ジョットの遺品は本当に少ししかなかった。数着の着物と羽織、マントとその留め具、指輪、そして西洋製の懐中時計。それらはきちんと桐箱に収められた状態で、ジョットが言ったとおり納戸のいちばん奥にしまわれていた。ツナは奈々にも黙ってそれを持ち帰った。
 指輪はネックレスチェーンに通して、懐中時計は腕時計の代わりにかばんに入れて、いつでも持ち歩くことにした。チェーン代も時計の修理代も高く、当時中学生だったツナにはたいへん厳しいものだったが、ためらいなどこれっぽっちもなかった。
 シャツの下に金属の冷たさを感じたり、時間を確認したりする度に、ジョットと最後に交わしたあの約束はまだ有効なのだと、信じられるような気持ちになる。それは誰のどんな励ましよりもツナの力になるのだ。
 きっとアクセサリーなどつけないような歳になっても、時計が直せないほどひどく壊れてしまったとしても、ツナはこれらを持ち歩き続けるのだろう。想像もできないほど遠い未来のことだが、それだけは決して疑わない。


 久しぶりに着た並盛高校の夏服は妙に着心地が悪かった。暑いせいかもしれないし、ジョットのことを思い出しているせいかもしれない。あるいはただ家に帰りたくないだけかもしれない。
 どれだっていい。ツナにとってはどれでも同じことだ。
 奇妙な言い方になるが、ツナは「今年の夏」にいたくないのだ。昨年でも一昨年でもその前でも、あるいは十年前でもいい、ジョットのいてくれた夏にもどりたいのだ。「いつか」会えると信じていても、「いま」会いたいと思ってしまうのは止められない。こればかりは自分でもどうしようもない。
(しんどいなぁ……)
 これが恋だということなんて、とうに気づいている。死者で同性でしかも先祖だなんて報われないが、だからといって諦められるものではない。
 いっそあの人と同じところへ行ってしまおうか。底が擦れてつるつるになったローファーで白線を踏みこえる。簡単なことだ、タイミングを見計らって、目の前にあるホームの縁から線路へと一歩踏み出せばそれでいい。遠くで踏切の鳴る音が聞こえる。もう少し、もう少しだ、
「ツナー!はよー!!」
「〜〜〜っ!?」
「はは、びっくりしすぎだろー」
 驚きのあまり本当にホームから落ちかけ、とっさに後ろに重心をうつしてしりもちをついたツナを立たせながら、山本はからからと笑った。
「どーしたんだよ?今日登校日とかだっけ?」
「ううん。補習。オレだけ」
「あー、それでそんなに疲れてんのな」
「……まあね」
 それは半分本当で半分嘘だった。疲れているのは本当だが、原因はもちろん補習なんかではない。
 そして、ありがたいことに、山本は妙に鋭い男だった。
「なんだ?言うだけ言ってみろって!秘密はもちろん守るぜー」
「ん、ありがと」
 明るい友人の言葉に少しだけ救われた気がした。しかし本当のことをありのままにだなんて、とても言えっこない。
「オレさー……きょ、去年の今頃、失恋しちゃったんだよ。すっごい好きな人がいてさ、それで、その人もオレのこと嫌ってはいなかったと思うんだけど、でもきっと」
 けたたましく警告音が鳴り響いて、向かいのホームを特急列車が過ぎていった。居心地の悪さをごまかすように、ぱちぱちと意味もなく懐中時計の蓋を開け閉めし、嘆息する。ほんの少しオブラートに包んで話をしただけで、しゃべったそばから大切ななにかがぼろぼろ零れて何一つ伝えられなかったような気分になった。悲しくてむなしくて、それでツナはきゅうっと口を閉じてしまった。
 少しだけ時間をおいて、次に唇からあふれたのは、自分自身にすら嘘をついて隠そうとしていた不安だった。
「……もう絶対に会えないんだ」


 ぱーっとカラオケでも行くか?と言ってくれた山本と結局駅で別れ、ツナはひとり帰路についた。
 家に入ろうとドアノブに手をかけ、朝奈々に言われたことを思い出した。今日は客人が来るのだ。ツナにとって母方の親戚──つまりジョットを殺し、忘れ去り、あの家から排斥したひとりが。
 去年の夏以来、ツナは奈々が憎く思えて仕方がないときがあった。実の母親でさえそうなのだ、親戚だなんて余計に忌々しい。おまえの先祖がそうしたように、おまえを殺して消し去ってやろうか!そうしてそんな真っ黒い思いを、ジョットの遺品を見ることでどうにか隅に押しやるのだ。
「ただ、いま」
 声は情けなく震えていた。
 玄関には奈々の突っかけやツナのスニーカーにまざって、高級そうな革靴がきちんとそろえて置いてある。なんだか胸がきゅうっとした。
 どんなに気にくわなくとも親戚だ、挨拶くらいはしなければならない。いつかジョットに諭されたことを思い出し、しぶしぶ自室ではなく居間へと続くドアを開けた。客人の顔なんて見たくないから、いかにも人見知りしていますというように俯いたまま、二度目の帰宅の挨拶をする。
「ただいま」
「あらツッ君、遅かったのねー!ジオくんもう来てるわよ」
「……え?」
 ジオくん──それは誰だ?
 顔を上げて室内を見る。まず認識できたのは奈々だった。そしてその向かい、ダイニングテーブルのツナの指定席につき、やさしい金色の瞳でこちらを見ている、年の割に小柄で、季節感なんてこれっぽっちもないスーツ姿で、ツナによく似たやっかいな髪質の男、
「おかえり、綱吉」
 ツナの手から、握ったままだった懐中時計がカシャンと落ちた。頭がくらくらして、大事なことはなにも考えられない。ただ嬉しくて、苦しくて、ぼとぼとと涙だけがフローリングに水たまりをつくっていく。
 いつの間にか目の前に立って、一年前と同じようにおろおろと袖でツナの頬を拭うジョットの腕を捕まえた。エアコンのせいか布地はひんやりと冷えていたが、手首から先はじんわりとあたたかい。これまでにはなかったその体温に、ぞくぞくする。
「ジョッ、トさん、ほんとに?」
「本当だ!本当だから、頼むから泣かないでくれ!お前に泣かれると、その……」
「いいんです、かなしいんじゃ、ないですから。それより、ジョットさん、生きてるんですか?」
 間の抜けた問いかけだ。しかしジョットはしかつめらしく頷いて、だからもうお前を待たせることも会えなくなることもないのだと、平坦ながらも喜びの隠しきれない声音で言う。
「春も秋も、いや、一年中だって一緒にいられるぞ」
「いっしょに、って、え?」
「さっき奈々に許可を貰った。今日から俺もここに住む」
「え、え、っなーーーーー!?」
 褒めてくれと言わんばかりにジョットの瞳が輝く。
 ジョットが生き返ってくれればいいのに、並盛に住んでくれればいいのに、いつでも会えればいいのに。そんな、これまで何度も思い浮かべては諦めてきた願いが、ここへ来て一気に叶ってしまうだなんて。これは夢だろうか?それとも夏の暑さの見せた幻だろうか?そんな疑問を抱くことすら、手の中の温度は許してくれない。
 当のジョットはいつもの無表情のまま、少しだけ瞳の奥に情欲の炎を灯して、ツナの唇にそうっとくちづけた。
「ただいま」
 やっと言えた。音にならないそんな声が聞こえた気がした。ぐらぐら眩暈がして膝から力が抜ける。抱き留めてくれたジョットの胸に濡れた頬を寄せ、好きですあいしてますと呟いた。
 涙はいつの間にか止まっていた。