「今日の課題は、『心』だ」
「心、ですか?」
「『魂』でも『精神』でも、『思い出』でも構わん。とにかく、自分の内面に存在する何かをありのままに描く事。分ったな」
「「「はーい」」」
「一応釘を刺しておくが、不真面目な内容のものは却下だからな」
「先生、裸婦像はありっすか?」
「内容次第だな。少なくとも、男子が普段家で読んでいるような絵はNGだ」
「だそうだ、横島」
「何で俺に振る!」
芸術に全てを捧げた私ではあるが、くされ仕事はもう1人の私に任せっきり……という訳ではない。
たまには、気分転換のためバトンタッチする事もある。
無論、もう1人の私に休みなどない。教職が家の掃除に変わるだけだ。
気分転換が目的だから、くされ仕事を真面目にする気など更々ない。
明日済ませればよい仕事は絶対しないし、授業は適当に絵を描かせて終りだ。
それでも、勤勉な教師を装う仕草だけは欠かさないようにしている。
「今日はドッペルじゃないんですね」
生徒達の絵を見る振りをして適当に教室の中をぶらついていると、小声で横島が話し掛ける。
「よく分ったな」
「分りますよ。ドッペルは勤勉な素振りなんてしませんから」
「つまり普段の『暮井緑』は、自堕落な美術教師として見られてるって事なのか」
「見られるも何も、それが真実の姿だと思うけど」
「……まあいい。別にお前らにどう見られようと私の知った事ではないからな」
カキカキカキ…
カキカキカキ…
カキカキカキ…
終了のチャイムまで残り10分。
意外な事に、適当に絵を描いて後はのんびり、という生徒は1人もいない。
皆、与えられた時間を最大限に行使してキャンバスに挑んでいる。巧拙の差こそ明瞭ではあるが。
よし。たまには美術教師らしい事をしてみようじゃないか。
まず、『青春』が口癖の女生徒から。
「これは…授業風景か。でも、モデルはこのクラスじゃない様だな」
「分りますか?」
「ああ、これだけ描けていれば、その程度の判別は容易につく」
「これは、私の心の中の学校なんです」
「あれ、見覚えのある顔もあるな。教師とはとても思えない格好の女性と、この男子生徒…」
女生徒の顔が見る見るうちに赤面した。彼女は横島の方をちらちら見ている。
見比べてみるが、誰がどう見ても当社比200%だ。それでもオリジナルが誰であるか把握できるから、大した物だ。
次は、モデルとしては言う事なしの男子生徒。
「これは…何処かの風景画か?」
「はい、目を閉じたら故郷の景色が浮かんだもので」
「……ジンバブェか?」
「イタリアです」
ctrl+alt+delete
ctrl+alt+delete
いかん。目がストライキを起こしてしまった。
早くまともな絵を見て目を消毒しないと、芸術家生命が絶たれてしまう。
「ワ、ワッシの絵はどうですカイノー」
あんまり期待はできんが…幾らなんでもあの絵よりはマシに違いない。
「や、やっぱ似てないですカイノー」
「いや、モデルの娘知らんからそこまでは何とも言えんな」
……多分、これはドヘタなんだろうな。
もしこれが正確な描写だとするなら、あまりにも酷い。
「……とりあえず目の保養にはなったかな」
嘘は言っていない。常識的な範囲のドヘタで心底安心した。
「ハァ…」
「おい、何を難しい顔をしている」
「魔理しゃんにプレゼントしようと思ったんジャが…」
止めといて正解だ。これで当面の破局は回避されたぞ。
「先生、さっきから本音がだだ漏れっすよ」
「そんな事は分ってる。ドヘタをドヘタと評してどこが悪い?」
「評論家としては正しいけど、教育者としてはどうなのかなぁ」
生憎だが、私はくされ仕事をライフワークにするつもりはない。評論家も願い下げだが。
ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン
これで本日の授業は終了。
後は、適当に時間潰して帰るだけだ。
とりあえず、クラス全員の絵に目を通してみるか…。
1つだけ、気になる絵があった。
技術自体は稚拙だ。あまり上手いとは言えない。
しかし、芸術とは技術の巧拙が全てではない。技術が万能なら、それこそ芸術も機械任せ、コンピュータ任せにしてしまえばよいだろう。
当然の事だが、そんな芸術もどきには誰も感銘など受けない。テクニックはあくまでも表現者の心を伝える手段でしかないのだ。
