二つは一つになり、また二つに戻る。
陰陽は再び分かたれ、「命術」は永久に失われた。
自分の手元に残ったのは、かつて外遊中に試練を受け手に入れた「陰術」「印術」「心術」、そして、時の君を倒して手に入れた「時術」。
――の筈だった。
意識を集中し、複雑で緻密な術式を組み上げていく。指の先まで魔力が行き渡るのを感じる。
しかし、そこまでだった。
起こる筈の事象は起きず、術式はいくら呼びかけても応えない。練り上げた魔力は解け、霧散した。
次々と術法を試すが、どれも同じ。下位術すら起動しない。
資質の気配は感じる。だが、辿る糸の先はぷつりと途切れ、うんともすんとも言わない。
最後に、一番馴染みのある術法を編み上げる。ちらちらと燐光が周囲を舞い始め、周囲を仄かに照らし出す。
キングダムに生まれた魔術士が先天的に持つ「魔術」。赤い輝きを見上げる。今度こそ、自分の思い描く事象が顕現し、安堵に溜息を吐いた。
「そもそもお前は「資質」が一体何なのか知っているか」
逆立った白い髪が、ふわりと揺れた。木菟のようなシルエットが、暗がりの中から感情の見えない目でこちらを眺めている。
「術法の才能、かな」
問われ、口に出してみて違和感を覚える。魔術や妖術のように生まれ持ったものでもなく、後から追加でき、あるいは相手から奪う。
上手く運用できるならそれは才能といっても差し支えないとは思うが――。あれだけ執着したのに、いざそれが何なのかと訊かれると分らなくなってしまう。相手は考え込む自分を一瞥し、口を開いた。
「一般に出回っている資質はまあ、簡単に言うと、術法を使うための外部装置みたいなものだ。
術法の行使に必要な演算処理能力が飛躍的に向上する。下位の術なら、パフォーマンスは若干落ちるが、これがなくとも使うことはできる」
試練という形でこれを後天的に設置し、ヒューマンと妖魔はより上位の術法を得ることができる、そういうシステムなのだという。
そして、時術、空術の資質を持てるのはただ一人。そういう話だった。
あれは武術などでよくある、一子相伝的な意味なのだと勝手に解釈していたのだが、どうやら違うらしい。
彼が言うには、時の君と麒麟は、資質とその管理者の機能を兼ねた複製の存在しない唯一品とのとことだ。
「管理者権限を奪われて、今は何もできんがな」
つまらなさそうに呟く。
「反術同士は相性が悪くてな、競合するらしい。そして、メカとモンスターには未対応だ」
「競合……そんなメカニックな話だったの、これ」
頭が痛くなってくる。電気屋を呼んで来るべきか。
「じゃあ、術が使えないのは、その「外部装置」が壊れているってこと?」
「いや、壊れているわけではない」
疑念はすぐに否定される。どうも雲行きが怪しくなってきた。嫌な予感がする。
「単に、お前にアクセス権限が無いだけだ」
「は?」
妙な単語に目を瞬かせる。しかし、相手は気にすることなく先を続けた。
「お前は、対決で負けただろう」
「そうだけど」
眉を顰める。
「その時に、お前が得た資質のアクセス権限は、すべて相手に書き換わっている」
エラー。
あなたはこの術法を行使する権限を持っていません。
告げられた内容のあまりの衝撃に、ぱくぱくと口を開閉させた。
勝てば全てを得られ、負ければ全てを失う。
一度は肉体すら失った。今はどういう訳だかキングダムの融合処置は解け、元通り一人の人間に戻っていたが。
所持している資質の数も対決前に戻っている。ただし、これはもう自分のものでは無い。
術法は発動しない。
それは、つまり。
「僕は、資質を持っているにも関わらず、対応する術法の一切を使うことはできない、と」
「お互いプリインストールされている「魔術」は、干渉を受けなかったようだが、それ以外はまあ、そういうことだ」
資質を経由しない反術を購入すれば、下位の術法を使うことはできるだろうが、
試練を受けてまた新たに資質を得ることはできない。今後、高位の術法の習得は不可能だということだ。
魔術だけは残ったことに感謝すべきだろうか。危うく法衣が着られなくなるところだった。
人生の大部分を術士として過ごしてきて、いきなり廃業は悲しすぎる。
「彼は手持ち全部使えるんだよね……こっちの権限も全部あっち持ちだし」
権限。ふと思いついて尋ねてみる。
「もしかして、彼が命令したら発動したりする?」
「向こうに権限はあるが、資質はこっちにあるからな。分断されたこの状態で使えるわけが無い」
「だよね」
はあ、と溜息を吐く。発動できたところで自分で使えないことには変わりないが。
貴重で強力な、それでいて、自分には二度と行使することのできない資質の本体を横目で見やる。
相手は暇なのだろう、その場でスクワットを始めた。
「君さあ、もう用は無いわけだし、幽霊みたいにとり憑いてないでさっさと出て行けばいいじゃないか」
「出て行きたいのは山々なのだがな……お前も知っているだろう。厄介なことだが、一度付けた資質は外すことはできん」
一生。
「僕が死ぬまで、ここでスクワットしているつもり?」
「自宅に戻ってもやることは同じだからな、別にここでも構わん」
ふっ、ふっ、と短く呼吸しながら体が上下運動を繰り返す。自業自得とはいえ、これは酷い。暑苦しさに半眼で呻いた。
ぱちりと目を開く。
目を擦って辺りを見回せば、目の前には酒の入ったグラス、そしてテーブルの向かい側に
酔い潰れた捜査官。確か、イタ飯屋で夕飯を食べていたところに酒を勧められて――その後の記憶が無い。
相当無茶な飲み方をしたのだろう。頭がズキズキと痛む。枕代わりにしていた塊が、もぞりと動いた。
「ああ、ラビットごめんよ」
妙な夢を見たのは、どうやらこれが原因らしい。金属の固まりがふらふらと飛んでいった。
飲み差しのグラスを取って、ぐいと流し込む。
「でもまあ、夢……じゃないんだよね、これがまた」
呟いて、もう一度テーブルに突っ伏した。