その顔に浮かぶのは、驚きと困惑。そして微かな怯えの色。 しかしそれはすぐに怒りに取って変わり、圧し掛かる身体を押し退けようと身を捩る。
手首を押さえ付けると、乱れた衣服の間から手を滑り込ませ、撫で上げた。 愉いところを探して嬲っていく。 そのうち、抵抗しても無駄だと思ったのか、諦めたように動かなくなった。 相手はきつく目を閉じて、肌を弄られる感触にじっと耐えていたが、そこに触れられ、びくりと身体を震わせる。 執拗な愛撫に、嫌だと囁くが、力は無い。
自分は一体何をやっているのだ。
こんなのは違う。止めろと理性が叫ぶが、身体はそれを無視して強引に割り込み、開かせる。 そこに猛った自身を押し当てれば、喉から引き攣ったような呼気が漏れた。
この先に待つ行為に青褪める相手を省みることなく、 徐々に深く、奥へと分け入っていく。喘ぎとも呻きともつかない声。そして悲鳴。
全部入ったところで腰を引き、再び穿つ。熱に支配され、ただひたすら、貪欲に。繰り返すうち、上がる声に艶が混ざり始める。縋るように相手の腕が背に回され、強く抱き寄せられた。
虫の羽音。
耳元で何かが嗤ったような気がした。

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「うわ、酷ぇ面……」
洗面台の鏡に映った自分の姿は、死人もかくやといった風だった。 妙な夢に目を覚ましてみれば、頭と体は鉛のように重く、喉はすっかり水分を失って張り付いてしまっている。襲ってくる頭痛と眩暈と吐き気で顔は青褪め、目の下には濃い隈ができていた。
「一体何だっていうんだ」
蛇口を捻ってコップに水を注ぎ、一気に喉に流し込む。
飲み干して溜息を吐き、再び顔を上げれば、鏡の中にぼんやりと浮かび上がる白い影。
「うわっ!!」
思わず悲鳴を上げて振り返れば何のことは無い、パーティメンバーの一人だった。
「脅かすなよ!! というか、お前何でここにいるんだ!!」
「……何でって、相部屋だからに決まってるじゃないか」
そういえばそうだった。自分達は同性で歳が近いという理由で、大抵同じ部屋に割り振られる。
呆けたの?と白い影は呆れるように言って、眠た気に目を擦った。ボタンの外れた寝巻きから肌が覗いているのに気付いて目を逸らす。
「君こそ、こんな時間に何やってるんだい」
夜明けまではまだ遠く、他の客は皆寝入っているらしい、宿の中はシンと静まり返っていた。
寝巻きの袖から伸びた手が、ふらりとこちらに向けられる。
「何って……」
生気の感じられない手に気圧されるようにして後ずさる。しかし、後ろは洗面台なのだ。すぐに行き場をなくしてしまう。
「お、おい」
声を掛けるが、相手は全く聞いていないようだった。 その手は頬に触れ、軽く撫でながら降りていく。 体は、その場に縫い付けられてしまったように動かない。そして、冷やりとした指先が首筋に触れ――
途端、『ジッ!』と虫の鳴くような声が響いた。
「なっ!?」
驚く自分に、彼が握り締めた手を差し出してくる。何かを捕まえたらしい。恐る恐る覗き込んでみれば、 それは、背中に薄いトンボに似た羽を生やした小さな人の形をしていた。
「夢魔の一種だね。下級妖魔だよ。取り憑いた人間に夢を見せて、代わりに精気を吸うんだ」
昼間、モンスターの巣窟に入ったのだが、その時に気付かず連れ帰ってしまったらしい。 それは抗議するようにジィジィと喚いていたが、彼が手を離すとふらふらと天井近くまで飛んで行き、そこで忽然と姿を消してしまった。
「魅了は妖魔の得意とするところだからね。隙を見せれば付け込まれる。 それにしても……一晩で随分とやつれたね」
余程君の精気が美味しかったらしい。感心したような声音で言われ、渋面になる。
「うるせえよ。大体、元はといえばお前が妙なことを言うから……」
言い掛けて、脳裏に浮かび上がった光景に口を噤む。体が勝手に熱を持ち始め、慌てて頭を振った。
「僕が何だって?」
「……何でもねえ。いいから一人にしてくれ」
怪訝な顔をする相手を、しっしと手を振って追い払う。
「まあ、いいけど。……じゃあ、僕は寝るから」
相手は、君も早く寝なよ、と言い残して奥へと引っ込んでいった。気配が遠ざかったのを確認すると、洗面台に手をついて深々と溜息を吐く。
 それにしても嫌にリアルな夢だった。断片的にだが、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
シーツに広がる髪、上気した頬、荒い息遣い、汗ばんだ肌、苦鳴と嬌声。絡み合った四肢はやがて力を失い、虚ろな目が宙を彷徨う。
夢とはいえ、良かった。
非常に。
――ただ、一点を除いては。
「そりゃあ欲求不満かもしれないけど、あれはないだろ、あれは。男だぞ……意味が分らねえ」
頭を抱える。よりにもよって何故それをチョイスした、と逃げてしまった夢魔を胸中で呪った。
