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第17話 Encouter

雨の大聖堂より刻は経ち、冥府王に仕組まれた未来を受け入れた旧師弟の二人はつつましくも穏やかな道を歩んでいた。
手の掛かる幼少期にはファルが転生前の経験と知識がこれほど役に立つのかと思う出来事ばかりであり、すべてをそっくりそのまま送り出すという冥府王との転生の約束をゆずらなかった過去の自分に感謝する毎日を過ごした。
また、引き取り手のない孤児を一人で育てるという条件を飲んだことで大聖堂からの特別許可を受け、血縁こそないものの年の離れた兄妹として生活を約束されたことで、ファルが溺愛して止まない合いの子はすっかり独り立ちできるまでに成長していた。
そしてそれは巡るべくして巡り、運命の日を迎える。
 「ナル、そろそろ起きて!遅れちゃうよ!?」
朝は苦手だ。
いつもちょっとだけ口煩い年の離れた兄が起こしにくるたび、紺碧の髪の少女は思う。
 「あと五分だけ…」
 「だめ!こないだもそうやって失敗したでしょう?!」
布団をかぶり兄の声を遮断しようとするが、いつも通りあっという間に剥ぎ取られる。
まだ微睡む目を擦りながら開けば、そこには向日葵のような金の髪をふわふわさせたファルが怒った様子でナルを見下ろしていた。
 「兄さま、おねがい…もうちょっとだけ…」
甘えた声を出せば心は動くようで、一瞬だけひるんだ様子を見せたがそれでもファルは首を横にふると声を上げる。
 「だめ!今日はアコライトに転職する試験の日だよ?!」
退魔師であるプリーストの兄に鍛えられたナルに進むべき道の選択などなく、見えるのはひたすらまっすぐに伸びるのは聖職者への道。
そして今日はアコライト希望者をまとめて適正審査をする特別な転職試験日で、この日を誰よりも待ち望んでいたファルの気合の入れようはナルが見たことのない熱の入れようであった。
 「兄さま…今日、私がアコライトになったら兄妹解消って言ってたけど、そんなにうれしい事なの?」
 「ええっ?!」
ナルが物心ついた頃に兄と妹でありながら髪の色が違う理由を尋ねた時、ファルはなにも隠さずすべてを教えた。
魔物との合いの子であること。
二人が実の兄妹ではないこと。
驚きこそしたものの、予感させる小さな歪みは感じていた違和感であり、ようやく正体が分かったナルもそれらを不安ながら受け入れた。
ナルが事実を受け入れることができたのは、どんなことがあろうと導き守ると、そう決意を踏まえて話してくれたファルの後押しであったが、ナルは今日の日をなんとなく受け入れられない心持ちで迎えていた。
今日の試験で晴れてアコライトになれば、年端いかずとも成人と同等の扱いを受けることになる。
そこからは間柄を兄から師に変更することでナルを保護していくと、昨夜、前置きもなく告げられたのが原因であった。
ナルの心の変化を機敏に感じ取ったファルは言葉を選び、ようやくベッドで起き上がった妹の手を握ると口を開く。
 「ぼくは兄妹解消がうれしいなんて思っていないよ、ただ、変な師に付くより安全だと思ってるのは本当の気持ちだよ」
ファルの言葉を噛み締め、ナルは兄の真意にふれるべく勇気を出した。
 「…私が魔物の子という秘密を持っているから?」
 「うん、そうだね」
欺瞞の香りなど感じさせない真っ直ぐな答えは信用に値するもので、確かに自分にとって他人に知られたくない大きな秘密に心は痛む。
そもそも合いの子自体が教会での経典にすら出していない特例の事象であり、公にするのを控えるあまり口伝えにしているほど。
己の真実を知るのは大聖堂でも兄であるファルを含めて二人しかいないと聞いた時には、眩暈がしたほどショックを受けたことを思い出す。
いつまでも駄々をこねても仕方ないと、とうとう覚悟を決めたナルはファルの手から逃れるようにベッドから降り立った。
