骸さまが小さな苗を買ってきた。鮮やかな緑のぎざぎざした葉っぱ、少しだけ甘みを含んだ清涼感のある芳香。ミントだ。
「どうするんですか、そんなもの」
 千種が問うと、骸さまはまるで馬鹿な子供に言い聞かせるかのように答えた。
「決まっているでしょう?育てるんですよ」
「……めんど」
「聞こえてますよ!」
 骸さまは左手に大事そうに苗を抱えていて、右手にはビニール袋を提げていた。中を見ると、小さな移植ごてと万能ばさみが入っていた。鉢がないから露地で育てるつもりなのだろうか。確かにスペースだけはあるけれど、土はあまり園芸向きではない気がする。
「育て方、調べてきます」
 わたしはそう言って、ヘルシーランドを出た。だから、千種と、ミントの香りに逃げ出した犬がどうなったかは知らない。
 図書館や本屋やインターネットカフェに行ってもよかったのだけれど、わたしは敢えてそうしないで、並盛へと向かうバスに乗った。ボスのお母さん、奈々さんに聞こうと思ったのだ。
 いつでも来てね、と笑ってくれたあの親子が、わたしはとても好きだ。けれどやはり用事もないのに行くのは申し訳なかった。だから、骸さまをだしにしてしまって申し訳ないのだけれど、この機会を無駄にしたくなかったのだ。
 沢田家は相変わらず騒がしかった。わたしは呼び鈴は押さず、庭に回る。奈々さんは丁度洗濯物を干し終えたところだった。
「こんにちわ」
 声を掛けると、奈々さんはにっこりと笑って、わたしを家にあげて冷たいミントティーを出してくれた。香りもいいしとてもおいしい。もしあのミントがうまく育ったら、骸さまにすこしだけ分けてもらって、こうしてお茶にして皆で飲もう。それはとてもいいアイディアに思えた。
「来てくれて嬉しいわ!ずっと待ってたのよ」
 無沙汰を責めるでもなく、突然来たことを怒ることもなく、彼女は心底嬉しそうにそう言う。それに勇気をもらって、今日訪ねた理由を切り出した。
「ええと……ミントを育てたいの。奈々さんなら知ってると思ったから」
「ミント?そうねぇ、苗はもう買ったの?それとも種?」
 骸さまが持っていたのは苗だった。だからそう言うと、奈々さんはまたにっこり笑った。
「そう、苗は種より育てやすいから、初めてならいいと思うわ!種から育てるのもすてきだけどね」
「育てやすい……」
 少しだけほっとした。骸さまもわたしも千種も犬も、まともに植物を育てたことなんてないから、少しでも育てやすい方がいい。
「ミントは根っこがよく伸びるから、露地に植えると増えすぎて大変なことになっちゃうの。だから、慣れてないなら鉢に植える方がいいわね」
「鉢?どんなの?」
「そうねえ、ミントは湿った土が好きだから、素焼きよりも釉薬が掛かった陶器だとか、プラスチックの鉢がいいと思うわ。ほら、こういう素材のよ」
 そう言って奈々さんは、キッチンの端から小さな観葉植物を持ってきて見せてくれた。その鉢はつやつやの陶器だ。
「かわいい」
「ありがとう。ミントは成長が早いから、ちょっと大きめのにしてあげてね」
 それから奈々さんは、さも名案を思いついたかのように、嬉しいことを言ってくれた。
「そうだわ!今から一緒にお買い物に行きましょう!ちょうど、近所に園芸のお店があるのよ」
 もちろん異論などない。二階でいちゃついていたらしいアルコバレーノと毒サソリに留守番を頼んで、私は奈々さんと家を出た。
「春光園っていうのよ、すてきな名前よねえ」
 そう言って笑う奈々さんもすてきだと思う。優しくて可愛くて暖かい、春みたいな人だ。ボスもだけれど。
 春光園はなかなか大きな店だった。屋外に花、野菜、ハーブ、様々な苗が並んでいる。もしミントがうまく育って、もう少し園芸に慣れたら、ほかのものも育ててみたいな。自家製の野菜が食卓に並ぶのはきっととても嬉しい。ラベンダーでポプリを作るのもいい。
 奈々さんは苗に水をやっていた店員にひとことふたこと声を掛けると、わたしを呼んだ。
「奥にね、たくさん鉢があるのよ」
 その言葉通り、苗と苗の間の細い通路を抜けた先には、大小様々な鉢が並んでいた。ボスのちっちゃな掌に収まりそうなものから、わたしが入れてしまいそうなほど大きいものまで。デザインも、ハート型、レトロな自転車型、縄文土器風のもの、本当に様々だ。
 あまりにたくさんありすぎてどうしていいかわからず、ただ立ちすくむわたしに、奈々さんがいくつか鉢を見繕ってくれた。
 白いの、紺色の、茶色の、黒いの。形も様々で、少しだけ迷ってしまったのだけれど、結局白くて丸いつやつやの鉢にした。
 鉢のほかに、奈々さんと店員のアドバイスで、鉢底石、ハーブ用の培養土、固形肥料、虫除けのネット、そしてニームケーキとニームオイルを買った。
「ミントにも虫がつくのよ。だから、つくまえにしっかり予防してあげなきゃね」
 ニームというのはインドのハーブで、ミントにつく虫は嫌がるらしい。葉っぱを食べるものだから農薬は嫌でしょうとまで言ってくれた。わたしたちはそんなことを気にできるほど幸せに育っていないけれど、だからこそこの気遣いが嬉しかった。
「特に気にしなければならないのは、ヨトウムシとハダニですね。ヨトウムシはヨトウガの幼虫で、ネットを張って親を近づけないようにすれば予防できます。ニームケーキを使うのも効果的です。ハダニはニームオイルと、それから水に弱いので、水やりの時に葉に霧吹きで水をかけたり、週に一回はシャワーで歯の裏を流してあげてください」
「虫がついたら、どうなるの?」
「ハダニは葉の汁を吸って葉を駄目にします。それから、葉に糸を出すので、光合成ができなくなっちゃうんですよ。ヨトウムシは葉を食い荒らして、こちらも光合成ができなくなってしまいます。小さなハーブなら一晩で葉がなくなります」
 そこまで説明して、店員は店の電話番号が書かれたカードと、ハーブの育て方が書いてある小冊子をくれた。
「何かあったらいつでも電話してください。害虫対策の方法をお教えします。農薬も扱ってますし」
「……ありがとう」
 正直に言って、こんなに親切にしてもらったことはあまりない。服や化粧品を買いに行くとうるさいくらい店員が話しかけてくれるけれど、それだって買うと決めるまでだ。だから、この店と店員には、とても好感を持った。少し遠いけれど、きっとまた来よう。
 奈々さんはマロウの苗を買っていて、育ったらお茶にして出してくれると約束してくれた。マロウはきれいな青いお茶になるのだけれど、レモンを入れると赤くなるのだそうだ。骸さまみたいなこのハーブを、奈々さんならきっとうまく育てるのだろう。その日がとても楽しみだ。
 わたしも負けないように、骸さまのミントを育てなくちゃ。