今期の修士修了者もまた、外遊の許可を得て旅立っていった。
術士としての義務を果たし、キングダムへの忠誠を全うするために。
これまで多くの修了者を見送ってきたが、今回は酷く疲れた。年のせいだろうか。部屋に戻り外套を脱ぐと、深々と溜息を吐いた。
姿見の前に立てば、そこに映るのはすっかり老け込んだ女性の姿。常日頃から機嫌が悪そうに見えると言われているが、深く刻まれた皺が、表情を一層険しく見せていた。枯れ枝のような手で鏡面に触れ、呟く。
「報告をお願いします」
この部屋には自分一人。見据える鏡にも何の変化も無い。
変化は内側。
浮かび上がるもう一つの意識。
脳裏でぼんやりと漂っていた気配は、一人の人間の姿を形作る。遠くにいる相手を、近く、息遣いを感じるほどに。
繋がったところで、もう一度溜息を吐いた。
「報告書を見せて貰った。今期の表は、随分と優秀なようだな。お前好みの完璧主義者か、面白味の無い」
相手はぞんざいな口調でそう言うと、紙の束の表紙を軽く叩き、フンと鼻を鳴らした。
いつもの事ながら、お飾りとはいえ仮にも魔術士を束ねる者として、相応しくない態度に眉を顰める。
「あなたの生徒は、素行が少々奔放過ぎるとの報告を受けています。裏の指導方法に問題があるのではありませんか」
暗に、あなたに似たのだと批判する。しかし、この程度で怯む相手ではない。
「カリキュラムは表と大して変わらん。学習意欲は高く、成績も申し分ない。
術法の理論と実践、一般教養、交渉術、どれもみっちりと叩き込んである。あとは――」
にやりと笑う。
「物事を円滑に進めるために、容姿と体の使い方も教えておいた」
目的のためならあらゆる手段を用いてよい、とは言うが。嫌悪に顔を歪ませる。
「そういう事態も、予測の範囲内だろう」
相手は可笑しげに肩を揺らした。
立ち居振る舞い、口調、思考、どれを取っても正反対。そして、誰よりも互いのことをよく知っている。自分は、妙に擦り切れたこれが嫌いだった。
定例報告の必要が無ければ、誰が口など利くものか。ぎり、と睨み付ける。
「相変わらず、潔癖な奴だな。折角箱庭から出られるんだ、感覚が外界と乖離し過ぎていても苦労するだろう。親心だよ。出掛けに、観光地と娯楽施設のパンフレットも持たせておいた」
「あなたという人は……これは遊びではないのですよ。私たちに時間が無いのは分っているでしょう」
怒鳴り付けたくなるのを必死で堪える。わざと神経を逆撫でするような事を言って、こちらの反応を楽しんでいるのだ。ムキになれば相手の思う壺である。
平静を装い、姿見の中を冷ややかに見詰めると、相手は肩を竦めた。
「宿命の対決などと言っているが、所詮は出来レースだ。裏は表を完全なものにするためだけに存在している。自分でなくなる前に、多少楽しい思いをさせても罰は当らんだろう」
そう、これは初めから決まっていること。建前では、相反する資質を身に付けた者同士、互いの力を賭けて殺し合うことになっているが、
実際は共倒れを防ぐために、裏に対しては行使できる力に制限を付けている。イレギュラーな事態が起きない限り、勝利して国へ戻ってくるのは表になっていた。
「その方が残酷ではありませんか。下手に未練が残ったらどうするのです。万一逃げ出すようなことがあれば――」
「監視は付けてある。それに、あれは逃げやしないさ。そういう風に教育したからな」
魔術士の全てはキングダムのためにある。身も心も全て。一度きりの外遊から戻れば、一生飼い殺される。
いや、双子である彼らはもっと酷いところに送られるのだ。他でもない我々の手で。
「あなたがそう言うのなら、良いでしょう」
例え逃げたところで、行く場所など無いのだから。
姿見から離れ、執務机の椅子に深く腰掛けた。机の上に広げられた新聞と報告書が視界に入り、目を細める。
生徒の外遊に比べれば瑣末なことではあるが、これも気に入らなかった。
「それよりも、例の工房です」
「フルドがどうかしたか」
急に振られた話題に、相手は怪訝な顔をした。
「どうかしたか、ではありません。工房に不用意に立ち入った観光者が、数名行方不明になっています。もう生きてはいないでしょうが。揉み消すのにどれほど苦労したと」
キングダムのシップ乗り場から少々離れた場所に、その建物はあった。外観こそ形を保っているが、中身は荒れ放題で、崩れている箇所もある。
それに、そこ彼処に配置された彼の『コレクション』。
キングダムに住むものは、その危険性を熟知しているが、余所者はそうではない。
