「は?」
間の抜けた声で聞き返す。手にしたコップを落としかけて、慌てて掴み直した。
相手もうっかり口を滑らせたのだろう。一瞬しまったという顔をしたが、言ってしまったものは仕方ないという風に、もう一度はっきりと告げた。
「僕は兄弟を殺すために術の資質を集めている」

 最初はただの世間話だった。
宛がわれた宿の一室で、いつものように、どこそこの飯が美味いだとか、あのモンスターが鬱陶しいだとか他愛のない話をしていた。
話をするとは言っても、こちらが一方的に喋るのを、件の術士はベッドの端に腰掛けて、本を読みながら相槌を打って聞いているのが常だったが。
何気なく妹の話題を出した時、彼の口から意外な言葉が漏れた。会ったことはないが、自分にも双子の兄弟がいるのだと。
「兄弟がいるなんて初めて聞いた」と言えば、「聞かれなかったからね」と平然と返してくる。
彼が自分のことを話すのは非常に珍しかった。面白くなって色々と質問していくうちに、それに応える形で言葉を選びながらぽつりぽつりと語り出した。
学院での生活のこと、教師のこと、級友のこと。
そして、外遊の本当の目的を。

「僕ら双子はこのままでは不完全なんだ。術士として完成するために、相手を殺して全てを手に入れる必要がある」
淡々と語られる内容に愕然とする。
自分は家族の仇を討ちに行く。そんな自分を手伝う彼は実の兄弟を殺しに行くというのだ。憎いわけでもなく、ただ力を手に入れるために。頭がどうかしている。
サイドテーブルにコップを叩きつけるように置くと、ずかずかと正面に歩み寄って、上から睨みつける。
「お前はおかしいと思わないのか? 偉い奴に殺せって言われたから、はいそうですかって言う通りにするのかよ」
「思わないし、命令は絶対だ。それに対立する術は一人では取れないからね。二人で分担して習得するのは極めて合理的だと思うけど」
「合理的だか何だか知らないけど、そんなことしたら親が悲しむだろ!」
「どうだろうね。親の顔なんて見たこともないし。生きているんだか死んでいるんだか」
「だったら、そいつがたった一人の家族なんだろ。お前はそれでいいのかよ!」
「じゃあ、黙って殺されろとでも?」
見上げてくる顔に、迷いや疑問は微塵もなかった。自分が一体何に対して腹を立てているのかさっぱり分からない、という態度に苛立ちが募る。
「そういえば、君は両親や妹を殺した相手を探しているって言っていたね」
抑揚のない声で呟く相手の言葉に訝しんで、眉を顰めた。
「悪いけど、僕にはそういう気持ちが理解できない」
君が家族を殺されて怒ったり悲しんだりするのが。二の句が告げられず、拳を握り締めた。背筋に嫌なものが這い上がってくるような感覚を覚える。口の中が酷く乾いた。
相手は、小刻みに震える拳を無表情な顔で眺めながら口を開く。
「同情して貰えなくてガッカリした? それとも僕の身の上に同情した?」
「お前っ!」
声を上げた、と思ったときには、既に相手の横っ面を殴りつけていた。

 ベッドの上にひっくり返った相手の胸倉を掴みあげ、無理矢理引き起こした。怒りに任せて言葉を吐き出す。服を掴む手が震えた。
「理解できないって言うなら、何でオレのやることにわざわざ付き合ってるんだよ」
「……最初に言っただろう。資質を取るなら仲間になるって。それだけだ」
口の中を切ったのだろう、相手は頬を押さえて顔を顰めた。口の端が切れて、血が滲んでいるのが見える。
「口を開けば資質、資質、資質、資質って、それしかないのか? イカれてる」
掴む手に力が入る。首が軽く絞まって、口元を歪めると小さく呻いた。
「でも、僕にとってそれが全てだ」
聞き分けのない子供を諭すような声音。自分にとって、それ以外に価値はない。酷く穏やかだったが、それが却って心に漣を立てた。
そんなのは認められない、絶対に。ぐらつく価値観にしがみついて、必死に食い下がる。
「資質なんて、そこまでして手に入れないといけないようなものか? そんなもののために殺し合うのかよ! 完全な術士が何だっていうんだ、ただの人殺しじゃないか!!」
相手の眉がピクリと跳ね上がる。
「お前の国も、お前も、お前の兄貴も、何もかも間違ってる!!」
絶叫した。

「……知った風な口を利くな」
普段からは想像もつかない、低く冷たい声だった。今までくだらない事を言い合って笑ったりしていたのが、まるで全部嘘だったと言わんばかりの。
目の前の術士が急に知らない人間になったように感じて、一歩後ずさる。いや、最初から何も知らなかったのだ。そして何一つ理解していなかった。
たまに突拍子もない事を言い出すのは、温室育ちの世間知らずだから、ではない。本当はもっと根本的なところから違っていた。
ひた、と自分を見据える目に気圧される。
その底冷えするような視線に、何故か、キグナスで会ったいけ好かない男を思い出した。赤い色が気に入らないなどと、よく分からないことを言っていたが。
「君には君の正しさがあるように、僕には僕の正しさがある」
ぴしり、と空気が割れる音が聞こえたような気がした。相容れない。これ以上やりあっても、永久に平行線なのは明らかだった。
「くそっ」
吐き捨てて、突き放すように掴んだ服を放す。相手は相変わらずの無表情だった。
居た堪れなくなって部屋を飛び出すと、酔っ払いとぶつかる。気を付けろと怒鳴られるが、無視してそのまま階段を駆け下りると、宿から転がるように走り出た。
そして一晩戻らなかった。

 翌日、腫れ上がった彼の頬を見てかなり気まずかったが、向こうから何事もなかったように挨拶されて拍子抜けしてしまい、謝るタイミングをすっかり逃してしまった。
周りからの追求に、本人は「モンスターの攻撃を避け損ねた」と答えていたらしい。誰が殴ったのかすぐに分かったのだろう。他のメンバーから「喧嘩するな」と頭を小突かれた。
その後、この件についてお互いに一切触れることはなく、表面上はいつも通り友人の関係を続け、結局、最後の戦いが終わるまで一緒にいた。
しかし、ブラッククロスを壊滅させて皆が勝利に沸く中、一人忽然と姿を消してしまう。
例の乱暴な捜査官は「またどこかのシップ乗り場でフラフラしてるんじゃないか」と言っていたが、どこへ行っても、あの紅い法衣姿を見つけることはできなかった。