いつの間にやら眠っていたらしい。ソファの上で横になっていたせいか、体の節々が痛んだ。夢見も悪かったようで、額と背中が湿っていた。
すっかり照明は消されていたが、カーテンが開いているのだろう、部屋の中は差し込む月の光で照らされ、どこに何があるのか認識できる程度に明るい。
テーブルの上には、読みかけの本が置いてある。挟んでおいた栞は見当たらなかった。
枕とは違う感触に見上げれば、月明かりに浮かび上がる白い面が、虚空に視線を彷徨わせているのが見えた。
こちらが身動ぎしたのにちらりと視線を寄越し、薄く笑みを浮かべると、膝の上から零れ落ちた髪を愛おしげに漉いてくる。
何も恐れることは無いのだと、あやすように。その手つきはどこまでも優しく。
不意に、足元から這い上がってくるような寒気を感じて、体を強張らせた。
カーテンがはためき、開け放たれた窓から青い月が覗く。
どこかで見た光景。鼻をつく血の臭い。もはや言うことを聞かない手足。幾度と無く繰り返す。
そして、見下ろしてくる顔は。
違和感を感じた。
穏やかな顔をした相手は、相変わらず髪を愛撫している。声を掛けようと口を開くが、掠れた呼気を漏らすだけで、役に立たなかった。
そもそも、同じ顔をしたこれを何と呼ぶつもりだったのか。どちらでもあって、どちらでもない。境界が薄れる。
頭に触れているはずの感触すら今は曖昧で、掴もうとする手は石のように重く、ぴくりとも動かない。 そのくせ、癒えない傷口から流れ出るそれは、いやに生々しかった。
相手はついと目を細め、囁く。
「そう、これは悪い夢だ」
だから。手の平で視界を塞がれる。それは酷く冷たく、氷のようだと思った。
「忘れてしまうといい」
朝になれば何もかも。たった一人の誰かを手にかけた記憶も、無いはずの傷の痛みも、跡形も無く消えてなくなるのだろうか。 昏い淵に手繰り寄せられ、目を閉じる。
手放してしまう前にもう一度だけ呼ぼうと、沈みかけた記憶の端を掴むが、それはあっさりと手をすり抜けて行き、結局思い出すことはできなかった。
誰かが笑う気配。
世界が反転する。

 意識が深淵に引き摺り込まれる瞬間、聞こえたような気がした。
「今回は、僕の勝ちだね」