事件と呼ばれるものは山ほどあるし、リージョンの消滅の危機などという事態も他に無かったわけではない。
大概の事は終息してしまえば、そう大したことではなかったような気がしてしまう。
そしてそのうち記憶は薄れ、人の口に上がることもなくなっていく。誰がどれだけ傷付こうが悲しもうが苦しもうが、世界は忘却する。
そうやって世間は回るのだ。
「国交正常化、ねぇ」
音を立てて新聞を捲り、渋面になる。一面を大きく飾る写真では、品のいいスーツに身を包んだ壮年の男と、やたら装飾の多い民族衣装を纏った人物がにこやかに握手を交わしていた。
(――胡散臭ぇ)
胸中で呟いて、温くなったコーヒーを胃袋に流し込む。
馴染みのハンバーガーショップの店内は、昼飯時を過ぎていて閑散としていた。ショッピングモールのざわめきも遠く、眠気を誘う。
新聞を捲る乾いた音もどこか遠くに聞こえる。伸びをしたところで正面に立つ気配に気付き、欠伸を噛み殺して顔を上げた。この場所では見慣れた、光沢のある丸い頭が目に入る。
「ここ、いいかな」
「どうぞ」
緩慢な仕草で新聞を畳んで、席を勧める。とはいえ相手は椅子に座ることは出来ない。椅子を脇にずらして、筒のような体をテーブルにぴたりと寄せた。
金属で出来た身体は全体的に丸みを帯びており、真ん丸の目玉がくるりと回る様は愛嬌があるとともに、どこか不気味さを感じさせる。
「あんたの方から声を掛けてくるなんて珍しいな、博士」
「聞きたいことがあるんじゃないかと思ってね」
「まあな」
否定はしない。相手に視線を合わせ、呻くように言った。
「……キングダムはトリニティとの技術提携が決まったんだってな」
「うん、つい先日視察に行って来たところでね。今まで秘匿されていた彼らの技術は、それは興味深いものだったよ」
目をキラキラと輝かせて、いるのだろう。興奮を表すように蒸気の音がした。
キングダム崩壊後途絶えていたリージョン間を結ぶ便もつい先日再開し、再建のための物資と人員が大量に運び込まれているという。シップ乗り場周辺の街には建て直された商店が並び、徐々に活気を取り戻していた。
悲しみにくれていた人々が日常を取り戻す、それはとても喜ばしいことだ。しかし――
「気に入らないみたいだね」
「気に入らないね」
背凭れに体を預ける。
「俺だって、別に意味もなくあいつに付き合っていたわけじゃない。別件でキングダム絡みの事件を追ってたんだ」
溜息を吐く。初めはあの魔術士自身に興味はなく、多少なりともキングダムの情報が得られれば良いと思っていた。
しかし彼ら自身は何も知らされておらず、結果的に自分自身もキングダムの命令による兄弟殺しの片棒を担がされる羽目になってしまった。
コーヒーの残りを飲み干そうとしたところで、中味が空である事に気付き、苛立ちを込めて紙カップを握り潰した。
「迷宮入りの事件なんざ珍しいことじゃないが――漸くやつらの懐に入って真実に手が届くと思ったら追い出されて、更に上からもうこの件には関わるなと来たもんだ」
どいつもこいつも勝手すぎる。折り畳まれた新聞の写真に毒づく。しかし捜査は終わってしまったのだ。自分が何を言おうが覆ることはない。
「仕事熱心な君には、気の毒な結果になってしまったね」
相手の目玉の前をシャッターが開閉した。良く出来ているが、メカに瞬きが必要なのだろうかとぼんやり考える。
「交渉は双方の上層部が極秘で進めていたから、詳しい経緯は知らないんだけど――
君も知っている通り、あのリージョンには自力で立て直す余裕はない。しかし、なるべく内部には干渉されたくは無い」
「トリニティに技術提供する見返りに、援助を受けるって形で纏まったわけだ。
中味はともかく、リージョン丸ごと一つ作っちまうようなところだ。トリニティも、金を出しても損はしないと踏んだんだろう」
「君は地獄に入った数少ない外部者だったね。ボクもあれが機能しているところを見てみたかったな」
「見れても戻れないなら意味無いだろ。残骸だけで満足しとけ」
席を立ってすぐ側のカウンターで、追加のコーヒーを注文する。
店員の若い女の子からカップを受け取るついでに、今度デートしようかと声を掛けると苦笑いを返された。
ヒラヒラと手を振って席へと戻る。
「……しかしあれだけ外部の人間を追い出したがっていたのに、一体どういう風の吹き回しなんだか。
それに一部とはいえ、国の暗部をよく開示する気になったもんだ
――保守派のお偉いさんが3人事故死してるって話だけどな」
「変化には何がしかの犠牲が伴うものさ」
「おっかねえな」
背凭れに身体を預け、天井を仰ぐ。
犠牲――その言葉を胸中で反芻する。
魔術士であることに誇りを持ち、自信に満ち溢れていた彼は、全てを手に入れた時には酷く頼りなく、空っぽに見えた。
色んな物事や人物を犠牲にして得たのは、自分もまた犠牲になるために作られたという事実だった。
「それにしても、魔法ってのは案外、夢も希望も無いもんなんだな。
もっとこう、願いを叶えてくれるとか、ピンチから救ってくれる救世主みたいなものかと思っていた」
「一定の手順を踏んで同様の結果が得られるなら、それは科学の領分だ。術法は魔法じゃないし、魔術士と名乗ってはいるけれど、彼らはれっきとした科学者だよ」
そして相手は、科学は可能なことを可能にするだけだと付け加えた。
「で、どういう代物だったんだ? キングダムの科学者様のクソッタレな技術とやらは」
