もし次に会うことがあれば、だとか、縁があれば、というのは往々にして果たされないものだ。
だから、この先ありもしない状況を想定して、あれこれ上手い立ち回りなどを考えたりする。
他の知り合いにするように友好的に声を掛け、世間話でもしたついでに本来の用事を軽く済ませればいい。簡単なことだ、そう思っていた。
しかし、いざそれが叶ってみれば、途端に余裕は失せ、踵を返してここから立ち去ってしまいたくなる。
例えば、今。
閑散としたシュライクのシップ乗り場の待合室、そこには長椅子に腰掛けて本を読む見覚えのある姿があった。忘れるはずも無い。
別れた後、彼が立ち寄りそうな場所を訪れていたが、その姿を一向に見つけることはできず、
自分にも生活があるため、徐々にそういった場所を覗くことも少なくなっていた。
件の捜査官からは、世間話程度に名前が挙がることはあったものの、どこで何をしているかまでは知らされていない。
職業柄なのか、単に口止めされているのか、詳しいことは一切洩らしてこなかった。同じく知っているであろう、グラディウスの面々も。
取り敢えずは元気にしている、ということが分かって胸を撫で下ろしはしたが。
逡巡しているうちに視線に気付いたのだろう、相手は本から顔を上げた。
「やあ」
目が合って、先に声を掛けられる。
「……こんな所で何やってるんだ、お前」
問われて、相手は首を傾げた。相変わらず手入れしているのか怪しい銀髪がもそりと動く。
対照的に、首から下はきっちりと紅い法衣で固められ、一分の隙も無い。真面目な顔をして何を熱心に読んでいるのかと思えば、待合室の備品なのだろう、子供向けの絵本だった。
早く寝ない悪い子は、おばけの国に連れて行かれるとか何とか。ぱたりと本を閉じると、口を開いた。
「家出」
自分よりも三つも年上の男の口から出た言葉に眉を顰めて問い返せば、どこの誰だか知らないが、同居人と喧嘩して家を飛び出してきたのだと言う。
彼はそれ以上説明する気は無いらしく、そこで口を噤んでしまった。
拗ねた態度を取る相手はやけに子供っぽく見え、こんな奴だっただろうかと首を傾げる。
色々と気になることはあったが、他所の家庭の事情に首を突っ込んだところで碌なことは無い。今はこれ以上触れない方がいいだろう。
側の自販機で缶ジュースを二本買うと、一本を彼に渡す。相手は少し驚いたような顔をしたが、素直に礼を言って受け取ると缶の口を開けた。
自分も缶に口を付け、隣に腰を下ろす。暫くの沈黙の後、彼の方から話しかけてきた。
「今はシュライクに居るの?」
「ああ。母さんと藍子と、三人で暮らしてる」
現在の暮らしのこと、父親の墓参りのこと、ホークのこと、順に話して聞かせる。彼は穏やかな顔で耳を傾け、時折相槌を打った。
その様子に、一緒に旅をしていた頃を思い出し、思わず笑みを零す。今だけは、あの時間がここにあった。
「アルなんとかは辞めちゃったんだ」
不意に呟かれた言葉に噴出す。咽ながら隣を見れば、くつくつと笑う彼の姿。
ひとしきり笑った後、一気に中身を飲み干すと、缶をゴミ箱に放った。底に当ってコンと軽い音を立てる。
「君も、僕に聞きたいことがあるんじゃないの」
山ほどあった。聞きたいことも、言いたいことも。
自分も空になった缶を投げ入れた。中でぶつかり合って耳障りな音を立てる。自分達以外には受付しかいない待合室に、やけに大きく響いた。
再び沈黙が支配する。ぐっと腹に力を入れて重く圧し掛かる空気を振り払うと、意を決して彼に向き直った。
「俺を一発殴れ」
「何で」
いきなり何を言い出すのやら、と怪訝な顔をする。
「何でもいいから、思いっ切りガツンとやれよ」
「……僕、そういう趣味は無いんだけど」
さあこい、とばかりに待ち受ける自分に、相手は困ったように溜息を吐く。
自分達の間に横たわる深い溝を解消するのは土台無理な話だ。或いは何も知らなければ、良い友人のままでいられたのだろうか。
考えるが、後々真実を知ればきっと同じことだろう。
「あのことならもう済んだことだし、気にしなくていい。僕も迂闊だった。終わったんだよ、何もかもね」
どこか疲れたような、寂しげな顔をする。秘密を共有するには、自分は馬鹿正直すぎた。
相容れない価値観、どこまでも続く平行線。一体何が正しくて、何が間違っているのか分からなくなった。