 「うん、そうだね…いつまでも一緒にだなんて、そんなのムリだもんね…?」
ため息混じりで呟いたナルとは裏腹に、ファルは幸せそうな笑顔で妹の額に祝福の口付けを落とす。
 「随分と不安そうだね?」
 「それはそうだよ、私の傍にはずっと兄さましかいないんだもの」
どこか不満も見え隠れするナルの様子に苦笑しつつ、ファルは妹の頭をやさしく撫でる。
 「兄妹解消で師弟になればもともと血の繋がりはないんだし、ナルさえよければ結婚だって出来るんだよ?」
 「えー!それはちょっと…!」
あからさまに嫌な表情を浮かべればファルは楽し気に笑い、ナルはからかわれた事に不満そうにしながら朝食が用意されたテーブルにつく。
目に優しい色とりどりの野菜が盛られたサラダに満足な厚さのこんがりきつね色のトースト、まるで宝石のように濃厚な色をした目玉焼きと焼き目のついたベーコンは機嫌などどこへやら食欲をそそってくれた。
家事のすべてを完璧にこなす兄はまるで自分だけの執事のようで、ナルは朝のこのひと時が大好きだった。
すこし前、ファルに連れられ値の張るレストランへ赴いた際、テーブルに付いてくれたウェイターの些細な不手際が目に余るほどファルの世話のこなし方は一流で、兄の教養の高さは妹として自慢できる長所だと思っている。
席につこうとすれば自然と椅子は引かれ、グラスに手を伸ばせば黄金色のりんごジュースが注がれる。
 「…こんなに何でもこなせる兄さまがいたら、合いの子じゃなくても結婚なんて不可能じゃない?」
思わぬ言葉にサラダを取り分けていたファルは笑った。
 「おや、まださっきの事を怒っているのかい?別にいいじゃないか、結婚なんかしなくたって…」
 「だって私、もう十六歳になるのに恋だってしたことないんだよ?」
不満を漏らす妹にサラダを渡しながら、ファルも妹にならって食事を始める。
 (そりゃあ、ぼくが不穏分子は抹消してますし…)
思い当たる節は多々あったが、それがそうなる前にと芽を積んでいたのは紛れもなくファルであり、先ほどのやりとりもまんざらではないのも事実。
願わくば運命的な出会いののち世界を股にかけるような恋をして、前世など比べ物にならない幸せな未来を思い描いていたのだが、それを今生で叶えるにはあまりに条件が厳しく、それならばせめて自分が守れる間は守ろうと彼なりの優しさでもあった。
しかし事実を言葉に出来るはずもなく、妹の将来への不満をうんうん聞きながらファルは今日の試験場所に不安を募らせていた。
 (よりによって、なんで試験をゲフェンダンジョンでやるのか…)
今まで魔法都市には一切近寄らないようあれこれ細心の注意を払っていたのに、アコライトの転職試験がまさかゲフェンダンジョンになるとは思いもしなかった。
 (ヘル様はこうなること、予め分かってらっしゃったってことだよな…)
確かめる術はないものの何かしらの悪意を感じてしまい、ファルはコーヒーを飲み干し深いため息をつく。
 「ふふ!なかなか面白いハプニングだろう?執事、お前も楽しむがいい!」
幻聴は本物のように現実味を帯び、すぐにでも目の前に満足そうに微笑む冥府王が姿を現しそうで、ファルは頭を痛めた。



穏やかな午後を迎える、晴れた日。
転職試験には十分すぎる天候のなか、定められた時刻にゲフェンタワー前の集合地点へ赴けば、すでにそこには同じアコライトを志すノービス達が集まっていた。
 (聞いていたより多い気がする…)
事前にファルから伺っていた人数はさすが集団試験を行うだけの数であったが、実際にその数を見ると怖気づきたくなる集まりようで、ナルもその中に混ざると試験官の到着を待つことにした。
今日の試験はダンジョン内に置かれた試験用の宝玉を取ってくることが合格の条件。
そして、その宝玉があるのは第一階層の中央の小道であり、危険が無いように各箇所には試験を手伝うプリーストが配置されている。
