男の体に子供をはぐくむための器官などついていないのに、妊娠して以来どうしてか体調が優れない。保健体育の教科書で調べたところ、どうもつわりというものらしかった。
 毎日毎日カップラーメンの汁ばかりが無性に食べたくて、その他のものはほとんどうけつけない。特に、米とコーヒーは、匂いだけでもうだめだった。奈々はもちろんのこと、居候たちやリボーンにまで心配させてしまったが、自身が妊娠しただなんてことはまさか言えない。それでツナは自室にこもるようになった。
 ベッドの上で三角座りをして、あるいはいつかジョットとそうしたように端に腰掛けて、毎日毎日たくさんのことを考えた。
 今ツナが乗っているものとはまるで違う、豪奢なベッドの上で彼に抱かれ、そうして子供までできた。互いを想い合った末に授かった命だ、本来ならばそれは喜ばしいことであるはずだ。だが今回は状況がいろいろとおかしすぎた。
 現在、ツナの体は確かに男で、子宮も何もない。けれど奇妙なことに、ツナがこちらにいる間も子供は胎のなかですくすく育っているのだ。真っ平らどころか僅かにへこんでさえいたツナの腹は、先日見たときには、一目で妊婦とわかるほどにふくれていた。
(ひとつの魂でいくつかの体を使い分けてる、のかな。ゲームみたいに)
 頭の悪いツナにはどういう原理か見当もつかなかったが、そう考えるのが一番しっくりくるような気がした。
 子供が胎のなかにいるうちはまだいい。ツナはこれまであちらでどんな危機にも遭遇したことなどない。ツナの身さえ無事ならば、母胎の中のあの子もまた無事であるはずだ。だが、生まれてしまえばあの子はどうなるのだろう。山は冷えるし、出くわしたことはないが獣だっているかもしれないのだ。
(それに、産んでもオレ、あの子のこと育てられないんじゃないか……)
 家族や友達や生活をすべて捨ててあちらで生きようとしたって、時間が来ればツナはこちらの世界に引き戻される。子供を残して度々行方不明になる母親がいったいどの世界にいるというのだ。
 更に、問題はそれだけではなかった。そう、子供の父親である、ジョットのことだ。
 いつだったか、自分によく似た顔だと思ったことがあった──当たり前だ。血が繋がっていたのだから。恋をして体をつなげた相手が百年も前の先祖だなんて。そこまで考えて、ツナははっとした。
「オレの先祖、ってことは……ジョットさんに子供がいたってこと……?」
 そして子供がいるということは、そういった関係を持った女性がいたということではないか。ツナは遊びか、愛人か、それとも若かりし日の過ちか。考えれば考えるほど暗澹たる気分になってくる。
「ねえリボーン、歴代のボスのこと、教えてくれないかな。その……しょ、初代のこととか」
 愛銃を磨いていたリボーンに声をかけると、彼は珍しく、暴力をふるうことも理由を問うこともなく、そしておそらく読心術を使うこともなく、本棚の最下段に乱雑に平積みされた書籍の山を指した。
「知りたきゃ自分で調べろ、バカツナ。次期ボス育成教科書『ドン・ボンゴレへの道』にちゃんと書いてあるぞ」
「バカってゆーな!」
「ホントのことじゃねーか。自分の部屋にあるものくらい把握しやがれ」
 リボーンは腕を組んで盛大にため息をつき、ダメダメのダメツナめと吐き捨てて階下へ降りていった。コーヒーでも飲みに行ったのだろう。ツナはまるでエンツィオのようにドアの隙間から首を出し、彼が戻ってこないのを確認してから、おそるおそるその教本へと手を伸ばした。
 それはいつか、マフィアについての説明を読み恐くなってしまいこんでしまった、あの教本だった。確かに目次には「歴代ドン・ボンゴレと守護者たち」とある。ジョットに関する項は、他のものの三倍ものページをとってあった。
「……あ、」
 ページを繰る手が止まった。ジョットから続く沢田一族の家系図が載っているページだ。
 ぐしぐしと乱暴に涙をぬぐう。本当に彼のためを思うのなら、身を引くべきなのかもしれない。でももうすべてが遅すぎた。ツナはあきらめなどつけられないほど深く深く、彼を愛している。


 堕胎しようだなんて考えははなからなかったし、行動もしなかった。だから、当然、あの晩から十月十日が経てば子供は生まれてくる。いつものようにジョットの時代にタイムスリップしたツナは、もうとうにそのときを過ぎていたことを知った。
「あぁ……おまえが、オレの子供なんだな……」
 長いすにかけたツナの膝の上で、赤ん坊が力強く泣いている。おくるみに包まれたその額には橙の炎がともっており、そしてなにより、ツナの腹はぺたんこになっていた。
 今は九月の初旬だ。昼間ならまだ熱中症の危険があるし、夜はそれなりに冷えこむ。さらに悪いことに、ざあざあと夕立までもが降りだした。ツナでも肌寒いのだから、赤ん坊ならばなおさらだろう。
 ツナはゆっくりと立ち上がった。頼れる人などはなから一人しかいない。今更どんな面を下げて会えばいいのだろう、途方に暮れながらも、他の選択肢など思いつかなかった。


 数ヶ月ぶりに見るジョットは幾分やつれていた。頬がこけ、眼光は鋭く、ささくれた空気をまき散らして、まるで別人のようだ。声をかけるのさえためらってしまう。
 彼にみつからないよう木陰に隠れて、ツナは項垂れた。
 もうあなたには会いません。以前、確かにそう言った。けれど今、ツナはこうして彼にすがろうとしている。他に解決法が見つからないからとはいえ、何とも情けのないことだ。きっと軽蔑される。
(いや、オレひとりが辛い思いをするくらいですめば、それはラッキーなことなんだ)
 最悪の場合、子供を放り出されてしまう可能性だってある。そして優しいジョットは、そのことについて更に傷つくのだ。
 おくるみを抱く手に力が入る。
 それでも、十箇月の間考えに考えを重ねても、この子を守る方法などみつからなかった。もはやツナにはこの方法しか残されていないのだ。
 ツナは意を決して、大岩にかけた男の元へと歩き出した。
 どんな心ない言葉もうけとめる覚悟だ。大事なのは子供の未来で、それさえ保証されるなら、自身が傷つくことなんてどうってことない。ツナは無自覚のうちに、母親の強さを手に入れていた。