そして彼は姿を消し、暫く経ってからその事件は起こる。新聞や知り合いから得た彼の故郷の情報は、憤るのに十分な内容だった。
国に殉じる彼を、ただ見送ることしかできなかった自分にも。
「そりゃあ、君はそれですっきりするかも知れないけどさ」
自己満足でしかない。そんなことは分かっている。しかし、ケリをつける方法を他に思いつかなかった。
「俺はお前みたいに頭は良くないからな。お前の考え方は今でも理解できないし、納得もしていない」
「まあ、そうだろうね」
「止められなかったのを後悔してる」
「誰が止めても、僕は行ったよ。それに、君に殴られなくても他の誰かに引っ叩かれていただろうし」
結局負けちゃったけどね、と肩を竦めて見せる。かつて彼に聞いた国の伝統の話を思い出し、足元を凝視してしまう。
相手は「幽霊じゃないよ」と両足をぶらつかせた。
彼の口調は軽かったが、聞いた限り、ただでは済まなかっただろうことは想像に難くない。
今更考えても無駄なことだが、それでもあの時諦めなければ、もしかしたらと思ってしまう。
「難儀な性格だね」
苦虫を噛み潰したような顔の自分を見て、呆れたように嘆息すると、彼は仕方ないという風にこちらに向き直った。
「目を閉じてて」
大人しくそれに従えば、頬を両手で包まれる感触。やや間があって、鈍い音と共に一瞬頭の中が真っ白になる。
「――っ!!」
こんな風に星が見えるのはいつ以来だろうか。ズキズキと痛む額を押さえて目を開ければ、同じく頭を抱えて蹲り、呻き声を上げる相手の姿が見えた。
「……すっごい石頭」
「おっさんに殴られても平気だからな。俺に頭突きするなんて、無謀にも程がある」
頑丈さには定評があると嘯く。
「こんなのどうってことないよ。僕だって、君に散々酷いことを言ったからね。これでおあいこだ」
相手は額を擦りながら顔を上げると、目尻に滲んだ涙をぐいと拭って、にやりと笑った。
「家出って言ってたけど、宿に泊まるんならそろそろ行った方がいいんじゃないのか。部屋が一杯になるぞ」
ここからは外の様子は窺えないが、もうすっかり日は傾き、街灯に明かりが灯っている時間だ。
「それとも今日は俺のところに泊まるか? 皆も居るし、そんなに広くないけど」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
緩く首を振って、その必要はないと言った。
そういえば彼は荷物らしいものを全く持っていない。もともと、頭を冷やしたらすぐに戻るつもりだったのだろう。
「俺が言うのも何だけど、早いところそいつと仲直りしろよ」
「そうするよ。それに大したことではないんだ」
些細なことに腹を立て、相手のはっきりしない態度もあって、つい色々とぶつけてしまったのだ、と少し恥ずかしそうに笑う。
人懐っこいようでいて、深い付き合いはのらりくらりとかわす。笑っていてもどこか冷めていて、本心は容易に見せない。
誰に対してもそうなのだと思っていたが、その同居人には随分と心を許しているらしい。
どんな奴かは知らないが、少し羨ましく思ってしまう。
ゲートの方を眺めていた彼が、何を見つけたのか、急に弾かれたように立ち上がった。
「僕、もう帰らないと」
「そうか? なら、気を付けて帰れよ」
一分一秒でも惜しいという様子で慌しくゲートに向かう彼を見送る。
「ああ、そうだ」
ゲートの前で立ち止まって振り向く。
「あの時のことは後悔していないといえば嘘になるけど、悪いことばかりじゃ無かったよ」
欲しかったものを見つけたからね。そう言って満足気な笑みを浮かべた。
「君も寄り道せずに帰った方がいいよ、家の人が心配するから。ジュース、ご馳走様」
ひらひらと手を振って、小走りでゲートの先にある自動ドアの向こうへと滑り込む。通路の先で、彼と同じような背格好の男に駆け寄るのが見えた。
喧嘩した同居人とやらが迎えに来たのだろうか。どこかで見たような気がするが、あと少しというところで思い出せない。
自動ドアが閉まる直前、何故かその男に睨まれて首を捻った。シップの発着アナウンスが流れ、軽快な効果音と共に行き先が告げられる。
「そうだ! あいつ、キグナスの!!」
遠くでシップの離陸音が聞こえた。