ドヴァンの片隅にある小さな神社の小さな社。
小さな背中が境内の落ち葉を掻き集めている。それを賽銭箱の前の階段に腰掛けてぼんやりと眺めていた。
落ち葉の山が二つ出来たところで彼女はつかつかと歩み寄ってくると、目の前で仁王立ちになった。
「若い者が昼間からブラブラと、良いご身分じゃのう。見ておらんと少しは手伝わんか」
彼女は不快気に眉を顰めた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていたんだ」
素直に謝ると彼女はふんと鼻を鳴らし、「まあよい」と言って隣にどっかりと腰を下ろした。
不遜な態度を取る相手は少女の姿をしているが、自分よりずっと年上なのだ。
妖魔の世界に足を踏み入れて日の浅い自分は、悩み事があれば時折ここに訪れ、話を聞いて貰っていた。
「今日は何の用じゃ。針の城の生活に嫌気でも差したか」
「嫌ではないよ、仲間がいてくれるからね。……ただ、自分のやったことが本当に正しかったのか、分からなくなったんだ」
半人半妖になってしまっても自分は自分だと受け入れ、元凶であるオルロワージュを倒し、今はファシナトゥールの新たな君主の座に納まっている。
「白薔薇もイルドゥンも気遣ってくれるし、ラスタバンは風通しが良くなったって喜んでいるけど……」
変化を歓迎するものもいれば、その逆も然り。
「寵姫のことか」
問われて頷く。
伽を命じられる以外は棺で眠らされていた美しい女性たち。主がいなくなった今、その役目は終わった。
自分は彼の血を半分受け継いでいるが、寵姫は不要だと思っている。そして堅く閉ざされていた棺を開け、解放を宣言した。
城と町、リージョン間の行き来を自由にできるようにし、自立に必要なものがあれば出来る限りの援助をするとも。
寵姫達の動揺は大きかった。それは予想の範囲内であったが、そのうちの一人に。
「どこに忍ばせていたのか、短剣で刺されたんだ」
腹を摩って見せる。さして強い力をもつ相手ではなかったため傷はあっさりと塞がったが、それよりも――
「あの人を返してくれ、さもなくば殺してくれって泣かれたよ」
「あれはオルロワージュに心酔しておったからの」
彼女は然もありなんといった風に頷いた。
「あれは天涯孤独の身でのう。器量は良かったが荒んだ生活だったらしく、死に掛けているところを拾われたのじゃ」
漸く手に入れた安住の地。自分を救ってくれた君の側に仕えるのが何よりの喜び。そんな彼女の幸せを自分は奪ったのだ。
「それで、あれをどうした」
「どうもしないよ。起きていても辛いだけだからって、今は棺で寝てる」
俯き、膝を抱える。
「寵姫にも色々と事情がある。家族や恋人から引き離されて寵姫になったものが大半だが、解放されたところで待っている者も、戻る場所も最早残ってはおるまい。新しい生活に馴染むのにも時間が掛かるじゃろう」
妖魔の時間は、人のそれとは流れが違う。例え自分を知っているものが残っていたとしても、人でなくなった彼女たちを受け入れてくれるかどうか。十一年を経て戻った家は、自分を化け物だと罵り拒絶したのだ。
オルロワージュの寵姫であることを望んだもの、仕方なく受け入れたもの、恨むもの。
長年の束縛からの解放を喜ぶものもいたが、結局彼女たちを血の支配で振り回すことになってしまった。
その事実に酷く陰鬱な気分になる。
「飲むがいい」
彼女は茶器を用意すると、熱い茶を淹れ勧めてくる。一口飲むと暖かさがじわりと体に広がるようだった。ほっと溜息を吐く。
視線を上げたところで一人の男が石段を上がってこちらに歩いてくるのが見えた。参拝者だろうか。
何気なく隣に目を遣ると、彼女の顔が微かに強張ったのが分かった。
高く結い上げた長い髪に、青い衣服を纏った冷たい雰囲気の男。ふと誰かに似ているような気がしたが、どうにも思い出せない。
男はこちらの存在に気付いていないように真っ直ぐ彼女に向かって歩いてくると、正面でピタリと立ち止まった。
「奴からの頼まれものだ。受け取れ」
男は何が入っているのか、紙袋を彼女に差し出してきた。
「……」
彼女の唇がきゅっと引き結ばれる。
なかなか受け取ろうとしない相手に痺れを切らしたのか、男は彼女に紙袋を無造作に押し付けると、踵を返してさっさと石段を降りていってしまった。
その後姿を見送る彼女は硬い表情のまま。
男とは知り合いのようだが、様子を見る限り親しい間柄というわけでもなさそうだった。
「あれはの、妾の友人を殺した男よ」
発せられた抑揚の無い声に、ぎくりと体を強張らせる。紙袋から中身を取り出すと、彼女は目を細めた。
出てきたのは少々値の張りそうな菓子箱。
「馬鹿じゃのう。こんなものより、側にいてくれるだけでよいのに」
菓子箱の表面を撫で、ぽつりと呟く。
「本当なら今すぐ奴の腸を引きずり出してやりたいところじゃが、彼はそれを望んではおらん」
それに、あれにも待っている者がおるようだからな、と苦々しげに続けた。
オルロワージュ、寵姫、零姫、あの男――そして自分もそれぞれが信じることを為した。それだけのこと。
あの時点で取りうる最善の方法だったと今でも思ってはいるが、それが拠り所を失ったものを作ってしまったのも事実。
幸と不幸は裏返し。皆が幸せになる方法など無いのだ。
「世の中上手くいかんものじゃ」
隣で小さな溜息が漏れた。
「暫く妾に付き合え。折角の茶菓子を一人で食べるのも味気ないからの」
彼女は寂しげに笑うと、菓子箱の蓋を開けた。この辺りで美味しいと評判の店の饅頭が顔を覗かせる。
「……いただきます」
遠慮なく一つ手に取り、噛り付く。口の中に広がった饅頭の味は、どこかほろ苦かった。