その意味では、この拙い絵は表現者の心を伝えきっているが故に、明らかに芸術だった。
「………」
そこに描かれていたのは、純白のウェディングドレスを纏い、ダイヤ(と思う)の指輪を嵌めて空に浮かんでいる女性。
彼女の周りを宝石のような光点が飛び交っている。とても幻想的な絵だ。
数日後。
「横島、今日もバイトか?」
「あ、今日は本物の方っすか」
「そんな事はどうでもいい。バイトに遅れても構わないのなら、放課後に美術準備室へ来い」
「もしかして愛の告「違う。とにかく暇なら絶対来い」
そして放課後。
ガラガラガラ…
「失礼しまーす」
「来たな。無駄話は嫌いだから、早速本題に入るぞ」
「分りましたっ! では早速」
「脱ぐな。誰がお前のヌードを描くと言った」
「という事は、俺がヌード描くんですかっ! 先生のなら喜んで」
「この絵を完成させてくれたなら、好きなだけ描かせてやるぞ」
煩悩高校生のボケを適当にあしらいつつ、机の上に伏せてあった絵を見せる。
すると奴は、複雑な表情を浮かべた。
「何で俺だけなんですか? クラスの半分以上は未完成のまま提出してたと思いますけど」
「完成形を見たいからに決まってるだろ。勿論、評価は上乗せしてやる」
「いいんですか? そんな不公平な事しても」
「構わんだろ。別に皆の将来に悪影響を及ぼす訳でもなし」
「第一、こんな下手な絵を完成させたって高が知れてるでしょう」
「高が知れるかどうかは、やってみなければ分らんだろ」
「先生、何でこの絵に執着するんですか?」
「それが分る位なら、こんな事お前には頼まん」
それにしても意外だな。てっきり、色欲に目が眩んで続きを描いてくれると思ったんだが。
……いや、だめだな。そんな動機で描かせても絵に魂が篭る訳がない。
愚かだな、私も。こんな基本的な事に気が付かないとは。
「俺に頼んでも無駄っすよ」
「何でだ」
「描いたのは俺じゃないっすから」
「じゃあ誰が描いたんだ?」
「『彼女』です」
そう言うと、奴はあの絵の中の女性を指差した。
「お前の中の『彼女』が、この絵を描かせた…とでも言うのか?」
「信じてくれなくていいですけど、とにかくそういう事なんで、俺ではどうにも…」
「まあいい。お前の心の中の真実など、私の預かり知らん事だ」
ガラガラガラ…
「お邪魔しまーす」
「おい愛子、何しに来たんだ」
「横島君が先生に呼び出されて2人きりって聞いたから急いで駆けつけたのよ」
「文字通り、邪魔しに来たんだな…」
「……まさか本当に、私がいると邪魔になるような事」
「してないしてない」
「あれ……この絵、もしかして」
「こら、人の絵勝手に見るんじゃない」
「へぇ……これ横島君が描いたんだ」
「なっ! 何で分ったんだ!?」
「だって名前書いてあるから」
「丁度良かった。君はこの絵をどう思う?」
「どう思うかですか……一言で言うと『羨ましい』かな」
そう言うと、彼女は複雑な表情を浮かべた。
聞きたい事があるのに、それは相手の禁忌に触れかねないが故に本人に問い質す事ができず、内心歯痒く思ってる。喩えて言うなら、そんな感じだ。
「絵の中の彼女に嫉妬しつつも、未完成のままの彼女を何とか完成させてあげたい。そんな気がします」
「という訳だ横島。期限は設けないから、何とか完成させてみないか?」
「だから無理ですって。それにもう完成してるんですよ」
奴は自分の胸を指差す。
「俺の中にね」
「私達には見せられない、という事?」
「俺以外が見る必要はない、という事だ」
「芸術を独り占めするとは、不埒な奴だ」
「俺の技量でこの絵を仕上げても、せいぜい粗悪品のコピーがいいとこですよ」
「そうか……残念だな」
「ねぇ、折角だからこのまま何処かのコンクールに応募してみるのって、どう?」
「何でそんな話になるんだ」
「だって勿体無いし」
「じゃあ手続は私がやっておこう」
「何でわざわざ恥になる事するんですか…」
「恥を掻くとしてもそれはお前だ。私じゃない」
「もう、勝手にして下さい…」
帰り道。
「そう言えば、応募するなら題名が必要だな…」
他人の絵の題名に知恵を搾るなんて馬鹿らしいと思ってた所に、近くのCDショップから流れてきたのはビートルズのあの名曲。
[平成16年9月22日更新]