迷惑なことに、観光施設と言えるものが皆無のこの国で、この廃墟は唯一の観光スポットとして定着しており、
立ち入り禁止区域に指定しているものの、近寄るものが後を絶たなかった。
「大体、キングダムの一等地に妖魔などが居を構えているなど、私には考えられません。表の教授会でも意見は一致しています。そちらで引き取るか、いい加減に追い出すか――」
「まあ、そう邪険にしてやるな。彼は功労者だ。融合処置が安定したのは彼の協力があってこそだからな」
排他的なキングダムで下級妖魔が破格の待遇を受けているのは、偏に被検体としての貢献によるものだった。
かつて、二人に分けた人間を再び一つに戻す作業は困難を極めた。一つの器に、二人分の資質、二人分の精神。
完全な融合は稀で、資質の一部は欠落し、記憶の混濁で精神の均衡を崩すものが多数。それはまだ良い方で、あるものは拒否反応を起こした揚句、肉体ごと崩壊した。
そんな時に転がり込んできたのがフルドだった。
彼は妖魔の間でも変わり者で有名らしく、下級妖魔でありながら上級妖魔を倒す力を探しているのだと専らの噂だった。
そのせいで面白がって干渉してくる上級妖魔から逃れるために、上層部と取引した経緯がある。
自分が物心ついたころからそこに工房はあり、研究が捗っているのかどうかは不明だが、彼がそこから出て来るのを一度も見たことが無い。
とにかく、彼の協力で妖魔のもつ武具の特性である『倒した相手の力を奪う』システムを解析、応用し、魔術士に実装することで、融合時における資質の移譲が安定するようになったのだ。
「融合システムは既に完成しています。当時はどうだか知りませんが、今はお荷物以外の何者でもないではありませんか。いつまであれを抱えていなければならないのです」
「魔術の反術、妖術の資質は興味深い研究対象だからな。裏の教授会は、まだ弄くり足りない様だ。
それに、あれはキングダムの内情を知り過ぎている。生かしてここから出すわけには行かない」
気の毒なことだ。口ではそう言いつつも、彼の行く末に、大して興味は無さそうだった。
「IRPOに目をつけられているのは分っている。処分については掛け合ってみるが、時間はかかるだろうな。それまでは上手いこと誤魔化しておいてくれ」
「……分りました」
背凭れに体を預けて目を閉じかけ、
「まだ何か?」
去らない気配に、不機嫌さを滲ませる。
「報告だけでなく、たまには家族の会話があってもいいと思うのだがね」
その言葉に、眉間に皺が寄る。
「姉さん」
自分と同じ顔が、にいと笑った。
「……私はあなたのことを妹だなどと、唯の一度も思ったことはありませんよ」
ぴしゃりと言い放つ。相手の感情が僅かに揺れたのを感じたが、無視を決め込んだ。
初めて、そして最後に相手と顔を合わせたのは、もう随分と前になる。それは新たな融合実験の被検体としてだった。
肉親を、親を、兄弟を混ぜ。ありとあらゆる組み合わせを試し、より強い術士を。その結果、
一人の子供を二人に分け、再び一人に戻すことで拒否反応を最小限に抑える方法が確立した。
しかし、元が一人分の能力では満足のいく出来ではなかったらしい。
自分達は二人の人間で尚且つ同じ、正しい意味での双子を融合させることで能力の底上げを図った実験体だった。
投薬と処置を繰り返し、頭と体の中をかき回される感覚に耐え続ける。溶けて混ざって。気の遠くなるような時間の先。
結局、実験は失敗した。外因的なものか内因的なものかは不明だが、二人は二人のまま。ただし、忌々しいことに二人は精神が中途半端に繋がったままだった。
自分達は失敗作ではあったが、個々の基の能力が高かったことと、半融合の稀有なケースであることもあり、辛うじて処分を免れた。
存在しない筈の裏に、表立って会うことは出来ない立場にいる者としては、こうして情報を共有できるのは便利ではあったが、どちらかと言えば苛立つことの方が多い。
普段は相手のことを意識から外し、なるべく繋がらないようにしていた。
「用は済んだのだから、次の報告まで話しかけないでください」
「冷たいな」
相手はやれやれと首を振った。徐々に気配が薄れ、遠のいて行く。
消えかけたそれが、思い出したように小さく囁いた。
「今回の二人も、双子だったな」
自分達と同じ。
「だからこそ選ばれた」
御名無き三女神、慈愛と叡知と魔力の神に。
「我々はいつまで続ければいいのだろうな」
「ここで止めるわけにはいかないでしょう」
この国は地獄の縁にあるのだから。