自分は女の子が好きだし、そっちの趣味は無い。整った容姿に長髪。それでも、遠目の後姿ならともかく、一緒にいて女性と見間違えるようなことは無い。 付いているのも知っている。 その上、猫を被るのをやめた今、口は悪いわ性格は悪いわ態度はでかいわで振り回されっ放しなのだ。 例えこれが女性であっても願い下げである。 当然のことながら彼に対して仲間意識以上のものは抱いたことも無かった。 筈、なの、だが。
『抜いてやろうか』などと言われて動揺したのも確かだが、夢魔にはこれが自分の願望だと思われたのだろうか。
「しかも、何か無理矢理っぽかったし……でも向こうも良さそうだったし……って何考えてるんだ」
夢の中で押さえつけた手の感触が蘇ってきて、自己嫌悪に陥る。 せめて今日明日別れる相手なら良かったのだが、あれはパーティのメンバーなのだ。当分は嫌でも顔を合わせないといけない。うっかり夢の 内容を知られでもしたら、軽く十回は死ねる。
「疲れてるのかな、俺……」
嘆息する。ここの所、四天王の基地に立て続けに潜入したから、疲労が回復していないのだろう。 だから、あんな小さな下級妖魔にいいようにされるのだ。
さっさと忘れてしまうに限る。そう結論付け、顔を洗ってスッキリしようと蛇口に手を掛けたところで、
「ああ、そうだ」
言い忘れたけど、と再び顔を覗かせた相手に、ぎくりと体を強張らせた。もしかして、今のを聞かれたのだろうか。 ギシギシと音を立てそうな、不恰好な動作で首を巡らせる。
目が合ったところで、彼は何やら含みのある笑みを浮かべ、口を開いた。
「寝言は、もう少し静かに頼むよ」

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「いい加減、立ち直ってくれないかな。面倒だから」
ベンチに腰掛けて俯いたまま、正面に立つ相手の爪先をぼんやりと眺める。 魂が目に見えるのなら、きっと口から盛大にはみ出ているに違いない。
「そんな、この世の終わりみたいな顔しなくても大丈夫だって。ええと、ほら、寝小便みたいなものだよ」
そうか、寝小便か。苦い青春の一ページとして、いつか笑って話せる日が――来るわけが無い。
「知ってるのは僕だけだから、お互いに黙っていれば円満解決。 何も問題は無い。めでたしめでたし、とっぴんぱらりのぷうだ。 ……というか、何でこっちが慰めてやらないといけないのか、本気で分らないんだけど」
ギシリと顔が引き攣る。
「君さ、ちょっと男で抜いちゃったくらいで、大袈裟なんじゃないの」
「傷口に塩を擦り込みに来たのか、お前はぁぁぁぁぁ!!!」
思わずベンチから立ち上がって、大声を上げてしまう。
ここはマンハッタンのショッピングモールにある広場なのだ。平日の昼間とはいえ、買い物客はそれなりにいる。 通行人がこちらを振り向き、通り過ぎていった。親子連れの「ママー」「しっ! 見ちゃいけません」というベタな遣り取りが聞こえ、赤面する。
再び腰を下ろしてじろりと睨み付ければ、相手はさも心外だとでもいうような顔をして見せた。
「まあ、僕も悪ふざけが過ぎたし、君がそこまでどつぼに嵌るとは思わなかったんだ。からかって悪かったよ」
はい、と紙袋を手渡され、中身を確認して半眼になった。
「……で、誰に何を言われたんだ」
「ヒューズが、君がベッコベコに凹んでいるからフォローして来いってさ。どうせお前が何かしたんだろうって、偏見だよね」
そんなことだろうと思った。こいつは自分に対して、そんな気を回すような奴ではないのだ。大方、食べ物を与えておけば元気になるとでも吹き込まれたのだろう。 実際、機嫌が幾分か良くなった自分の現金さに呆れつつも、 ほかほかと湯気を立てている肉まんを袋から取り出して遠慮なく噛り付いた。
そこに正面からも手が伸びてきて、紙袋の中身を探ってくる。
「おい、こら」
「誰が全部君のだって言った?」
相手は肉まんを一口齧り、はふはふ言いながら飲み込んだ。
「どういうわけだか君とはセット扱いにされているみたいでさ、何かあるとこっちにお鉢が回ってくるんだよね。 だから、君にいつまでもうだうだされていると困るんだ」
「うだうだしてて悪かったな」
すっぱり忘れてしまえるものなら、とっくにそうしている。
「それとも、やっぱりして欲しかったとか」
「そんなわけがあるか!!」
肉まんを喉に詰まらせ、咽返った。いちいち嫌なところを突いてくる。こいつは、本当は妖魔か何かではなかろうか。 もう、何もかもが合わない。こいつの言うことに惑わされて、あんな夢を見てしまう自分もどうかしている。半眼で睨み付けると、相手はひょいと肩を竦めて見せた。
「僕は先に戻ってるから、君はそれを食べたら早く帰ってきなよ」
そう言って肉まんを持ったまま歩き出す。 しかし、すぐに何かを思い出したように立ち止まると、こちらを振り返った。
「あと一つ、謝っておくことがあるんだけど」
「……まだ何かあんのか」
嫌な予感を覚えつつ、先を促す。相手は少しばかり気の毒そうな顔をして続けた。
「昨夜のアレ、本当は聞こえていなかったんだ」
何にも。
それは、つまり。
「うっがぁぁぁぁぁぁ!!!」
絶叫する。
もう、言葉にならなかった。