その頃、セツナたちは巨人スルトを目前にして、その身を隠していた。
鉄の兜に鉄の鎧を身にまとい、見たことのない紋様がうかぶ一振りの巨大な両刃の剣。
さらにその皮膚は周囲の火山の光を照り返し、まるで炉で鍛えられる武器そのもののような出で立ちであった。
「…鉄の巨人、か…」
舌打ち混じりに口を開いたドッペルゲンガーは、相手の異質すぎる姿に考えあぐねていた。
光を宿さぬ瞳は石像かと思うほど虚ろで、遠目から伺えばそれこそ良くできた鉄の像だと思ったほど。
周辺に転がる巨石群の地形を有利と捉え、二人は隠れて移動しながらスルトの目前まで辿り着くことができたのだが、突破口の見えぬ異質の相手に足止めを食らっていたのだ。
「…先手、どうしますか?」
セツナの問いは、先ほどから頭を悩ませているそれであり、今も答えが出せぬ悪魔は眉を吊り上げることしかできなかった。
相手の出方が分からぬ以上、こちらから仕掛けるしかない。
この場合、斥候を務めるのは自分の役目なのは明白。
しかし見るかぎり自分一人で倒し切れる相手ではなく、こんな時こそ支援を申し出てくれるナルがいればと淡い思いを抱いてしまうほど、不吉な予感を感じていた。
この状況で的確な判断を下す、それこそ試練なのだと心を決め、悪魔は思いつく限りの言葉を口にした。
「あれ程の巨体だ、おそらく弱点となる部位がかならずあるはず…」
「弱点、ですか」
セツナの相槌に頷き、ドッペルゲンガーはその指先を素早く己の喉元に当てて見せる。
「大抵はここだ、呼吸を止めれば大抵の生き物は死ぬ…あいつはどうなるかは分からないが…」
狩る者として瞳を輝かせるその姿に、まさに悪魔だとセツナは汗を拭う。
だが、スルトの喉を切り裂くのことが容易ではないのも分かる。
それは巨体ゆえに自分達の刃が届き難いのもそうだが、いまだ微動だにしない石像のような風貌のせいでもある。
「あれって…呼吸、してるんですかね…?」
「さあな…とてもじゃないが、そうは見えないな」
呆れ返るほど簡単に返ってきた答え。
互いに絶望し合っているのが手に取るように分かり、二人は苦笑してしまう。
顔の造りが同じであるせいもあり、双子のように苦笑しあう互いの姿は不思議な光景であった。
(最後に写し取った顔が、ここまで瓜二つとは…魂の巡りを感じずにはいられぬな…)
これもまた冥府王の導きなのかもしれないと、不思議な出会いに心を弾ませればゆるやかに昨夜のナルの姿が胸に浮かび、悪魔は決意と共に立ち上がる。
「我が斥候を務める、お前は…この際なんでもいい、とにかく目を使え、いいな?」
「目、ですか?」
「ああ、そうだ、相手の癖や周囲の変化そのすべてに気を配れ、あいつの動きは我が引き受ける」
そう言い残し、ゲフェニアの主は愛用の大剣を呼び出す。
辺りを取り巻く熱に照らされつつに氷のような眼を浮かべる悪魔の姿に、セツナは彼の覚悟の強さを感じた。
それ程までに紺碧のソウルリンカーに心を預けているのかと思うと、彼の唯一の心持ちがすこしだけ羨ましく思えた。
ニブルヘイムの街で彼女を蹂躙した姿からは考えられぬほど、彼の今の姿は信頼に値するものだ。
「ふふ!どうやら貴方の弱点はファスキー殿、ですね?」
セツナの言葉を鼻で嘲笑い、ゲフェニアの王はゆっくりと紫電の瞳を閉じる。
「そうだな、否定はせん…さあ我が弱点に早く会いにいけるよう、この試練とやら越えねばなるまい!」
どこか嬉しそうな悪魔の様子にセツナも力強く頷き、彼の力になれるよう後衛を務めるべく相手を見据えた。
巨人の前にその身をさらした悪魔は、剣を構え声を上げる。
「冥府王の命により貴様を屠りに来た!怨みは無いが我は我が太刀を疑わず、一片の後悔無く斬り捨てよう!いざ参る!」
らしくない口上を述べればスルトは敵と認識したのだろう、その両手剣を振りかぶり一閃の凪払いを向けてきた。
巨体に似合わない太刀筋の速さに驚かされたが、決して見切れなくはない。
ドッペルゲンガーは難なく避けてみせると、地面をふみしめたその跳躍のままスルトに斬りかかった。
巨人の背丈は人の住まう家ほどあるが、その頭部は悪魔の力を以てすれば有効範囲。
相手が凪払った剣をふたたび構えるまで、己の剣が巨人を捉えるのは確実。
(やれる!)
