『来月そっちに行くことになった。二三日はゆっくりできる。土産になにか欲しいものはあるか?』
 届いたばかりのメールを一読して、ツナはため息をついた。
 スクアーロと会えるのは嬉しい。つきあっているのだから当然だ。だが同じくらい憂鬱でもある。
 メールには「行くことになった」とある。つまりそれは、仕事でということだ。職業がマフィアであるということも、所属が暗殺部隊であるということも、わかってつきあい始めたはずだった。それなのに、未だにツナはスクアーロの仕事に対して不安を拭うことができない。
(だって、もし、リング戦の時みたいなことになっちゃったら……スクアーロさんが強いのはわかってるけど、でも)
 水音と、まるで似合わない静かに諭すような言葉。ザンザスの哄笑。あのときツナは何もできなかった。死ぬ気になれば、本気で彼を助けたいと思ったならば、あの水の中に飛び込むことだって何だって、できたはずなのに。
 彼の安否を知るまでのたった数日の間に、一生分かと思うほどたくさんたくさん後悔した。それなのにそれは随分経った今も尽きることはない。毎夜毎夜夢にうなされて飛び起き、せめて手を伸ばすことくらいできればよかったのにと、枕を濡らしながらふたたび眠りにつくのだ。
 沈む思考を振り払うように首を振って、手早く返信のメールを書いた。
『嬉しい!おいしいご飯いっぱい作って待ってるね!おみやげだけど、リボーンにナポリのスフォリアテッラ?がおいしいって聞いたんだ。食べてみたいな』
 せめてあのひとが、自分のことを、まだ恐怖も絶望も知らない無知で無邪気な子供だと思ってくれればいい。「送信中」の表示を見ながら、ぼんやりそんなことを願った。


 スクアーロがスフォリアテッラを片手に沢田家を訪れたのは、吐いた息が白くなるような、寒い寒い十二月の夜だった。
 彼の様子は表面上はなにも変わりないが、それでもツナは安心できずに、コートを受け取りながら彼の体のあちこちをたしかめていった。黒いセーターのどこにもほつれや傷や汚れはないし、特に体を動かしにくそうな様子もない。背中や脇腹まで確認し終えて、ツナはようやっと安堵の息を吐き、それから急に恥ずかしくなって自室に駆け込んだ。
 勢いよくドアが閉まる音に、張りつめていた気が緩んだのか、思わずずるりとその場にへたり込んでしまった。
(怪我とかしてなかった、無事だった……)
 抱え込んだコートの手触りの良い生地がぽつぽつと濡れていく。
「よかった……」
「何がだぁ」
「っうわスクアーロ!い、居間にいてくれてよかったのに」
 驚いたツナが叫ぶように言うと、スクアーロは床に座り込んだツナに合わせるように片膝をつき、まるで言い訳でもするかのように決まり悪げに言った。
「あのなあ、普通はいきなり逃げられたら気になるんだよ!しかも泣いてるしよぉ……ッたく」
 言い回しこそ乱暴だが、間近に迫った顔は微かに赤い。ようするに照れ隠しなのだと、鈍いツナにもすぐにわかった。革手袋を填めたままの大きな手が、ぐしゃりとツナの頭をひと撫でして離れていく。
 寂しい、物足りない。だがもっとと強請ろうと声を出すよりも先に、スクアーロが再び口を開いた。
「う゛おぉい!お前は俺のなんだァ!」
「は、え、なんだって……そりゃあ、こいびと、だよ、ね?」
 自信なさげに語尾を上げたツナに、スクアーロは思わず嘆息してしまった。
「わかってるなら妙な遠慮なんかするんじゃねぇ!言いたいことがあるなら何でも言え、それができなくて何が恋人だ」
 吐き捨てるように言われた言葉に、ツナはひゅうっと息を詰まらせた。真っ白になった頭の中を怒声だけがぐるぐる回る。
 そんなことこれまで考えもしなかった。ツナにとってこの不安は己の中のみで解決すべき問題で、スクアーロ本人にぶつけてしまおうだなんて、ただの一度も思いつかなかったのだ。
 呆然としているとまた頭を撫でられた。
「で、何がよかったんだぁ」
 そう優しく促されてしまえばもう我慢などできなかった。堰を切ったように言葉があふれ出す。
「す、スクアーロが仕事だって思う度に、オレ、怪我とかしてたらどうしようって心配で心配で、リング戦の時のこととか思い出しちゃって」
 今すぐ口を閉じてなんでもないと笑って見せろ、これは言ってはいけないことだ!だがそう叫ぶ理性に、体はこれっぽちも従ってはくれない。
「大怪我とか、し、しんじゃったりして来られなかったらって思うと、こわくって……スクアーロ絶対オレに怪我とかそういうの見せないだろうし、それで」
「……それで、なんだ」
「もしスクアーロになにかあったときは、お願い」
 それが俺に伝わらないようにしてください。声は酷くうわずってみっともなかったが、それを気にする余裕もなかった。
 千五百メートルを走りきった後のように、肺が痛む。視界はまた涙でいっぱいだ。
「本当のことを聞かされてあんな思いをするくらいなら、希望を抱えたまま生き続ける方がずっとましです。今度は……二度目は、耐えられそうにありませんから」
 ぱたり、と、またコートに水滴が落ちる。
 スクアーロはツナの細い体を抱きしめ、小さくすまなかったと呟いた。それがこれまでツナの思いに気づけなかったことになのか、それとも要求をのめないことに対してなのか、ツナにはわからなかった。
 恋人だと言っておきながら、目の前で泣かれて懇願されても改めてはくれない、ひどい男。だがそれでも、いつかまた悲しみに暮れる日が来るとわかっていても、離れられはしないのだ。
 きっと今夜もまた、水底に沈んでいくあの凛とした姿を夢に見るのだろう。ツナはスクアーロの肩で涙を拭い、そっと目を閉じた。