 (お使い試験って言ってた…)
つまらなそうに鼻を鳴らしたナルが試験の内容、その全てを把握していた理由が明らかになる時がきた。
 「ねえねえ、試験官が来たみたいだよ!」
隣に座っていた女の子のノービスがナルに囁く。
特に驚いた様子も見せずに言われた方角に視線を向ければ、飽きるほど見てきた兄のファルが微笑みながら分厚い書類を片手に佇んでいた。
 「お待たせ皆さん!今期のアコライト志願者はあまりに多く、急遽ダンジョンを使用した簡単なお使いをする転職試験をしていただくことになりました」
ノービス一同は目を輝かせ、試験官であるファルの言葉に耳を傾ける。
予め振り分けられた番号順にダンジョンに入り、宝玉を取ってくれば試験は終了。
至極簡単なものであるが、道中には毒キノコのモンスターが徘徊しているし、道を誤ればより強い魔物が住まう下層へと足を踏み入れてしまう危険性。
判断力を試す試験であるものの、内部ではちゃんと数人のプリーストがサポートをしてくれること。
ナルが昨夜に聞いた内容そっくりそのまま説明する兄の姿は、まるで白昼夢のような光景に見えた。
あくまで上層部への報告の為の試験でもあると、ファルが零していた姿が脳裏によみがえる。
 「さあ、それでは試験番号を配ります、各自こちらに並んで受け取ってくださいね」
手際よく試験官たちがそれぞれ担当する番号が書かれた紙を配布し始めるなか、ファルは自然な様子で視線をナルへと向ける。
 (…兄さま?)
普段とは違う、どこか憂いを秘めた空色の瞳。
しかし互いの瞳が交差するのは一瞬のことで、ナルが違和感を感じたのは気のせいだったかのように番号を持ってきたファルは普段通りの兄であった。
 「それでは試験を始めます、先の人がここまで戻ってきたのを合図に次の人の試験が始まりますからね」
ファルの言葉に促され、試験一番手のノービスがゲフェンタワーへと姿を消す。
その様子をぼんやり見ていたナルは、初めて訪れた魔法都市独特の湿り気を帯びた風に心地良さを感じていた。
初夏には少し肌寒い気もするがプロンテラのような熱気はない。
それがなんとも過ごしやすく感じる。
街の中央にそびえるゲフェンタワーは人工的な冷たさだが、不思議と懐かしい気もして落ち着く。
 (なんだか思考が定まらないや…寝不足じゃないんだけどな…)
ふわふわと揺れる思考は眠りに落ちる一歩前の感覚に酷似しており、心地よさは夢に誘われるように穏やかなもの。
うとうとと意識をまどろわせると赤い炎のような陽炎が見えたような気がして、それは決して忘れてはいけない宝物のような感覚になり、ナルはそれをふたたび瞼の裏に捉えようと目を閉じた。
 「さぁナルの番だよ、眠そうだけど…準備はいい?」
掛けられたファルの声に意識を戻す。
気付けば自分の前に試験を受けたノービスがすでに試験を終え、ワープポータルで送られている光景が飛び込んできた。
すっかり寝てしまっていたことに驚き、ナルは慌てて立ち上がる。
 「ご、ごめんなさい…っ!」
 「さすがに一番最後は退屈だったよね、ぼくも順番間違えちゃったなとは思ったんだけど…」
まだどこか覚醒に至れてないような様子を浮かべるナルの頭を優しく撫で、ファルは番号の書かれた紙を受け取る。
 「それではあとはぼくが処理しますので、他の試験官は戻って神父さまに報告をお願いします」
兄の手は当然といった様子で、まだ試験を行っていないナルの書類まで合格の印を書き込むと、それをすべてサポート役である別の試験官に手渡した。
 「あー、兄さま…それっていけないんじゃ…?」
もっともなナルの言葉に、書類を手渡されたプリーストは苦笑するとナルにウインクをしてみせる。
 「そうだねぇ、あとでオレがお兄さんを懲らしめておくよ!」
そう言い残したプリーストは転送魔法にて姿を消してしまった。
 「いいんだよ、ぼくの妹なんだから不合格の訳がないでしょう?」
