食事の間、ツナはほとんど顔を上げなかった。ふさぎ込んだ様子で、ただ緩慢に機械的に箸を口に運んでいく。もちろん会話などない。時折給仕に来る仲居に笑顔を見せたりもしたが、それも無理をして作っていると一目でわかるようなもので、本物の無邪気な顔を知っている幻騎士にはかえって痛々しく見えた。
 浴衣の袖からちらちら覗く腕は、病的といっても良いほどに白く細く、かさついている。
(先月よりひどくなっている……)
 幻騎士が日本を離れていたたったひと月の間に、ツナはひどく憔悴していた。それで息抜きだなんていってこうして連れ出したのだが、これではまったく逆効果だ。
 並盛にいた間はまだ取り繕えていた。ツナの家族も守護者も、あの家庭教師すらもごまかしてしまえるほどに、自然にふるまえていた。それなのに今のこの様はどうだ?隠す必要がないと思っているのか、それとも隠せるだけの気力がわかないのか。どちらにせよ、ストレスの解消という観点から考えると、この旅行はこれっぽっちも役に立っていないことになる。
 肉体的な不調か精神的な不調か。何か思い悩むことでもあるのか。幻騎士にはそれすらわからない。
 二人の間にあるあらゆる差異が、問題をよりややこしくしていた。ただでさえ、国籍も民族も、宗教も、職業も、学歴も何もかもが違うのに、それに十を軽く越す年の差が加わってしまって、幻騎士はもうツナのことがわからなくなってしまった。
 そう、幻騎士はツナが何を考えているのか理解することを諦めてしまったのだ。目の前でうなだれる子供が何に悩み、何に苦しんでいるのか。どうしてそれを話してくれないのか。何もかも考えることを放棄して、こうして息抜きだなんてうわべだけの言葉で彼を連れだした。それで良いわけなど絶対にないのに、彼の本心などわかるわけがないと、わからないままでもやっていけると、思ってしまったのだ。
 そのつけを今払わされているのだろう。ツナを前に、幻騎士はひとり途方に暮れる。
 せっかくふたりでいるのに、彼は声すら聞かせてくれない。もともと幻騎士は口数が少ないから、ツナが話をしてくれなければ、世界は無音のままだ。
 静寂は好きだ。だが、今はひどく居心地が悪い。喉に重苦しく詰まったなにかを流しこんでしまおうと、猪口になみなみと残っていた酒を一気にあおった。そうせずにはいられなかった。
 先に食事を終えたツナは、けだるげに板の間に移動し、ぐったりと四肢を投げ出すように椅子に座り込んだ。顔からは血の気が引いて、まるで人形のようだ。
「沢田」
 馬鹿げた考えを振り払うかのように、気づけば喉奥から声をしぼりだしていた。ツナが緩慢に顔を上げる。
「なんですか?」
「疲れたか?」
「ちょっとだけ……ああ、でも、大丈夫です」
「ならばいい」
 幻騎士は頷き、それから取って付けたかのように続けた。
「……そうだ、風呂にでも行くか。確かいい露天があったと」
 もちろんツナがただ疲れているだけでないというのはわかっている。だが、環境をかえ、美味いものを食べ、日常を忘れてくつろいでもだめならば、後はもう、ひとっ風呂あびてさっさと意識を遮断してしまうのが一番彼のためになると思ったのだ。日本人は温泉や露天風呂が好きだと聞いていたし、いくら冬とはいえ、埃っぽい体のまま寝るのは嫌だろうという目算もあった。
 それでそう誘ったのだが、予想に反して、ツナはまるではじかれたかのように激しく首を横に振り、悲鳴のような声を上げた。
「いい、いいです!」
「だが……」
「オレはいいです!幻騎士さんはオレのことなんか気にしないでゆっくりしてきてください!その……幻騎士さんだって疲れてるんですから」
 一日くらいお風呂に入らなくたって大丈夫です。ツナは絞り出すようにそう続けて、また俯いてしまった。
 きっと幻騎士に気を遣わせまいとしたのだろう。沢田綱吉というのはそういう子供だ。そんな彼にこんなに健気なことを言われ、なら遠慮なくと風呂に行けるほど、幻騎士はいい加減な人間ではない。
「お前をひとりにして、ゆっくりなどできるわけがない」
 できるだけ脅かさないように、怖がらせないように。そんなことを自分に言い聞かせながら立ち上がってテーブルを回りこみ、ツナの座る椅子の横に立つ。こうしてみるとますます小さいななどと考えながら、座ったままのツナに覆い被さるようにして抱きしめた。
 怯えさせている、それはわかる。だが、それでも、放してやることなどきっとできないのだ。
「……できるわけが、ないだろう」
 ぽつりと唇からこぼれたそれが、風呂のことなのか、それともこの子供を手放すことに対しての言葉だったのか、幻騎士自身にももうわからなかった。
 ツナは俯いたまま、ありがとうございますと、しゃがれた声で言った。


 布団を敷いて仲居が去った後で、幻騎士はツナを庭園へと連れ出した。先ほど見惚れていたようだから、ゆっくり見せてやろうと思ったのだ。幸い、風呂を諦めたために、時間はたくさんある。
 ツナは相変わらずの表情だったが、灯籠や池や川にいちいち足を止め、感心したようにため息をつく。その様子に、幻騎士も微かながら安堵の息を漏らした。
 ツナが何かに思い悩んでいることは知っている。その原因はわからないし、理解することはできないだろう。だがそれでも、少しでもそのことを忘れて楽しんでくれればと、何かをせずにはいられないのだ。
(これで、悩みの種まで打ち明けてくれれば文句はないのだが……だが)
 つきあっているわけでもなんでもないのだから、強制もできない。
 今のところ、他の誰かを相談相手に選んでいる様子のないことだけが救いだろう。これまで気づく機会がなかっただけで、幻騎士はたいへんやきもちやきな男だった。そう、この子供を他の客に見せたくない一心で、わざわざ離れをとってしまうくらいには。
 そんなことを考えているうちに、いつの間にか、ツナは足を止めていた。
「ボンゴレ」
 そうっと薄い肩に手を回し、体ごと自分の方を向かせて、幻騎士は息をのんだ。あどけないふくよかな頬が、涙で濡れてべとべとになっているのだ。拭おうと触れると、驚くほど冷たくなっていた。
「どうした?なぜ泣く?」
 幻騎士が問うと、ツナは力なく首を振って、俯いてしまった。
「ごめ……ごめんなさい。オレが、迷惑とか我が儘とかいっぱい言うせいで、幻騎士さん、ぜんぜんくつろげてない。せっかくお休みなのに」
「そんなことはない」
「あります!だってオレ、自分のことだってちゃんとできない!!」
 いったい何のことを言っているのだ。いっそそう問いつめてしまいたいほど、幻騎士にはツナの言うことの意味が分からない。分からないが、それを実行するのは憚られた。それほどツナは必死に、全身で訴えかけていた。
「幻騎士さんだって呆れてた……!お、オレは本当に何にもできないんです。ダメツナだもん!でも、でも、そんなの最初からわかってたことじゃないですか。呆れるぐらいなら、オレなんか最初っからよばないでほしかった!」
 胸が苦しくて仕方ないというように袷をぎゅうっと握りしめ、ツナは勢いよくきびすを返して駆けだした。去り際にぽつりと爆弾を落として。
「オレはあのひととはちがうんですから」