わざとらしく刺々しく言い放ち、そののっぺりとした顔を見据える。首を傾げた相手から、微かにモーターの音がした。
「困ったことに地獄に関しての当時の資料は殆ど失われていて、全容を知っている人物がいないんだ。
だからここから先は、得られた情報の断片から想像したものでしかないんだけど――」
個人の見解だと前置きして、相手は口を開いた。
「魔術士達はかつて、自分達が生活するのに必要なエネルギーを、全て魔力で賄うシステムを作ろうとしていたんじゃないかな」
「魔力で冷凍食品をチンでもするのか」
茶化したつもりだったが、相手は首肯した。
「生物は熱や赤外線なんかのエネルギーを発しているわけだけど、術法を使う者は、いわゆる魔力と呼ばれるものも微弱ながら周囲に発している。
キングダムの人間はもともと高い魔力を持っているし、全員生まれながらに魔術を使うことができるからね。それを集めて再利用するシステムだったんだと思うよ」
「それだけ聞くと、別に悪いシステムじゃないみたいだけどな」
「――しかし、魔力を集約する部分に大きな問題があった」
相手の目玉がぐるりと回った。
「君が見た中枢の敵はシステムの本体で、魔力を糧にして稼動する。これには圧縮された魔力の塊が必要なんだ。
不足すれば制御を失い、封印を破って溢れ出す。つまり双子は――彼らの身体に溜め込んだ大量の魔力を、定期的に地獄に与えるための容れ物だった」
「卒業後に外遊に出るやつらが全員そうなら、随分と燃費の悪いシステムなんだな」
「燃料の供給方法と消費量に問題のあるそれを止められなかったのか、止めるつもりが無かったのか――
とにかく地獄からエネルギーを取り出す技術は確立し、彼らは地獄と共存する道を選んだ。国民に隠しながらね」
「魔術士だけで完結する世界か……そいつが天国みたいな地獄とは、笑えねえな。化け物だらけだわ出口は閉められちまうわ――」
そこではたと思い出す。
「そういや魔術士だけが使えるリージョン移動なんてのがあるんだが、あんたは知ってるか」
「リージョンの特定の座標に移動する、彼ら独自の技術らしいね。術者が認識したリージョン間しか行き来できないそうだけど、一度行った場所ならシップ乗り場まで行かなくて済むのは便利だよね」
「地獄の結界の入り口を守っていたやつが言っていたんだ。地獄でリージョン移動を使うと混沌に飲まれるってな。それで俺たちは脱出手段を取り上げられちまった。今までどんなリージョンに行ってもそんなことはなかったのに、だ」
建物の中だろうがジャングルの奥だろうが、彼が望めば何処からでも見知った場所へ行くことができた。
自分達はシップで混沌から身を守らないといけないところを生身で渡ることが可能な魔術士の技術なのだ。そんなことが有り得るのだろうか。
「混沌に浮かぶリージョンをシップが行き来できるのはリージョンの座標が固定されているからであって、それが出来ないとなるとそのリージョンの座標が常に移動している可能性が考えられるけど……」
相手は首を傾げた。
リージョンは混沌に存在する物体の総称であり、常に移動しているリージョンといえば、タンザーが記憶に新しい。滑った体内とキドニーパイを思い出して眉を顰める。
「しかしキングダムから地獄へは行けて、座標の固定されているはずのキングダムへは戻れない。そこは外リージョンの座標の取得を妨害する特性を持っているのかも知れないね。或いは――」
魔術士が嘘を吐いていたか。今となってはそれを確認する術は無いが。
「入れば帰ることも出来ないっていうなら、碌にメンテナンスもできなかったろうし、最後の双子が選ばれた頃には、老朽化したシステムが限界を迎えていたんだろうね。
そして今回、制御用の魔力を供給する前に暴走してしまった」
「……新生児処置室にいた連中は、何に使われるか知っていたのかね」
この子達を守ってくれと、絶え絶えの息の下から訴えていた魔術士達の姿を思い出す。
女神像の下にあったあの部屋は頑丈に作られていたのか、奇跡的に崩壊を免れた。
しかし人為的に双子を育成する機材へのエネルギー供給が途絶えたため、そのままでは生命の維持が極めて難しい状態だった。
その後救助された子供達は収容された外部の病院で息を吹き返し、数週間の検査入院を経て国へと戻っていった。
現在は生き残った研究者が引き取って、成長に異常が出ないか経過を見ているらしい。
地獄が無くなった今、別々の人間として育った彼らが無理に一つになる必要もない。おそらく普通の双子として育てられることだろう。そしてあの二人も。
魔術を信奉し、魔術の恩恵を受けて発展した国は、結局魔術に裏切られた――そこまで考えて頭を振る。魔術はただの手段で、裏切ったのは魔術士の方だ。
誰かを幸せにするためだったのであろう技術が、数多くの不幸の上に成り立つ歪んだものへと変貌したのは一体何故なのか。
真実を知るものは既にいない。国の過ちから始まった負の連鎖は、地獄の消滅で表向き清算された。
「報告書、どうするかな」
飲むのを忘れていたコーヒーを一口、口に含んで顔を顰める。
妙に不味く感じるのは、温くなったからか――それとも己の無力さへの苛立ちのせいだろうか。
自分ならあの技術はこういう風に改良するだの何だのを嬉々として語る相手の話を聞き流し、自分のデスクの中味に思いを馳せる。
引き出しの一番下にくしゃくしゃに詰め込まれたキングダムの捜査資料は、この先も日の目を見ることはない。