もうすぐこの旅も終わる。
ブラックレイに潜入する手筈も整い、あとは乗り込むだけだった。目標が手の届くところまで来たというのに、陰鬱な気分は未だ晴れない。
原因は分かりきっていた。
椅子の背もたれを跨ぐ形で座り、ベッドの上で胡坐をかいて荷造りしている術士の姿を、渋面で眺める。
もともと必要最低限のものしか持ち歩かないのか、周りに広げられた荷物は傷薬や術酒といった消耗品が主で、私物らしい私物は見当たらない。
いや、前に「リージョン移動」とかいう、よく分からない物体を見せて貰ったことがある。術士はこれで混沌を渡るのだとか何とか。使っているところを見たことは一度もなかったが。
精霊石、刀、銃。今度は武器の整理に入ったらしい。自分に合ったものを吟味して、腰に差していく。
旅の終わりは取りも直さず、彼が本来の目的を果たしに行ってしまうことを意味していた。

「そっちに行ってもいいか」
「どうぞ」
振り向きもしない。作業の手を止めることなく返された返事に、側に寄って、背中合わせにどっかりと座り込む。
触れた背中の感触に、術士は苦笑した。口にこそ出さなかったが、言いたいことは嫌というほど分かった。一体どんな顔をしているかも。
他人事でこれだけ落ち込めるのも、一種の才能なのだろうか。黙ったままの相手に声を掛ける。
「随分と大人しいね。君らしくないじゃないか」
気に病む必要はない。君にできることなんて何一つないのだから。
「オレらしく、って何だよ」
「いつも、聞かれもしないのに、いろいろ話してくるだろう」
「……悪かったな」
「別に悪いとは言ってないさ。うるさいだけで」
褒めてねえ、とぶつぶつ言う相手に笑みを零した。
 必要なものは、そう多くはない。仲間内で共有していることも珍しくない。大概は、使い慣れた装備で事足りる。
散乱した荷物の中からそれを見つけ、拾い上げた。小さな器に閉じ込められた粒子が、ちらちらと不思議な光を放っている。
「これ、貰ってもいいかな」
肩越しに吊るされたアクセサリの鎖が擦れて、乾いた音を立てた。
「……持って行けよ」
小さく礼を言って、ポケットに捻じ込んだ。再び黙り込んでしまった相手の背中に、体を預ける。
「僕は、君が嫌いだ」
ぽつりと呟く。
正直で強引で強情で傲慢で。ここまで考えて、もしかしたら、自分達は似ているのかもしれないと思い直す。それぞれ、信じているものが違うだけなのだ。
平行線は近くて遠い。交わることは決してないが――
触れた背中を離して、立ち上がる。
「でも、楽しかったよ。それなりにね」

「やあ」
星の天蓋の下で瞑想していた人物は、親しげに声を掛けられて顔を上げた。ここは彼の庭なのだ、訪問者にはとうに気付いていた。
視線の先には、成り行きで先日まで行動を共にしていた人間のうちの一人。術法の習得に執着する以外は、大して記憶に残っていない。
思い出そうとするように目を細め、その姿を眺める。身に纏った紅い法衣は、今は血で染めたかのようだった。
「先に道を開けておいてくれたから、来るのは楽だったよ」
砂の器――生命を代償に作られた、時の砂を掬うための道具を、見せ付けるように軽く放り投げて、受け止める。
「何の用だ」
膝に手を掛けて、立ち上がる。にこやかに笑みを浮かべる相手から見え隠れするそれに、大方の察しは付いたが。
「今日は、時術の資質を貰いに来たんだ」
天気の話でもするような、軽い口調。
「君を、殺してね」
瞬間、術士の顔から笑みが消え、足を半歩引いて構えを取る。
「そうか。好きにしろ」
時術は、時間を支配する強力な術法。上位の術ともなれば人の身には過ぎるが、術法を極める者には、命と引き換えにしてでも手に入れたいものなのだろう。
死に急ぐか、酔狂な。そう呟いて杖を引き抜き――
光が爆ぜた。