ツナはあまりバランス感覚が良くない。それなのに、下駄で、しかも雪で濡れたコンクリートの上を走るだなんて、自ら転ぼうとしているようなものではないか。泣いていれば視界だってきかないだろう。幻騎士は慌てて後を追った。
 幸い、コンクリートは足音がよく響くし、ツナの白い浴衣は闇の中で目立つ。加えて幻騎士が洋服のままだったのもよかった。離れの裏側に回り込んだツナを捕まえるのは容易かった。


 ツナに追いついたのは、ふたりの泊まっている離れの裏手の、煌々と灯るカンテラ風の明かりの真下だった。隣の離れと露天風呂をつなぐ通路にもなっている場所だが、都合の良いことに人気はない。
気配を消していたせいか、ツナは背後の幻騎士に気づかず、足を止めて泣きじゃくっている。時折漏れる嗚咽に、胸と喉がひどく痛んだ。
(一体これはなんだ)
 自問しても答えは出ない。ならば、こんな無駄なことを考えるよりも、ツナと話をするのが先だ。決断は早かった。
 逃げられないようにツナの手首をそっと掴んで声をかける。
「ボンゴレ、どうして逃げた?さっきのあれはいったいどういうことだ」
 返事はないが、構わずに続けた。
「すまないが、さっきからお前の言っていることがまったくわからん。一体何の話をしている?『あのひと』とは誰のことだ」
「……ゆ、ユニの、おかあさん……ファミリーって言っても、家族とかそう言う関係じゃなかったって、あなたがあのひとに忠誠を誓ってたって聞きました。ファミリーのみんなを裏切って白蘭についたのだって、半分はあの人のためだったんでしょう?」
 開いた口がふさがらないとはまさしくこのことだ。一体この子供は何を言っているんだ、にわかには理解できなかった。どこから話をしたらいいのか迷い、口を開いては閉じてを何度も繰り返す。
 一方ツナは、相変わらず俯いたまま、悲しそうに続けた。自分の発言にさらに傷ついているのか、言葉はどんどん幼く、支離滅裂になっていく。
「オレ、ひとりじゃ浴衣も着られない」
「は……浴衣?」
「さっき、幻騎士さん、呆れてた。それなのに、脱いじゃったら、また同じことで面倒かけることになっちゃう」
 しゃくりあげながらもそれだけどうにか言って、ツナは空いた手で乱暴に目許を擦った。
「オレは本当にダメツナで、あのひとはきっとこんなんじゃなかったんだろうって、死んだのにズルいなんて思って……だって、オレ、あのひとが生きてたらきっと敵わない。こうやって時間を割いてもらうこともできない。それで、死んでてよかっただなんて思っちゃうんです。オレ、最低だ……ほんとに、人が死ぬことを喜ぶなんて」
「おい、ボンゴレ」
「こんなオレいないほうがいい。オレなんかにこれ以上時間を使うの、もったいないです。おねがい、もう、ほっといてください……気にしてくれてありがとうございました。せっかく優しくしてくれたのに、無駄にしちゃって、ごめんなさい」
 とうとうツナは、幻騎士につかまれた腕だけを高く掲げたまま、ずるりと座り込んでしまった。浴衣が湿った土に汚れるのにも気づけないようで、ただ泣きながらごめんなさいと繰り返している。きっと罪悪感に押し潰されそうなのだろう。
「泣くな」
 幻騎士は膝を折り、ツナの前に跪く。力なくうなだれるその姿は、まるで艶やかな姿のままぽとりと落ちてしまう椿のようだ。
(俺は、何もしてやれない)
 声を殺し、涙を隠して泣く大切な子供を、この悲しみの中から掬い上げてやりたい。だが、してやれることといえばその手を放さないことくらいだ。それになんの効果もないというこどなど、嫌というほどわかっているのに。
 どれだけ剣の腕が立ったって、惚れた相手ひとりの力になれないのなら、少しも意味などないではないか。
「……頼む、頼むから、泣かないでくれ」
 懇願したってどうしようもないとわかっているくせに、出てくるのはそんな言葉ばかり。
 一体どうすればいいのだ。ぐるぐる回る思考を嘲笑うかのように、無情にも夜は更けてゆく。ほとほと落ちる涙の意味すらわからないような情けない男の目では、救いの光などどこにも見つけられない。