「学院のことで、思い出したことがあるんだ」
ぽつりと零された言葉に、本の頁を捲る手を止める。
隣に目をやれば、布団に包まった片割れがぼんやりと中空を眺めていた。 妙に大人しいから、とうに寝ているものだと思っていたのだが。
訝しむこちらの気配に気付いていないわけではあるまい、しかし相手は気にする様子もなく先を続けた。
「僕のクラスに頭のいい奴がいてね。――ああ、同じクラスだからって、親しいどころか顔すら覚えてないんだけど ――成績が張り出される度に名前が並んでいた」
声音は酷く静かで、感慨に耽っているという訳でもなく、ただ淡々と事実を述べているといった風だった。 普段なら片割れを不安定にする類の話題であるにも拘らず、珍しく取り乱す様子も無い。 相槌を打つべきか迷ったが、結局黙ったまま聞くことにした。
「相当な自負があったんだろうね、 今期の修了者が告知されたとき、彼は納得がいかないって校長室に文句を付けに行ったらしいよ」
無駄なのに。そう言って、乾いた笑いを漏らした。
一頻り笑った後、不意に真顔に戻る。
「彼とは成績はそう変わらなかったし、本来ならどちらが選ばれてもおかしくはなかった。最終的に、教授会の総合的な判断で僕に決まったってことになっているけど、本当は違う」
そこで一旦言葉を切ると、こちらを見上げてくる。
「……『表』の彼は、君に及ばなかった」
呟いて、単なる想像だけどね、と付け加えた。
同級生のことなど殆ど覚えていなかったし興味も無かったが、自分が選ばれた後、それを受けて片割れに通告が行ったのは間違いない。
いかに努力し研鑽を重ね、優秀な成績を残したとしても、評価されるのは『裏』ではなく、 それを決めるのはいつも『表』。でなければ、表と裏で赤の他人を輩出することになってしまう。 修了者は必ず双子でなければならないのだ。
そして、それが齎したものといえば。
「俺が――」
「そんな顔しないでよ。ただの思い出話なんだから」
選ばれなければ。言いかけた言葉を片割れが遮る。もぞもぞと身体を起こすと、隣に寄り添うように座った。
「まあ、『表』の付属品扱いなのは気に入らないけど。それよりも」
肩に軽い重みを覚える。
「君が阿呆じゃなくて良かった、と思ってさ」
「……どういう意味だ」
相手の口から出た言葉に眉を顰めると、微かに笑う気配。
「どういう意味ってそのままだよ。君が選ばれなければ、僕はずっとあそこに居ただろうからね」
外の世界も、兄弟のことも、こうして触れ合う体温も知らないまま。 先人の状況によっては順番が回ってくる可能性が無いわけではないが、同じように出会えるかどうかは分らない。
「そんなのは嫌だな」
知ってしまった今は、余計に。 片割れは小さく身震いした後、くしゃみを一つした。
「さっさと布団に入れ」
折角温まっていた身体が夜気に触れ、冷えてしまったのだろう。促すと素直に従って布団に潜り込む。
それを見届けて布団の皺を直していると、寝巻きの袖を引っ張られた。
「君のことも聞かせてよ」
身体を寄せてせがむ銀色の頭に手を載せ、撫でてやる。
やはり好んで触れたい話題では無かったのだろう、片割れは緊張が解けたとばかりに、安堵したような吐息を漏らした。
「……話すほどのことは何も無いぞ」
なにしろ二十二年間学問一辺倒だったのだ。毎日同じことの繰り返しで、聞いたところで面白いとも思えない。 それに、片割れにとって苦痛な話もあるかもしれない。
「それでも聞きたいんだ」
君のことなら何でも。穏やかに微笑む片割れを見て、嘆息する。
「面白くなくても、文句は言うなよ」
すっかり読む気の失せた本を閉じて枕元にやり、明かりは消さないまま向かい合うように布団に潜る。 さて何から話したものかと暫し思案した後、漸く口を開いた。