 「職権乱用っていうんでしょ、私、知ってるんだからね?」
 「まあまあ、試験用宝玉は回収しないといけないからね…行くよ?」
痛いところを突かれつつもファルは悪びれた様子なくナルの手を取り、二人はゲフェンタワーへと向かった。
納得しきれないがファルは昔からこういう過保護過ぎる所が目に付くことを、ナルは感じていた。
血の繋がりがない兄妹だからか、自分が忌み子だからかと頭を悩ませた時期もあったが、これはファルの面倒見がいい性格なのだと理解するころには諦め、それを受け入れる形でナルも甘えていた。
階段を下り細い廊下を抜けると、そこには異質な木の扉が二人の前に立ちはだかる。
 「この先からダンジョンになっているよ…中のサポート試験官達も戻っているから、ぼくから決して離れないようにね?」
そう警告してゆっくりと扉を開くと、そこには今までの整備された道のりとは別の世界が待っていた。
魔力を僅かに含む空気はカビ臭く、蛍に似た甲虫がふわりふわりと飛び回り、何処か奥から冷たい風が頬を撫でにくる。
 「に、にいさま…っ」
胸を締め付ける不安は緊張によく似ており、途端に怖くなったナルは繋いでいたファルの手を強く握った。
 「おやおや、ぼくの妹は本当に怖がり屋さんだね…?」
くすくす笑いながら先に立ち、恐れる様子もなく歩き出す兄。
その姿は普段よりずっと心強く、また頼もしくナルの瞳に映った。
道中、モンスターに出会うこともなく順調に進むと、枯れた木の根元にキラリと青色に光る宝玉が見えた。
 「あれだね、さあ持ち帰って試験は終了だ」
ファルがそう告げた、その時であった。
 「何やら地上が騒がしいと思えば、なんと懐かしい顔だろうか…」
その声に振り向けば、ファルがよく知る悪魔が昔と変わらぬ笑みを浮かべて佇んでいた。
ナルが声主に振り向く間を与えず、ファルは咄嗟にワープポータルを実行していた。
その結果、ナルは声の主を見ることも、試験の宝玉も手にすることなく、ただ静かにプロンテラの大聖堂へと転移された。
残ったファルは金の髪を揺らし、迷惑そうに苦笑する。
 「やあ…久し振りだね、今日はアコライトの転職試験でここを使わせてもらったんだ」
ファルの言葉に驚いた表情を浮かべ、剣士の男は首を傾げた。
 「なんと…その口ぶりから察するに、お前は我のことは憶えているのか?」
 「何一つ忘れてなんかいないよ、ぼくはね」
その反応に口元を吊り上げ、剣士は続ける。
 「そうか、よくもまあ前世と同じ顔と出で立ちで生まれたものだ、流石だな冥府王は…しかし…懐かしい香りがする…」
そう言いながら鼻をスンスンと鳴らし、剣士の男は紫電の瞳を閉じた。
残り香にそれを確信し、彼は再び瞼を持ち上げる。
 「…なるほど、先ほどのノービスがそうか?」
すっかりばれてしまったナルの存在に、ファルはため息混じりに苦笑する。
口を噤もうとしたが、もう誤魔化しは意味がない。
ゲフェニアの悪魔は殊更ある特別な魂にだけは鼻がいいのだ。
 (まいったな、もう…)
もはや手遅れだと、ファルは隠すことなく頷く。
 「合いの子で生まれたぼくの妹だよ、血の繋がりはないけどね」
 「ほう、やはりそうか…歳はいくつになった?」
 「今年で十六だよ」
それにがっかりしたのか、剣士は眉間にシワを寄せると吐き捨てるように告げる。
 「なんだ、まだ子供ではないか…成人したらさっさと此方に寄越せ、其処からは我が世話をする」
 「な…っ、馬鹿言うなよ!今生ではぼくだけの弟子であり妻にするんだからな!」
そう宣言したファルは転送魔法で彼の前から姿を消す。
残された剣士は足元に転がる宝玉に気付き、それを手に取り眺めてみる。
その深い青は懐かしい記憶を呼び起こし、胸を締め付けては息を浅くさせ、彼を困らせた。
 「そうか、もう生まれ落ちることが出来るまでになったのだな…」
呟くように言葉を残し、剣士の彼もまたその場から霧のように姿を消したのだった。