幻騎士はツナとふたり夜道を歩いていた。駅ビルを挟んで反対側にある公園まで、買い物ついでに散歩でもしようということになったのだ。
並木道を見上げてツナが歓声を上げた。
「ずいぶんとあったかくなってきましたね!わ、桜が咲いてる」
「そうだな。今年はどこかに見に行くか」
「楽しみです!昔、一回だけ、家庭教師と学校の友達と先輩と、みんなでお花見したんですよ!いろいろゴタゴタしたけど、そのときもすっごく楽しかったなー」
「……会いにいくか?おそらく大した手間ではないが」
並盛のことは、依頼を承諾した時点でティモッテオから聞いていた。あの街に帰りたいのだろうか。それならば協力は惜しむまいと幻騎士は拳をにぎりしめた。爪が皮膚にくいこんでちりちりと痛むが、本当に痛いのはそこではないはずだと、自覚してしまったやっかいな感情が叫ぶ。
しかし、幻騎士の予想に反して、ツナは大丈夫ですと笑い声をあげた。
「ええと、その、自分で話しといて何なんですけど」
「何だ」
「みんなどこで何してるか、大体想像つくから、いいです」
どうすれば会えるかもわかってるし。そう言ってツナは天を仰いだ。ビルに挟まれていてかなり狭くはなっていたが、それでもぽっかりと空いた大通りの上空には、砂粒のような星がきらきら輝いていた。
みっつめの十字路にさしかかったとき、ふと、すぐそこに個人経営の内科の医院があるのを思い出した。病院と言えば、連想するのはひとりの女性の以外にない。幻騎士はできるだけ何気なく聞こえるように口を開いた。
「奈々さんはそろそろ退院だろう。その後の生活のことは考えているのか?」
「え、あ、いや、それがなかなか……その、うちはもうないからどこか探さないといけないんですけど、家賃とかけっこうかかるし、その前にまず仕事から見つけないといけなくて……でもオレ本当に何もできなくて」
高卒だし資格もアルバイトの経験もないしと俯いて続けるツナに、幻騎士はがらにもなく頬が緩みそうになった。
「そうか……綱吉」
「はい?」
「本当は俺がこんなことを言うべきではないのかもしれないが」
駅から続くメインストリートとはいえ夜道に人は少ない。それをいいことに幻騎士は首をかしげるツナの手を取り、指を絡めた。
「おまえの具合がよくなっても、奈々さんが退院しても、このままずっと、うちにいてくれないか」
それでもツナはわからなかったらしい。幻騎士は苦笑して、もうすこし直球を投げることにした。
「あの家で俺と生涯を共にしてほしい」
「なっ……」
「ずっと、どちらかが死ぬまでずっとだ。俺と一緒にいてほしい」
いつの間にか足は止まっていた。
*
幻騎士が出かけてすぐに、ツナは、それまで自分が使っていた部屋から家具や荷物を全て出して掃除をはじめた。今日から奈々がこの部屋を使うからだ。
母子ふたりで暮らしていた頃は、家事はすべて奈々に任せきりだった。だが、この家に置いてもらうようになってからは、不器用ながらもツナがやるようにしている。何か少しでも幻騎士に返したいと思ったからだ。
(ほんとにいい人だよな、幻騎士さんって。あんな人に会えてよかった)
ツナとはじめて会ったとき、幻騎士は、ツナを探していた理由を人に頼まれたからだと言った。彼にしてみれば、さっさとツナを引き渡してお終いというつもりだっただろう。それなのに、こうしてここへ戻ってきてこんなに迷惑をかけているのに、幻騎士は出て行けなどとは一切言わずにいてくれる。
(いや……どっちかっていうと変な人か!オレに、あ、あ、あんなこというんだもんな!)
一緒に寝てくれとか、一緒にいてほしいとか。思い出してしまうともうだめだった。鏡などなくても、赤面しているのがよくわかる。誰もいなくてよかったと心底ほっとした。
雑巾がけが終わったら今度はカーテンを新しいものにし、空にした家具を戻して、シーツやピローケースなどベッド周りのリネンを洗濯ずみのものにかえていく。きっと奈々はしばらくここから出られないだろうから、少しでも居心地が良くなるようにと、ていねいに皺を伸ばした。
先日ツナは、幻騎士のあの言葉を受け入れた。男同士だし、自分が汚い、価値などこれっぽちもない子供だということはちゃんとわかっている。だが、そんなツナにあれだけしてくれた恩人に一緒に生きてほしいと乞われたときに、それならばもう要らないと言われる日まで傍にいようと決めたのだ。
ピンポーン、と間の抜けた音にツナは顔を上げた。まだ体はびくりと反応してしまうが、相手が幻騎士だとわかっていれば、インターフォンも怖くなくなった。スリッパを鳴らしながら、すぐそこの玄関へと向かう。
「おかえりなさい!」
ドアを開けると、そこには幻騎士とティモッテオ老人が、そしてそのふたりの腕に縋るようにして奈々が立っていた。きっと病院からここまでは車で来たのだろうし、階段ではなくエレベーターで上がってきたに違いない。だがそれでもツナは、奈々が自分の足で立っているということがたまらなく嬉しかった。
「母さん!」
「つっくん!元気になったのね!」
「母さんこそ」
裸足のまま靴も履かずに飛び出したツナと、息子を抱きしめて涙ぐむ奈々に、ティモッテオは微笑した。
ツナは奈々の手を引いて、先ほどまで掃除していた部屋を見せた。奈々はまるで子供のように喜んだ。
「本当にまた一緒に暮らせるのね。夢みたいだわ!」
「うん。最初は家とか仕事とか見つからなくて困ってたんだけど、そしたら幻騎士さんが、その……ずっといていいって、言ってくれて」
「そう。優しい人に会えてよかったわね」
「……うん」
ツナははにかんで頷いた。
すこし疲れたという奈々をベッドに寝かせ、昼食の用意をしようとダイニングへ向かうと、リビングでティモッテオが「君に任せて本当によかった」と言うのが聞こえた。
「これからもふたりのことを頼むよ。ボンゴレではなく、家光の友として」
「言われるまでもない」
ツナは思わず、冷たい床にずるずると座りこみ、少しだけ泣いてしまった。父を思い出して寂しいだとか、自分たちを気にかけてくれる人たちがいて嬉しいだとか、幻騎士が認められて誇らしいだとか、そういった感情が一気に脹れあがって、胸がいっぱいになったのだ。
それに気づいた幻騎士が、無表情ながらそちらへと急ぐのを見て、ティモッテオは頬を緩めた。
これまで苦労してきただけ、この可愛い孫のような息子のような少年が幸せになれればいいと思ってきた。だがこの分だともう願う必要はないだろう。ツナの幸せはきっと約束されたようなものだ。
「幻騎士さん、ありがとうございます、大好きです!」
聞こえた声に思わず声を上げて笑ってしまった。