「お前が……俺になった時は、何とも思わなかった。それが当然で、収まるべきところに収まったのだと」
相手は硬い表情をしたまま見下ろしてくる。 長い髪が顔に暗い影を落とし、普段はよくもまあそんなにくるくると変わるものだと感心するほどなのに、今は感情がすっぽり抜け落ちてしまったように微動だにしない。 ただ、こちらの独白を黙って聞いていた。
その白い顔を見上げながら記憶を辿り、言葉を紡ぐ。
「全てが終わって、いるはずのお前はどこにもいなかった」
頭の中で喧しく響く声も馴染んだ気配も、この先も当然のようにそこにいるのだと思っていた。 感じられなくなった片割れに幾度も呼びかけたが、返事は戻ってこなかった。 ぽっかりと胸に空いた穴に、二人でいたから辛うじて精神の均衡を保っていたのだと思い知らされる。そして願った。 考えるよりも先に術法が編み上がっていく。修復すべき肉体は既に無い。それでも異様な万能感に任せて力を振るった。 自分の中から、かつて彼の一部であったものを拾い上げて形作っていく。
しかしそれすらも。
「君の中にいた『僕』は、単に君の妄想の産物だったのかもしれないよ。確かにこの体に収まるまでの記憶は共有しているけど、 それは『君』の記憶だ。本当のところなんて僕には判断できない」
突き放すような声音。
「分かっている……これはただの自己満足だ」
魂の在り処なんて分からない。同じ姿に同じ記憶を持ったこれに、同じものが宿っているかなど確かめる術も無い。 彼を苦しめることになっても片割れを演じるように望み、縛り付けたのは自分だった。
「余計なことをしたと、恨んでいるんじゃないのか」
「さあね。今更言ったところで仕方ないし、どっちにしろ僕は僕のしたいようにするさ」
言って、肩を竦めてみせる。
「君も自己満足ついでに、僕にどうして欲しいか言ってごらんよ。聞いてあげるからさ」
茶化すような口調に相手の顔を窺えば、微笑んではいたが、そこには深い諦めの色が浮かんでいた。 君が望むなら。彼はとうに決めている。聞くのはこれが最後だと、そう告げていた。 例え今、彼をここから放り出しても、お節介な知人たちが受け入れてくれる。 騒がしい連中といれば、そのうち全てを忘れて人並の幸せを手に入れるだろう。 その方が彼のためになるのではないだろうか。自分で壊しておいて、随分と勝手な言い草だとは思うが。
「……俺といたところで、良い事など何も無い」
「それは僕が決めることだ。君じゃない」
「だったら、お前の好きにすればいい」
「だから、僕は好きにするって言ってるじゃないか」
相手の声音に苛立ちが混ざり始める。
「お前に任せる」
相手は俯くと、肩を震わせた。泣いているのだろうかと、その肩に手を伸ばすが、触れる寸前振り払われる。
「好きにしろだの任すだの、自分がどうしたいのかくらい、はっきり言えこの馬鹿!」
途端、目の前で火花が散った。 頭の芯に響く痛みと、額を押さえて呻く相手の姿に、頭突きされたのだと漸く理解する。 相手は顔を上げると頬を紅潮させ、尚も言い募る。
「僕だって君の罪悪感を利用してここにいるわけだし、人のこと言えた義理じゃないけど、 君が選んでくれないと先に進めないんだ。君が決めたのなら、僕はそれが何だろうと受け入れる」
『彼』だろうとそうでなかろうと、ここにいる自分を見て欲しいと、真っ直ぐな視線を向けてくる。 紅い瞳に宿る強い光に、依存していたのは果たしてどちらだったのかと自嘲する。 もう一度手を伸ばすと、今度は拒絶されなかった。そのまま抱き寄せ、首筋に顔を埋める。
「……側にいて欲しい」
彼の弱さは自分の弱さ。それを晒すのは癪だったが、観念して吐き出すように口にする。
「一緒にいたいと思うのは、別に弱さじゃないと思うけどね」
相手は背中に回した手を解いて、体を離した。
「いいよ、いてあげる」
これからも宜しく頼むよ、そう言って翳り無く笑った。
「名前を、呼んでもいいか」
相手は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに相好を崩す。 自分と対になる名前を呼べば、擽ったそうに笑みを零した。 何度も何度も確かめるように、刻み込むように呼ぶ。
そのうち相手は何を思い出したのか、はたと真顔に戻った。
「あのさ、この状況でこういうこと聞くのも間抜けなんだけど……」
「何だ」
問えば、相手は居心地悪そうに身動ぎした。相変わらず人の上に跨ったまま。 そして困ったような顔で首を傾げると、躊躇いがちに口を開いた。
「続き、する?」