幼い頃から、ツナは母である奈々の故郷が好きだった。愛していると言っても過言ではなかった。虫は多いしゲーム機はないし、最寄りのコンビニまででさえ車で二十分はかかるような土地だ。それでも、そんなこと少しも苦にさせないだけのものが、かの地にはあった。
──ツッくんはほんとうに が好きなのね!ママは嬉しいわぁ!
かつて奈々は、呆れたように笑いながらそう言った。家光の都合がつかず帰省がとりやめになったのを知ったツナが、ひとりででも行くもん!と駄々をこねた年のことだった。それほどあの土地で過ごす夏は特別だった。
だがそれも今年で終わる。来年の夏にはきっと、あんななんにもないド田舎なんて行きたくないよ!と言えるようになっているのだろう。他の、どこにでもいる中学生たちとおなじように。そうして友人達やゲーム機を相手に、長いようで短い四十日を使いきるのだ。
着替えを詰める手を止めて乱暴に涙を拭った。今からこんなではもたないとわかってはいても、体はすこしも言うことを聞いてはくれなかった。
例年であればは十一日までにはついているように予定を組むのだが、今年は一日遅れてしまった。補習授業が入ってしまったためで、これほどまでに己の頭の悪さを恨めしいと思ったことはなかった。
しかしそれでも、待ち人よりもさきに「はずれ」と呼ばれる祖父母の家につくことができた。安堵のため息をつき、客間がわりにあてがわれた奈々の部屋で、ツナはごろりと横になった。
天井の節の位置も、畳の配置も、電灯の笠のデザインも憶えてしまうほど、すっかりこの部屋になじんでしまっている。けれど、ここへ来るのも、
「……今年で最後、なんだなあ」
祖父母と他愛のない話をするのも、こうして日に焼けた畳に横になって天井を眺めるのも──お盆を、ジョットの来訪を心待ちにするのも、すべて。
祖母は市内の病院に入院することが決まった。医者曰く、おそらく退院できる日はこないだろうとのことだった。ひとりきりになる祖父は、病院のすぐ傍に住む奈々の兄が引き受けることになっている。この家は土地ごと売りに出され、墓はあちらに改葬する。ジョットをひとり置き去りにして、みなこの地を去っていく。そしてきっと忘れてしまうのだ。かつて先祖たちが彼のことをそうしたように。
じりじりするような、ずきずきするような、心臓をわしづかみにされたときのような、あらゆる痛みが胸をおそう。どうにかごまかそうと吐いた息はひどく熱かった。
会えるのはいつも日が落ちてから。いっそ冬のように昼間が短ければいいのにと思わずにはいられない。
庭の灯籠にあかりがともった頃、ツナはひとり、路上でまこもに火をつけた。あまりじいっと見つめてはいけないよ、昔祖母にやんわりとそうたしなめられたのを思い出して、足早に家へと戻る。
びゅう、と生ぬるい風が吹き、すぐそばの竹林がざわざわと鳴った。
(あっちは山側だから、きっとみんながおりてきてるんだ)
それを裏付けるように、鬱蒼と茂る竹と竹の間から、ちらちらと白い霧のような影がいくつも覗いている。彼らは迎え火を目印に家へ戻ってきて、門をくぐり玄関を抜け、座敷の一番奥にしつらえられた仮仏壇へと向かうのだ。
一列になった死霊達の最後、少し離れたところにいたひとりが、玄関に入る時にちらりと縁側のツナの方を見て微笑した。ツナも笑い返す。
程なくして、畳がきしりと微かに鳴った。
「久しぶりだな」
座敷を通り抜けてきたのだろう、背後から聞こえた一年ぶりのやわらかな声に涙さえ出てしまいそうだ。思わずぎゅうっと抱きつくと、ジョットもそれに応えてくれた。体温はないが感触はしっかりとある。彼が少しでもあたたかくなってくれればいい、そんなことを思って腕に力を込めた。
「おかえりなさい」
「ああ……ただいま」
長く伸びた前髪の間から、柔らかい金色の瞳が覗いている。小さい頃には精一杯背伸びをしても見えなかったのに、いつのまにこんなに近くなったのだろう──成長はこの場合別れを暗示する。喜べるはずなどない。
