月めくりのカレンダーをめくって、スクアーロは思わず首を傾げた。並んだ三十一の数字のひとつに、赤のサインペンでくっきり丸がつけられていて、その脇にはツナの自筆で「10,000」の数字と「お祝い!」という一言が添えられている。だが、その日は、スクアーロの記憶に間違いがなければだが、何の変哲もないただの一日であるはずだ。多少なりとも特別なところがあるとしたら、それはせいぜい日曜日であるということくらいだろう。それほどまでに何もない日だ。
スクアーロの誕生日は三月だから、違う。ツナの誕生日は十月だが、丸印がついているのは下旬で、十四日ではない。ならば記念日関係か。ふたりがつきあい始めたのは、なし崩しにだったから曖昧だが、秋ではなく冬のことだった。初めて手をつないだのはその年のクリスマス直前、キスをしたのはクリスマスの少し後。同居を始めたのは五月だったはずだ。
(本当に……何の日だ?)
二人のつきあい関連でないのならボンゴレ関係のことだろうか。だが、このカレンダーはボンゴレが作ったものだから、ファミリーに関係する記念日は、わざわざこんな書き込みをしなくともすべてプリントされている。
考えても考えてもそれらしい答えは浮かんでこない。いっそツナに訊こうかとも思ったが、それもなんだか悔しかったので、多少時間をかけてでも自力で解決しようと決めた。自分の手帳に同じように数字と単語を控えておく。
そのまま毎日悶々と頭を悩ませ──るつもりだったのだが、しかし、急激にボンゴレとミルフィオーレとの関係が悪化したせいで仕事量が膨大に増え、それどころではなくなってしまった。ザンザスの代わりに大量の書類を片付け、ストレス発散とばかりに現場で暴れ回る日々が続く。
光陰矢のごとし、気付けば当日を迎えていた。
その日のツナの気合いの入りようといったら、生半可なものではなかった。
イベント好きな母親に育てられたせいか、ツナの用意するクリスマスディナーやバースデーディナーはそれはもう豪華なものだ。当日の夜にふたりで腹一杯食べ、翌日の昼に少しアレンジして弁当にして、それでもまだ食べきれないほどのご馳走を毎回用意する。そして、この日の夕食も、それらに劣らないほど大量で豪勢なものだった。
救いようのないことに、スクアーロは、テーブルの上に所狭しと並んだ料理を見るまで、すっかりカレンダーの書き込みのことなど忘れていた。当然、記念日(だろう、間違いなく)を祝う用意などしていない。イタリア男失格だが、仕方のないことだった。それほどまでに仕事が忙しかったのだ。
新興勢力であるミルフィオーレはとにかく厄介な相手だった。得体が知れず、実力があって、しぶとく、そしてずる賢い。スクアーロは、何度も何度も、ツナがドン・ボンゴレでなかったことに安堵していた。もしも慈悲深く自身を盾にすることを厭わないツナが十世の座についていたりしたら、白蘭につけこまれて、あっさり殺されてしまったに違いない。
そんな敵を相手にどうファミリーを守るかで頭がいっぱいな状態だったから、スクアーロは帰るなり、ついついツナに訊いてしまったのだ。
「何だァ、やけに豪勢なメシじゃねえかぁ。誰かの誕生日でも、ねー、のに……よぉ」
途中で妙に歯切れが悪くなったのは、はっとしたからだ。そういえばカレンダーにマル印がついていたような、そしてそれを手帳に書き写したような気がするぞ。そして、そういえば、そろそろツナの誕生日を祝ってから一週間くらいが経った気がするな──
しかし、己の失態に気付き固まってしまったスクアーロに、ツナはにこにこと笑って言った。
「うーん、まあ、誕生日も記念日も似たようなもんだよな!」
「ハァ!?」
「とにかく座って、お祝いしようよ」
そう言う彼の手にはすでに栓抜きが握られている。飲む気満々だ。
よくよく見れば、テーブル用意されていたのは、彼が大切にしまっていたワインだった。赤ワインは渋いからといって好まないくせに、大事な日に開けるんだといって、宝物みたいに扱っていたものだ。今日はそれを開けるにふさわしい日なのか。だが、それにしては、スクアーロに対する態度が甘すぎる。女というのは、記念日を忘れた男を般若のごとき形相で責め立てるものではなかったか。いや、ツナは女ではないが。だがそれでも、そんなに大切な日を忘れられてはいい気分などしないだろう。
混乱の極みにいるスクアーロを置き去りに、ツナはカトラリーをセッティングして、それからグラスを出してきてワインをなみなみと注いだ。ふたりきりの食事だ。ワインだってグラスに少しずつだなんて小洒落た飲み方はしない。
「ほらほら、スクアーロ、乾杯!」
「あ、あぁ」
チン、とグラスが涼やかな音を立てる。ツナは渋いそれを顔をしかめながらも一気に流し込んで、真っ赤になった顔でいじらしいことを言った。
「今日が何の日かなんて、スクアーロにわかるわけがないよ。だって、オレが勝手に大事にしてただけだもん」
「あ?大事にって……何でだよ」
「うん、あのね、今日の夕飯は、オレとスクアーロが一緒に食べる、一万回目のごはんなんだよ」
ツナの視線の先には、デコペンで10000th dinner!と書かれたチョコレートを載せた小ぶりなケーキがある。
「スクアーロ、昔はぜんぜんちゃんと食べてなかったでしょ。朝はコーヒーだけとか、昼はパンだけとか、夜はお酒とおつまみだけとか。それで母さんが怒ったんだよね」
「ああ、覚えてるぜぇ」
リング戦の後、ひどい怪我を負ったスクアーロを、薄情なヴァリアー達は日本に置き去りにした。全身包帯男状態だったスクアーロが自力でイタリアへ帰れるわけがない。結局スクアーロは沢田家で傷を癒すことになったのだが、そのとき奈々にひどい食生活がばれてこっぴどく叱られたのだった。自力で食事がとれるようになってからは、奈々とツナと居候達と、一日最低二回は食事をともにするように「約束」させられたりもした。今となっては、なつかしい話だ。
「うん、それでね、オレとスクアーロが一緒にごはんを食べるようになってから、これが一万回目のごはんなんだよ。九年もかかったんだよ、一万回ってすごいよね。そう思ったら、なんだかお祝いしたくなったんだ。だって、オレとスクアーロが九年も一緒にいたってことなんだよ。オレ、嬉しかったんだ」
酔いが回っているのか、発音こそはっきりしているものの文脈はぐちゃぐちゃだ。
スクアーロはもうなんと言っていいのかわからなくなってしまった。感動のあまりだ。
「一万回で九年だから、二万回まではあとまた九年かかるよね。そしたらオレは、えーと、三十歳すぎちゃうな!そのときもまたお祝いしようね!」
チキンとワイングラスを手にして嬉しそうにねだるツナに、スクアーロはもちろん頷いた。
一緒に二万回目の食事をする時にはスクアーロは四十過ぎ。三万回なら五十歳だ。そのときまできっと自分たちは一緒にいるのだろう。未来ほど不確定で信じられないものはないが、だからこそ、ツナが灯してくれた灯火が嬉しかった。