一の太刀を疑わず、そのままスルトの首筋に狙いを定め振り下ろす。
その時、光を宿さぬスルトの瞳と交差した紫電の瞳は震えた。
一瞬の怯えは行動を遅らせ、それを逃さなかったスルトは悪魔に毒の霧を吹きかけたのだ。
「くっ!」
まともに喰らった目は一時的な盲目となり、結果、彼の剣は届くことなく振り下ろされた。
神経を尖らせ着地こそ成功したが、毒の痛みは視神経を容赦なく襲う。
(いけない!あれでは避けることもできない!)
見守るセツナの心配など杞憂であるかのように、悪魔は全神経を研ぎ澄ますことでスルトの次の太刀からなんとか逃れてみせた。
しかし、火山灰が降り積もったような地面は彼の足を滑らせ邪魔をするもので、奪われた視界と不安定な足元はまちがいなくドッペルゲンガーにとって不利な効果を発揮している。
「くそっ!」
体勢を立て直すが目を襲う痛みはさらに増し、その間にもスルトの凪払いがふたたび轟音を響かせ襲い掛かる。
(だめだ、避けきれぬ!)
痛みで遅れた反応は避けるにやはり間に合わず、剣で受け止めた悪魔はそのまま飛ばされてしまった。
決して力量差があるわけではないのに、どうしても後手にまわっているとしか思えない状況にセツナは焦りを感じていた。
(こ、このままでは、悪魔殿にとってあまりに不利すぎる…!!)
思いも寄らぬスルトの毒による攻撃、それは相手を伺うセツナにとっても衝撃的であった。
またそれはドッペルゲンガーも同じであり、すっかり敵の攻撃手段が剣だけであると思い込んでいたのだ。
自分の戻らぬ視界はニブルヘイムで歯向かってきたナルの姿そのもので、彼女への後悔がふたたび息を吹き返す。
(ああナル…そなたは遮られた視界で、よくぞ我の剣を受けたものだ…)
さぞ心細く、さぞ恐ろしかったであろう、あの一瞬を思い返せば思い返すほど、今の自分の状況と重ねてしまう心の弱さに気付いてしまった。
(これでは倒したとて、ファルの元に迎えになどいけぬな…!)
スルトの追撃をなんとか受け流したドッペルゲンガーは息を整えつつ、反撃の機会を伺うため防御に徹するのを決める。
耳を澄まし太刀筋を判断し、寸前のところで躱す。
大振りの大剣だけあり、空を切る音は鮮明な軌道を教えてくれる。
落ち着いて対処すれば決して被弾することのない太刀筋であり、たとえ視界が遮られてていても対処はできそうであった。
ここにきても勝利を目指す心は失われないのは、セツナが石の巨人を倒す為の突破口を見付けてくれるだろうという、実に悪魔らしくない人間を信じるという心のお陰であった。
スルトの剣撃をかろうじて受け流しつつ、ドッペルゲンガーは感傷に浸る。
(ナルと過ごし続けたことで、まさか人間を信頼出来るまでになっていたとは…)
これはナルを縛り付けていたままでは知ることのできなかった、己にとっての大きな変化であった。
あれ程まで人間を憎んでいた自分は過去となっていた。
変わりゆく自分に戸惑いはあるし、このまま穏やかさに浸るのも悪くない。
しかし永いあいだ押さえつけていた闘争の本質、それはこうして闘いの中に身を置けば顔を出し、空腹を訴えるのだから困ったもの。
「ふふ!もはやこれまで…ここからは全力でいこう!」
スルトの次の剣撃を待たず、ゲフェニアの主は抑えていた力を呼び起こす。
渦巻いたそれは突風の如き勢いで放出されると、まるで赤い雷のように彼の身に体現された。
それを見たスルトは一歩後退りをし、悪魔の次の手を見極めようと迎撃体制をとる。
「目を閉ざされようとも、守りに入るのはらしくないのでな?」
そう告げたドッペルゲンガーは愛用のツヴァイハンダーで露を払うように、素早く振り下ろす。
ドッペルゲンガーとスルトの間には距離があったにも関わらず、振り下ろされた剣圧は回転しながら空気を巻き込むと鋭い刃となり、石の巨人の左の足を抉った。
(おかしい!反応がない!?)
そう捉えたのはセツナであった。
たとえ我慢強い相手だとしても、あれほどの痛手を負えば身を引くはず。
しかしスルトは傷などなかったように走り出し、ふたたび切りかかったのだ。
(あれではまるで、痛覚そのものがないようじゃないか!)
しかしよく観察すれば負傷した足は僅かながら不安定で、決して効いていない訳ではないようである。
このまま闘いを続ければ、いくら悪魔といえど体力の限界はあるであろうし、此方が不利になるのも時間の問題。
(悪魔殿がこれほどまでに戦ってくれているのだ!私も私にできることをしなくては!)
