「さぁ〜て、仕事も1日早く片付いた事だし、温泉で1杯と参りますか♪」
「………」
「ん? シロ、どうしたの?」
「拙者だけ先に帰ってもいいでござるか?」
「別に構わないわよ」
「シロちゃん、せめて何か食べてから」

タッタッタッ…

「…って、もう行っちゃった」
「あのバカ犬が食い気よりも優先させる事と言えば…………オス犬?」
「タマモちゃん、それは幾らなんでも…」
「そんな事どうだっていいわよ。私達は私達で楽しみましょ♪」
「そうよね」
「そうですね」










タッタッタッタッ…










タッタッタッタッ…










タッタッタッタッ…











「ハァハァ……や、やっとついたでござる…」

ガチャ

「先生……」

スタ、スタ、スタ…

グシャッ


「あ、こんな所に置き手紙が……えっと、



『お前が仕事終える頃までには戻ってくる。その頃になっても俺が帰って来ない場合はこれを使え』



これって、どれの事でござ…………あ」




















コロコロコロ……











   わんっ! 〜輝く季節へ
第6話


「ごちそうさまでちた〜☆」
「ああ…お茶が美味い……」
「ポチ、何か爺臭いでちゅ」
「いや、久しぶりに美味しい緑茶を飲んだなと思ってつい」
「ふふっ、お世辞を言っても何も出ませんよ」

差し迫った危機を『忘』の文珠で何とか切り抜け、今は朝食の時間。
今の俺にとって、これ以上皮肉な話はない。

「ところで、ここへはどのような要件で参られたのでしょうか?」
「え、えっと…」
「修行……ではないようですね」
「はい」
「あ、そう言えばまだ名前を聞いてませんでしたね」
「横「ポチでちゅ!」
「こらっ! お客様をペット扱いしちゃいけませんっ!」
「名前なんかどっちでもいいっすよ」
「そうですか?」

違う。どっちでもいい訳じゃない。
『お客様』よりは、ペットの方がまだマシと思える位だ。





ガラガラガラ…

「やっぱ、風呂上がりはコーヒー牛乳が1番なのねー」
「相変わらずベスは暇みたいでちゅね」
「もうその呼び名はやめて欲しいのね〜(泣)」

ヒャクメか。未だにペット扱いのようだ。難儀な奴……。

「あ、お客様が来てるのね」
「ちわーす」
「………」
「ベス、何ポカンと口開けてるでちゅか?」
「まさか、俺に一目惚れ…」
「それは絶対に違うのねー」
「……頼むから、速攻で否定せんでくれ。ヘコむから」

多分、一瞬混乱したんだな。俺の記憶を覗き見して。
う〜ん、ヒャクメにも困ったもんだ……って、ツッコミはまだか?
とっくに、俺の思考は読んでるだろうに。

「ヒャクメ、まさか彼の心覗いたんじゃないでしょうね?」
「そんな事してないのねー」
「嘘でちゅ。この前も私が掃除サボったのチクったでちゅ」
「それは、サボる方にも問題があると思うが」
「覗きたくても覗けないのねー。だって、この世界に存在しないモノは千里眼でもお手上げだから…」
「ヒャクメ、それはどういう意味ですか?」
「言った通りの意味なのねー」
「つまり、俺はこの世界に存在しない……という事になっている訳か」
「でも、ちゃんと触れるし、ご飯もしっかり食べてるでちゅよ」
「彼の場合、実体に存在が伴ってないのねー」
「全然訳が解らないでちゅ」
「つまり、どういう事かと言うと…」

要するに、世界が俺の存在を認知しなければ、俺という実体に意味などないという事だ。
喩えて言うなら、光すら届かない宇宙の地平の向う側にある星々のようなもの。観測が不可能なものは存在として認知し得ず、従って人々の記憶にも残らない。『存在』とはこの世界の記憶そのものである、と言っても過言ではないだろう。
今の俺は、世界にとっては、ある筈のない幻に過ぎないのだ。

「で、ベスは結局何が言いたいんでちゅか」
「要するに、俺に千里眼が通じないのは自分の責任じゃない。自分は決して役立たずなんかじゃないと言いたいんだろ」
「ようやく納得できたでちゅ」
「ふぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん (T△T)」

ヒャクメは部屋の片隅ですっかりイジケている。

「ベスをからかうのはこれ位にして、そろそろ本題に入りまちゅよ」
「何でパピリオが仕切ってるんだ」
「そんなのはどうでもいい問題でちゅ」
「そうですね。それより、貴方に聞きたい事があります」
「何ですか?」










「初対面を装うのは、辛くないですか?」
「えっ」
「私は……何も思い出せないのが……とても悲しいです」

忘れられた事はさほど辛くない。

「ポチ…」

大切な存在を悲しませる事に比べれば。

「私は、ポチの事、忘れてしまったんでちゅね?」

俺は今、罪を犯している。

「辛かったんですね…」

小竜姫様が、ハンカチを差し出す。
もしかして、俺も泣いてるのか?
そーいや、何で今まで泣けなかったんだろうな……。

ピトッ

あれ、今度は背中に……

「今は、精一杯甘えた方がいいのね…」

暖かい。とても暖かい。










今はただ、癒してもらおう。
それが、今の俺にできる精一杯の謝罪であると信じて。















皆に見送られながら、妙神山を後にする。
結局、最後まで『横島忠夫』の名を口にする事はなかった。
忘却される運命にあるなら、告げる意味はない。
まして、記憶が戻るなら、告げる必要はない。





静かな山道。ふと、立ち止まる。
ゆったりとした時間の流れの中で、ふとその場に取り残されそうな錯覚。
もう一度歩き出す。風景が流れる。
そして、真っ赤に染まる空を何気なく見上げながら再び立ち止まる。





そして、俺は不思議な概視感にとらわれた。
それは、涙が出てしまうような琴線に触れるものだった。
どこまでも続くようなこの空の果てに、もう1つの自分の居場所を感じる。
そこで自分は、2度と帰っては来れない、この場所を思うのだ。





……2度と帰っては来れない?





どうしてだろう…よく解らない。
ずっと続いている違和感。
ふと感じるのは、客観的なイメージとして、今の自分がここに存在しているということだ。
どこか…つまり、あの空の向こうとも比喩すべき場所にいる自分が、
俺の存在をずっと見守っているような気がする。





「こんがらがってきたな…」





何よりもそれらはイメージだ。





「この空か…」

俺はただひたすら、空を眺めていた。
空に、同じ空はない。
繰り返し様変わり、時間の長さを感じさせる。
それが、こんな奇妙な感慨を彷彿とさせるのだろうか…?
なによりも、独りだというのがいけないんだろうな。
誰かと居れば、もっと騒いでいられるのに。

「………シロ」

光景が一瞬にして変わった。










気が付くと、俺は自分の部屋に戻っていた。

「先生、お帰りなさい…」

俺がこの世界に存在する理由が、そこにいた。

「おい、手紙ちゃんと読んでたのかよ。文珠使うの早過ぎだぞ」
「だって……拙者……寂しかったでござるぅ…」
「全く、しょうがない奴だ…」

夕焼けの見えない部屋の中で、俺達はただ抱き合っていた。


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[平成16年9月1日更新]