降り切ったアスターは振り返り、ナルが階段を降りやすいようにと右手を差し出す。
まるで絵本の中に出てくる王子様のようだと手を伸ばせば、瞳に色香を醸したアスターは低い声で囁くように誘う。
 「可憐なアコライトよ、我が領域へ招かれてはどうだ?」
紫電の瞳で強く自分を射抜くアスターに差し出した手を震わせると、また笑われてしまった。
 「ふふ…、ナルはこんな風に誘われたいのか?」
 「もう、からかわないで下さいっ」
再び頬を染めたナルに謝罪しながら、アスターはゆっくりダンジョンへのとびらを開く。
そこはやはり昼間同様に異質な空気感が溢れており、これこそゲフェニアの悪魔が支配する領域の一部である証なのだと思うと身体はやはり震えた。
 「さて、落し物をした場所はわかるか?」
アスターの問いに頷いたナルは昼間のルートを指で指し示す。
 「確かこちらです、道を教えますので来て頂けますか?」
 「もちろんだとも、斥候は剣を持つオレが務めよう」
アスターが先を歩み、ナルはその後に続く。
不思議と近くにモンスターの気配は感じられず、二人は難なくナルが求めていた宝玉が置かれていた木の根元へと辿り着くことが出来た。
 「あれ、うそ…!なくなってる…っ!?」
しかしそこには既に宝玉はなく、ナルは顔色を悪くさせるとその場に座り込んでしまった。
 「ナル?」
アスターの声に顔を上げれば悔し涙がちょうど頬を伝う所で、それを見たアスターは喉を鳴らし心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃を受けた。
そして当然であるように手の装甲具を外し、涙をその指でやさしく拭うとナルの様子を伺うように頬に手を添える。
 「どうしよう、試験の宝玉がないと…私、アコライトの転職試験、ズルしたままになっちゃう…っ」
零れ落ちた言葉と涙はこの世の美しさをひとまとめにしたような切なさを秘めており、アスターは苦しそうにしながらナルの涙を拭ってやった。
 「あぁ、泣くな…泣かないで、ナル…」
つらそうに顔を歪めるアスターはナルの手を取り、親鳥のように抱きすくめた。
兄であるファルの抱擁とは違う力強さと、彼の纏うシトラスの爽やかな香りがナルの鼻を心地よくくすぐり、ぽろぽろと零れる涙はまだ止まらぬものの、背中を優しく撫でるアスターの手により少しマシになったような気がした。
 「この付近にあるかもしれない、一緒に探そう?」
その言葉に頷き身体を離すと、紫電の瞳は心配そう自分を見つめていた。
ナルは涙を手で拭うと頼りなさげな笑顔を作る。
それに安堵したアスターは装甲具を装着しなおし、ナルと手を繋ぐと辺りを探るように歩き始めた。
鼻をすするナルが落ち着きを取り戻し始めたころ、アスターから声が掛かる。
 「落し物の宝玉、それは青い色をしているか?」
 「うん、私の髪の毛みたいに濃い青をしていたはず…」
するとアスターは足を止め、道が広くなっている所を指差した。
 「もしや、あれでは…?」
アスターが指示したその先、一匹のポイズンスポアがボール遊びでもするように、探し求めていた宝玉で遊んでいた。
それを見たナルは何度も頷き、間違いないとアスターに伝え、またそれであると理解した彼は繋いだ手を離すと小声で告げる。
 「ここで待っていてくれ、返してもらってこよう」
素直に待っているとアスターはポイズンスポアに近寄ると何かを語り掛け、あっという間に宝玉を返してもらうことが出来た。
 (うそ…モンスターと心を通わせているの…?)
それはとても不思議な光景であった。
まるでモンスターと心を通わせているような素振りに、ナルの鼓動は自然と速くなる。
そんなナルの心など露知らず、アスターは手にした宝玉をゆっくりと差し出す。
 「さあ、手を出すといい」
 「アスター、あなた…もしかして…?」
出掛かった言葉を飲み込む。
聞いてしまえば終わってしまう、そんな気がした。
 「…うん?どうかしたのか?」
心配そうに自分を見つめる彼に笑顔を見せ、ナルは首を横に振った。
 「うぅん、何でもないの…取ってきてくれてありがとう!」
その笑顔と感謝の言葉を素直に受け取ったアスターは瞳を細めると穏やかな笑みを浮かべ、ふたたびナルの手を取りながら元来た道を辿れば、二人は無事に地上へと戻ることが出来た。
月光は静かに二人の影を作り、風は緩やかに髪を弄ぶ。
 「ありがとうアスター、時間も遅いし…私はプロンテラに戻るね」
ナルの言葉にほんの少し淋しそうな顔色を浮かべこそしたが、それでも彼は頷いてくれた。
 「こちらこそありがとう、ナルのお陰でとても素敵な夜になった」
そう告げるとまたアスターは月を見上げる。
ナルもそれを真似して月を見上げれば、それはとても美しく輝き吸い込まれてしまいそうな妖しい光であった。
 「…ナル、また会えないだろうか?」
月に気を取られていたら、思いもしなかった誘いが耳に届いたことに驚かされた。
アスターの紫電の瞳に魅入られると身体の力が抜けるような、とても不思議で心地良い何かを惹きつけるものがあった。
ナルは自然と頷いていたし、それは当たり前のようにも感じられた。
 「大丈夫、きっとまた会えるよ…何故か、そんな気がするの…」
感じたままに言葉にするとアスターも頷き返し、ナルの両手を握ると嬉しそうに口を開く。
 「オレもそんな気がするんだ、ナルにまた会える、と…」
 「うん、それじゃあ、またね」
時刻は日付けを跨ぐ頃、互いに再開を願いながらナルはワープポータルで彼とのお別れをした。
残されたアスターは頬にナルと繋いでいた手を添え口元を緩め、彼女の言葉を反芻する。
 「それじゃあ、また…」
自宅に戻り、ふたたび寝間着に着替えたナルはベッドに入ると持ち帰った宝玉を見つめ、ゆっくりと目を細める。
 「不思議な人だった…」
あんなに簡単に他者の前で涙を見せることなど普段では到底ありえないが、何故か感情の起伏が抑えることが出来ず、まったく自分らしくない自分になっていた。
まるで彼に引き寄せられるような感覚はなんとも心地良かったし、むしろそれに浸りたいとも思う。
昔、ファルに言われたことを思い出しながら瞳を閉じれば、睡魔はゆっくりとナルに忍び寄る。
自分には魂がないのだと、そうファルは言っていた。
もしかしたら本来の自分の魂が引き寄せることがあるかもしれないが、そのときは自分を強く持て、とも。
 「吸い付く…そう、磁石みたいな…とても不思議な人だった…」
そう形容しながら宝玉を握りしめ、ナルは心地よい眠りへと落ちるのだった。