焦る心を落ち着け、セツナはスルトの動きの全てに全神経を込め分析していく。
スルトは悪魔の扱う剣筋を学習しているようで、次第に彼が受け流すのが苦手な左からの流し斬りを頻繁に扱うようになってきている。
相手の癖を理解し、それに併せて自分の動きを変えてゆくのは剣士として当然。
だが、それは何度も手合わせを繰り返していけばの話。
たった数回の打ち合いでは手練れの剣士といえど、あれほど正確に対応することはできるのであろうか?
(まったく無駄のない動き、まるで何かに操られているかのように正確…)
そう思った時、セツナの中で何かが弾けた。
(もしやスルトは…傀儡?)
何者かが操る人形だと思えば、すべての事柄は簡単に繋がってくれた。
意志の感じられない姿見、痛覚のない身体、命の鼓動が見当たらないのは傀儡であるならば当然。
ここは己の仮説を信じ、セツナはその眼を凝らし続ける。
(近くに操っている何者かがいるはず、どこだ!)
周囲を窺うが、どうもそれらしい気配は感じられない。
その間にもスルトの剣は悪魔を消耗させているし、灼熱の大地での戦いは彼の消耗に拍車をかけている。
条件はスルトを操れるほどに近く、さらにドッペルゲンガーの太刀筋の癖が見抜けるほどの距離。
目を凝らす自分からの位置も考慮するが、やはり其れらしい存在は見当たらない。
(どこだ…どこにいる…!?)
セツナが再びスルトの剣に視線を移した、その時、彼の目はたしかに異変を捉えた。
見間違えたのかと思い、今一度、視線をそこに注ぐ。
それはスルトが一撃を放つ際、彼の剣の模様がまるで生き物のように複雑に入り乱れる瞬間があるのだ。
同じくして起こる変化は確実に異変として存在し、もはや見間違いとは言い難い正解にセツナは声を上げる。
「スルトの剣です!剣を狙ってください!」
その声に戻りつつある視界でスルトの剣を捉えたゲフェニアの王は、ただ一点のみを目指し剣を構える。
攻める箇所が絞られてしまえば、もはや迷いはない。
「ああ!心得た!!」
己の身体に集中魔法を施し、流星が燃え尽きる時間分だけ金色に輝いた剣を操り、悪夢を見せるためにと攻め立てる。
一撃目は襲い来るスルトの剣を弾き、二撃目は弾かれた相手の剣をいなして軌道を反らし、決着をつけたのは三撃目の太刀であった。
全力による切り下がりはスルトの剣を地面へと叩き落とし、セツナが瞬きをした一瞬の間に宴は終焉を迎える。
そして彼が予想した通り剣を手放したスルトは停止し、それを確認したセツナは喜びに手を震わせた。
「やった!!」
思わず声を上げたセツナの方を向くことなく、ドッペルゲンガーは地へと落とされた剣を見下ろす。
異様な雰囲気を湛えるその刀身には古の時代よりほどこされた装飾と共に、古い言葉でレーヴァテインと彫られていた。
(操りの呪い…なんと恐ろしい…)
悪魔は決して剣を手にする事はなく、ただそれを見下ろすだけ。
「お疲れ様です!どうしました?」
駆け寄ってきたセツナは臆することなく、彼の目の前でレーヴァテインを拾い上げてしまい、ゲフェニアの王は驚きのあまり目を見開いてしまった。
「おい、貴様…!」
しかしスルトのように操りの呪いが発動することなく、魔剣は大人しく彼の手に収まっているではないか。
ドッペルゲンガーは不思議に思うが、彼の携えている魔剣に気付き、ようやくそれを理解した。
(なるほど、主を守っているのか…)
炎の魔剣の持ち主であり、その炎を制したセツナ。
確かに彼がいなくては例え単身でスルトを倒したとて、倒したその証は持ち帰ることが出来なかったであろう。
事実、レーヴァテインを持てたのはセツナであるし、この剣がスルトの秘密であるのに気付いたのもセツナである。
(なるほど…そこまで含めて、か…)
今も不思議そうに自分を伺う彼から視線を外し、悪魔は伏し目がちに告げた。
「流石、我が籠の姫が見つけただけのことはあるという事だな…」
「籠の姫…ファスキー殿、ですか?」
「ああ、あれの鷹の目は衰えていなかったという事を誇らしいと思ってな」
何やら嬉しそうにするドッペルゲンガーの顔を見ながら同じ顔を持つセツナも穏やかに笑い、二人は冥府王から渡されていた彼女の邸宅に戻る為の大きな妖精の羽を早速使うことにしたのであった。