メランコリックな空気をかき消したのはジョットだった。
「今年もいてくれたのだな。会えて嬉しい」
「は、はい!本当は学校とかあって、結構ギリギリだったんですけど。でもちゃんと間に合いました」
「そうか」
目許をゆるめて笑い、ジョットはツナの額にひとつキスを落とした。
ジョットにとってツナは、あたりまえといえばあたりまえだが、出会って十年経ってもなお「可愛い子孫」のままだ。だからキスはいつも額か瞼か頬。ツナは、血筋はともかく中身は生粋の日本人だが、だからこそもの足りない。好きな相手にはやっぱり唇にキスしてもらいたい。
同じ血が流れているのが憎らしい。そうでなければ、こうして抱きあうどころか、姿も名前すら知らないままだったというのに、身勝手なものだ。
田舎の夜は早い。風呂も食事もとうに済ませ、あとはもう寝るだけなのだと言うと、ジョットは苦笑した。
「宿題は?」
「とっくに終わりました!リ……家庭教師に脅されて。今年から住み込みで家庭教師にみてもらってるんです」
「……ほう」
「もう本当にむちゃくちゃなやつなんですよ!あ、でも、そのおかげで友達ができたから、良かったといえば良かったんですけど。でもそんなこというとつけあがるし」
だから内緒にしてくださいね、声を潜めて、ツナは口の前に一本指を立てた。ジョットがこの地を離れられないことも、リボーンと顔を合わせることなど永劫にないこともちゃんとわかっていたが、そんなこと少しも構わなかった。
ツナはいつでもジョットを生者と同じように扱う。少しでも、彼と自分の間を詰めたいと思うが故のことだ。ジョットはそのたびに、嬉しいような、面映ゆいような、悲しいような、さまざまな感情が混じりあった灰色の顔をする。そうして、まるでそれをごまかすかのように笑うのだ。
「可愛い綱吉の頼みだからな」
「なんですかそれ」
「なんでもない。それより、することがないのなら早く寝なさい。大きくならないぞ」
あなたは寝ないのに、自分だけそんなことできるわけないじゃないですか。ツナは苦々しく内心で呟く。
ツナもジョットも、大切なことは少しも言わない。本当に伝えなければならないことはいつだっておし殺して、上っ面だけのどうでも良いようなことばかり声にする。嫌っているからではなく、互いを想いあっているからこその行為。それほどまでに死者と生者の溝は深い。
だがもう猶予はほとんどないのだ。すでに一日目は終わろうとしている。この土地では死者が家にいるのは二晩のみ。三日目には、来たときのように一列になって、茄子の牛に先導されて、山や川に帰ってしまう。
これまでのようではいけない。触れないようにしてきたその隙間を見て見ぬふりなどもうできないのだ。
豆電球の明かりの下、抱き合うように布団に入って、意を決してツナは口を開いた。
「ジョットさん」
「なんだ?」
「……オレたち、たぶんきっと、来年からは会えなくなっちゃいます。一緒にいられるのは、明日と明後日、それだけです」
ジョットがどんな顔をしているのかツナにはわからなかった。
翌朝ツナが目を覚ますと、ジョットは変わらず隣にいてくれた。表情は穏やかそのもの。まるで昨夜のツナの言葉など憶えていないかのようだ。
「綱吉、悪いが今日は探さなければならないものがある。午前中いっぱいひとりでいてくれないだろうか」
(……なにそれ。つらいのはオレだけなのかな)
優しいから言わないだけで、できの悪い子孫から離れられると喜んでいるのだろうか。そんなことないと言い切れない己の性分が恨めしい。
リボーンや獄寺や山本や了平やランボや雲雀や骸のように、自信にあふれていられればよかったのに。だが彼らのように裏づけするなにか、努力や才能や経験、或いはそれらがないことに気づかないだけの幼さがないツナには、到底できない。ジョットにばれないように彼の胸に顔をつけ、嗚咽を堪えて少しだけ泣いた。