改めてまじまじと見つめてみると、目の前の男は、とてもきれいな顔をしていた。
 あの日はただきついばかりだった視線は今では優しくゆるみ、ツナにたくさんの慈愛を届けてくれる。少しだけ自分に似ているなと思っていたのだが、こうして再会した今、それがいかに傲った考えか思い知らされた。彼はもっとずっときれいな顔立ちで、それなのに男らしさもちゃんと併せ持っていて、とにかくツナなどよりずっとずっと格好いい人なのだ。
 それに、とツナはため息をつく。腕も、腹も、けっして軽い怪我ではなかった。リボーンに訊いてみたところ、実物を見てみなければ断言はできないがと前置きをされた上ではあったが、死んでもおかしくないだろうと言われてしまったくらいの大怪我だったのだ。それなのにこうして動いていられるというのは、彼がよほど強靱な肉体と精神を持っているということだ。
 たとえ同じベースを持っていてもふたりは明らかに違う。すぐに弱音を吐いて諦めてしまう女々しくて弱虫なツナと違って、彼はちゃんと「男」なのだ。


「ツナ殿、どうかしたか」
 不思議そうな声に、ツナははっと顔を上げた。ついつい自分の世界に入ってしまったが、そうだ、今はこの男と一緒にいたのだ。もしかして、優しいこの人さえも怒らせてしまったのだろうか。そう思っただけで、もう泣きそうだ。
 だが、彼はツナを責めたりはしなかった。
「何か不快にさせてしまったか?」
 それどころか、心底申し訳ないというような顔さえしている。こんな反応をされたのは初めてで、ツナはしどろもどろになってしまった。
「あ、え、その、そんなことないです!ただ、そうだ、あなたのこと、なんてお呼びしたらいいか考えてて……」
 咄嗟の言い訳だったが、口にしてから、なかなかいいなと内心自画自賛した。
 そう、出会いも再会もあまりにぶっ飛んでいたのですっかり忘れていたが、考えてみればツナはまだ彼の名すら知らないのだ。男もそれに思い至ったらしい。目を僅かに細め、口の端を上げて、握ったままだったツナの手を口元へと運んだ。手の甲に、柔らかななにかが触れる。
「そうだったな。貴女に会えてだいぶ浮かれていたようだ」
「へっ!?」
「俺のことはジョットと呼んでくれ」
 なんだかどこかで聞いたような名前だが、きっとどこかの国の偉い人か誰かのものだろうと、深く考えずにツナは頷いた。正直、そんなことを気にしていられなくらい、彼の行動は重大だった。
 ジョットの手は骨張っていて大きく、温かい。ところどころ硬いのはきっと何か武器を握り慣れているせいだろう。ふにゃふにゃで貧相で情けないツナのものとは違う、戦う人間の手だ。そんな手を持つ彼が、おそらく滅多に見せないだろう笑みを浮かべて、浮かれていただなんて言うのだ。なんだか恥ずかしくなってしまって、そっと目をふせた。
 人気のない山の中で、手を重ねてふたりきり。さっきからどくどくと鼓動がうるさい。
 なにか、なにか言わなくては。そればかりが頭のなかをぐるぐると回って結局何も出てこない。心臓も指先も頭の中までもが熱くて熱くて、今にもとろけてしまいそうだ。
 結局先に口を開いたのはジョットの方だった。
「貴女の話を聞かせてもらえないだろうか」
「話?なんのですか?」
「なんでもいい。普段していることだとか、周囲の人間のことだとか、貴女のことならなんでも」
 少しだけ、羨むような声音だと思った。もしかしてジョットは人との縁が薄いのだろうか。それはとても寂しいことだと胸が痛む。
 孤独な彼を少しでも慰めることができるのならと、ツナは乞われるままに並盛のことや家庭や学校生活など、たくさんの話をした。ジョットは特に家族や友人達の話が気になるようで、何度も何度ももっととせがみ、ツナはそれに応えた。お返しにと彼のことについて問うと、イタリアで事業を興したあと、会社を親族に譲って今は若隠居の身だとのこと。やっぱり凄い人だ、ツナはただただ感心するばかりだ。


 幸せなときはあっという間で、気付けばすっかり日が傾いていた。真っ赤な空の下、ゴオオオオオン、と鐘の音がする。そういえばここは寺だったのだと鐘楼の方に目をやると、一仕事終えた老人が本堂へもどるところだった。
 ツナの挙動に気づいたのか、ジョットが眉間に皺を寄せる。
「そろそろ帰らないとまずいか?」
「多分……ああでも、もうちょっとなら大丈夫だと思いますけど」
 幸い、移動の前兆であるあの目眩はまだない。それでそう付け足すと、ジョットは心底嬉しそうにツナの薄っぺらな体に腕を回し、小さな頭を自分の肩に凭れさせた。
「ちょっ、な、なんでっ」
「少しだけだ」
「そういう問題じゃ……」
 ないでしょう、と最後まで言うことはできなかった。大きな右手がツナの口を塞いだからだ。喋れば唇や舌が掌に当たってしまうだろうし、それはきっととても不快だろう。そうして黙ってしまったツナのかわりに、彼が決まり悪げに呟いた。
「長いこと会えなかった。明日や明後日に会える保証もないのだろう?だから、もう少しだけでいい、このままで」
「……ごめんなさい。オレ、その、」
「構わない。本来ならば、ほんの一瞬顔を見るだけでも俺には過ぎたことだ。わがままを言ってすまないな」
 悲しみを押し殺したような、自分自身を嘲るような、寂しい声音だった。この人にこんな声を出させてしまうだなんて!ツナは慌てて、半ば叫ぶように言う。
「そんな!オレ絶対またここ来ますからっ、だからそんなこと、言わないでくださ、い、よぉ……」
 ああ本当に、明日や明後日に会えると言い切れたらどんなにかいいだろう。前回ツナがここに来てから、もうふた月が経ってしまっていた。今度はそんなに間を開けずに来られるだなんて、どうして思えるだろう。
 もしツナがこのすぐ傍に住んでいて、単に家やなにかの事情でおおっぴらに出歩けないだけなのならば、何をしてでも──たとえばリボーンや雲雀とやり合うはめになっても構わないから、毎日ここへ来て、何時間でもジョットを待つのに。そんなことは決してできない。そういった問題ではないのだ。
 涙を堪えようと目を瞑ったツナの頬に柔らかいものがそっと触れる。程なくして耳元でまたなと優しい声がして、とん、とそっと肩を押された。
 それからのことはほとんど覚えていない。気付けば見慣れた自宅にいて、食事を済ませて風呂に入っていた。ジョットと別れてすぐに、ひとりふらふらとあの緑の空間へと向かったのか。一体いつあの頭痛と目眩が始まったのだったか。記憶はかすんで曖昧だ。
 だが、あのキスと囁きだけは別だった。あんな涼しい顔をしていたくせに呼気はとても熱く、所作はまるで壊れ物でも扱うかのように丁寧だった。そしてそんな彼の唇が、頬に、耳朶に触れて、
「うわああああああっ」
 足をばたつかせて悶えたために、ぱしゃんと緑色の湯が大量に跳ねた。きっと顔は真っ赤だろう。もしかしたらあとでリボーンかビアンキあたりにからかわれるかもしれない。
(お湯!お湯のせいだから!)
 誰にともなく言い訳してまた盛大に湯を蹴った。ああ、頬が熱い。